日本女性がイキイキ(というよりキャピキャピ?)働ける社会とは

・日本の女性は「実は凄い権力を持っている?」

以前、日本に住んでるアメリカ人の友人が、「日本の奥さんは絶対権力を持っている」と冗談めかして言ってた・・・という記事をネットに書いて、結構な評判になったことがあります。

彼と彼の奥さんがふたりとも私の妻の大学時代からの友人で、言葉の問題で話し相手がいなくて寂しがってる・・・というので三重県の山奥まで会いに行った時に、彼ら3人の若いころが写っている大学時代の写真のアルバムを見ている時に出た話なんですけど。

(以下引用)
私: 君も随分印象変わったね。顔つきに深みが出てきたっていうかさ。
彼: そりゃあ日本人のオクサンと4年も暮らしていれば苦労もするさ。
私: そうなの?彼女優しそうじゃない?
彼: “あえてノーコメントですという表情”
(その態度に二人の妻が大爆笑↑)
私: よくアメリカ人女性の方が一緒にいるのは大変で、日本人女性は色々と受け入れてくれるから楽だみたいな話聞くけど・・・
彼: 最近覚えた漢字なんだが、日本語のオクサンという言葉の“奥”っていう字は本当に真実を突いている。
(おそらく“Sanctuary=聖域”的な意味だと思われる)
私: なんじゃそりゃ(笑)
彼: ジャパニーズ・オクサンたちは私は何もコントロールしていないですというフリをしながら実は全てをコントロールしている。巧妙な絶対権力的なものがそこにはある。
(引用終わり)

なんか・・・まあ、そんなの個人による・・・という話ではありつつ、

「こういうこと」も普通に言える環境の中で、「あたらしい時代の男女の役割分担」は考えて行ければいいな、

というようなことを考えました。

とはいえね、それはうまいことやってる女性だけの話で、アタシのまわりの日本社会は自分に対して抑圧的すぎるし、女性の社会進出も全然進んでないし、とにかく日本では女性はヒドい閉塞感を感じて生きているのよ・・・という女性の気持ちもわかります。

それに、今は日本社会全体の総意みたいなものとして、女性労働力の有効活用・・・みたいなことが言われてるわけで、自分たちなりの女性が活躍できる社会・・・ってどういうものだろうな・・・ということの模索が必要になってきていますよね。

ただ、日本の「伝統的な働き方」自体がガッチリと組み上げられた男社会の本能を強みのコア的な部分として成り立っているところもあって、なかなか身軽な欧米社会のようには進んでいない・・・無理やり進めるだけだと、変な反発を余計に受けたりもするかもしれない。

そういうところの「矛盾」を解きほぐすような方向性について、ちょっと最近思うところがあるので、それを聞いて欲しいんですよ。それはある種の「日本の女性に与えられているSanctuary性をうまく活用する・・・ような形で。


・「日本のオッサンの集合体」と敵対しない、むしろ利用し倒す「ことりっぷ」的革命を!

私は、普通に働いている個人と「文通する」というサービスもやってるんですよね。

なんでそんなことをしてるかの深い話についてはご興味があればこの記事を読んでいただくとして・・・・一言で言うと、「日本の伝統的な集団」の鈍重さが問題な時代にあって、「目覚めた個人」が「集団の外側」でばっかり活躍してたら、「日本社会の一番の強み」と「時代の先端的活躍」は分断されたままになってしまうから良くないな・・・っていう問題意識があるんですよね。

で、むしろ「集団の中にいる個人」が「集団の中にいる強み」を一貫して発揮していきつつ今の時代に必要な「個としての鮮鋭性」を具現化するようになっていくことで、今の日本社会の一番のボタンの掛け違い・・・みたいなものが解消できるんじゃないかと思ってるんですよ。

まあ、そういう趣旨ではじめて今は老若男女色んな立場の人と文通してるんですが、中に日本のかなり伝統的な大企業で働く女性がいるんですよね。アラフォーで3児の母さんです。

その会社は世界的にも先端的な技術力を持ったマニアックな製品が世界中にオタクに受けて、それで今までやってこれてるんですが、まあ時代的にそういうオタク相手だけだと厳しくなってきた中で、「女性向け」「ライト層向け」も考えつつあるんだけどたいてい爆死している・・・らしく。

その女性は、その会社の商品の「女性向けの一貫した売って行き方」について、まだボンヤリとはしているものの言いたいことがかなりあって、それを磨き上げて徐々に反映させていって、会社全体をより良い方向に動かしたい・・・と思っておられるそうです。

で、二人で話していてだんだん考えていっている動かし方のコンセプトは、「ことりっぷ的革命」なんですよね。

ことりっぷをあなたはご存知でしょうか?ご存じない方は東洋経済オンラインのこの記事をどうぞ。

ことりっぷは昭文社が出している女性向けの旅行情報誌で、2008年発売と比較的新しいのですが、なんと累計950万部以上(リンク先↑の記事は今年2月なんで900万部となってますがさらに半年で積み上がったんですね)の大ヒットシリーズです。

