アメリカに長嶋茂雄的リーダーが生まれる日?

今年も世界最大(級)のスポーツイベント、スーパーボウル(米国のアメリカンフットボールプロリーグNFLの年間決勝戦)の時季がやって来ました。

 

この記事は、普段アメフトなんて全然興味ない人も、年にこの時季だけ「ニワカ」ファンになって一試合だけ見てみると、「アメリカの今」「時代の流れ」が凄くわかる体験になるよ・・・というオススメ記事です。去年からやってます。

 

特に、世界がどんどん複雑化していく中で昔ながらの「伝統的アメリカンヒーロー」が難しくなってきた時代に、ひょっとして「長嶋茂雄的リーダー」がアメリカで必要とされつつある流れってあるんじゃないか・・・というのが今年の記事のテーマです。

 アメリカの大統領選挙レースが色々と報じられている昨今ですが、アメリカというのは「アメリカ以外から見てもまるわかりな部分(ハリウッド映画とか大統領選挙とか、日本の場合メジャーリーグ・ベースボールとか)」がある反面、「アメリカの中」だけで物凄く熱狂してるのに他から見ると全然それがわからない分野もかなりあります。NFLはその代表的なものなんですね。

 

毎年年間最高率になるスーパーボウルのテレビ視聴率は大統領選挙の投票率と同じぐらいだし(ちょっと雑な数字の比較の仕方ですけど)、アメリカではこの日は誰も仕事しないとか言われるイベントなんですが、アメリカの外から見ると大統領選挙の印象とは全然違うレベルでしか存在感が感じられません。

 

また、NFLは「アメリカのガラパゴス文化」というだけでなく、スーパーボウルがサッカーのワールドカップやオリンピックと同等レベルの巨大イベントだということは、日本に住んでいると(というかアメリカ以外に住んでいると)ほとんど実感が湧きませんね。

 

しかし、例えばこのフォーブズが出しているスポーツイベントブランド価値ランキングによると、2015年版でも夏・冬オリンピックやFIFAワールドカップを超える5億8千万ドルで世界最大のスポーツイベントだということになっているらしい。

 

まあ正直こういうのは数字の作り方次第なので、特に「一つの試合を見てる人の数」で言うとサッカーワールドカップが圧勝なんですが、競技数が多い分「どれか一個でも見た人の延べ人数」ではオリンピックがおそらく一番で、「関連する経済効果」という観点で見ると、世界最大の経済であるアメリカで異常なほどの人気な分、まだスーパーボウルが1位だという風に言い張ることもまあ可能だという規模なわけですね。

 

例えば日本で紅白歌合戦を経年で見続けていると、色んな「公式的な情報」とは違うレベルで「世相の変化」というのがかなり感じられるんじゃないかと思います。

 

スーパーボウルは最近凋落気味の紅白歌合戦を超える「アメリカの一大イベント」なので、そこには「大統領選挙のような国際ニュースにもなる表の顔」の裏にある「今のアメリカ」を象徴するような何かが現れるんじゃないかと思って、毎年この時期だけニワカファンになってNFLを見てみよう・・・という試みを私はここ数年やっているわけです。

 

スーパーボウルの「今」を見ることから逆に大統領選挙の行方を眺めてみる・・・ということも面白いかもしれません。

 

日本時間でいうと2月8日月曜日の朝8時半からです。NHK-BSかCS放送(GAORAおよび日テレG+)、関東地方では録画ですが日本テレビでも見れます。平日の朝なので録画がオススメです。この記事を月曜朝の通勤電車の中で見つけてしまったアナタも、再放送がいくつかあるので今日帰ってからでも録画予約できることが多いでしょう。

 

どの放送も解説者が凄く丁寧に教えてくれるので、ほぼ予備知識なしで見ても試合時間中にだいたい理解できるようになります(NHKが一番初心者向けに解説してくれる印象です)。

 

昔ほどの唯一のスーパーパワーでなくなってきているアメリカですが、そういう「衰退期」だからこそアメリカについて深く知る必要があると私は考えています。

 

世界がアメリカ中心に安定して動いていた時は、それは空気のようなもので、別にたいしてこっちから知る努力をする必要はなかったとも言えます。

 

