『はい論破!黙れ愚民ども!』・・・で終わっていいのか?
英国のEU離脱に関する今朝書いたブログに引用した谷本真由美さんの記事について、色々と事実誤認が含まれているという批判が起きているらしい・・・と教えてくれた人がいて、色々読むと代表的なソース(少なくとも日本のネット界隈での)はこれまたイギリス在住のこのブログの方らしい。
クローデン葉子さんのブログ 「Brexit というパンドラの箱」
これをさっき読んで、今朝ちょっと深く確認せずに引用したのは謝罪したい気持ちでいるんですが、しかし問題はそこじゃないんじゃないか?という強い疑念もあるので、そのことについて話します。
題して、「はい論破!黙れ愚民ども!」で終わりでいいのか?という話。
・
とりあえずクローデン葉子さんのブログから該当部分を引用すると、
めいろまさんの「イギリスがEU離脱した理由」がわかりやすいと大拡散されていて驚いた。 内容はいつものめいろま節だけど、「離脱に投票した一般人はポピュリストの情報操作によって、記事の内容を信じこまされている」というポイントが完全に欠けている。 この記事を読んで「そりゃあ、これだと移民は嫌だと言うイギリス人の気持ちがわかる」というコメントが溢れていて仰天した、この「説明のわかりやすさ」が元凶だと言うのに。
子どもの人数が増えたので学校に入れない子が出てきた、病院の救急病棟の待ち時間が4時間、不動産が値上がりして一般サラリーマンが普通に家が買えない、EUの押し付ける法律がバカらしい・・・これらはこの国が抱える問題としては全て事実である。 ところが、問題の元凶が移民にある、というのはこれを政治利用したい保守党一部と右派である独立党(UKIP)のレトリックである。
という感じで、どういうところが事実と違うか・・・はリンク先を詳しくは読んでいただくとして、要するに、「学校や病院がパンクその他」は移民以外にも色んな原因があるんだけど、それを全部「移民のせいだ」と炊きつけた独立党のレトリックに老若問わず低学歴層がひっかかったのが問題だ・・・ということらしい。
ただこれ、例えば「移民が多い地域は残留派が多かったが、移民が少ない地域が離脱派が多かった。これは移民そのものが問題なんじゃなくて移民への恐怖を煽った結果だ」という議論、ひょっとして「移民が大量に来れるほどのキャパがあるような地域」は寛容にもなれるが、「少数しか移民が来てない(=少ないキャパに限界まで移民が来てる?)」では本当にシャレになってない現実があるという問題なんじゃないかと私は思ってしまいます。
ロンドンにいてサバけた大都市の文化で生きていてマンションの隣の人ともそこそこの距離感で付き合える地域では、いくら移民が沢山来ても(しかも高い家賃のロンドンに住んでる移民なら付き合いやすい人だろうし)そりゃ「多文化共生って素晴らしいよね!」ってなれるだろうけれども、人間関係の密度が濃い田舎で、しかもその中でも移民の受け入れ数が”実数としては少なくなるような地域”において、おそらく農業などの単純労働に従事するためにやってきた移民がまとまって集住し、公立小学校で全然コミュニケーションが取れないことになるというようなストレスは、「多文化共生って素晴らしいよね」というレベルでは測れないものなのかもしれない。(その辺、今朝の私のブログでもう一人引用させていただいた伏見香名子さんの記事に出てきた地方出身の有名大学生の話にも通じるところがありますよね)
要するに、相当恵まれたロンドン人の目線で、「田舎で本当に困ってる人」を断罪してる要素があるのやも・・・という感じもほのかにするんですが、まあこの辺は、イギリスの土地勘全然ないので、ガーディアンの元記事読んでもよくわからなかったのであえて深くは扱いません。
私がここで言いたいのはそこじゃないんですよね。たとえクローデン葉子さんの主張が全部正しいとして、その上で、問題はそこじゃないんじゃないか?って思うわけですよ。
これは、日本のネット界隈の議論に参加して、クローデン葉子さんの記事に「そうだそうだ!」と思って、こういうことを理解しない愚民どもはほんと嫌だよねえ・・・って感じでため息をついて語り合ってるあなたにもぜひ聞いて欲しいんですが、ここで「はい論破!」で終わりになっていいんでしょうか?ってことなんですよ。
これを、「本質的な問題」と「現実的な問題」の二点から考えてみたいんですが。
●まず「現実的な問題」の方からね。
クローデン葉子さんの記事は正論かもしれないが、そこに現実的(・実利的)問題があるのは、実際問題として、「自分たちのほうが正しい!」ということがわかったとしても、むしろそういう態度・そういう議論の仕方で向かえば向かうほど反感が募って、「もっとこいつら困らせてやろう」ぐらいに、「離脱派」の人たちは思うんじゃないかという感じがするところなんですよね。
「現実問題」として大事なのは「彼らが何を望んでいて、彼らに刺さるメッセージ(で、かつ主流派の国際的感覚として受け入れ可能なライン)はなんだろう?ということを考えることなはず・・・ですよね?