で、ことりっぷは何がいいかというと、女の人の願いがこれ以上なくストレートに発揮されつつ、「日本のオッサンの集合体」と敵対してない、むしろ「業者扱いにしてアゴで使ってる」ようなところがあるところです。

昭文社っていうのは地図情報のマニアックな精度で有名なところで、ある意味ガッチリみんなでよってたかってつっつき回す日本の男社会の密度感の価値が一方ではある会社なんですよね。(自転車マニアのウチの父親は全国の”ツーリングマップル”を持っていて、それには山奥の知る人ぞ知るツーリング者だけが知る裏道やら休憩所なんかも載っていたりします)

で、そういう「部分」と敵対せずに、うまいこと女性社員が「オッサンの集合体を使い倒している」・・・という構図なのがいいなあ・・・と思うんですよね。

もちろん当初は色々と反発もあったと思うんですよ。伝統的なやり方にこだわる「オッサンの集合体」から色々と疑義をはさまれている。でもそれは「彼らなりの責任感」の現れなんだと考えて、でも「絶対こっちの方が求められている」と一歩一歩説得していくことで乗り越えている。

「こういう働き方」が日本女性の中に広がれば、むしろ「男社会」の側に、「やっぱりこれからは女性の活躍が大事ですよね(って言っておこうかねーしゃあねえなあ)」ぐらいじゃなくて「やっぱ女性にバンバン引き回してもらうのって新鮮だし正直言って結構カイカン感じてしまうよね・・・・」っていうような「正直な気持ち」が広がってくるだろうと思います。



・今の時代の「女性の活躍パターン」が、過渡期的にあまりに「グローバリズムの直接的延長」すぎるから「進駐軍に対する反感」が「女性への反感」になってしまっているところがあるのかも。

日本の「働き方」はかなり男社会だった部分がありますから、現時点で「凄く活躍している女性のロールモデル」は、そういうところから自由でいられた女性・・・の、かなり「グローバリズムの延長上で守られた特権的地位」の人が多かったところがありますよね。

なので、女性にとっての「あこがれの働き方」となった時に、それは「普通に働いている女性」の身の回りの環境からするとあまりにも「欧米的な文脈」が成立している場所である必要があった。それでも一歩ずつでも女性の社会進出を進めようとなると、そういう「数少ないロールモデル」を押し立ててしまう結果として、ある種の「進駐軍に対する自然な反感」が、「女性の社会進出に対する反感や疑念」に繋がったりもしてしまう不幸があったように思います。

で、欧米社会と日本は根底的になり立ちが違うので、彼らの「長所」を作り出すモードを支えている全体の構造が、彼らの「短所」を生み出しているし、彼らの長所を生み出しているモードが受け入れがたい日本の「普通の会社」の性質の中に、逆に日本ならではの「長所」を支える根幹的なメカニズムが含まれていたりするわけなので。

もちろん2つの文化はだんだん混ざり合っていきつつ、それぞれの良さを自然に取り入れることができるようになっていく流れが進行中なのですが、その時に、こういう「ことりっぷ的革命」っていうのが1つの「ワザ」として定着していけばいいなあ・・・と思った次第です。

日本の「男社会」には色々と面倒くさい部分もありますが、その相互監視メカニズムがちゃんと働いているからこそ、女性のあなたが夜道を歩いていても他の国ほど危なくない・・・というような「良識」が、エリート的な閉鎖社会の「外側」でもちゃんと生きていたりする・・・という意味での「効果」もあるんですよね。

女性の皆さんにわかって欲しいのは、特に日本の「男社会」の、「啓蒙的な意識の高い女性に対して抑圧的な部分」には、「一周回って来て社会の安定を保ったりハジキ出されてヒドい目に合う人がいないようにしようとする」メカニズムがあって、日本人の男は「それ」に縛られて生きているんだってことです。

で、それはただ前時代的で抑圧的で男のメンツしか考えていないエゴのようでいて、一方であなたが夜道を歩いている時に変なヤツに襲われたりしないような「空気」を維持しようとするための、

あなたに対する決死のI LOVE YOU

でもあるんですよ!

