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心が迷っているなら、撃つのはやめなさい・・・決して『新しい道』は開かれない。

ある古参会員さんの話なんですけど、彼は独立してたり会社経営してる人じゃなくて、ある組織で働いている人なんですけど、数年前に、思うところあって希望して「凄く不人気な部署」に異動したんですね。

そこでの経験は凄く彼の人生的に意義深かったらしくって、彼の話を聴いてても、「良い経験してるなあ」って感じだったんですけど。

で、彼はその経験の蓄積からの自然な延長で、今年度から、また別の部署に手をあげて異動になったんですけど。

その「新しい部署」は、いわゆる「出世コース扱い」されるような花形の部署だったらしくて。

本人には全然そういう意識がなくて、ただ「まずこれやったから、次はこれに手を上げてみるのが自然だろ」って感じで手をあげたら通ったんで異動した・・・って話なんですけど。

周りの反応が・・・「ちょっとした騒ぎ」みたいになってたらしい。

親分ぶるのが好きな先輩が、「あの部署に行くんならそれだけの覚悟があるのか、それを問いたい」とか言って、無理に飲みをセッティングされたとか。その他いろいろ。

なんか・・・・そういうことってあるなあ・・・・と思った。


僕自身も含めて、古参会員さんには共通してそういう感じがあるんで、それが逆にちょっと世慣れない部分でもあるなあと思うんですけど。

もちろんね、最初のうちは・・・っていうか、たまに「噴出する嫉妬」みたいなのもあるんですよ。というか、それを一応ちゃんと体験しながら進んでいくこと自体が、「そこにある感情の力」を「ないことにしない」ために大事なことだと思うしね。

そういう「感情」をないことにしてしまうと、ちゃんと「本当に何かのためになるように頑張っていること」の蓄積が、ちゃんとフェアに評価されるような動き方ができなくなるからね。

そしたら、マクロに見ると結局世の中は「本当に必要なものでなく評価されやすいもの」ばかりに溢れる世の中になっちゃって、誰のためにもならなくなるしね。

だから、「他人の評価じゃなくて、本当に意味あることができるかどうかだろ!!」っていう気持ちの中に、「反骨精神」的な、あるいは「評価されやすい性質」に対する嫉妬心みたいなのがあることは悪いことじゃないと思うんですけど。

でも、だんだん、やり続けてると「純化」してくるというか、その「やってること自体の滋味」みたいなのが生活の幸せを支えてくれるようになってくる・・・部分はあって、「そうじゃないと本当に新しいこと」ってできないんじゃないか?って思う部分もある。

ちょくちょく、新しい会員さんも入ってきてくれてるんですけど、一緒にやっていくうちに、「そういう気持ち」に、徐々になっていけるようになってほしいなあと思っています。

「何か凄いことをやってやる」っていう気持ちも大事なんだけど、そればっかり追っていると幸せになれない部分もあるように思う。

常に自分が他人と比べてどこが凄いかを確認し続けないと自分が保てない・・・というような道は結構心理的にツライ。

っていうだけじゃなくて長期的に見れば、そういう精神状態に自分を追い込んでしまうことは、「その人にしかできない特有の蓄積」からその人の人生を遠ざけてしまう部分がどうしてもある。

だから、「成果の最大化」的な、数値グラフ的観点から言っても最善解ではない可能性がある。いや、これは「可能性がある」っていう程度で、どっちを選ぶのがいいのかは人次第だけどね。

ただ、そういう「徹底したマイペースさ」を一人だけで実現するのって結構精神的にツライ部分もあるんで、良かったら僕らと一緒にワイワイやりながらやっていってみませんか?という気持ちはあります。

そういう「マイペースさ」を維持してこそ、だんだん「自分がやるべきドメイン」が凄く明確になっていって、その「狭い範囲の、さらに奥に隠されていた”大きな広がり”」を探求していく方向に、自分の中でスイッチが入ってくるんだよね。

自分以外の誰かでもできる仕事じゃなくて、自分ならではの価値ができる場所へ、どんどん自分が吸い寄せられていく流れを感じられるようになる。

そういう方向に進むのは常にリスキーで、一般的な形でクロージングできる仕事のタイプに自分を置いていたほうが普通は良いんだけど。

でも、なんか、「心の声」的に、進むべき道を感じてる・・・というか、色んな会員さんたちと、共通して蓄積してきた、一つの「生き方のモード」が、「こっちだろ」って教えてくれているっていうような、なんかそういう感覚を感じられるように最近の僕はなってきている気がする。

内輪では毎日文章書いたりコミュニケーションしたりしてる一方で、公開ブログその他の活動は、ちょっと時間あいてしまってるんですけど。

ある意味、こういう時に「行動の数に逃げない」ってことも結構大事なことだと思うしね。

心が迷っているなら、撃つのはやめなさい・・・決して『新しい道』は開かれない。・・・・って(ジョジョの奇妙な冒険SBRの中での)キリストが言ってた。

ただ、徐々に迷いは晴れてきて、自分が進むべき方向、やっていくべき言説が明確に見えてきてはいます。もうちょっとしたら再開していけるはず。

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経産省若手資料はそんなにダメか?褒めときゃいいじゃん。

書籍の執筆でアタマが沸き立っていて、箸休めに軽いブログを書きたいので書きます。



ネットで話題の、経産省の若手有志による、

国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、 世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト

っていうのがあって、このリンクからパワーポイント資料が読めるんですが。

数日前にリンクを見つけてパラパラ読んだ時には、「いいなあこれ、頑張って欲しいねえ」と思ったし、ネットでも高評価な人が多かったんですが、なんかそれから日がたつうちに色んな人が

・全く新しくない
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などとクサしまくってるのを見てて、いやーそんなにダメかねえ??いいじゃん!と思ったのでそれについて書きたいです。

「ダメかどうか」もさることながら、「最高とは言えなくてもとりあえず褒めときゃいいじゃん」的な話でもあります。

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で、資料の内容なんですが、たしかに「どこにもない新奇性」とか、「具体的な政策へ落とし込みきった提案」とかは弱いかもしれないが、この資料は1つの「ストーリーの提示」を目標としてるわけですよね。

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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

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最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
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日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。