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フェミニズムへの絶縁状

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この記事の趣旨(もうフェミニズム記事を書くのは辞めます)
なんか大げさなタイトルですが、最近ブログでは続けてフェミニズム関係の記事ばかり書く流れになったんですが、それによってネットでの記事が「読まれる量」的な数字が激減してしまったため、フェミニズムについてネットで書くのはこれでやめよう・・・と決意するに至りました。

個人的な感性としては非常に重要な話をしているという実感があるし一部の読者には熱意を持って読まれている反応はあるんですが・・・

「反アベvsアベ」とか「嫌韓vs親韓」とか「嫌中vs親中」とか、資本主義に対してどの程度の肯定的態度を取るかとか、こういう問題に対しては、党派的にどちらかだけの視点からじゃない解決策を・・・という方向性で私のような記事を書くことに一定のニーズがあるんですが、ことフェミニズムに関わる問題については果てしなく「どちらか」をちゃんと選んで書かないと読まれない、厳しい世界なのだということを知りました。

なかでも、「ある程度ちゃんとフェミニストが言ってることの文脈を理解する気があって、かつフェミニストの言っていることには全面的に賛成できない」というような記事は難しい位置にあると実感しました。

そもそもフェミニズムに反対の人はあんまりフェミニスト側の言ってる文脈を理解する気がない人が多いし、一方でフェミニスト側に立つ人はその弱い立場ゆえ(あるいは被害妄想ゆえ?)にちょっとでも自分たちに異を唱えるような趣旨は一切受け入れられない・・・という分断がある。

それでもフェミニズムについて最近書いていたのは、私は経営コンサルティング業のかたわら、「文通を通じてあなた個人の人生に寄り添って一緒に考えましょう」みたいないわゆる”コーチング的”な仕事もしていて、そのクライアントの中に「フェミニスト的な女性」も含まれているので、そういう人への態度表明という、”私にとっては”重要な必然性があったからなんですが。

今後、少なくともブログ等ではフェミニズムに触れることは辞めようと思っていますが、最後に、

・フェミニズムに心情的に共感するが、今のように全方位的に古い社会を罵り続けるだけで何か改善するとは思えない
・・・というあたりの読者の人に、最後の「提言」的なことをして”サヨナラ”ということにしたいと思っています。

今後も「フェミニズムvs日本社会の保守性」のバトル…

フェミニズムが叩くべき敵はオタクではないはず。

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この記事の要約
最近私のツイッタータイムラインが「フェミニズムvsオタク」論争で溢れかえってしまい、他の話がレアってぐらいになってしまっているんですが、個人的にはこんなに「無意味に相互憎悪が募るけど何の解決にもならない」対立構図の設定もなかなかないと思っています。

日本で生きる女性の「不満」があるなら解決していきたいと思っているし、もちろん日本で生きる男の「不満」だって解決していきたいし、あらゆる人が幸せに暮らせるように社会は改善されていくべきだとは思っています。

が、フェミニスト(特に日本のSNSにいるフェミニスト)は「オタクとその文化」を叩きまくることで本当は貴重な味方になってくれる人たちをどんどん敵においやっていないか?と心配になります。

おかげで、どんどん「フェミニストというのはオタク叩きをする人たち」みたいな矮小化が進んでいく印象で、リベラル的な立ち位置の私のSNSタイムラインにはフェミニズムの話題が溢れかえっていますが、保守系の人のタイムラインには”ほとんど一切”出てこないらしく、「宇崎ちゃん」だとか「少年ジャンプ」だとかの話題を私がだすたびに「何の話ですか?」と言われている始末。

叩きやすい敵を叩きまくることに熱中するあまり、「本当の敵」は野放しになっているし、先鋭化するだけした過激派さんの日本社会へのマクロな影響力はむしろどんどん減衰するんじゃないかと心配になってしまいます。

単純に考えて欲しいことは以下の一行で、

「”●●大体育会系レイプ犯”とか”女と見たら態度変えるおじさん”」と「女性と目を合わせて話せない内気なオタク」、フェミニズムの敵はどっちだ?
この構図の「前者」に対する”敵意”においてオタクさんたちは非常に「共通の敵意」を本来持っている人が多いように私は感じていますし、本来強力な「味方」になるはずの勢力を、萌え絵が気に食わないとかいう話で盛り上がることで「不倶戴天の敵」にまでしてしまっているような気がします。