その「愛」に気づいていただいて、逆にそれを「どう使い倒してやろうか」と思っていただければと思います。そういう「働き方のスタイル」が確立してきた時、日本の「男社会」としても「外国に言われたから仕方なく」ではなく、本心から(あるいは一種の性的カイカンみたいなものから)「もっと女性を活用しなくちゃ」っていう動きが出てくるわけですからね。

で、女性のあなたが日本社会でもっと活躍するぞ!と思っている時に、この「オッサンの集合体の良識」の良さを根底から否定するような動きをすると、あなたが物凄くグローバリズム的に守られた特権的地位を占めている人でない限り、結構苦労することも多いのではないかと思います。

それはまあ許されざる前時代的野蛮さ・・・のようでいて、実際には日本が日本らしさを失わないためにはそれが必要だ・・・ってこともありますし、あまりの特権階級とどうしようもないスラム街に分断されていってしまうアメリカ的絶望のその先の希望の源泉でもあったりするんですよ。

でも、大事なのは彼らに「従う」ことではなくて、「彼らの価値を理解する」ことなんですよね。

「彼らの価値を理解」さえすれば、むしろ実質的には「アゴで使ってやる」ぐらいの動かし方をしたって動いてくれるフレキシビリティみたいなのが、日本社会にはある場合が多いんですよ。

僕は色んな立場で「好きに男社会を引き回している女性ビジネスマン」を見てきましたけど、彼女たちは年齢に関わらずたいてい意外にも驚くほど印象が”キャピキャピ”していて、「ワーキャー!」って本能のまま突っ走りつつ、でも「オッサンの集合体が集団として発揮している価値」はちゃんと「理解し、尊重している」からむしろ「オッサンの集合体」がその人の「ワーキャー!」に使い倒されたがって必死に動いている・・・という「構造」の人が多かったように思います。

それこそアメリカ人の友人が言っていた「日本語の奥さんという言葉の”奥”という字はものすごく真実を突いている」という力=「巧妙な絶対権力」=「サンクチュアリの力」をガンガン使っているというかね。

そういうのは、いわゆる「アメリカの女性エグゼクティブ」とは大分違う文化だし、でもそのやり方ならかなり広い範囲の「日本の会社」において実現可能な領域だと思います。そして、そこから「一部の超特権階級とどうしようもないスラム街が完全に分断されてしまうアメリカ的不幸」を超える可能性だって生まれてくるはずです。

さらに、男女ともに「同じ形式の”デキル人像”を追うのではなくて」という意味においては、それこそ「男女のダイバシティがあってこその価値」ということでもあるしね。

「男社会」が崩壊せずに残っているということは、その背後に「奥」の絶大なる権限も残ってるってことなんですよ。そこが完全に「個」にバラされた社会ではもう消え去ったような「奥=Sanctuary=聖域」の力を、日本の男社会は実は女性に「信託」しているところがあるわけです。

繰り返すようですけどそれは、アメリカ人ほど堂々としてないしフランス人ほどロマンチックなことは言えないし、韓国人ほど熱情を持って強引に迫ってはこれない彼らの静かに見守るような確固としたあなたに対する決死のI LOVE YOUでもあるんですよ!

それは「開明化されすぎた国には残っていない”奥=Sanctuary=聖域”的な力」であり、熱田神宮に安置ましまされているという「三種の神器」の一つ、天叢雲剣(草薙の剣)のように強力な「パワー」として、あなたがたが「本当に嫌なこと」を排除する無敵のパワーを持ってるんですよ。

それを上手に使ってくださいね。それはあなたがたの「頭と心」の間にあたらしい調和を見出そうとする自己発見の旅でもあるでしょう。

女性の皆様におかれましては、ありのままの姿見せてくれたりありのままの自分になってくれたりするのは良いことだし、男どもといたしましても心底応援したいと思ってはいるんですが、それで世界中が凍りついてしまって一人ぼっちで生きていかなくちゃいけなくなったりすると、ちょっとそれってあなたの本当に望んでる人生とは違うんじゃ・・・?ってところがあるわけですしね。

「ことりっぷ」の爆発的な商業的成功は、やはり「女性の願い」と「オッサンの集合体の密度感」がちゃんと両立するようなコンテンツを、多くの人は求めているんだ・・・ということの証だと思いますしね。どちらかがどちらかを押し通してしまうようなものじゃなくてね。

最後に昔書いた記事でも引用した、”ベルサイユのばら”のオスカルのセリフをもう一度あなたに贈って終わります。

あまりにも静かに、あまりにも優しく、あなたが私のそばにいたものだから・・・。私は、その愛に気付かなかったのです・・・。

心優しく温かい男性こそが、真に男らしい頼るに足る男性なのだということに気付く時、大抵の女はもう既に年老いてしまっていると・・・



倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
・『話に行ける思想家』=倉本圭造と文通しませんか?コチラへ(←文中にも書きましたが、結構”意味あること”ができてる感じが凄くあるんで、あなたも良かったらどうぞ)


・ちょっと今回は異色なものになりましたが(”過去二回の記事”の延長はまた次の機会に続けます)、基本的にこういう「2つの世界の分断を超える日本ならではの可能性」といったテーマのブログを今後も書いて行こうと思っています。最近は私も忙しくなってしまって、そうしょっちゅうはアップできないので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。


思想・政治・外交レベルと経済・経営レベルを連動させつつ日本が「あたらしい文明」を提示することで世界の分断を解決するビジョンについては、断片的なブログ記事では限界がありますから、晶文社刊の『日本がアメリカに勝つ方法』をお読みいただければと思います。。


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