しかし世界が多極化に向かい、アメリカの影響力が減衰してきた中で、”それでも人類は世界戦争せずにいるにはどうしたらよいか”というのは、空気が薄くなって呼吸が苦しくなって始めて空気のことを私たちは考え始めるというような意味で、経済・政治・社会その他の色んな面でむしろ「空気」についてよく知り、深く考える重要度は上がってきているわけです。

 

過去にいくつかの著作で触れてきたように、 「アメリカ支配が終わる」ということは、「アメリカさんが爆撃してとりあえずの秩序を作ってくれていたから今まで安穏としていられた」人たち全員に「責任」が生まれるということです。

 

今まで「アメリカの悪いところ」を指摘すれば済んでいた全ての人が、「アメリカなしに戦争せずにいられるかどうか」についてリアリティを持って自分の責任で考えなくちゃいけない時代になってきている。

 

そういう意味で、「表の国際ニュース」に現れてこないような、アメリカ社会の「本能レベルの大きなうねり」について、多少興味を持ってみるといいんじゃないか・・・と私は考えています。

 

まあ、そんな大仰なことを考えなくても、巨大なカネがかかってるイベントというのは関わっている人間の「本当の必死さ」がほとばしるエンターテイメントに必ずなりますから、軽い気持ちで普段は見ないスポーツを見てみるのもいいかな・・・と思っていただければと思います。

 

細かいルールを予習しておきたい人は昨年の記事を参照いただくとして、今年の記事では前回も多少触れた「世界の多極化に対応したアメフトのプレースタイルの変化」についてより集中的に考えてみます。

 

名づけて、

「伝統的アメリカン・ヒーローの終焉」と、その先の新しいモデルとして、「長嶋茂雄的リーダーシップ」が生まれるつつあるかも?

といった話でしょうか。

 

今回の記事を一枚絵にまとめると以下のようになります。

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(画像はクリックで拡大します)

 

では本題に入りましょう。

 

アメフトって、クォーターバック(QB)ってのがいて、そいつが凄いエライんでしょう?・・・というイメージは、アメフトを全然知らない人も印象としては持っているかもしれません。

 

アメフトは時計が止まるスポーツで、野球のようにワンプレーワンプレーがシッカリ区切られて進んでいきますが、その「毎回」「必ず」QBがボールを受け取るところからスタートし、チーム全体の攻撃を仕切って敵陣にボールを進めて行くのがQBです。

 

これは、「なんとなくの役割」にすぎない「サッカーのいわゆる司令塔」とは別次元の、「チームスポーツでここまで大きな権限を与えられている役割ってあまりないんじゃないか」というぐらいのポジションなんですね。

 

昨年の記事でも多少触れたように、アメリカンフットボールの戦術はここ10年〜20年ほどで大きく変化してきています。それはこのクォーターバック(QB)のキャラクターが随分違ったものになってきているんですね。

 

昔のQBは、他のスポーツでは大相撲ぐらいでしか見ない巨体のラインマンたちの「肉の壁」に守られた陣地(ポケットという)の中にいて、そこから全体を見渡してパスを投げる・・・そういう「王様」のポジションでした。

 

ある意味で、「伝統的アメリカン・ヒーロー」の体現者だったわけですね。こういうQBを、「ポケットの中からパスを投げるQB」という意味で「ポケットパサーQB」と言います。

 

しかし、特にここ20年、世界がITで深く結びつき、グローバル化が進んで伝統的な権威の安定感が消えてきたことによって、「ポケットパサーQB」が難しくなって来ている。アメフトの戦術でいうと、守備側の選手が総力をあげて相手の「肉の壁」の中まで踏み込んできてQBにタックルして潰してしまう戦術(ブリッツという)が普及するに従って、ポケットの中で王様としてパスを出すだけのスタイルが難しくなってきているんですね。

 

代わりに台頭してきているのが、『モバイルQB』と呼ばれるスタイルです。これはQBもチャンスがあればどんどん走ってしまうというスタイル。ある意味で、「王様的な中心」だった伝統的QBに対して、「QBなんて数あるアメフトのポジションの一つだよね」ぐらいの自由さがあるんですね。

 

例外もありますが地域色的には、アメリカ内陸部や東海岸の伝統的なチームには「ポケットパサーQB」が多く、シリコンバレー近辺(サンフランシスコ)やシアトルなどの「IT系っぽい」西海岸には「モバイルQB」が多いです。また、これは体力的な問題もあるんでしょうが、モバイルQBには黒人が多い。