これに限らず、日本に住む多くの「女性が女性だからといって悪い扱いを受けるようなことはなんとかしていきたいですね」ぐらいには思っている男にどうやったら「伝えて動かす」ことが可能になっていくと思われるのか、逆側の立場から提言したいことがあるので書きます。

最近はツイッターとかでフェミニストさんが「これだけ言っても伝わらないなんて絶望だわ…

フェミニズムは罵り合いより提案を(少年ジャンプ)

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この記事の要約
ある「少年ジャンプをいまだに買っている友人」から、フェミニストと少年ジャンプ(集英社)の間のバトルが勃発しているらしい・・・という話を聞きました。

少年ジャンプの編集者になりたい女子学生が、「少年の心を持ってないとダメ」と断られた(とその女の子は思った・・・実際には”女性ファッション誌の編集部であれば、性別関係なく女性のおしゃれ心を理解できることが必要ですし、少年マンガであれば少年の心がわかることが大切でしょう”・・・ということで、別に”少年の心を持った女性”を拒否しているわけではなさそうですが)話が炎上したことが原因らしい。

そのことについて考えてみたいんですが、とりあえず内容を三行でまとめると、

1・少年ジャンプも苦境であり、何らかの新機軸が欲しいとは思ってるはず
2・ディズニーは「看板を下ろした」のではなく「さらに突き抜けて」アップデートされた
3・「少年ジャンプのコアは何か」を迎えに行って理解することに対して、インテリのフェミニストは責任を果たすべき


という感じです。では以下本文。






十二国記に見る「女性ならではの視点」の本当の意味

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この記事の要約
「十二国記」という知られざる大ヒット小説シリーズ(累計一千万部突破)があるんですが、18年ぶりに新作が出るということで、ファンの間には大きな話題になっています。

私はこの「18年ぶりの新作ブーム」の中で、薦められてはじめて読み始め、最初のうちは「うーん・・・」と思って一度挫折したんですが再読したら俄然熱中してしまい、いまや11月8日に出る新作完結編を出るのを今か今かと待っている者です。

この記事は、読んだことないあなたへの十二国記の紹介をしながら、最初のうち私が受け入れづらい思いを抱いていた「十二国記特有の設定」の背後にあるものはなんなのか?という考察をしたいと思っています。

この「十二国記特有の設定」にハマれるかどうかが十二国記を楽しめるかどうかの分水嶺みたいな感じなんですが、私からすると非常に「女性作者ならではの世界観」だなあ・・・と思っており、それが最初のうち気持ち的に受け入れづらい理由だったと同時に、途中からは熱中して読む理由に変わった感じでした。

全体的に十二国記は「田中芳樹の作品(アルスラーン戦記とか銀河英雄伝説とか)を女性が書いたらこうなるって感じ」とか言われることが多いんですが、子供の頃田中芳樹の本に熱中していた人は必ず楽しめるというだけでなく、なにか「田中芳樹が持つ男ならではの問題」を「女性ならではの視点」で補完されるような、なんだかそういう気持ちになりました。

この記事は、「十二国記の紹介」だけでなく、その「背後にある設定の女性ならではの部分」を私たち社会がどう扱っていくべきなのか?みたいな話にまで踏み込めればいいなと思っています。それが「敬遠している人も十二国記を楽しめるきっかけ」にもなると思いますので。

目次は以下のとおりです。

●1・知る人ぞ知る名作十二国記の新刊が出ます。
●2・「特殊な設定」に入りづらい理由はなんだろうか?
●3・「女性ならではの視点」の本当の意味
●4・現代社会における”女性のエンパワーメント”はこの道で行われるべき
では以下本文です。





(追悼)緒方貞子さんに見る「文系博士人材」の可能性

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この記事は、

・先日亡くなられた緒方貞子さんへの追悼的文章

と、

・緒方貞子さんの強みは「文系博士的多面的な世界観」ではないか?

