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今度はリベラル側の手で「戦後レジームの総決算」を始めよう!

ウクライナ(クリミア半島)情勢が地味にスゴイことになってるな・・・と思うんですが、これは日本とは全然関係ない遠い世界の出来事のようでいて(地理的に見ると確かに遠そうなんですが)、「世界全体のパワーバランスの変化」という意味ではかなり明確な因果関係を持って日本国内の情勢を変化させていくだろうなという感じがいています。

で、その「世界の流れの変化」が日本の中でどういう風に効いてくるのか、そしてその変化の中における、日本の「国益」として最善で、かつ世界の普遍的な何かへの貢献もできる方策ってのはなにかっていう話を考えてみたいと思います。

なかなか簡単には言えそうにない内容なので、先に要約文的なものを書いておくと、

1  「現代世界の”とりあえずのシステム的な仕切り”(一言で”アメリカ主導のグローバリズム”と呼んでもいい)」に対する「異議申し立て」をする勢力は常に必要で、過去10年超の日本のナショナリスト的な立場の「良くない部分」は、「グローバリズムシステムの不完全さ」を「人類全体の普遍的なフェアさに照らして適切な位置まで押し返す」ための「必要悪」的扱いで存在を許されてきたところがある。

2 しかし、今後「新・東西冷戦」的な状況それ自体が、「異議申し立ての機能」を担うことになっていくので、過去10年超ほどの間ある意味野放しにされてきた日本のナショナリズムの「良くない部分」は今後通用しづらくなってくるだろう。

3 ただしその結果として、「日本のナショナリストさんの悲願の根っこにあった思い」自体は、より国際的普遍性に則った視点からちゃんと定義され、言挙げされ、大手を振って世界の政治・経済の運営メカニズムの中に吸い上げることが可能になる情勢になる。

4 そういう「リベラル側の手による戦後レジームの総決算」が日本から起きていくことによって、アメリカの圧倒的パワーが一歩減衰した分だけをちゃんと「秩序だった協調的リーダーシップ」に置き換えていくことができ、そのプロセスを利用して日本は「項羽と劉邦」的なメカニズムで自分たちのパワーを最大限に世界の中に確保していくことが可能になる。

って感じですね。では以下結構長く書きます。





最近、イギリスの新聞ガーディアンの記事読んでて、「マトモだなあ・・・マトモすぎて怖いなあ・・・」って思ったことがあるんですよ。

ウクライナ問題について、東西の両方が主張する正義が「あまりにもどっちもどっち」な状況にあるってことを、真っ正直に「どっちもどっちだろこんなの」って書いちゃってるみたいな。

いや、僕が知らないだけで、欧米のいわゆる「クオリティーペーパーさん」とか言う人たちの間では、ずっと前から常にどんな問題でもこれぐらい「中立的」な記事が当然・・・・だったのかもしれないけど、でもそういう

「当然でマトモな中立的な意見」とか言うものほど扱いに困るものはない

わけですよね。

世の中のほとんどあらゆる問題は、「どこまでも中立的にどっちもどっちに語る」ことができてしまうので、そんなことをしはじめるとほんと果てしなく何も決められず、決めようと思ったらマジで戦争で決めるしかなくなっちゃうみたいなところがあるじゃないですか。

で、過去20年については、とりあえず人類がそういう「どっちもどっちさ」で紛糾して決められなくなったら、「アメリカが爆撃してとりあえずこういうことにしよう」ってしてきたんですよね。

「まあ、アメリカさんが言うんやったらしゃあないな」

って押し込めてやってきたわけですよ。

でもアメリカ自体のパワーの減衰ってのもあるし、新興国経済が爆発的に成長して、「20世紀後半に世界を牛耳ってた勢力」を全部足しあわせても世界全体のパワーのほんの一部にしかならない・・・みたいになってきちゃってるんで。

「とりあえずこういうことにしておこうぜ」っていう人工的な約束事の世界が、だだっぴろい部屋の真ん中に一個だけある白熱電灯みたいな感じになってきてるんですよね。

で、去年シリアの化学兵器がどうこうって時にアメリカが爆撃すっぞ!って言ったけどできなかった・・・・ってことがあった時にもかなりヤバくなってきたんですけど。

あれはまあ、本当に化学兵器が使用されてたとしたら明らかに「悪」扱いで良かったとしても、今度はほんとに「良心的な西側メディアなら、こりゃいかにもどっちもどっちだなあって思っちゃうぐらいの状況」なんで。