 

なんか、いかにも「現代世界の縮図だなあ」というような変化がここにはあるんですよ。

 

『伝統的な中心にみんなに盛り立てられたリーダーがいる静的なスタイル』

vs

『あまりに変化の激しい時代の中で、”中心”も揺れ動き続ける動的なスタイル』

の戦い・・・という感じでしょうか。

 

で、ここまでだと、ここ20年の「日の丸電機産業」がシリコンバレー企業にボコボコにされてしまったというような、身動きの遅い大企業が新発想のグローバルベンチャーに飲み込まれていくという「よくある話」に見えるんですが、ここ4−5年の動きは「それだけじゃない」ところが面白いんですね。

 

「古いものを新しいものが完全に飲み込んだ」ところまで行って、でもその後は「新しいものには古いものにあった価値がないことに気づいて」・・・「じゃあ新時代の新しい価値ってなんだろう?」という真剣な模索が始まった・・・という流れがあるんですよ。

 

もう少し端的にいうと、

「古いヒーロー」を壊してしまったのはいいが、壊したのは「新しいヒーロー」というより「ヒーロー不在のチーム」だった

「古いヒーローの抑圧がなくなった」のは良いことかもしれないが、「ヒーローが不在なこと」自体に人類は耐えられなくなって来ているんじゃないか?さて今後の展開やいかに?

というような状況なんですね。

 

 

順を追って見ていきましょう。

 

私がスーパーボウルを見始めたのは2013年の2月(つまり2012年シーズン)だったんですが、この年はまだ「伝統的ポケットパサーQB」が「モバイルQB」に勝ったんですよ。

 

でも、「風前のトモシビ」という言葉が実にピッタリくるような、「あと一歩で時代変わっちゃいそうだなあ」という「予感」を凄く感じさせる試合だったんですよね。

 

ボルチモアVSサンフランシスコ(=シリコンバレーのお膝元)で、前半でかなり大きくボルチモアが勝ち越したんですが、ハーフタイム直後に停電があって試合が中断して以降俄然サンフランシスコ側が有利になって、ギリギリまで追いついたんだけど、あと一歩届かなかったという試合だった。サンフランシスコのQBキャパニックは「物凄くモバイル」なQBで、QBなのにパス出さずに凄い長い距離走ってタッチダウン決めたりして。

 

最後には3点だけ及ばなかったものの、「伝統的な社会が固く守っている中心性」が、多極化し液状化する時代の流れの中で飲み込まれてしまって風前のトモシビみたいになっている印象・・・を個人的には受けました。

 

そして次の2014年(13年シーズン)は、NFL最高のQBの一人と言われるポケットパサーQBのペイトン・マニングが率いるデンバー・ブロンコスと、なんとまだ”デビュー2年目”の新人モバイルQBラッセル・ウィルソンが率いるシアトル・シーホークスの戦いで。(シアトルはご存知マイクロソフトやアマゾンがある西海岸のIT系のもう一つの聖地で、ジミヘンやニルヴァーナという徹底したロック・ミュージックの街でもあり、あと余談ですが任天堂USAもあるしスタバ発祥の地でもあるしイチロー選手が活躍していた街でもありますね)

 

ペイトン・マニングは、顔つきからして「ザ・アメリカンヒーロー」って感じです。とにかく熱い。昭和の日本でいうと『子供の頃からエースで四番』って世界で、チームを引っ張る俺サマ感が溢れている(画像の年齢は今年のものです)。

 

 

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「子供の頃からエースで四番」的ヒーローに対して日本の昭和のオヤジ族の思い入れが強いように、「ザ・アメリカンヒーロー」的なペイトン・マニングに対するアメリカ人の郷愁ってかなりのものがあるので(今でもインタビュー時間にはマニングの周りには凄い人だかりになってます)、この時も試合前はデンバー優勢と言ってる人がかなり多かった印象でした。あのマニング様が二年目の地味なペーペーに敗けたりするわけねーじゃん!って感じ。

 

・・・・が、フタを明けてみるとシアトルの圧勝で、前評判との余りの落差に「時代の変化」を凄く感じる試合だったんですね。

 

