「アメリカ型ビジネスエリート」が強引にすべてをリードする時代の終焉が、高市氏待望の空気に繋がっている。

倉本圭造の記事への感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。

 この記事はファイダーズというウェブメディアへの寄稿として書いたものを、ブロゴス向けにも転載していて、そのウェブメディアでは、これまで何を書いても決して何も言われずに自由にさせてもらっていたのですが、今回の自民党総裁選についての記事を依頼されて、

高市早苗氏の会見を見たら予想の100倍良くて、これは本気で日本初の女性首相誕生がありえると思った

…という趣旨の記事を書いたら、「極右」だと思われている高市氏を全面的に推す記事は、メディアとして色がついてしまうので望ましくない、変えてくれないか…と初めて編集長氏に「物言い」をもらって差し替えになってしまいました。

私は高市さんが会見の印象としてはむしろ物凄いバランス感覚の持ち主に見え、「極右政治家」的な印象が全然なかったので、「特に政治的というわけでもない中道派ウェブメディアでもそういう扱いなのか」というのがそれ自体非常に勉強になった思いがしました。

しかし、ほんの二週間前まで「最右翼層向けの泡沫候補」程度の扱いだった高市氏は今支持率でも怒涛の追い上げを見せており、結果として日本テレビが行った「自民党員・党友」調査で、河野氏25%、石破氏21%、岸田氏19%に続く、高市氏は16%にまで迫っており、石破氏は不出馬なのを考えると押しも押されぬ「三番手候補」になっています。

今や「次の日本国首相になるかもしれない有力候補の少なくとも三番手」ぐらいまでは来ていて、いつまでもそんなアンタッチャブルな扱いを続けるわけにもいかないわけで、当然ながら民放などのメディアでも高市氏の声を直接報道するケースも増えてきています。

過去2週間の奇跡の追い上げを考えれば、今後増える「地上波での露出」がさらに高市氏の高いコミュニケーション能力を広い層に印象づけ、実際の投票までの今後二週間の間にさらに大きな「波」を捉えることは不可能ではないと思います。

というわけで、「極右政治家」だという偏見を持って「2時間の会見動画」を見たら印象が全然違って驚いた!!!という新鮮な感情のままに

「おいおい女性首相誕生しちゃうかもよ!?」という直球の記事を書いたバージョン

は、ブロゴスの前回記事にアップされてるのでそれを読んでいただくとして、

こちらではもっと冷静かつ中立的に、

・今の日本でこの高市氏という政治家が「次の首相候補の少なくとも第3位」にまで来ていることの意味をどう考えればいいのか?

について考える記事となります。

より具体的には、

最近サントリーの新浪社長の「45歳定年制案」が日本中で総スカンになっていたように、「日本社会の現状に理解が薄いアメリカ型エリート」が強引に全てをリードしていくようなあり方への反発が非常に高まっている

…状況の中で、「新しい対話スタイルへの待望」の空気を引き寄せているのが高市氏への期待感なのではないか?ということになります。

1●日本国民は”対話”に飢えている?

「会見動画見てビックリした!」という感情のまま書いた記事で何度も書きましたが、高市氏の出馬会見については、「極右政治家でヤバい人らしい」「過激な最右翼勢力限定のアイドルなんだろう」と思って会見を見たら全然違う印象でビックリしたんですよね。

小池百合子氏とか蓮舫氏とかのような「空疎なキャッチフレーズを連呼する事が仕事」みたいな「日本の女性政治家のよくあるタイプ」では全然なくて、扱っている政策について議論の全体像を意識しながら非常に解像度高く具体的細部まで縦横無尽に話す能力があるし、何しろ「双方向的」に記者とやり取りしながら議論を発展させていける能力が凄いある。

要するになんか、

「普通に優秀そう」

なのがビックリしたというとメッチャ失礼なんですけどまさにそういう印象だったんですよ。

ウェブメディア「ファインダーズ」の僕の連載の担当編集者氏は自他ともに認める「ド左翼人間」ですが、僕が書いた記事を読んで彼も高市氏の会見を見たら、以下↓のように驚いたと言っていました。