しかも住民投票して大差でロシア編入が可決されたりしちゃうとね。

ここでアメリカが、もともと「クリミア半島とウクライナの協議離婚」みたいな方向で動いてたらスムーズに落とし所が見つかったと思いますけど、ここまでずっと「住民投票するなよ!絶対認めないぞ!」ってアメリカ側が言ってた状況の中で「やっちゃったもんねー」の結果がこれだけの大差なんで。

今後どうなるか知りませんけど、アメリカのメンツがここまでズタズタになった事態は冷戦崩壊以降なかっただろう・・・・という感じで、今まで「グローバリズム的なものを無理やりにでも推進していたエネルギー」の枯渇がさらに明らかになってきちゃった現象で。

「一部の先進国の啓蒙化された世界」の白熱電灯が照らしてる世界の外側では、常に

「お、アメ公びびってんじゃねーの!?絶対認めないとか言ってた住民投票をシレッと実行されちまって、しかも大差で可決されちゃってざまああああああ!フハーー!アメ公に一泡ふかせられてメシがうまいぜ!」

みたいな感情エネルギーが巨大に渦巻いてるのが現代社会なんですよね。

物凄く恨みを買いながら押し切りまくって成立させてきた砂上の楼閣・・・・ってところが現代社会の秩序にはあるんですよ。で、それに乗っかって生きている現代人は、どれだけ「アンチ・グローバリズム活動をしているヒッピー」さんだとしても「同罪」的にそれに関与して生きているんですよね。



で、こういう空気の変化は、物凄く我々の「日常的な日々の何気ない気分的な決定」に如実な影響を及ぼしてくるんですよね。

その影響は大きく2つあって、

A アメリカンな秩序に乗っかってるから通用していただけの存在(グローバリズムの威を借る狐)たちが、「強固な追い風」が途絶える結果として、彼らが本質的に内包する欺瞞で自滅し始める。

ってのが一つね。

なんか無理やりにMBA的な手法で押し切って現場的不満を抑圧していたコンサルとか経営者・・・とかの居場所とかはだんだん削られていくと思います。(だからこそ日本の長所がそれを代替していく反撃作戦が可能になる情勢ということもありますし)

もちろん、「MBA的なもの」「グローバリズム的なもの」の最良のものはむしろなまじの「自称現場主義者さん」たち以上に「本質的可能性」を持っているので、そういう人たちの可能性をもっと発揮できる情勢にしなくちゃいけないんですが、そのためには「デジタルに反論しづらいこと言ってりゃ内容ゼロでも売れちゃう状況」自体がだんだん減衰していくことが「環境整備」として必要なんですよね。

で、もう一個、無視できないのが、

B アメリカンな秩序があまりにも確定的だった時代には「ある意味必要」だった、「全部アメリカが悪いってことにして騒ぐ勢力」が、だんだん存在自体がシャレにならなくなってきて居場所がなくなっていく。

っていう効果なんですよね。

「管理教育」とか言うのが全盛時代だったら学校の窓ガラス壊してまわるロックミュージシャンも必要だったかもしれないが、もし本当に生徒全員が北斗の拳の世界みたいになったら、マジでそんなこと言ってられない状況になりますからね。

去年のシリアの時にはまだ「兆候」ぐらいでしたけど、その他にもアメリカが政府閉鎖したりとかそういうのがあって、で今回の「コレ」ですからね。もう全体的に言ってこの「大きな流れ」は止めようがないですよね。