デンバー側先攻で試合開始した直後に、ミスで落球していきなり相手側に得点を取られてしまったりして(試合開始12秒での得点はスーパーボウル初らしい)。マニング本人のパフォーマンス単体を見ると”さすが!なプレイ”もあったんですが、チーム全体としてみたらもう最初から最後までいいところが全然なかったという感じだった。

 

シアトル側の、「誰が中心というわけではない」融通無碍で変幻自在の攻撃に対応できずに、何回か物凄い長い距離走られて次々と点を取られて負けた。

 

昔の大相撲で言う「貴乃花VS千代の富士」みたいな感じで、「時代が変わったなあ」という印象が凄くある試合だったんですよね。

 

で、ここまでだと、「古い大企業が小回りの聞くベンチャー企業に飲み込まれていく交代劇」みたいな感じなんですが、それで終わらないからのが「次の時代」を予感させる動きになっているんですよ。

 

問題は、この時「ザ・アメリカンヒーロー」のペイトン・マニングにデビュー二年目で圧勝してしまったシアトル・シーホークスのモバイルQB、ラッセル・ウィルソンさんのキャラクターです。

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去年の記事で、ニワカファンにすぎない私は「地味だ地味だ」「名前が覚えられない」と書いてしまっていますが、彼は今年のシーズンも「QBの個人成績数字」ではリーグトップとなっており、さすがにここまで天才的だと私も名前覚えました。(昨年はグーグル日本語変換で自動的に”中黒”が入らなかった彼の名前も、今やちゃんとラッセル・ウィルソンと予測変換されます)

 

しかしね、ペイトン・マニングが持っていた「みんな」をちゃんと引き受けてくれるヒーロー性は、あんまりない選手なんですよね。

 

後で触れるように、ペイトン・マニングは今年も勝ち上がってスーパーボウルに出るんですよ。今の時代あまりにモバイルQBが隆盛なので、伝統的ポケットパサーもたまには走るシーンが出てきてるんですが、スーパーボウル出場決定戦(2つあるリーグの決勝戦)で、マニングがほんのちょっと(12ヤード)走って「攻撃権更新」まで行ったシーンがあったんですよ。

 

この「たった12ヤードのラン」で、スタジアム全体が「うおおおおおおお!マニングが走ったぁああああ!」みたいな反応になるし、チームの若手選手も「おいおいオッサン大丈夫かぁ!?」みたいな顔で見つつめっちゃ奮起するみたいな感じになる。

 

今年は怪我もあって出られない試合もあったんですが、「個人成績の数字」で見ると見劣りする部分もあるが、やはりマニングが中心にいると周りの選手がイキイキしてきて最後に競り勝ってしまうみたいなところがあるんですよね。

 

その点、ラッセル・ウィルソン先生は、ある意味で凄い個人主義者なんですよね。

 

なんとなく、日本で野球全盛だった時期に突然現れて日本社会に新風(と混乱)を吹き込んだ中田ヒデ氏に似てるなーと私は思っています。

 

優秀すぎるほど優秀で、「走るのが得意」「パスするのが得意」だけではないような、「視野が広くて判断が的確で、自由に走り回りつつ突然超ロングパスにつなげるような能力」がある。「モバイル」であることが単に「QBも走りまわるから捕まえにくい」だけでなく、「自由な位置から自在なパスを出せる優秀さ」にも繋がっている天才性がある。

 

高校は有名な進学校出身で、大学時代は野球とフットボールのチームで両方活躍しながら、さらに学業の単位を三年で全部取っちゃったそうです。

 

だから、チームの状況が良い時にはその「才能」を思う存分発揮できるんですが、だんだんその「あまりに個人主義的な才能」に対してチームの仲間との折り合いが悪くなってきちゃったりすると難しくなる。

 

この記事によると、ラッセル・ウィルソンと折り合いが悪いと噂された黒人選手がチームから放出された時に、別の選手たちから「ラッセル・ウィルソンはチームの一員じゃなくてヘッドコーチやオーナーとヨロシクやってる奴」みたいな影の批判を受けたりして大変だったらしい。

 

この時の批判の言葉が「his teammates didn't think Wilson was black enough(ウィルソンは十分に黒人じゃねえ)」だったらしいのがまた色々と大変ですね。本人は「黒人じゃねえってなんだよ俺は黒人だよ!だいたい俺はみんなが思ってるように恵まれまくった人生を送ってきたわけじゃないし、家庭も金銭的に苦しかった時期だってあるんだぜ!」的に怒ってますが(でもこういうこと言えば言うほどスラム街出身の黒人選手とはあまりに世界が違う感じが出てきてまた嫌がられるんでしょうね)。