という指摘と、

・そういう「文系博士的な徹底的に多面的な理解」を現代社会はもっと活かすべ

というような話をします。

その流れで、私が提唱している

歴史問題や社会問題に対する「メタ正義的視点」での解決方法

・・・などについても述べる予定です。

目次は以下のとおりです。

1●「プロが必要だ、キャッチフレーズは役にたたない」と緒方さんは言った2●緒方さんの博士論文は満州事変の政治分析3●イデオロギーの対立は、多面的に多面的に現実を描くことでしか乗り越えられない4●単に戦前の日本に単に「反省しろ」という視座からは、米中対立も北朝鮮問題も解決できない
では、以下本文です。





ある女性経営者いわく「キャリアプランはいらない。」

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●出版業界の異色の女性経営者の本が出ます
ワタクシ、来年1月に5年ぶりの新刊を出すんですが、そこでお世話になっているディスカヴァー・トゥエンティワンの社長、干場弓子さんがご自身の本を(別の出版社から)出されまして↓。

楽しくなければ仕事じゃない: 「今やっていること」がどんどん「好きで得意」になる働き方の教科書

今アマゾンランキングはこんな感じで、結構売れてるみたいです。
>>>
1位 ─ 起業・開業ノンフィクション
2位 ─ 起業家関連書籍
1位 ─ リーダーシップ (本)
<<<

一般的な知名度はそれほど高いとは言えないかもしれませんが、干場さんって超凄い人だと私は個人的に思っているので、書評がてら本(と干場さん本人)の紹介ブログを書こうかと思っています。


モーツァルトが既に描いていたフェミニズムの行く先

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●ソニーが始めたハイレゾ音楽配信、今無料体験期間中です
ソニー系列の音楽配信サイト「mora」が、ハイレゾ限定の音楽配信サブスクリプションサービス「mora qualitus」を始めたそうで、今なら一ヶ月間無料体験キャンペーンをやっています。

mora qualitus
サイトデザインはとてもステキな感じです。

このレビューサイトによると、「排他モード」を搭載しているぶんアマゾンがやってる同種のサブスクリプションより音がいい(と思われる)とか・・・

サイトのデザインなども含めて結構いいなと思うんですが、開始直後とあって、例えば「モーツァルト」と「Mozart」で検索結果が違うとか、海外アーティストの表記ゆれで検索結果が違うとか、あと単純に動作が遅いとか、今後いろいろ改善してほしいUI上の問題はいろいろあります。

しかし個人的には、ハイレゾで入ってる曲のラインナップ含めてかなり気に入っており、来月からの月1980円も許容範囲かなと思い始めています。

特に、最近クラシック音楽、特にモーツァルトにハマってるんですが(ってめっちゃイマサラな言い方だけど)、前から好きだったカール・ベームという指揮者のモーツァルト交響曲集やオペラ「魔笛」がハイレゾ版で入っていて既にかなり幸せな音楽体験をしているところです。

「体育会系の日本」は衰退する日本の元凶か?

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●あなたは「体育会系」が嫌いですか?
暇な時間にはインターネットでこういう記事を延々読んでいるようなアナタは「体育会系の日本」が嫌いな人が多いかもしれません。

「上下関係」とか「密な人間関係」とか、「ウッス!アザッス!」的な感じ。高校や大学の部活や日本の飲食店アルバイトに満ち溢れる「この気分」がムシズが走るほど嫌い・・・という人もSNSには多いように思います。

ワタクシは中学時代ぐらいまで自覚的に「超サヨク的人間」だと思っていたので、

そもそも「敬語」っていうシステム自体が日本を忖度だらけのマトモな理屈が通らない社会にする悪癖なんだ!「尊敬する相手」かどうかはそれぞれの個人に判断が委ねられているべきだ!!
・・・みたいなことを本気で思っており、案の定たまたま入った部活が大嫌いでした。

しかし、高校で入ることになった文化部は、その分野で「全国大会に出た回数が(当時は)最多」みたいなところで、そこで色々体験するうちに、この「ウッスアザッス型」のコミュニケーションが実は非常に奥深い「組織運営上の知恵」のもとになりたっていることを痛感し、その後色々と考えを改めることになりました。

その音楽系の部活は、特に男は入部したとき楽譜読めないどころか最後まで読めないヤツもいるぐらいなのに、同地区のライバル校には「その学校の音楽科の生徒が全員集まって出てくる」ところとかもあって、「才能」とか「知識」とかそういうレベルのことで言ったらオハナシにならないレベルの差があるのに、「なんで毎年勝てるんだろう?」と思うじゃないですか。

