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日韓関係で日本が妥協なく押し続ければ見えてくる希望

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●日本のナショナリストが妥協せずに押し込み続けることで、あたらしい普遍的な希望に繋がっていく
ちょっとやそっとじゃ改善の余地が見えなくなりつつある日韓関係ですが、単に日本側のナショナリズムの充足といった視点からだけでなく、ある種のリベラルな視点から言っても、日本側が妥協せずに押し続けることによって、「より広い視野でみた時の普遍的な希望」に繋がる余地はあるはずだと私は考えています。

たとえば、最近ツイッターで流れてきたので読んだ記事があるんですが、これは古谷有希子さんという方が書かれた記事で、ご本人は韓国語もできるし、この記事は韓国でも評判を得た記事だそうです。

あまり詳しく存じ上げないですが、この古谷さんという方は、相当先鋭的なフェミニストの方で、日韓関係とかいった話題においても、常にかなり原理主義的に韓国側にたって「日本」を批判する・・・立場で書かれることが多かった人であったように記憶しています。

しかし、リンク先の記事では、昔の古谷さんのイメージからすると、相当気を使って価値中立的な言論をしようとしていることが伝わってきます。

学問的に中国史を見ると、香港vs中国的問題への解決法も見えてくるかも?

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この絵は昔「中韓」と「日本」の間で線を引くと東アジア的本能的な安定が得られるんじゃないかというブログ記事で使ったものなんですが。


●距離が近いからこそ、”違い”をちゃんと理解しないとうまく付き合えないのは人間の普遍のルール
別に「中韓を下」に見るとかそういう話ではなくて、感性において「違う」部分が存在することを理解することは、お互いのコミュニケーションを円滑にするために重要な時がありますよね?

もちろん地理的には今後も未来永劫近くにいますし相互関係も緊密ですから、仲良く出来たほうがいいには違いない。けれども、これは夫婦関係でもそうなんですが、

「距離的に近いところにいるからこそ、”夫婦なんだから仲良くして当然だろ?わかりあって当然だろ?”と押し切るのではなく、近くにいるからこそ、その”違い”をお互いちゃんと理解して付き合うようにしないといけないね」

という言い方もできるんじゃないかと思います。

●アカデミックなモノの見方が問題を解きほぐしてくれる時がある
最近、中国史に関するアカデミックな本(といっても本式の学術書でなく学者が書いた一般向けの本)を読むことがあって、いろいろと「なるほどなあ」と思うことがあったんですね。

世界史とつなげて学ぶ中国全史 岡本隆司

王岐山という中国の高官がいい本だったと紹介したことがあるという岡田英弘という日本の中国史(モンゴル史)学者の人がいるんですが、たぶんその人がいる立ち位置に近いような、「中国史を単体で見るのではなく、シルクロードを経由した東西文明のインタラクションの中から中国史を見ていくという趣旨の本」だと思います。

表紙に「驚くほど仕事に効く知識が満載!」って書いてあるんですが、確かに現代中国に対する見通しが、学者さんが一気にまとめた大きな視点から見直すことで深まる、みたいなことがかなりある本でした。

これは、現代中国と深く関係して生きている人でも、というかひょっとすると現代中国人にとっても、「古代からずっと不変的に中央集権的国家がすべてを統治してきた歴史観」って、もちろん歴史なんてぜーんぜん興味がない人にはあまりないかもしれないけど、「ちょっと」は歴史的観点をもって色々見る人にとっては当然視されてしまってるところがあるじゃないですか。

だから、例えば香港と中国という「お互い絶対に負けられない戦い」みたいなことになった時に、中…

私たちはもっと「相手が言ってることに反論する」のでなく「相手側の懸念を解決する」ことを言うべき

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●脅迫電話が大量にかかってくるような社会はやっぱ良くないよね

愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」の補助金問題でまた色々と平行線的な議論がまきおこっているようです。

私はフツーにリベラルな人間なので、手続き的問題とか関係者がどう行動するべきだったかとかそういう具体的な細部の問題を除けば、誰にとって不快だろうとなんだろうと出来る限りどんな表現でも保護されるべき、と考えている人間だし、あの展覧会がもうちょっと続いていれば行こうと思っていたし、中止になった時には、「右翼さんから見ても、相手を”殉教者”みたいにしちゃうこういう判断って最悪手だったんじゃないの」と思いましたし、バンバン脅迫電話したりする人がたくさんいたという話には心を痛めます。

特にこの「脅迫電話が沢山かかってきてしまう現状」自体に、なんとかしなくちゃいけない社会の問題が実際にそこにあることをヒシヒシと感じます。中止にしたこととか補助金がどうこうとかの話以前に、そこをなんとかしたい。

脅迫電話がかかってきまくる状態で、それでも表現の自由を絶対守るぞ!!!となると、それこそフランスのシャルリ・エブド事件みたいな話になってもおかしくないわけで、そこまでして表現の自由って大事なのかみたいなことを考え始めると永久に答がでないですよね。

だからこの問題をちゃんと解決したいなら、そもそも「脅迫電話かけてくる人数が減るような社会にしよう」というところがやっぱり大事なんじゃないかと。

で、じゃあそれをどうやったら解決できるかと考えた時に、単に「表現の自由を守れ」的な題目を唱えることだったり(もちろんキレイゴトをちゃんと言うということ自体大事なことなのでソレをやめるべきではないと思いますが)、単に「日本はもうダメだ!こいつらはカスだ!ほんと日本人て品性下劣なヤツらばっかりでため息でるよね!」みたいなことを言いまくって余計に相手側の怒りに火を注ぐことしか方法がない・・・というのも、少し工夫がなさすぎるんじゃないかと思います。


16歳少女の怒りの演説は環境対策を進めるか?

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Photo by Markus Spiske on Unsplash


国連気候行動サミットでの、スウェーデンの高校生、グレタ・トゥンベリさんの演説が話題です。相当強い言葉で話していて、何気なくツイッターで流れてきたのを見てびっくりしてしまいました。