「体制側」が強固だった時期には許されてた「安易な異議申し立て」が、「体制自体が本気でヤバイ」って状況になることで、シャレにならなくなってきてるんですよ。



で、なんでもそうなんですが、「アンチ・体制」的なものっていうのは、ただ暴発させたらいいってもんじゃないんですよね。

20世紀には、主に共産圏でそういう「失敗」の結果としてほんとヒドい虐殺やら大量餓死やら起こしてるじゃないですか。

ただ「今の体制」に問題があるからといって、無責任に「アンチ体制」のエネルギーを吹き出させりゃいいってわけじゃないんですよ。

だから状況が

「本気で押したら倒せちゃうかも?」

っていうような不安定な状況になってくると、

「押す方」にスゴイ責任が必要になってくる局面

があるんですよね。

アメリカがやってるんだから日本もやっていいだろ?普通の国になるだけだ、何が悪いんだ・・・・では済まなくなってくる。

そういう状況の中でも、「アンチ・グローバリズム的な怨念」っていうのはこの世界に、「文明国で文明的な生活をしている人には想像を絶するレベルの巨大なエネルギー」として常に渦巻いてるんでね。

それこそ、

「お、アメ公びびってんじゃねーの?」

とか言うレベルで、ほんのちょっとでもスキを見せるだけで暴発する情勢の上に我々は生きてるんですよ。

だから、アメリカとしたら一歩でも引けない・・・っていうところはあるんですよね。ほんの1歩引いてしまうだけで、世界のとりあえずの共通了解を全部メチャクチャにしてやろう・・・っていうようなエネルギーが吹き上がる可能性すらある状況に我々は生きているので。

でも一方で、明らかに自分たちにダメージが降りかかっているような地域の人たちから見れば、その「反発するエネルギーを世界の全体最適を考えながら理性的に表明してください」とか言って聞いてもらえる状況じゃないですからね。

彼らとしたら、「今の世界の通常の仕切りのあり方」を普通に延長されると本当に自分たちが大事にしたいと思っているものをネコソギ踏みにじられるんだ・・・っていう危機感の中で生きているわけなんで。

だからこそ、彼らも「一歩も引けない」状況ではある。

結局、今後の世界全体の流れを俯瞰して見ると、

「全力で押しつぶし続けなくてはいけないアメリカ的グローバリズム」

vs

「全力で反抗せざるを得ないアンチ・グローバリズム的な勢力」

が、

全力で押し合っている不安定な世界

になっていくんですよね。

でもそれは、ただ

「誰も強烈なリーダーシップで反発者を黙らせたりできなくて混乱し続けるほんと困った世界になったね」

ってなる危険性はスゴイありつつも、一方でうまくやれば、

「無理やりな押し付けができづらくなった分、お互いにとって良い関係をゼロから作れる時代になったよね」

ってなる可能性だってあるじゃないですか。

今の世界はそういうターニングポイントにいるんですよね。



なんか、最近安倍政権の威勢があんまり良くなくて、まあ昔みたいに日本のナショナリストの言うことばっかり聞いておれない状況に追い込まれつつあるっていうのも、こういう「大きな流れ」の中で捉えられることなんですよ。

あと、小さいことですけど、浦和レッズの「人種差別的横断幕」で結構厳しい制裁が加えられたこととかね。社会のそこかしこでビミョウな締め付けが少しずつ厳しくなってきてる。

そもそも、20年前には今の日本のナショナリストさんがはじめた「捉え直し」のムーブメントは、結構意義があったと言えるんですよね。「本来的なフェアさ」よりも彼らに抑圧的だった分を、ちゃんと押し返すにはああいうムーブメントしかなかったと思うし。

でも逆に、なんか●●人を殺せ!とか言うデモがスゴイ人を集めちゃったり、犯罪者は全員ネットじゃ在日認定される世界・・・とか、ちょっとね・・・・まあマトモなナショナリストさんからすると結構困った状況だなと思ってるはずですしね。

こういうのって、「ヘイトスピーチ規制しなくちゃ!」っていう声がいくら大きくなってもなかなか消えない問題なんですよ。でも実は、実際のところその「ヘイトスピーチしてる側」のマジョリティに属する人たちの「ホンネ」の部分で、

「さすがにちょっとコレはやりすぎ感出てきたな」

とか

「ムチャクチャやるヤツ出てきたな・・・ちょっと俺コイツらと一緒にされたくないわ」

っていうナマの感覚が広がっていくことによって、「勢いが止まる」んですよね。で、そういう人たちの「内在的な過激性の勢い」が止まったら、結果として規制もされるし制裁も受けるし・・・っていう世界なんですよ。