今回のショックがあってから、イギリスの主要メディア(たいてい”良識派”の日本人がリツイートしたりシェアしたりしたのを読んでるのでバイアスかかってるかもですが)が伝えてる内容は、色んな結果を分析して「いかに俺たちは正しくてあいつらは間違ってるのにズルをされて選挙に負けた」という趣旨のものが妙に多くて、「そんなの分析しなくても大枠では元々わかってることだろ(笑)」と思うと同時に「そんなことばっかしてたら余計にもっとイジワルされちゃうぜ?」という気持ちになります。
前回の私の記事の趣旨は、
1 現代の国際的な社会運営のスタンダードは、ある種の怨念を貯めこむ層を常に生み出してしまう構造を持っていて、で、それに無配慮なままだとどこかで暴発するので、このままだとサステナブルでない。
2 そして貯めこまれた怨念が「暴発」する時に、イスラム原理主義者のテロであるよりは、ブレグジット運動の参加者のほうがまだ「かなり話ができる相手」なので、そこで「怨念の塊たちのうちで比較的対話可能な部類の人たち」と対話することを、人類は「EUとイギリス政府の交渉」という仕組みを通じて一歩ずつ覚えていくことが必要な状況に追い込まれる。
3 そのことをポジティブに捉えよう。それで、極論の罵り合いが続く現状から人類を一歩先に進化させよう・・・だいたいこれこそ本当の「異文化コミュニケーション」ってやつじゃないの?
ってことなんですよね。
まあしかし、よく「ショックの受容の五段階」というのがあって、
ショック期→否認期→混乱期→解決への努力期→受容期
と人間はショックを立ち直っていくそうですが、今英国の主要メディアがこういう論調なのは、ちょうど「否定期」にいるということなのかもしれません。
いずれ、「あいつらは間違ってる。頭わるい。現実がわかってない。はい論破!おしまい!」・・・・だと思ってたところが「おしまい」じゃなくて、まさに「その相手」を説得したりコミュニケーションしたりすることが今後必要になってくるという現実が否定しきれなくなることで、いずれ「混乱期」を経て「解決への努力期」へと繋がるんだと思っています。
だから、まあ「愚民どもめぇ!!!クソーーー!!!ワナワナ」っていうのが一巡したら「あ、自分たちは”この人達”にわかってもらわないといけないんだ」という厳然たる事実に繋がると思うので、そこから先は
・そんな面倒なことはせずに自分は生きる。イギリスが居心地悪くなれば移住すればいいだけ。
という選択肢もまあアリだとは思います。一方で、ここで
・「ちゃんとコミュニケーションするぞ!しかもやるからには奴らを騙くらかして従わせればイイっていうようなのじゃない本質的に誠実なコミュニケーションってのがあるはずだ!それを模索するぞ!」
という人も一定数いてもらわないと困るし、いないとほんとただただ混乱の中でイギリスは沈んでいきますよね。前回のブログで私は「チャンスにもなりえる」と書きましたけど、そりゃスペイン無敵艦隊やらナポレオン軍やらが攻めてきてるようなピンチを"England expects that every man will do his duty"的な奇跡の一撃で脱出できたら国運隆盛のキッカケになるぜ・・・というレベルの話なので、グズグズおたがいのせいにして罵り合ってるだけなら目も当てられない不幸が来る可能性はそりゃ高いです。
だからこそ、「考え方が根本から違う離脱派の人たち」と本当に向き合ったコミュニケーションをするぞ・・・・と思った人のための、「本質的な問題」について次は考えたい。
●いざ「本質的な問題」の方へ。
ちょっとだけ最近は照れてきちゃってあんまりやってない自己紹介をすると、私は学卒でアメリカ系のコンサルティング会社に学卒で就職した後、色々あって「日本社会の集団的な強みのコア」と「外資系コンサル風の割り切り」との間があまりにも矛盾が大きくて、その狭間でノイローゼみたいになっちゃったので、「この問題ほっておくと10年後には世界中で巨大な課題になってるなー」と思い、両者をなんとかシナジーする(シナジーまでいかなくてもうまく共存する)方向について模索を始めるみたいなことをやったんですよね。
