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「先輩・後輩文化」と、アメリカンな決然性をどう使い分けるかという話。

本の発売日は、24日だと思ってたんですけど、正式には23日から「取次搬入発売」っていう形らしく。

その「取次搬入発売」というのは何かというと、多分23日には取次さんから本屋さんへの配本が始まり、東京都内などのはやいところではもう23日夕方には並ぶ・・・・「本屋さんに搬入されしだい発売」ということらしい。(そのぶん地方の本屋さんは1-2日後ぐらいになったりするみたいなんですけど。)

と、言うことは・・・もう23日中に手に取られる方がいるかもってことか???

おおおおお。よろしくお願いします。アマゾン予約の方もいずれの到着をお待ちください。



実は昨日、うちにも「見本本」が届いたんですけど、凄いカッコイイ本になってたです。

シャキーンチャキーン!!って感じだった。ピカピカで、バリッとした感じ。

星海社新書は普通の新書よりもなんか・・・・すっごいカッコイイんですよ毎回。デザインが。



(クリックすると拡大します↑・・・これは校正の最終段階で柿内氏が送ってきてくれた写真ですけど、彼の最新のエディターズダイアリーにあと何枚か写真があります

祖父江慎さんという有名なブックデザイナーさんのところで長いことやられてた、吉岡秀典さんという方の、独立後初仕事が星海社新書の統一ブックデザインと、毎回のブックデザインだそうです。

22日の朝日新聞に、星海社新書のデザインが取り上げられていたそうなんですけど。


新書って多分毎回同じフォーマットに流しこんで終わっていることも多いんじゃないかと思うんですけど、星海社は毎回ブックデザイナーの吉岡さんが関わって一点もののデザインを作ってくれているみたいなんですよね。

それが、斬新だけどチャラチャラしてない、硬派で知的な新時代の新書レーベルだぜ!!って感じのテイストで、それが僕はかなり好きなんですよね。

「21世紀の薩長同盟を結べ」も、柿内氏とコンビで最後の仕上げを超頑張っていただいて、ほんと、僕の思いを完全にすくいとってくれるような、的確かつ斬新なブックデザインに仕上げてくれました。

見本本が届いて、最近体調崩して元気なかった妻が狂喜乱舞してキャアキャア言ってて、僕は静かに泣きました。

ほんと、今の僕としては「これ以上ない」ものにしていただけたな、と思っています。

編集長柿内芳文氏と、デザイナーの吉岡秀典さん、アシスタントエディターの岡村邦寛さん、そしてこの出版リスクを取れるだけの冒険的経営体力を培っていただいた星海社のみなさんに感謝します。



で、見本本は10冊いただいたんですけど、神戸の実家の分は自分で買ってもらうことにして、妻と義母と義姉さんに1冊ずつ贈呈した後、残りの7冊を船井総研時代にお世話になった方々に、さっき手紙付きで郵送したんですよ。

いわゆる「献本」っていうのは、星海社の場合、アイパッドその他で読める電子献本っていうシステムがあるらしく、マッキンゼーの先輩や、あるいはそうでなくてもご活躍の方で、ぜひ読んでいただきたいと思っている方にはその「電子献本」をさせていただきたいと思ってるんですけど。(まだ少し準備に時間がかかるようです)

ただ、それとは別に、船井総研の人には実物をお送りしたいなって思ってたんですよね。

まあ、特にかなり年上の方はアナログ人間が多そうだから電子献本より実物が良いのかなっていうイメージもあるんですけど、それだけじゃなくてほんと、気持ちのどっかでずっと船井のことは引っかかってた部分があるんですよ。

僕、船井総研時代に凄い気をかけてもらって、色々勉強させてもらったのに、そこで成果を出して返す前に、独立して自分のビジネスを始めちゃったのがね、なんかこう・・・・気になってたんですよねずっと。

特に、現社長の高嶋さんとか、かなり何度もサシでご飯に連れて行ってもらったりしてね。色々教えてもらって。

ほんとなんというか、思い出すだに、「恩」を感じるんですよね。

マッキンゼーの先輩にね、色々お世話になったっていうことは、アメリカンな文化なんで、それほど苦にならないんですよ。それぞれ自分の道を進むのが当然、むしろいつまでもベタベタしてんじゃねえ!って文化なんでね。

「You go your way and I'll go mine,  period!!」って世界なんで。

でも、船井総研は、まあ「普通の日本の会社」とは言えないとはいえ、まあ、「日本流の良さを提示する」っていうことにコダワリを持ってやっている文化の会社なんで、自分のなかでそれをどうケジメつけていいやらわからんところがあって。

だから、ずっとなんか・・・・ねえ。

やっぱり、日本の会社においてそうやって「気にかけてもらう」っていうことは、長期的にその会社にコミットしていって、将来的にその会社の中で成果として還元していくっていうことが暗黙の前提ってところがあるじゃないですか。