自分も正直「ネトウヨ雑誌のマドンナ」としか思っていなかったのでかなりびっくりしました。

 安倍・菅・麻生・河野、その他各大臣の討論シャットアウトや錯乱答弁を10年見せられて気が狂いそうになってきた中で、高市・岸田的な「とりあえず対話はしてくれる」姿勢を見せられると倉本さんもおっしゃる通り、これまでの糾弾一辺倒モードから変節できないと左派マジでヤバいぞ、という危機感を強く覚えました。

かなり過激な「最右翼勢力」の支持を受けていることを問題視する左翼の人も多いと思いますが、むしろそういう層の支持をちゃんと取り付けて基盤としておきながら、会見などの場においては

保守派の原則をリベラル派にとって理解できる文脈で表現するバランス感覚

を維持するのは、ちょっと魔物レベルのコミュニケーション能力を感じました。

むしろ高市氏が政権につくことで、懸案だった例えば「夫婦別姓制度」とか「歴史認識問題」などの「リベラル派の課題」に新しい解決策が見えてくるのではないかとすら私は考えています。

とりあえず「歴史認識問題」だけを取っても、高市氏だからこそ「一歩踏み込んだ解決」が、単に「中国韓国にもっと強硬にでるべき」みたいなレベルとは雲泥の差で違う高い視点から生まれてくる予感すらあって、それについては特別に記事を一個書いたのでそちらをお読みください↓。

アメリカのアフガン撤退以降の世界的情勢だからこそ可能な「歴史認識問題」のあるべき解決策を考える。

「誰かを絶対悪として非妥協的に糾弾することで自分たちはイノセントな存在でありえる」というような、20世紀の人類社会の諸悪の根源的な欺瞞を克服することでしか、徹底的に多極化する現代社会における「平和への本当の責任」は果たせません。

単なる紋切り型の「20世紀的左右対立」を超える視点からの根底的な解決の可能性について書いています↑。

それ以外にも、たとえば「夫婦別姓制度」的なリベラル的課題にすら、

”極右政治家”の高市氏だからこそできる「リベラル的課題の解決」というものもありえるのではないか?

という話は本当に色々と示唆深い話があるのですが、それは近いうちに深く掘り下げたいと思いますので少しお待ちください。

2●「対話」を軽視するネオリベ型”ビジネス右派”の時代の終わり?

ともあれ今回の記事ではまず、高市氏の「対立する意見の人にも開かれたコミュニケーションスタイル」がもたらす変化の可能性…という点をまず深堀りしたいんですね。

実は、経営コンサルタントの私のようなビジネス的キャリアの人にありがちな価値観として

「政治家は政策をちゃんと実行することと、その政策内容の優先順位をブレさせずに設定することが最重要なことだ」

…みたいな考え方の人は、別にスガ首相の会見だってそれほど悪いとは思ってないんですよね。

そういう人は、

説明足りないって言うけどさ、昨日出たコロナ対策会議の資料に背景のデータ分析も含めて全部書いてあるじゃん!PDFで落として読めばいいだけなのに別に直接政治家がテレビで説明するとか必要なの?

って思いがちなんですが、今回、”ド左翼”な担当編集氏が、

政権に批判的な記者が野次ったりするのを排除せずにちゃんと受け止めてる時点で他の自民党政治家とは”異次元感”があった

と言っていて、恥ずかしながら私は盲点をつかれたというか、

そういう価値観もあるのか!!!

と思いました(笑)

安倍スガ時代が「地獄だ!」って言ってるタイプの人は「そういうの」を求めていたのか。「対話」がほしかったのか!なるほどね!!