それだけでなく、サヨク革命家を気取っていたワタシは、三年生になって実権を握れる中心人物になったら、ありとあらゆる「前時代的風習」みたいなものを廃止しまくっていこうとしたんですが、そしたらその後何年かでその部活自体が強烈に弱体化して、誰も知らない無名校になったりしたんですよね。

こういう「現象」には、体育会系嫌いの個人主義者も真剣に考えるべき課題が眠っていて、特に個人主義者の私たちが「日本社会のマジョリティ」との間で果てしない罵り合いになることなく「違いを活かした共存」を実現するために大事なヒントが隠されているように思います。

サヨクから見た天皇が日本におられる意味と日本の使命

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(画像は官邸ユーチューブより)


●小学生時代の私は、前回の「継承」にはメチャクチャ怒っていたが、今回は「ありがたや~」という気持ちになった
普段は全然気にもかけていない天皇陛下の存在ですが、即位礼正殿の儀はなんとなくずっと見てしまって、茶化す意味でなくほんとうに「ありがたや~」という気持ちになってしまいました。

本式の保守派のかたはいざしらず、普段日本の「伝統」に触れる機会の少ない多くの日本人にとっても「奇異な風習」に感じられるアレコレがあるわけですが、それをしっかりと「意味のある大事なこと」として継承していくことをナリワイとされている方々がいらっしゃることの価値は、それを認めることで、堅苦しいことが苦手なタイプの人がどんどん気安い現代風にカジュアルな風習ですべてを覆っていっても、1億2千万人の共同体全体で見れば、過去から続く連綿とした一貫性がちゃんと保存されていくことであるように思います。

とはいえ、こういう「制度」自体に怒りを感じる、あるいは不合理だから廃止すべき・・・と思っておられる方も、最近では数は少なくなったながらもいらっしゃると思います。

昭和から平成への「継承」が行われた時に私は小学生だったんですが、自覚的に「サヨクだぜ俺は」と思っていた私は、今では笑ってしまうほどプリプリ怒っていました。テレビの特別番組を集まってみている家族に対してやたら食って掛かって、「こんな世の中間違ってる!」とか騒いでいた記憶があります。

ある種の「人間の本来的平等性」みたいなのを原則としたい立場からすれば、こういう「君主制度」とか、敬語が強制される雰囲気とか、「陛下」のような尊称の存在自体が、なにか根底的に人間社会のあるべき大原則に対する侮辱であるかのような気持ちになっていたのでした。

凄いのはラグビー選手でお前じゃないとか言う奴はアホ

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●人びとは助け合って生きている
日本人のノーベル賞受賞者が出た時も、ラグビーなどのチームスポーツの日本代表が活躍した時も、それで喜ぶ多くの日本人に対して

「凄いのはその研究者個人であってお前じゃないぞ」
「凄いのはラグビー選手であってお前じゃないぞ」
・・・みたいな、使い古されまくってる嫌味を言う人がいるんですが、私はこういうこと言う奴が嫌いです。嫌いというか、アホか!って感じがする。

そんなことはみんなわかってるけど、それでも喜ぼうとしてるとこに水さすなよ、て感じがする。

こういうのは「忖度しない空気読まない俺カッケー」という感じではなくて、むしろこの世の中が人びと同士の無数の協力関係によって支えられていることが理解できないアホの言い草という感じがします。


冷静で中立的な報道こそがネット世論の過激化を止める

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●台風19号の水害に関するメディアの報道は昔に比べてかなり進化していると感じる水害などの災害があった時には、「冷静で科学的な原因分析と対処」と「人びとの魔女狩り欲求的な犯人探しのエネルギー」との間の折り合いをどうつけるか・・・というのは古今東西難しい問題です。

しかし、今回の台風19号に関する主流メディアの報道は、かなり「あるべき報道」をしつつあるように感じています。「冷静で中立で総体的な報道」をすることが、インターネット上の無駄な罵り合いを抑止していくためにいかに重要か・・・という良い例だと思うので、この例を台風報道だけでなくあらゆる分野でもスタンダードにしていければいいと思えるほどです。

いっそ全部アベのせいにしてしまえばいいのかも?