 

ただ、ウィルソン自身が今までの人生で、真面目に自分の責任を果たすことに集中して生きてきたのに、いざ「新人二年目でスーパーボウルを制した天才QB」として突然祭り上げられてしまうことで、色々ととまどっているような印象を、さっきのリンク先の記事を読んでいて思いました。

 

だいたい、教会でスピーチして「肉欲は死を意味するが、スピリチュアルな心は平安と命を意味する」とか聖書を引用するような真面目人間の彼が、リンク先のトップみたいなソファーにタンクトップで横たわるピンナップ写真を撮らされる役割になっちゃうところがね・・・

 

他にも、高校時代からの彼女と別れて有名ヒップホップ歌手とつきあいだしたり、トリマキと一緒に「健康に良い電解水」のサイドビジネスを始めたり、バスケや野球のセレブ選手とつるんでみたり・・・と、ちょっと自分を見失いそうになりながら必死に保ってる感が、「がんばれー!」という気持ちにさせられる記事でした。

 

ともあれ、この天才ラッセル・ウィルソンは昨年2015年(2014年シーズン)のスーパーボウルにも2年連続でチームを導いたんですが、だんだんチーム内の不和も出てきたりして、最後の最後に勝ち切れずに終わったんですよね。

 

ここで、この辺りの問題を経営コンサルタント風に(笑)二軸で整理したさっきのチャートを見てみましょう。

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「伝統的アメリカン・ヒーロー」マニングを倒した、「中田ヒデ的スター」ウィルソンは、才能はあるんだけどチームをまとめきれないところがあって、またチームだけでなく「スーパーボウル優勝QBに対するアメリカ社会全体の期待」という非常にやっかいな重荷も持て余し気味になってしまった。ここまでが(1→2)の流れ。

 

次の年のスーパーボウルでは、ウィルソンの前に立ちはだかったのは超イケメンQB、トム・ブレイディでした。

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彼は、マニングとは別の意味でのスターなんですよね。奥さんはスーパーモデルのジゼル・ブンチェン。本人も「世界で最も美しい50人」とやらに選ばれたことがあるそうです。

 

ブレイディはほとんど走らない典型的なポケットパサーQBで、でもマニングと並び称されるほどの成績を残してきたスターです。

 

チームはいかにも「東海岸のアメリカの伝統を守る地域」であるボストン近郊の「ニューイングランド・ペイトリオッツ」で、内陸部の保守性とは別の意味での「伝統的中心性」を守ろうとするムードがある中で活躍してきてるんですよね。

 

西海岸の「IT系にアナーキー」っぽい感じではなくて、むしろ「イギリスから最初にやってきた人たち直系!」的な、ハーバード!アイヴィーリーグ!ピルグリム・ファーザーズ!みたいなレガシーの中で、「超イケメンスター」として活躍してきた。

 

で、試合は物凄い接戦だったんですが、最後の最後のラスト数秒、ウィルソンがこのプレーを成功させたら逆転勝利・・・っていうところで、ウィルソンと実は仲悪いんじゃないかというチームメイトとの連携がうまくいかなかったから???というような理由で失敗してブレイディ側が勝ったんですよ。

 

あまりにあっけない幕切れを見ていて、やっぱ「何らかのヒーロー的な存在を、時代は求めてるのかなあ」なんてことを私は思いました。

 

この記事の最初で書いたように、「アメリカの一極支配が終わる」ということは、「アメリカざまあwwww」ではすまない話で、誰かが何らかのリードを引き受けないと果てしなく戦争にまっしぐらになってしまうんですよね。

 

その「空隙」を埋める一つの選択肢として、「スーパーモデルを妻とする」的なブランドで押し上げられたスターは、「マニング的なスター」とは別の意味で時代のまとめ役になる可能性を持っているのかもしれないと思った試合でした。

 

でも、その後も色々と「ペイトリオッツ側は自分たちに有利なようにボールの空気圧を操作していたんじゃないか疑惑」なんかが取りざたされたりして、この「ブレイディのギリギリの勝利」も、「最後まで残った中心性」を「液状化し多極化する時代」が飲み込んでしまう「ほんの一瞬手前」ぐらいの風前のトモシビ感を感じたのも事実です。