そのプロセスの中では、その「社会的にキレイな形」の外側にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラをどうぞ。)
だから、クローデン葉子さんのブログで言うと「離脱派の低学歴のthe economistも読まないワーキングクラスの人たち」の中にまで入って一緒に働いたりしてみて、彼らを構成している論理がどういう風にできあがってるのかとか、それはそれとして認めながら、国際的にスタンダードでポリティカリーコレクトな動きと共存させるにはどうしたらいいんだろうか?とか色々考えたり、小さい会社のコンサルしながら実験してみたり・・・とかやりながらここ10数年生きてるんですけど。
繰り返すようですが勿論ここで、「彼らの論理なんか知ったことか」という方向で、「あくまで現実主義的に」取り組むのもアリだとは思うんですよ。さっき書いたような、
「彼らが何を望んでいて、彼らに刺さるメッセージ(で、かつ主流派の国際的感覚として受け入れ可能なライン)はなんだろう?という課題」
について、純粋にマーケティング的にというか、愚民どもに一日もう一本清涼飲料水を飲ませるにはどういうタイミングでどういう訴求をすればいいか・・・みたいな方法論で向かってもそれは社会運営上否定されるべきことではないし、ぶっちゃけそっちのほうがうまく行くこともあるかもしれない(笑)
しかし、理想主義的・本質的には、「離脱派の人たちが本当に大事にしたいと思っていることや、その社会構成上の効用」みたいなものを理解してあげられたら、そこから有効なコミュニケーションの第一歩が始まるはず・・・という風にも考えられますよね。
彼らがどういうことを大事にしたいと思っていて、だからああいう行動を取るのかを、「裁きにかかる」前に彼らの視点から理解できたら一番良い。繰り返すようですが、その後がっぷり四つに彼らと関わるか、それともそうしないで自分は遠くで自由に生きるか・・・はその後の選択でも遅くないはず。
今書いてる本の図で、ブログでも一回紹介したことがあるのがこの「メタ正義トライアングルなんですが。
カンのいい人ならあまり説明不要な図だと思うので、詳しい説明は以前引用したブログを読んでいただくとして、ここでの問題は、
「なぜ離脱派がここまで盛り上がっているのか、その本質的な意義はなんだろうか」
と考えてみることです。ここで「彼らが経済的に負け犬だから恨んでいるのでそのガス抜きになっているんだ」みたいな感じで見るんじゃなくて、「現行の主流派の運営するシステムが人間存在の本質として取りこぼしているものがあるので、マクロに見た時の連環として彼らはそれを知らせてくれているんだ」的に好意的に解釈することが重要だと私は考えています。
で、その先で「彼らの本質的な価値(”彼ら自身が言っていること”ではない)を自分たちのやり方で代替してやれることができれば、彼らが暴れられる「人間の潜在無意識レベルでの正統性」みたいなのがネコソギにできるので、「あいつらムカつく!消してやりたい!」という攻撃性と、「あ、わかりあえたかもしれない」という気持ちが、両方同時に解消されるコミュニケーションの形がありえるだろうと考えています。
・
で、じゃあ「彼らの存在意義」て何なんだろう?ということを考えると、まあこれは深淵すぎるテーマなので扱いやすい話だけちょこっと書いておわりますが・・・(興味のあるあなたは、このブログ末尾にある私の暑苦しい著書なんかを読んで下さい)。
例えば社会というのは法律を書いて発布したらそれでハイ実現!というわけじゃなくて、その価値観を支えている無数の人たちによって成立しているんだという事情について「理解」が及ぶことじゃないかという気がします。
「居づらくなったら出てっちゃえばいいや」という人と、「そのモノに対する骨絡みの深い愛情と責任」がある人とでは、やはり目配りの範囲が違ってくるというか、厚みが違ってくるというか。前者だけの人間しかいない都市って、ほんと世界最先端レベルで凄い資本が唸ってる時はちゃんと運営できるけど、流れのちょっとした変化でスポットライトからちょっとでも外れると誰もそこに愛着を持ってないから一気にスラム化したりするんですよね。
