スキップしてメイン コンテンツに移動

話題のネット投げ銭サービス、『note』に参加しました。

僕の「21世紀の薩長同盟を結べ」のダイジェストも昔連載していたサイト、「CAKES」が開始した新サービス「note」に参加することにしました。

noteの倉本圭造のアカウントはこちら

noteについての公式説明はこちら

昔、ニコニコ動画とかで、物凄いクオリティの作品を作ってる人に対して、

「振り込めない詐欺」

ってコメントするのが流行ってましたよね。(今はもう死語かな?)

この前「日中韓が心の底から仲良くなる方法」っていう記事を書いた時に、出版社ディスカバー21の干場社長に、「これは凄い!お金を取るミニ電子書籍にしたらいいのに!」って言ってもらったことがあるんですが、「そんな感じ」で。

要するに、「俺はこの作品にスゲー感動したぞ!それを形として表したいぞ!」ってなった時に、お金払えたらいいのに・・・・でも、なかなかそういうことができる、手軽な手段ってないよね・・・・

っていうのは、結構ネットでは昔から言われてたんですよね。

で、町でギターケースを賽銭箱みたいに置いて歌ってる人みたいな形で、「投げ銭」ができるサービスがあればいいな・・・まあそのうちできるよ、っていうのは、個人的な思い出として10年以上前にマッキンゼーのオフィスで森祐治さん(現・電通コンサルティング)が雑談で力説してて、凄いなるほど!と思った記憶があるんですが。

だんだんそういうことが簡単にできるようになってはきていて、僕の個人相手の仕事も今まで「個人でメールでやりとりして銀行に振り込んでもらう」という超アナログな時代を経て、「クレジットカード決済代行のASPを使う」というちょっと進化した世界に入り・・・となりつつ、でもそういうASPは隣に物凄くアヤシイ「一攫千金系」あるいは「男の欲望叶えます系」の商材ばかりが並んでいたりして(笑)。

まあ、5-6年前の倉本圭造だってそういう「アヤシイ存在」と見分けつかなかったじゃないか・・・と言われると返す言葉もありませんが、しかしこれはちょっと普通の良識的習慣の中で生きている人は簡単には参加できないよね、っていう「文化」があったのは確かなので。

今回の「note」もクレジット決済代行ASPという意味では物凄く新しいわけではないんですが、それを結構オシャレ感のある、ツイッターを使うっていう程度の心理的バリアーで実現したのは凄く「大きな一歩」なんじゃないかと思います。

まあここ数年急速に、他にも色んなサービスが進歩してきているんですが、また一歩「軽い気持ちではじめられる」ものになったのは大きいような気がします。

さっき登録してみた感じから言って、ほんとツイッターを登録した時と同じぐらいの心理的バリアーでした。法律的にどうなのかわかりませんけど、こういう動きをする時に常に最大のネックになる「特商法の表記」も住所や電話番号なしでもOKみたいで、そのへんもバリアーを超えるのに大きいなと。

野心的かつ良心的サービスだと思うので、みなさんもレッツトライ!



と、言うわけで、とりあえずここ数回のブログ記事の中でnoteの気分に合いそうな2つを登録してみました。

「ヤンキーさん」たちは、実は「インテリさん」たちに凄く「期待」している。

もう一個、

チャゲアスの客席の『うおおおお』からの「東アジアの平和」。



上記の2つは、「投げ銭」しなくても最後まで読めるようにしてますけど(もちろん、読んだ上での”侠気”で投げ銭してくれてもいいんですよっ!)、今後は、



いずれこのブログ等で無料公開するものを、先行で読みたい場合は100円投げ銭してね!



という使い方をしていこうと思います・・・・と思っていたんですが、結局「無料公開で投げ銭方式」にした時と、お金払ってくれる人の数があまり変わらなかったんで、公開タイミングの調整も面倒ですし同時公開にしました。

今後は、最低週1回ぐらいのペースは維持しながら、文章を書いていきたいと思っています。

このブログに投稿すると同時に、ハフィントン・ポストやアゴラ、ブロゴスなどのネットの色んな場所にも拡散していく予定です。

ブログにしろ、noteにしろ、更新情報はツイッター@keizokuramotoをご利用ください。

また、noteの倉本圭造のアカウントでも、登録すると更新情報を受け取れるようです。



まあ、そんな感じで、今後はやっていきたいと思っています。

この記事で書いたように、今までの長年の準備の結果として「うるさ型の革命家気質の人たち」にまでとりあえずリーチすることができてきたので、「ムーブメント全体が上滑らないための基礎」役を彼らにまかせて、あとは僕の方では軽い小噺をどんどん書いて、世の中に認知してもらいに行くことがこれからの自分の使命だと考えているんですよね。

この前ヤフーのトップページを見てたら自分の記事へのリンクが出てて驚いたことがあったんですが、今は色んなサイトに投稿するとそうやって色んな場所に出現して読んでもらえるリンクが延々広がっていくので。

ロマンチックすぎる言い方ですけど、ビンに手紙いれて川に流すとか、風船に手紙つけて飛ばすとか、そういうことを毎日延々と繰り返していれば、根底的には

・アメリカ一極支配が崩れゆく世界での人類の喫緊の課題である

・「科学やグローバリズムシステム」といったデジタルなものと「本当の生身の生命的真実」との本質を考えると、根底的な合理性があることである

・その課題について10年単位で専門に蓄積を行ってきたような奇特な人間は倉本圭造以外そうそういないだろうし、かつ俺は本質的なメッセージ性を失わずにもっともっと軽いエンタメ的な文章が書けるはずだという自信もある。

ってな感じの現象なので、まあ、いつかはわからないがいつかは、大きな流れの角度をほんのちょっと変えて、無理に無理を重ねてネジリ続けたゴムがギャーーンと巻き戻るように、「ほんとうのさいわい」が実現できる社会になるんじゃないかと思っております。

なんか、ついさっき読んだある「社会活動家」さんの文章が、「大きな惰性に逆らって」っていうタイトルだったのが凄く印象的だったんですが、僕ってそういう方向のことにはどうしても懐疑的なんですよね。

その理由は、まあこの自己紹介ブログとか読んでもらえばわかると思いますけど。

そうじゃなくて、「大きな惰性に潜む本当の合理性」みたいなのを信頼して、その先に「ユートピア」を描こうとすることをやりたいんですよ。

人間社会の「大きな惰性」の中にある「愚かさの中にある合理性」を信頼しつつ、「でもやっぱこういうのは嫌だよね!」っていうのはどんどん排除していきながらね。

最近、毛沢東の伝記を読んでたら、彼の言葉として、
条件が悪ければ戦いをやめて、主力部隊を適切な距離に退却させ、敵の後方や側方に移動させてこっそり集中させ、敵を疲れさせ、衰弱させ、混乱させることで間違いを引き出して弱さを露呈させるようにし、それによって決定的な戦いにおける勝利を収められるようにするのである。
ってのが出てきて、ほんとそうだよなあ!って思ったんですよね。

このブログでもなんども「ナポレオンに対向するロシア軍のように」って言ってきましたけど。「啓蒙された人工的な社会」が取りこぼすものの「本当の価値」を体現しつつ、それがただの「暴発」に終わらないように、「啓蒙された社会の本当の理想」の実現のために使っていくという。

まさに「項羽と劉邦作戦」をね。

一歩ずつやっていきたいと思っています。

みなさん、良い日本、良い世界にしましょう。

2014年4月9日

倉本圭造

このブログの人気の投稿

今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。