大阪都構想の投票結果について『分析』より大事なこと。
大阪都構想の住民投票は、物凄い僅差で否決されましたね。 個人的には結構ショックを受けて、数日ネットで何かアップするような気持ちにはなれなかったんですが、その後多くの人の分析や論評記事を拝読して、その分析自体には「ナルホド」と思うと同時に、あまりにも 「この混乱した大阪の状況自体をどう好転させられるのか?」についての感覚があまり湧いてこない状況は良くないんじゃないか という気持ちを持つようになりました。 コンサル会社では、「分析としては面白いけど、どう打ち手に繋がるわけ?」というような手厳しい(笑)、でも本質的な指摘が上司からよくされます。むしろ混乱が増して前に進めなくなるような分析なら、いくら正しくても無い方がいいんじゃないかというような文化です。 まあ、そういうのはマジなアカデミック的には不誠実な態度ということになるのかもしれませんが、しかし、ただ分断をさらに煽るだけになる方向性しか示されないのは、誰のためにもなってないのではないかというように思いました。 目次は以下のとおりです。 1・データの見かけと「そこにある本質」とのギャップを考えてみよう 2・粗い分析で対立を煽るより「実感」からのポジティブな話を 3・「細雪的調和」のタイミングを両派で睨みながら押し出して行こう 4・みんながええようにいったらええなあ 1・データの見かけと「そこにある本質」とのギャップを考えてみよう まず、少し脇道にそれますが、考える題材として非常に重要なことだと思うので、 境治氏というコピーライターの方が書かれたネットフリックスというアメリカ企業に関する記事 の話をします。 ネットフリックスはアメリカのVOD事業(ネットで注文するとネット配信でその場で映画とかが見れる)の巨大ベンチャーなんですが、彼らはユーザーの試聴履歴を解析して「あんたこういうの見たいんじゃないの?」というオススメを出すことで、既にユーザーの注文のの7〜8割がオススメから来ているほどらしいんですが、なんとそれだけの精度のオススメをデータから出しているのに、 ユーザーの「属性情報」は一切取ってない そうです。 つまり、 男性か女性か、何歳ぐらいか、どこに住んでいるのか・・・というような属性情報を一切取らずに、その”個人”の試聴履歴のビッグデータ解析からだけのオススメによって圧倒的な...