そのへんの、なんかこう、ギャップ感がずっと気がかりだったんですよね。

でもまあ、さっき小包送ったんで、これで、今後は「船井総研出身者」としての名に恥じないキャリアを築いていくことで、その名を高らしめることを持ってご恩を返すということに・・・・

って、なんかやたら大げさやな!!って思うんだけど、でもさっきお世話になった7人の先輩に手書きの手紙を書きながら、ついついそういう大時代的な表現をしちゃってる自分がおかしかった(笑)

いや、まあ、ちょっとおかしいなって思うけど、でもまあ本心としてそう思ってるんだから書いちゃってもいいよね?って思いながら書いた(笑)

船井総研はほんとユニークな会社で、面白い人がいっぱいいたんで、送る相手を思い出そうとすると次々と浮かんじゃって困ったんですけど、まあ見本本の数も限られているし、7人だけ厳選して送らせていただきました。



でもね、ほんと、この「先輩・後輩文化」っていうのと、「アメリカンな決然性」って、両立がほんと難しいんですよね。

日本の中で、日本の文化の文脈だけで、「個人レベルのアメリカンな決然性」を実現しようと思うと、ほんとなんか、凄くポピュリズム的とまでは言わないが、「みんなの思いに気を使いまくって、それに後押しされる」ように持っていかなくちゃいけないところがあって。

「我らが代表」って感じに思ってもらうように持っていくって感じが必要になるというか。

でも、そういう風に持っていくのがそもそも難しいしね。いろんな人にいろんな意見があるし。で、いちいちそれらすべてのことを考えてたら「代表する」っていっても難しい問題があるんで。

だから、


どっかのタイミングで純日本風の集団倫理的なものをある意味裏切って、「僕は僕の道を行かせていただきます」っていうタイミングが必要にはなる

んだけど。

それを、どのタイミングでやるか???って結構難しい問題で。

この前、星海社のCOO兼副社長の太田克史さんがブログで、地道な蓄積もいいけど、若いうちに一発大きく振っていかないとダメだ!!ってみたいな話をされていて、色々となるほどと思ったんですよね。

ただ、みんながみんなアメリカンに個人主義的になっていいのか?っていうような問題もあるじゃないですか。

組織の密度がある程度保たれてないと日本ならではの価値ってのも消えるんじゃないかとか、そもそもそういう「個人としての仕事」を「したいと思っている人ばっかり」でもないからね。

そもそも


全然そういうの(個人としての仕事)に向いていない人だからこそできることってのも確実にあるから、みんながみんなそうすりゃ物事が良くなるわけでもない

しね。

でも一方で、


「個人として明確に自立した仕事を作った方が圧倒的に活躍できるタイプの人が、集団に埋もれて真価を発揮できない状態に置かれる」ってこと自体は明らかに「損失」

と言っていいですよね。

だから、バランスっていうか・・・・難しいなあって思うんですよ。



星海社の柿内さんも太田さんも、キャリアの相当若いうちから個人の力量でホームランを打ちまくってきた人なんで、彼らがそういうことを言うのは説得力があるし、そういう人生を目指したい人がその言葉を聞いて「よっしゃ俺も!!」ってなること自体は意味があると思うんですけど。

でも、それって結構出版業界だからって部分もあるしね、なかなかそういうことができる業界とできない業界ってのがあるし。

「今すぐ」はそういうわけにもいかないんだよね・・・・っていう人もいると思うんですけど。

で、その時に、「集団の中で生きる」ことが「自然」な人ならいいけど、

「集団の中でとりあえず生きているんだけど、でも最終的には個人として独立した仕事をしたほうが圧倒的に向いている人」

っていうような、そういう「境界線上にいる人」はね、僕の本を読んでいただいて、で、「いずれは自分だけの仕事をしてやるけれども、でも当面は我慢して準備する」っていうような、「PQ的大道楽」を一緒にやっていきませんか?とお誘いしたいですね。

新規募集を停止していた会員組織も、SNSも、またリニューアルして、24日以降ぐらいには再開したいと思うんで、新しい出会いを楽しみにしています。



ところでなんか、小包送りに行く時にMP3ウォークマンを聞いてて、吉井和哉さんの「VOLT」がたまたま流れてたんだけど、凄いはまった。なんか。いいなあ。と思った。

その一作前の「Hummingbird in the forest of space」があまりに凄くて超好きでずっと聞いてたんで、間をあんまり開けずにリリースされた「VOLT」を聞いた回数は今までそれほどなかったんですけど。

でも、「ビルマニア」の歌詞とかやっぱ凄い良いなと思うし。

「踏みとどまらずあいつを絶対見返そう」(”踏みとどまって”じゃなくて)っていうのもいいし、特に最後の方、

「流れるままに」 最後は絶対そうしよう
生涯愛を捧げる誰かを見つけよう
誰も怨まず、最後は絶対そうしよう
愛する世界に飛び込み良い幻想見よう

ってめっちゃええやん。俺ほんま人生全部こうありたいわ!と思った。

おっと、EMIの公式宣伝用ユーチューブチャンネルにあったぜえ!!!
http://www.youtube.com/watch?v=aSAiZ2xrEts

これいいわー。マジいいわ。吉井和哉マジかっけえわー。(PVで歌ってるのは山田孝之さんですけど)

みんな吉井和哉とイエローモンキーを聞こう!!