水害の「犯人探し」の熱狂の行く先
災害があると「犯人探し」的な感情が巻きおこることは仕方ないことかもしれず、冷静な水害の要因分析とは違った感じで、「あいつのせいだ」的な感情がぶつかりあっています。

今回の台風19号の水害は、もちろんあちこちでヒドい被害に合われた方は多いけれども、「ちゃんと対策してる」東京のあちこちに関しては、むしろ「日本の治水関係者ってスゲえな・・・・」と私は思いました。知らないところであっちこっちに色んなギミックが仕込まれており、あちこちの水門の開けしめ、人びとが知らないうちに地下に仕込んであった巨大な調整池の活用、ダムの放水タイミングのコントロールなど、「ちゃんと地道に考えて準備しておく」役割の人たちが、ちゃんと想定どおりにちゃんと対策を実行し、もちろん多少の被害は出つつも破滅的な事態は避けることができた。

「無数の無名のちゃんとやってる人たち」の連携によって何かを成し遂げる、日本っていう国の美点はこういうところにあるんだなあ・・・と思いました。

ユニクロ柳井氏の「国が滅びる」論は正論か暴論か?

●立場によって人は全然違う世界を見て生きている
台風19号で被災された方にお見舞い申し上げます。

私が住んでいるところは前評判に比べてかなり軽症で、肩透かし感すらあったのですが、ツイッターやテレビのニュースを見ていると、大変な被害にあわれている方や、残念ながらこれから明日明後日にかけて大変な被害にあわれるであろう方もいらっしゃることと思います。

私は阪神大震災の被災者なんですが、たった道路一本向こうのブロックに家があっただけでブロックごとすべて丸焼けになって家(だけでなく命も)を失ったりとか、逆にこっちのブロックだとその日の夜には電気も復旧して、学校もなくなって暇だからテレビゲームで遊んでいたりとか、人生というのは「立場」によって見える世界が全然違うものだなあ・・・と強烈に思ったことを思い出します。

今回も、同じ「台風19号を警戒しましょう」というニュースに触れている何千万人の対象地域の人びとが、ある人は生死に関わる被災をし、ある人は全然どうってことのない日常を送ることになっているのでしょう。

このように、「立場によって人は全然違う世界を見て生きている」わけですが、それが別の形で非常に印象的なSNSでの拡散の仕方をしていたのが、ユニクロ(ファーストリテイリング)の創業者、柳井正氏の日経ビジネスの記事↓でした。

柳井正氏の怒り 「このままでは日本は滅びる」

あいちトリエンナーレ現地ルポ(表現の不自由展再開)

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●あいちトリエンナーレ行ってきました!


日本中を巻き込んだ大激論の中、再開された「表現の不自由展」を見るために、あいちトリエンナーレ行ってまいりました。

この記事は、

・メディア的な切り取りではない「普通の一般参加者」としての視点からの「現地の雰囲気」が伝わるような写真付きのルポ的なもの
と、


・この問題をどう考えるべきなのか、という話

をしたいと思っています。

目次は以下の感じ。

1●メディア的な切り取りじゃない、「一般参加者」視点の会場の雰囲気ルポ(写真多数)

2●「不自由展以外の展示」が案外いいし、その点については津田氏も結構頑張ってると思った

3●メディアにぜひ気をつけて欲しいたった一つの単純なこと

4●最後に、より深いこの問題の本質について

です。


「普通の日本人」をもっと信頼して社会運営するべき

●格差社会の絶望による「無敵の人」問題はどう解決するべきか?
前回、話題の映画「ジョーカー」の紹介をしながら、格差社会の中で絶望した人間の暴発的行為(いわゆる”無敵の人”問題)を、どうすれば私たちは社会に再度包摂していけるのか・・・という話をしたんですが、映画紹介以外の「どうやったら格差社会問題を解決できるのか」についての部分が案外評判が良かったので、そこを切り出してもう少し深く考えてみたいと思っています。

この話は、私が今度五年ぶりに出す新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」の内容の一部紹介にもなっています。

「京都アニメーション事件」を思い出すまでもなく、社会が包摂しきれなくなった個人が不幸の連鎖の先に暴発する事件に対して何ができるかは、私たち日本社会においても非常に重要な問題です。