 

 

で、今年です。今年は、既にスーパーボウルの一つ前の試合(リーグ決勝戦)でマニングとブレイディの宿命の対決が実現したんですね。

 

さきほどもちょっと書きましたが、マニングが12ヤード走ってスタジアム全体が「うおおおおお!」ってなるプレイなどもあって、シーズン中の個人成績で言えばブレイディが圧倒していたんですが、デンバー側のディフェンス陣の気迫のプレーなどで押し切って勝ったというような試合だった。

 

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この図で、まず1→2と来て、そうなるとあまりにバラバラになりすぎるので2→3と動いてきて、今度はまたこの四象限の「右側」の時代が来つつある・・・・のかも?というような感じを受けた。

 

2015年は本当に世界中が混乱の度を深めてきた・・・という時代で、とりあえずバラすだけバラしてきた人類に、今度は「何らかの共有価値観」を打ち立てようとしないとほんとヤバイぜ・・・というような本能的なムーブメントがある感じがします。

 

その中で、むしろ再び上記の四象限の「右側」の存在を待望する空気が満ちてきているんじゃないかと。

 

しかし、マニング的な「古典的アメリカンヒーロー」は、その成立基盤の中に色んな意味で世界の末端で「抑圧しているもの」が不可避的に大量に存在してしまうので、これだけ多極化して突き上げられ続ける世界においてどうしても「活躍し続ける」ことは難しくもなってきているところがあるかもしれない。

 

そこで、登場するのが、今年の主役だと私は勝手に思っている、キャロライナ・パンサーズのキャム・ニュートンさんです。

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この人は・・・ほんと凄いです。「でっかいガキンチョ」と呼ばれているらしい。

 

カンファレンスプレーオフのベスト5プレイ動画のベスト1(1分50秒から)が彼なんですが、敵ディフェンスをトリャー!ってスーパーマンみたいに飛び越えてタッチダウンしたりしていて、「最近のQBは昔と違って結構走るんですね」とか言うレベルじゃない。

 

「でっかいガキンチョ」と呼ばれている動画がコレなんですが(英語ですけどほぼ言葉いらない状況なのでぜひ一度ご覧ください)、ほんとなんつーか、子供がそのまま大きくなったような感じで、でもこれはこれで「”みんな”を引き受けてチームを鼓舞する才能」には凄いなってるんですよね。

 

得点入れた後にいつもやるダンスが、「QBとしての威厳がない」とか批判したりするオールドアメフトファンもいたりするらしいんですが、私は彼の活躍の中に「長嶋茂雄的な引き受け方」を感じてかなり好きです。

 

ブレイディのニューイングランドvsマニングのデンバーは、ほんとラスト1秒まで決まらないギリギリの試合だったんですが、対するキャム・ニュートンがスーパーボウル出場を決めた試合はもう「圧倒的な圧勝」で、勢いに載ったらもう全然止まらないという感じです。

 

チームで記念撮影する時も、率先してみんなに変なポーズを一緒にやらせる感じ?

 

こういうのって、嫌いな人は大嫌いだと思うし、ラッセル・ウィルソン先生は一緒にいると相当相性悪いだろうな・・・という感じですが、今年はウィルソンのシアトルを早々に下してスーパーボウルに進出してきました。

 

さて、

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時代は1→2→3ときて、4はどっちへ行くのか?要チェックや!

 

ちょっとだけ余談ですが、キャム・ニュートンのいるキャロライナ・パンサーズのノースカロライナ州は、あのマイケル・ジョーダンとかなり縁の深い土地なんですよね。

 

彼は大学でノースカロライナ大学のスター選手で、シカゴ・ブルズ時代もユニフォームの下に大学の練習用ショーツを常に着てたとかいう話があり、今はノースカロライナのNBAチームのオーナーになってるんですよ。

 

なので、スーパーボウル出場決定試合で圧勝した時には、VIP席にマイケル・ジョーダンが来てる映像が何度か映されてました。

 

マイケル・ジョーダンとマイケル・ジャクソンが80sアメリカのヒーローとなったように、「黒人のカオス性からの突破力がアメリカの表社会と噛み合って新しい化学変化を起こしていくムーブメント」という意味で、キャム・ニュートンが新しいヒーローになるアメリカ・・・という可能性を、私は見てみたい感じがしています。