また、ロンドンがオープンで外人に優しくてスマートな都市であるということは、「地方のワーキングクラスの兄ちゃんたちも全員含めたイギリス人が培ってきた文化の総体」が可能にしてるんだというような発想も大事だと思います。
「意識高い系の文化」が嫉妬で潰されるのは人間の本能レベルの摂理みたいなところがある中で、それが潰されずにロンドンに培われてきたのは、その「中心が生まれると辺境が結果として生まれる」ような構造の中で「辺境役」を引き受けてくれる人たちの自意識の納得のメカニズムがあってこそなんですよ。
「光が影を産む」ように「影役」を引き受けてくれる人が必要で、その相対的な連環によって、「一見さんの外人が凄くオープンな空気が吸えるロンドンの雰囲気」も何百年かけて培われてきているところがある。
そういうところで、今回の件で色々怒っておられる谷本真由美さんの旦那さんは確か古来からの英国人で、一方クローデンさん夫妻は両人とも英国とは関係ないが、ロンドンが魅力的だから住んでいる(魅力的だと感じる限りはここに住むがいずれ合わなくなったら移動しようと思ってるとむしろ宣言されているぐらいで)・・・という価値観なところに、この問題に対する態度のギャップがあるのかもしれません。その生き方を否定するわけではないですが、そうじゃない生き方もあって、そういう人たちで支えられているその地域のベースってのもあるんだという「理解」はあってもいいかも。
多分化共生にしたって、やっぱりもともと住んでる人が大事にしたい風習なんかにある程度後続は敬意が払えるのが前提・・・という価値観は、今後「適切な範囲で」広がるべきだと私は思います。なんせ、移民にはいつまでも故郷があるけど、英国人には故郷は英国しかないわけですからね。
そういうの全部ぶっ壊したい人と過剰に復古主義的な人は、正直鏡の中の自分を罵り合っているようにしか私には見えません。
そういう「伝統」の、どこまでが個人の内面や移民集団への不必要な抑圧で、どこまでが適切な伝統遵守なのか・・・は、それこそ日々の生活の中で真剣に微調整が繰り返される中で見出されていくべき課題であろうと思います。デジタルにゼロイチに決められるようなものじゃなくて、むしろそこを微細に微細に選り分けることこそが今最も必要なプロセスだと私は考えます。
このような、ロンドンの自由な空気は、フーリガンみたいな人たちも含めた彼の国全体の歴史が時間をかけて作ってきてくれたものなんだ・・・という感覚が多少なりともあれば、ナイーヴなことを言うようですがその感覚は態度で伝わるので、「異文化コミュニケーション」もスムーズになるでしょう。
・
で、翻ってこれ日本の話でも同じなんですよね。
私がいろんなブラック企業で働いてた時、仕事自体は結構「ツライという意味でブラックなだけじゃなくて、ちょっと詐欺的なんじゃないの?とかそういう意味でもブラック」な職場も結構あったんですが、それでも彼らの勤労精神というか、「こういうことはやっちゃいけない的な倫理」とかはかなりレベル高いんですよね。日本の「職場」ってものの強さの源泉を凄い感じるものがあった。他の国だったらこの人達絶対スラムでギャングになってるだろ・・・って感じでも、最低限の「日本人ならこれぐらいはね」っていう基準は強固に守られている。(本当にがっぷり四つに関わっていたのはなんせ10年以上前のことなんで今は随分根腐れが進んでいるかもしれませんが)
日本人ならそういう価値は当然未来永劫簡単に手に入る・・・というのは幻想だと私は感じています。実際には、広く薄ーく破れる寸前になってしまった「義理の連鎖」がまだ切れずに残っているから、ギリギリ維持されているメカニズムがそこにはある。
それがあるから、夜道を歩いてもまあ安全・・・というレベルで日々暮らしていけたりするんですよ。その「義理の連鎖のやせ我慢」が、「屋根」になってて雨を防いでくれている。だから感謝しろとかひれ伏せとか言う話じゃないんですが、「そういうのがあるんだ」と理解してるかどうかが、長年着々とどうしようもない恨みが溜まっていっていずれ暴発してしまうかどうかの分かれ目だと私は考えます。