しかし、単に焚き付けて暴発してアチコチ放火して回らせたりテロ行為をさせる・・・というのでは、それを社会の側が「抑止」する必要があるのもまた言うまでもありません。

だから大事なのは、「彼らの怒り」を理解すると同時に無意味な暴発を防ぎ、かつその怒りを「社会を変えていく」力に転換していくことでしょう。

そのためには、
・政府の政策レベルの再分配
・経済構造を時代に合わせて変えていくという「民間」レベルの問題
について”両方”取り組んでいく必要がありますね。

問題映画『ジョーカー』ネタバレなし評と格差社会対策

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●”ジョーカー”は超スゴイ問題作映画。おすすめですツイッターで色んな人が絶賛していた映画「ジョーカー」見てきました。

この記事では、ネタバレなし(”あらすじ”程度は書くので嫌な人は気をつけてください)」の簡単な紹介と、映画テーマでもある「格差社会」問題への対処について考えてみたいと思っています。


↑予告編動画

日韓対立の本質は20世紀型急進的左翼の断末魔

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あらゆる党派性がグチャグチャに混濁しはじめた
日本での報道はあまり多くないようですが、韓国において巨大な反文在寅政権デモがあったそうです。”主催者発表”によると三百万〜五百万人の参加者だとか(さすがに大きすぎると思うので、実数はもっとかなり低いと思いますが)。なんにせよかなり大きなデモだったことは間違いない。

私は結構、色んな立場の「日本語できる韓国人や在日の人」のツイッターをフォローしてるんですが、親文在寅派(韓国の分類でいうと左派)の人は、親文在寅派のデモがあった時にはそれがいかに大きくて、韓国検察という悪の組織がいかに横暴を振るっているか・・・について力説する傾向にあるんですが、逆に今回の反文在寅派のデモは、そういう人のツイッターを見ているだけでは存在していないかのようなスルーのされかたをしている事が多くて面白かったです。

一方で、今回の「反文在寅デモ」についてツイートしている日本語できる韓国人や在日の人のうち、必ずしも「日本のナショナリズム」と仲が良くない層にまで日本の保守ネットユーザーが突撃しにいって、これはこれで幸薄い罵り合いに発展している状況をチラホラ見ました。

もちろん、日本側のナショナリズムと近い位置から韓国の政権を批判している韓国人・在日の人は大きく取り上げていたことは言うまでもありません。

また、「韓国のあり方こそが理想の民主主義を体現している先進国家であり、今の日本の政権はもう人間性を失っているから地獄に堕ちるしかない」的なことを考えている日本の急進的な左翼人士が、韓国左派と同じ「韓国検察がいかに悪辣無道な権力を握っているか」について話しているのも予想通りという感じでしょう。

ただ総体的に見れば、日本に住んでいる日本語できる韓国人や、在日の人で、かなり原理主義的に反”アベ”の人でも、最近は必ずしも文在寅支持ではないことを匂わせる発言がチラホラ増えてきているような感じもします。

さらに最近チラホラ見るのが、「文在寅のあり方は韓国の国益になってない」という判断から、「文在寅流のノーブレーキ走法でもっと破滅してほしいからまだ潰れないでくれ」とか言って文在寅支持を表明する日本のネット右翼さんがいたりして、もう色んな党派性がグチャグチャに入れ混じってわけがわかりません。

しかし、私はかねてから、こういう形で「党派性」が解体に向かって、同じ党派の間での…

アベ叩きで盛り上がるよりリベラルが本来やるべきこと

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官邸サイトより


(前回のまとめ)リベラルメディアがアベ叩きの熱情の半分でいいから取り組むべきことは?
前回のブログ記事で、単に「アベ叩きの陰謀論に参加して溜飲を下げる」だけでなく、リベラルメディアが本来やるべきはずのこと(でも現状沈黙していること)について書きました。

その内容は、

「権力をチェックする役割」はもちろん大事なんですが、同時に「現政権がかわりに取り入れるべき政策」について、自分たちで用意し、それを批評してブラッシュアップし、まとめあげていくこと自体も、リベラルメディアのもう一つの責任
という風にまとめられるかと思います。

最近あちこちで書いている例ですが、私は経営コンサルティングのかたわら、「文通を通じて個人の人生の戦略を考える」みたいな仕事もしてるんですが、こないだまで、某巨大野党の国会議員さんがクライアントだったことがあるんですよね。