この時期の吉井さんは事務所を独立して自分でコスト管理もしちゃって色々自由にできるようにして、で、アメリカ行ってアメリカのミュージシャンで全部録音するっていうことにはまってた時期で。

録音風景も付属のDVDに収録されてるんですけど(これじゃなくて一個前と2つ前の作品のDVDに収録されたんだったかも)。

昔は、「アメリカではじめて本当のロックが鳴らせた」的な歌詞がなんか・・・ちょっと受け入れられない部分があったりして。

僕としたら、いずれそういう「アメリカンな決然性」を手に入れたいと思うけど、でもまだ、もうちょっとだけ「日本の集団の密度感」から学ぶものがあるんだ・・・・っていうような、そういうどっちつかずのツライ気持ちを持ってた時期だったんでね。

そりゃ俺だってアメリカンに決然としたいさ!!でもなんか・・・・もうちょっと時間かかるんだよ俺は!!みたいな。

でも、そういうどっちつかずの気持ちを、小包を船井総研に送ったことで、とりあえず整理ついたな・・・って思ったんで。

その時「VOLT」がたまたま流れてたのが、なんか凄い「良いなあ!」と思った。

これからは、日本人の魂と蓄積を、ちゃんと広い範囲に表現していくために、アメリカンな決然性を再度身につけていくフェーズにしようと思った。



って、なんか凄い大げさな言い方になっちゃってる?けれども、でも僕こういうの凄く気にしちゃうタイプなんですよね。

キャリア全体の設計の問題ってだけじゃなくてね、なんか普段の会話のモードに関してもなんですよ。

この前、マッキンゼーの同窓会があって、この回の記事で書いた、尊敬する安宅さんにお会いできたんですけど、向こうはアメリカンに「久しぶりー元気ー?」って感じなのに、こっちは長年の尊敬が固着化して妙に畏まっちゃって、数歩手前でお辞儀して「おひさしぶりです」的な感じで(笑)

我ながら、「全然噛みあってないな!」と思った。

で、僕もね、最初から「アメリカンなモードで接するぞ」と思ってそういうモードで会話始めたら自然にやれると思うんですけど、なんか、まだ自分の中で「日本社会の中の先輩と後輩」っていうモードが抜けてなくて、ギャップにギクシャクしちゃってたんですよね。

結局、「献本するんで読んでくださいね!」って一言言うだけで終わったんですけど(笑)

こういう・・・なんか、「モードの混乱」ってことありません?

なんか、外交的に会話ができるタイプかどうか・・・っていう話で言うと、僕結構得意なタイプだと思うんですけど、こういう「モードの変化」みたいなのが噛み合わなくなっちゃうと、ほんとなんか全然何をどう話していいやら?ってなっちゃうんですよね。

その同窓会でも、気遣って「誰か紹介しようか?」って言ってくれる人がいたぐらい(ありがとうございました)、なんか一人でぼーーっとみんなの顔を見てた(笑)

まあ、でもみんなが楽しそうにしてる場にいて、黙々とご飯食べてるって、個人的に嫌いじゃないというか、結構僕は幸せ感じるんですけど。

でも、そろそろ、あんまりお互いペコペコと気を使いあう感じじゃないような、フランクな話し方のモードっていうのを、自分のあり方として選択していってもいい時だなと思ったね。

船井総研は僕が唯一勤めた「日本の会社らしい日本の会社」だったんで、そこで学んだことは大きかったんですけど。

今後、そこで学んだことをちゃんと活かしていくためにこそ、自分はアメリカンな決然性を持って生きようと思った。

その時に、その振る舞いが、日本社会の「先輩がた」にとって多少イラッとさせる部分があるかもしれないけど、でももう僕個人の能力の限界として、これ以上「気遣いすること」にエネルギーを割くことはできないんで。

だからそのへんは、「ごめん、ご理解ください」という感じで進むことにしようと思った。



僕って中学生ぐらいまでは、村上龍氏風に、「日本語における敬語っていうのは、尊敬する対象を選ぶ権利を個人から奪う制度的暴力だから良くない」とか大マジに言うような子供だったんですよね。

でも、高校で凄い体育会系なガチガチの伝統のある文化部で暮らしてたんで、妙にこう・・・・「先輩・後輩イズム」的なものが染み付いちゃって。

まあ、就職してからも、それを武器として使うことによって、凄く深い部分まで「日本的なもの」を学ばせてもらったなと思うんですけど。

でもそのモードと、これから「成果を出すモード」が矛盾して成果が出せなかったら本末転倒なんで。

「日本社会の本当の良さを発揮するためにこそ、アメリカンに決然とした態度を取らせていただきます」

というような感じで納得させてもらいたいと思ってるって感じですね。

そんなことを、発売日前日の夜に考えましたです。

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1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
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『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。