 

キャム・ニュートンは果てしなくフザケてるワルガキのようでいて、インタビューの発言とかが「意外に凄く良いやつ感」があって、彼なりの周囲への敬意も持ちようみたいなのも感じるところがあるんですよね。そういうところに「分断されまくっていく時代の新しい接着剤」の「予感」ぐらいを私は感じています。

 

 

さて最後に、ここまでの話から、大統領選の話に無理やり繋げてみましょう。

 

トランプ候補が強い、サンダース候補が強いといっても、さすがにアメリカの良識が最後の最後の最後の最後の最後の最後ぐらいには働いて、どっかで「現実的なことを言う候補」に落ち着くだろうと私は思っています。

 

ある意味で、「トランプとサンダースとヒラリー・クリントンのどれか選びなさい」とか言われたら、いやーうーん、まあ、クリントンにするしかなくない?という風になりますからね。

 

でも、「私は左翼だしクリントンの政策には賛成なんだけど、ぜんぜんカリスマを感じないし、二極化する状況をまとめてくれる力量も感じないし・・・」と論評してる女性の記事を最近読みました。

 

しかし、「まともなこと」を言おうと思ったら、「イスラム教徒をぶっ殺せ」とか「金持ちから税金取りまくれ」とか極論言ってる人よりもキャッチーにするなんてほぼ不可能なところがあります。

 

ある意味で、今よりもより「社会の公平性や再分配重視になる」こと自体は大事なことだと私は思っていますが、それを実現するにはある程度目配りに現実的バランスがある人じゃないと実現自体ができませんからね。

 

でも、そういう「中庸の徳」をちゃんと実践しようとすると、「言ってることの内容」は「イスラム教徒をぶっ殺せ」よりも「地味」になっちゃうのは仕方ない。

 

じゃあどこまでも二極化してお互いの極論を罵り合っているうちにズルズルと混乱だけが増していく社会でいいのか?という「アメリカ支配の終わりに人類全員が突きつけられている課題」がある。

 

そこで、ある意味で「長嶋茂雄的」リーダーシップっていいんじゃないかなーと私は思っているわけです。大統領に過剰に「カリスマ」を求めると、無意味な極論ばっかり横行してしまうから、「みんなを引き受ける役割」は別のところに生まれてくるといいよね・・・という役割分担の時代ってのが来るのかなと。

 

「ちゃんと真面目な議論」をして粛々と実行する機能は別に置いておいて、一方で「みんな」をちゃんとレペゼンしてくれる存在はちゃんといるというような状況がね。

 

ある程度そういう風に「みんな」ってのをどう扱うのかについて真剣に考えないと、「有能な個人主義者」の足を引っ張りまくるだけで誰も幸せにならない閉塞感を生きることになってしまう時代に来てますからね

 

「みんな」のことを考えるとか言うとほんと個人主義者的には「凄く嫌ぁなこと」を言い出してるような感じもするんですが、しかし真面目人間のウィルソンさんが非常に居心地の悪そうな生き方をしているところを見ても、実は「誰かが”みんな”を引き受けてくれる環境」の中で「有能な才能を持つ個人」が活躍できる状況になった方が、「有能な個人主義者」としても気楽になるはずなんですよね。

 

そういう意味で、私は、オールドNFLファンに顰蹙を買いまくってるキャム・ニュートンのチームに、時代的な「期待」を感じているというわけです。

 

そして、「相手側を包摂する努力なしに徹底して極論化してしまう」存在、ある種「個だけで突出して理屈的な合理性を真空空間に実現してしまう」ようなプレイスタイルが圧倒的優位性を持った時代は終わりに近づきつつあるようです。

 

だからといってグダグダに何も決められない社会になったら最悪ですが、「みんな」の重みから逃げずに毎日生きている日本人が、「敵」側にいるあの人たちをも包摂しようと必死の動きをしはじめる時、日本の可能性は大きいと私は考えています。

 

そういうメッセージにご興味をお持ちの方は、「21世紀の薩長同盟を結べ」および「日本がアメリカに勝つ方法」をお読みいただければと思っています!

 

 

それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造

経済思想家・経営コンサルタント
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