脱原発について彼が党でまとめたペーパーは、単に「脱原発できていないのは電力業界とアベ政権の陰謀だ!」的に騒ぐだけに終わらず。実行段階における色んな懸念点や問題点について微に入り細に入り検討されていて、「こういうのちゃんとあるんじゃん!そうそう、こういう話を進めていかなくちゃ脱原発なんてできないよ!」と思ったんですが、そういうのは「妥協だ!」とか言って党の中で潰され、マスコミでも扱われず・・・・結局その党は解体されて延々と1割ぐらいの支持率を複数政党で争い続けているのは皆さんの知るところです。

リベラルなマスコミの責務は彼が作ったそのペーパーみたいなものをちゃんと引き上げることであるはずなんですが、それをせずに変な陰謀論を振り回したり「敵」を凄い下に見て冷笑したり罵倒したりしかしてない感じがするところが、今の時代の「リベラル冬の時代」的な苦境の元凶ではないでしょうか。

別に「アベ側」にいる人たちに膝を屈して従えとかそういう話では全然ないわけですが、「単に溜飲を下げるためのアジテーション」ばかりをスター化して「政権批判」に100%突っ込んでいるエネルギーの半分でいいから、「自分たち側の理想の実現プロセス」について、地味な議論をしている人たちをちゃんと引き上げ、スター化し、そしてちゃんと自分たち内部で検証して実効性のあるものに仕上げていく、そういう仕事こそが、今リベラルメディアには求められているはずです。

陰謀論が溢れる時代にリベラルメディアがやるべきこと

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政権に言いたいことがあるならば、アベ叩きの陰謀論にハマる前にやるべきことは?
消費税があがったことについて色々と反対意見の人も多いでしょうし、それこそ「霞ヶ関」とか「自民党」とか「経団連」とか、(経団連以上に「経済同友会」が個人的にはかなり好きになれないんですが)、いわゆる「今の日本の舵取りをしている層」に対して、不満や反感を覚えている人も多いと思います。私も色々と言いたいことはある。

ただ、現政権のあり方に対する不満を、変な陰謀論みたいなものに吸い寄せてしまって、インターネットの中で何かを叩いて溜飲を下げているだけでは、むしろその「改善要求」をちゃんと実現していくことから離れていってしまうことにもなりかねません。

「何かを叩いて溜飲を下げる」というレベルで言えば、韓国を叩いて溜飲を下げるのも、アベ政権とその関係者を叩いて溜飲を下げるのも、あまりレベル的に変わらないところはやっぱりあります。

リベラルメディアが「アベやトランプやその他欧州極右勢力とそれを支える大衆のエネルギー」に対抗してリベラルの理想をあくまで取り下げずに世の中に広めていこうと思うのなら、彼らを批判するだけでなく、自分たちの望む「改善要求」を自分たちでまとめあげていって、政治的に実現するよう働きかけていく努力が必要なように思います。

日韓関係で日本が妥協なく押し続ければ見えてくる希望

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●日本のナショナリストが妥協せずに押し込み続けることで、あたらしい普遍的な希望に繋がっていく
ちょっとやそっとじゃ改善の余地が見えなくなりつつある日韓関係ですが、単に日本側のナショナリズムの充足といった視点からだけでなく、ある種のリベラルな視点から言っても、日本側が妥協せずに押し続けることによって、「より広い視野でみた時の普遍的な希望」に繋がる余地はあるはずだと私は考えています。

たとえば、最近ツイッターで流れてきたので読んだ記事があるんですが、これは古谷有希子さんという方が書かれた記事で、ご本人は韓国語もできるし、この記事は韓国でも評判を得た記事だそうです。

あまり詳しく存じ上げないですが、この古谷さんという方は、相当先鋭的なフェミニストの方で、日韓関係とかいった話題においても、常にかなり原理主義的に韓国側にたって「日本」を批判する・・・立場で書かれることが多かった人であったように記憶しています。

しかし、リンク先の記事では、昔の古谷さんのイメージからすると、相当気を使って価値中立的な言論をしようとしていることが伝わってきます。

学問的に中国史を見ると、香港vs中国的問題への解決法も見えてくるかも?

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この絵は昔「中韓」と「日本」の間で線を引くと東アジア的本能的な安定が得られるんじゃないかというブログ記事で使ったものなんですが。


●距離が近いからこそ、”違い”をちゃんと理解しないとうまく付き合えないのは人間の普遍のルール
別に「中韓を下」に見るとかそういう話ではなくて、感性において「違う」部分が存在することを理解することは、お互いのコミュニケーションを円滑にするために重要な時がありますよね?