…みたいな(笑)

実際高市氏の会見については、私のような”ビジネス右派”みたいなタイプの人からは、例の「原発処理水放出問題」でコンセンサスを重視するという発言に対して徹底的に叩かれており、「高市なんぞ支持するのはアホ」みたいな吹き上がり方をしているグループもあるんですが、一方でこの「対話を求めている層」においては…

たとえば結構過激なフェミニスト的アカウントの人の、

こいつは敵だし絶対キケンだと思うけど、コミュニケーション能力が抜群に高いのは認めざるを得ない、スガなんかとは全然違う

みたいなツイートが大量にシェアされていたり、左派寄りのジャーナリストの人とかが、

野次ったり批判的質問をしたりする独立系ジャーナリストを排除せず、しかも高圧的にもならずにちゃんと対話的に質問に答える高市氏の様子

についてポジティブな高評価を与えているのをチラホラ見ました。

3●「ビジネス右派的強引路線」の限界に直面したのがスガ政権の空中分解

物凄く直感的な言い方をすれば、日本国民の半分は私のような「対話とかじゃなくてちゃんと重点を外さない政策の実行力が大事なんだ」派ですが、一方で逆側の半分ぐらいには「排除されずにみんなが対話している感じ」こそが大事だという層もまた厳然としているのかもしれず、私たちは民主主義国家の基本としてその事をしっかり思い出すべき時なのかもしれません。

なにより最近私も考え方を考えないといけないな、と思っているのは、

「対話を馬鹿にする路線」だと、「肉を切らせて骨を断つ」的な事はできる

…んですが、

微に入り細に入り配慮しながら色々な現地現物の工夫を吸い上げて国民の総力を引き出していく

…みたいな事が全然できないんですよね。

そのへんが、

評論家タイプの人から批判されまくっても「骨」にこだわって徹底的に世界一レベルの急激な追い上げを実現したスガ政権のワクチン政策の強み

と、

病院間連携の最適化によって病床を可変的に確保するような、いくつかの地域で目覚ましい成果をあげたようなベストプラクティス(最高の事例)が全然横展開共有されずに、不運な人はただ孤立無援に我慢するしかない…というスガ政権のダメなところ

というこの「スガ政権の二面性」に繋がる。

私は、スガ氏を批判する人の中でこの「前半部分」を軽視しすぎている人がかなりいる事自体は本当に良くないことだと考えているんですね。

そういう態度はいずれ最終的にもういっそ中国みたいな強権的政体こそが21世紀には合理的なんだとかいう結論に至りかねない民主主義内における最悪のバグだと思っている。

国際的に既に「人種別(アジア系)」の検証結果も積み上げられていたワクチンについて、野党が強固に「国内治験」を主張したために出遅れた日本のワクチン接種を、スガ氏がその豪腕で世界一レベルにまで加速させていなければ、デルタ株によって世界中で感染拡大が起きた「第5波」において、日本の高齢者層に死体の山が築かれていた事は疑いない。

だからスガ氏の「骨を断つ」レベルへの強烈なこだわりのような「功」の部分を軽視して、スガはただ自分の権力にしがみつく事しか考えないヤツだったみたいな矮小化したことを言う人には本当に自分は全力で怒りを覚えるというか、

お前に民主主義社会の主権者としてのオーナーシップってものはないのか!そうやって「俯瞰で見た合理性」をちゃんと考える姿勢が全然ないヤツが過剰に騒ぐことで余計に彼らが強権的になってもリーダーシップを優先しなくちゃいけなくなって、「細部への配慮」を社会的に実現できない原因なんだっていい加減わかれよな!

…と思うのですよ。

しかし一方で、いくら「肉を切らせて骨を断つ」だとはいえ、

「骨」をブレさせないのはいいけど、斬られる「肉」の身にもなってくださいよ。斬られる「肉」さんにとっては”その肉”こそが人生一個の大事な肉なんだからさ

という課題に今後答えていくことが、今の日本の最大の課題になりつつあるのかもしれません。

最近、バイデン大統領の演説を関西弁で訳したら、「徹底的な言い訳力」と「人の気持ちに寄り添うレトリック力」が超凄いことがわかる・・・という企画をツイッターで発表したら好評だったのでご興味があればこちらで読んでほしいのですが(ツイッターユーザーはこちらから連続ツイートで読めます)、やはり政治家にとって