そういう流れは今後さらに強化されていくわけですけど、それを「より良い世界」につなげるためには、

「ナショナリストの良くない部分をちゃんと批判していく」(これはこれでキチンとやらないといけない情勢になってきたな・・・と僕も思うようになりましたよ最近は)

のと一緒に、

「ナショナリストがどうしても譲れないと思っているものを、グローバリズムシステムに繰り込んでいくムーブメントを起こしていく」

ことが必要なんですよね。



で、全部グローバリズムとアメリカが悪いみたいなことを言って、結局身の回り数十メートルでしか通用しない代替案ぽいものを提示してカッコつけておく・・・みたいなのが通用していた領域も、今後削られていくんですよ。そういうのってヘイトスピーチと本質的には同レベルなことですしね。「●●人を殺せ!」のかわりに「グローバル企業を殺せ!」って言ってるだけなんで。(ここが結局同レベルなことなんだってことが今の時代物凄く大事な認識なんですよ)

そういう20世紀的に「相手が全部悪い」的な無責任な発想ではない形の、

「グローバリズム・アメリカンなシステム」の「外側」にあるものを、段階的に「ちゃんと無矛盾に繰り込んでいくムーブメント」

が今の世界には物凄く喫緊に必要なんですよ。

全力で極論同士が罵り合っている・・・っていう世界の「ど真ん中」を繋いでいける、「システムとリアリティの間を現地現物につなげるプレイヤー」

が必要なんですよね。

政治の言葉でいうと「喫緊に必要」で、経済の言葉で言うと「潜在的ニーズが凄くある」領域がこれなんですよね。

そして、日本こそがありとあらゆる意味でその「喫緊の課題」を解決する特等席にいるんですよ。

その

「政治的なレベルでの解決」の方向性が、「日中韓が心の底から仲良くなる方法」

で、

「経済的なレベルでの解決」の方向性が、「日本がアメリカに勝つ方法」

なんですよね。(それぞれの方向性について詳しいことはリンク先へどうぞ)



僕は第1次安倍内閣の時からずっと熱心な安倍支持者で、それはやっぱり、「ああいうムーブメント」を起点にしないと、結局世の中を根底的なところから変えるってのは無理だろうなと思ってたからなんですよ。

幕末で言うと

「尊皇攘夷運動が開国政府を作る」

みたいなことをずっと思ってたんですよね。多少は無理をしてでも「アメリカンに一面的なシステム」に対する異議申し立てをするエネルギーを結集させていくことが第一段階として絶対必要だと思ってたしね。

その結果、とりあえず政権レベルでは一つの方向性にまとめあげた上で、今度はそれを「世界の政治経済」との相互作用において「あるべき場所」に持っていくしかない・・・ってのが僕の長年の持論だったんで。

でも今後は、安倍政権自体は「法律的な手続きとして長期政権が可能」な情勢になってる状況をうまく使わないといけないな・・・っていう情勢になりつつあるんですよね。

次の選挙まで結構長い間、まあよっぽどなヘマをしない限りはやっていけるじゃないですか。

だから、今度はリベラル側のムーブメントを盛り上げていっても、結局内ゲバになった過激派活動みたいな風にはならないように持っていけるんじゃないか・・・「少なくともそれを物凄く意識しながら炊きつけていきさえすれば、両取りも可能になる」ってぐらいの状況にはなってきたなあ・・・ってとこがあります。

とにかく、「両側の極論を発展的に繋いでいく存在」がこの世界に現れないことには、今はまだアメリカがそれなりのパワーと敬意を保持してるからいいけど、さらにアメリカの力が相対的に減衰し、新興国の経済ボリュームが増大し・・・ってなればなるほど余計に混乱する状況になっていくので。

ここで日本が「項羽と劉邦作戦」で圧倒的な勝ちを得ることが、同時に


恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した我々が、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占める


ことを可能にする道でもあるんですよね。



ところで最後になったんですが、最近もう一個驚いた英文ニュースがあって、それがこれなんですけど。

過去の奴隷貿易の損害賠償を、カリブの国々がイギリス政府に共同で訴訟を始めたというニュース。

ほんとね・・・なんかちょっとそんなこと言い始めたらキリないんじゃないか?いつの話やねん!全員死んでるがなもう・・・っていう考え方もそれほど暴虐とは言えないと思うんですよ。いやほんとに。そんなことしはじめたらモンゴル人とか大変なことになるぜ・・・ってとこがあるしね。