もちろん地理的には今後も未来永劫近くにいますし相互関係も緊密ですから、仲良く出来たほうがいいには違いない。けれども、これは夫婦関係でもそうなんですが、

「距離的に近いところにいるからこそ、”夫婦なんだから仲良くして当然だろ?わかりあって当然だろ?”と押し切るのではなく、近くにいるからこそ、その”違い”をお互いちゃんと理解して付き合うようにしないといけないね」

という言い方もできるんじゃないかと思います。

●アカデミックなモノの見方が問題を解きほぐしてくれる時がある
最近、中国史に関するアカデミックな本(といっても本式の学術書でなく学者が書いた一般向けの本)を読むことがあって、いろいろと「なるほどなあ」と思うことがあったんですね。

世界史とつなげて学ぶ中国全史 岡本隆司

王岐山という中国の高官がいい本だったと紹介したことがあるという岡田英弘という日本の中国史(モンゴル史)学者の人がいるんですが、たぶんその人がいる立ち位置に近いような、「中国史を単体で見るのではなく、シルクロードを経由した東西文明のインタラクションの中から中国史を見ていくという趣旨の本」だと思います。

表紙に「驚くほど仕事に効く知識が満載!」って書いてあるんですが、確かに現代中国に対する見通しが、学者さんが一気にまとめた大きな視点から見直すことで深まる、みたいなことがかなりある本でした。

これは、現代中国と深く関係して生きている人でも、というかひょっとすると現代中国人にとっても、「古代からずっと不変的に中央集権的国家がすべてを統治してきた歴史観」って、もちろん歴史なんてぜーんぜん興味がない人にはあまりないかもしれないけど、「ちょっと」は歴史的観点をもって色々見る人にとっては当然視されてしまってるところがあるじゃないですか。

だから、例えば香港と中国という「お互い絶対に負けられない戦い」みたいなことになった時に、中…

私たちはもっと「相手が言ってることに反論する」のでなく「相手側の懸念を解決する」ことを言うべき

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●脅迫電話が大量にかかってくるような社会はやっぱ良くないよね

愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」の補助金問題でまた色々と平行線的な議論がまきおこっているようです。

私はフツーにリベラルな人間なので、手続き的問題とか関係者がどう行動するべきだったかとかそういう具体的な細部の問題を除けば、誰にとって不快だろうとなんだろうと出来る限りどんな表現でも保護されるべき、と考えている人間だし、あの展覧会がもうちょっと続いていれば行こうと思っていたし、中止になった時には、「右翼さんから見ても、相手を”殉教者”みたいにしちゃうこういう判断って最悪手だったんじゃないの」と思いましたし、バンバン脅迫電話したりする人がたくさんいたという話には心を痛めます。

特にこの「脅迫電話が沢山かかってきてしまう現状」自体に、なんとかしなくちゃいけない社会の問題が実際にそこにあることをヒシヒシと感じます。中止にしたこととか補助金がどうこうとかの話以前に、そこをなんとかしたい。

脅迫電話がかかってきまくる状態で、それでも表現の自由を絶対守るぞ!!!となると、それこそフランスのシャルリ・エブド事件みたいな話になってもおかしくないわけで、そこまでして表現の自由って大事なのかみたいなことを考え始めると永久に答がでないですよね。

だからこの問題をちゃんと解決したいなら、そもそも「脅迫電話かけてくる人数が減るような社会にしよう」というところがやっぱり大事なんじゃないかと。

で、じゃあそれをどうやったら解決できるかと考えた時に、単に「表現の自由を守れ」的な題目を唱えることだったり(もちろんキレイゴトをちゃんと言うということ自体大事なことなのでソレをやめるべきではないと思いますが)、単に「日本はもうダメだ!こいつらはカスだ!ほんと日本人て品性下劣なヤツらばっかりでため息でるよね!」みたいなことを言いまくって余計に相手側の怒りに火を注ぐことしか方法がない・・・というのも、少し工夫がなさすぎるんじゃないかと思います。


16歳少女の怒りの演説は環境対策を進めるか?

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Photo by Markus Spiske on Unsplash


国連気候行動サミットでの、スウェーデンの高校生、グレタ・トゥンベリさんの演説が話題です。相当強い言葉で話していて、何気なくツイッターで流れてきたのを見てびっくりしてしまいました。