「俯瞰で見た時の冷静な判断の正確さ」と「人びとに寄り添っていると思わせる人間力」の両立

…というのは非常に重要なスキルなんですよね。

そしてそれは単にビジネス右派の人にとっても、「はいはいわかったよ!対話ってやつをやりゃいいんでしょー!チッめんどくせーな」というレベルの話ではなくて、純粋に「ビジネス右派」の価値観の範囲内だけで言っても、

スガ政権のコロナ対策が、柔軟な病院連携による病床確保といった、ビジネス用語で言う所の「ベストプラクティスの横展開」が全然できずにギクシャクし続けたような課題を解決するために今必要な変化

なのだと思われます。

4●”政治談義が好きな一部の層”の『外側』ではすでに高市氏の人気がひたひたと迫ってきているかも?

「政治談義が好きな層」や実際投票する自民党党員や自民党国会議員の間では、高市氏はまだ「三番手」ぐらいの期待度だと思いますが、しかしその『外側』にはかなりこの「高市氏の開かれたコミュニケーション姿勢への期待」が伝播しつつあるのを感じます。

たとえばこの記事によると高市氏の著書は予約段階ながらアマゾンの全体ランキング1位になっているそうです。

私も自分の著書を出した時によく使った手なんですが、アマゾンランキングには色んな「サブカテゴリ」があるんで、「アマゾンの●●部門で一位になりました!」みたいな宣伝文句は実際のところ全然たいしたことないというか、私ですら複数部門で一瞬一位になったことがあります。

しかし

漫画や芸能人の写真集やビジネス書などをすべて含めたランキングで、しかも予約段階で1位というのは政治家の本としては物凄く異例なこと

…だそうで、上記リンク記事では「リアル書店においても河野氏の本の3倍は売れている」という書店の声も紹介されています。

これは「狭い範囲」の政治に自覚的に関わっている層の中での内輪の順位付けに比べて、

その「外側の世界」において、「なんとなくの国民的空気」としての高市さんへの待望の空気が「ひたひたと迫ってきている」ことを表しているのかも

しれません。

要するに、「政治談義をやるのが好き・興味がある層」以外では、そもそも高市氏のように「誰も排除せずに対話感を出せる」こと自体がかなり切実に求められている部分があり、それこそ

「安倍・スガ時代を通じてずっと満たされなかった対話への飢え」

のようなものを吸い上げる波を捉えることができれば、今の「三番手候補」扱いから今後一気に躍り出て

歴史上初となる女性の日本国内閣総理大臣 高市早苗

…も十分ありえると私は感じています。

5●「対話」は「責任」を生むんですよ!お願いしますよ!

私は今既に立候補表明している岸田・高市・河野三氏の中で、実際に総理になった時の違いという意味では、

河野氏になるのか、それとも岸田あるいは高市氏になるのか

の部分に「大きな違い」があるだろうと考えています。ざっくり言えば

河野氏=90年代の橋本龍太郎政権以降着々と日本が進めてきた官邸への権力集中の流れの延長で、さらにドラスティックな改革を目指していく

岸田・高市氏=平成時代を通じて続いてきた「官邸への権力集中」路線を撤回し、より広範囲の官僚システムとの協業路線に舵を切る可能性が高い

という違いがあると予想される。

この記事で書いた「ビジネス右派」的な「いわゆるトップダウン」路線の延長にあるのが河野氏で、より柔軟な「いわゆるボトムアップ型協業」路線に舵を切ると予想されるのが岸田・高市氏ということになる。

私は、官邸の「強引さ」をそれ単体でダメなことだという議論は民主主義国家の主権者としてのオーナーシップがない失格的態度だと思っていて、

・昭和時代にあまりに組織間の縦割りの弊害が大きすぎたので、平成時代に官邸に権限を集中させようと決めた

という日本の「歩んできた歴史」への敬意がなさすぎると思うんですね。

・「官邸への権力集中が問題だ」となったのなら、「なるほど、じゃあ権限を集中しなくても縦割りの弊害が起きないような仕組みを考えなくてはいけませんね」と考え、主張し、具体的な仕組みを提案していく