でも今後これに類する話ってどんどん出てくると思うんですよね。それに対してどういう解決がなされていくのか・・・っていうのは、なかなか興味深いものがありますよね。

今まで、過去の日本のナショナリストさんの鬱屈の根っこのところには、そもそも「なんで自分たちだけ」っていう部分のアンフェアさが絶対あったと思いますしね。

枢軸国とか連合国とか関係なく、こういう過去の罪が全体的に掘り出されていくようになると、どこかで「線引き」をせざるを得ないな・・・って情勢に絶対なりますから。

今まで枢軸国だけが全部悪いってことにしてた時は、「一切文句言うなよ」っていうのを「公式見解」にできましたけど、こうやって「人類の全部の鬱屈が表に出てくる」情勢になった時に、今まで「正義ヅラ」してた人たちが本当にその「正義ヅラ」に見合った対応を取るんだろうか?ってのは、ちょっとイジワルな言い方をすると

「見せてもらおうか、”正義の”連合国の良心とやらを!」

っていう状況ではあります。

しかし、日中韓の問題も、こういう「全世界的なあたらしい秩序への段階的移行」の観点から見なおせば、あるべきゴールが見えてくると思います。

「被害者側の怨念」も全部表に出していく一方で、「加害者扱いされている側の事情」も全部出す。

日本だけが悪いってなってた時なら、「加害者側」に全部おっかぶせて黙ってろ!って言えましたけど、イギリスもフランスもアメリカも「同じ秤で裁かれる」情勢になってきたら、「どこまでも被害者側の言い分だけを通して加害者側におっかぶせておけばいいってわけにはいかないな」っていう一線も必ず生まれてくるんでね。

そうやって日本のナショナリストさんも「なんで俺たちだけ」っていう不満を持たずに済むぐらいまで「全部」ぶちまける情勢になれば、お互いの怨念を全部出しあいつつ、「ここで収めるのがマットウですよね」とみんなが思えるような一線も見えてくるはず。

”加害者側”としても、ちゃんと全世界的・全人類的に統一的なフェアな基準で決着していっているなら、「悪かった」って自然に思えるようになるしね。”被害者側”としても、「まあこれ以上はさすがにムチャ振りやな」ってなる一線が見えてきますし。


でも、こういうプロセスはかなり怖いですよね。一歩ずつ進めば「本当の解決」に向かうけど、どっかで暴発したらほんと大変なことになる。

最初の英紙ガーディアンの記事読んで「怖いなー」って思ったって書きましたけど、今でもこれは結構怖いです。

ある意味欧米側の罪を全部あげつらいはじめたりしたらほんと収集つかなくなるんじゃないか・・・っていうのは、「非欧米」側の我々こそが真剣に考えなくちゃいけないことだと思います。

でも、ただ「両者の怨念をぶつけあってる」世界から、「両者の対立を発展的に解消する専門のアダプター」的な存在に日本の政治・外交・経済を持っていければ、そのプロセスの中に世界中のありとあらゆる民族・個人の怨念を全部オープンにぶちまけていった先に、

諸国民の公正と信義に信頼するほんとうの世界平和

とか言う非常にウソクサイ(笑)お題目も、地に足ついたリアルさの中で具現化できるはずだと私は思っています。

日本のリベラルの責任は大きいですね!

同時に、ちょっとヘイトスピーチとかが過熱しすぎる情勢に不満を持っておられる日本のナショナリストさんの中での理性的なタイプの人にも参加して欲しいとは思っていますよ!

それに、安倍政権の関係者とか、安倍氏本人としても、今の情勢をさらに続けていくと、いずれ彼らのコア支持者からすると絶対に譲れないようなことを次々と反故にせざるを得なくなる可能性がありますしね。

「所詮アベはアメリカと市場の犬に過ぎない」とか、既に一部では言われ始めてるでしょうし、だから彼らのためにも、「彼らが無理をしてでも異議申し立てを行ってきたムーブメント」を、「国際的普遍性の文脈の側から優しく受け取って再展開」していくリベラルの責任が大きいってことなんですよね。


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1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
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ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

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・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
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物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。