こういう姿勢↑こそが、「民主主義国家の主権者」としての私たちの役割なんじゃないでしょうか。

例えば「戦前の日本の反省」だって、陸軍と海軍の縦割りが強すぎて全体としてバラバラでチグハグな全体戦略に突っ込んでいった事が破滅的な戦争になだれ込んでいった元凶そのものと言うことだってできるでしょう。

そういう「過去に必死に生きてきた日本人たち」の結論としての「官邸への権限集中」というものがある時に、ただそれ自体に文句言ってるんじゃなくて、

「じゃあ官邸への権力集中を回避しても、完全にバラバラの縦割り組織の調整がつかない空中分解状態にならないようにするにはどうしたらいいんだろうね?」

という視点について、「自分たちの責任」として主体的に考える姿勢こそが、民主主義そのものではないんでしょうか。

とにかく、”私個人の意見”としては、もうこの「権限集中路線」には限界が来ており、何らかの転換が必要な時期に来ていると思っており、今回は岸田・高市路線に期待しています。

そして、官僚に限らずなんですが「昭和の日本の組織」というのが本当に強烈な「縦割り」意識に支配されていた事はある程度以上の年齢の日本人なら身にしみてわかると思いますが、平成時代の意識変化を経て、今なら、「横断的な連携」を何らかの形で具現化できる準備は整っている状況なのではないか?という期待も持っています。

しかし、それでも自分としては、

岸田・高市路線では、結局単なる「何も前に進まないグダグダな社会」になってしまうのではないか?という危機感を裏腹な不安をかかえつつ…でも今進むべき道として後者なのだ

とも思っているわけです。

もちろん逆に、

河野氏の路線でワクチン接種については拙速だろうとなんだろうと強引に進めた事が「吉」と出たけど、たとえば自然エネルギー導入については「あと100歩ぐらい冷静かつ慎重な目配り」しながらやってくれないとマジで国が破滅するんだけど?

という不安感もあります。

どっちにしろ、単に「権威に中指たててやったらスカッとするよね」みたいなレベルで解消するような議論でなく、「自分だってその一員なのだ」という目で、どうすれば日本国が、そしてこの日本列島に生きる一億人強の未来の幸せがありえるのか?について考える姿勢こそが、今の私たちに必要なマインドセットなのではないでしょうか。

今、自民党政権の支持率が落ちているとは言っても、じゃあ野党の支持率が政権交代可能なレベルかというと全然そんなことないですよね。

私は経営コンサルタント業のかたわら、色んな立場の「個人」と文通を通じて人生を考える仕事もしているんですが(興味ある方はこちら)、そのクライアントの中で一時期まで徹底的に「反安倍!」だった医療関係者の女性が、最近

「残念ながら今回は消極的に自民党に入れるしかない。立民になんかなったらさらに人が死ぬ」

…と言っていて笑ってしまいました。

現政権の対策に不備があるなら、「どこは正しいがどこが間違っているのか」について丁寧に腑分けをして現場を混乱させないようにしながら適切に提案していくのがこういう時に野党が政権担当能力を示す「腕の見せ所」であるはずなのに、単純に

「自民党政権がいかに人の命を大事にしない絶対悪であるか」

を全否定的に叫んで仲間内で盛り上がるためなら科学的に認証されていないような暴論でもどんどん取り上げていくような姿勢が、

「心情的に反安倍だったのに、自分はどこに入れろって言うんだよ!」

…という少なからぬ潜在的野党支持層の「絶望」を招いていることを、野党関係者の人たちは真剣に受け止めるべきだと思います。

「対話」が開かれるなら「責任」も同じくやってくるわけですよ。

橋本龍太郎政権から25年以上続いた集権化の流れをついに逆流させるのならば、つまりオープンな議論を、対話をするなら、「野党側」だって単なる評論家的批判者ではなく「当事者意識」を持って政治に参加してくれないと困るんですよ!

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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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