私が安倍政権に好意的なのは、彼ら(ブラック企業のヤンキー社員もギリギリ保っている日本人としての義理の連鎖みたいなもの)が守っている価値が誰にもメンテされずにほうっておかれすぎてきたらからこそ、”あくまでその当然の結果として”過剰な右傾化につながっているという問題意識があるからなんですよ。
安倍氏の支持者の中に、国際的に最先端なポリティカリー・コレクトの視点から裁きにかかると「明らかに頭オカシイ」ように見える人たちも含まれてるのは確かなんでしょう。私もちょっとビビる時があります。(安倍政権のライトな支持者もその8割ぐらいが全員ビビるようなこと言ってる人も実際にはいるでしょう 笑)
しかしそこで「ハイ論破!あいつらは愚民!」で終わると、なんで安倍一強時代と呼ばれるほど今支持されてるの?ってことから目を背けることになりますよね。
彼らが、現代社会の中で彼らが何を思ってそんなことをやってるのか?について考えることが、本当の「異文化コミュニケーション」だし、21世紀のあるべき「左翼性」じゃないかと私は真剣に考えています。
なんか、今のところまた次の選挙も自公が勝ちそうな予測が出てるそうですが、もし本当に安倍政権を倒したいあなたがいるなら、大事なのは「はい論破!」ではないんじゃないかという私のメッセージが、ぜひ伝わっていただければと思います。
「彼らが本質的に守っているもの」を、国際的良心派もOKなルートで代理実現できれば、日本国民の多くは別に「過剰な右傾化」自体をしたがってるわけじゃないというか、安倍政権のそこの部分はむしろ「オマケ扱い」というか、ちょっとやりすぎと感じている支持者も多いと思いますよ。
なんだかんだいって安倍氏の支持率が高いことを、マスコミへの抑圧が原因とか、色々と選挙の時に大衆扇動的に経済の話でごまかしてるとか、まあそういう批判自体はだいたい正しいと思うんですが、結局向き合うべき課題が違うんじゃないか?という問題意識を私はこの十数年ずっと持っています。
その答を、この記事中の「メタ正義トライアングル」から発見していただければなあと思う次第です。
・
それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。
また、こういう話について私はずっと本を書いてるんですが、いつ出るんだ的新作が出るまでは過去作品をお楽しみいただければと思っています。
今回のブログで書いた「現実と理屈のすり合わせ」を社会的に大規模に起こすシステムの整備が、「個々の論点における極論のぶつけあい」よりも重要だ・・・というのを幕末の薩長同盟に例えて書いた「21世紀の薩長同盟を結べ」はデビュー作的に気負ってしまった暑苦しい文体が苦手でない方には好評です。その他、アマゾンのサブカテゴリで1位になった「日本がアメリカに勝つ方法」は、その「理論と現実のすり合わせ専門職」を強みとして活かすことで日本がアメリカに勝てる道が開けるという本。上記二冊のように暑苦しい文体が苦手な方は、女性読者に一番好評な三冊目「アメリカの時代の終焉に生まれ変わる日本」をどうぞ。
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト・ツイッター
(当記事の絵や図は、ネットでの再利用自由です。議論のネタにしていただければと思います)
クローデン葉子さんのブログ 「Brexit というパンドラの箱」
これをさっき読んで、今朝ちょっと深く確認せずに引用したのは謝罪したい気持ちでいるんですが、しかし問題はそこじゃないんじゃないか?という強い疑念もあるので、そのことについて話します。
題して、「はい論破!黙れ愚民ども!」で終わりでいいのか?という話。
・
とりあえずクローデン葉子さんのブログから該当部分を引用すると、
めいろまさんの「イギリスがEU離脱した理由」がわかりやすいと大拡散されていて驚いた。 内容はいつものめいろま節だけど、「離脱に投票した一般人はポピュリストの情報操作によって、記事の内容を信じこまされている」というポイントが完全に欠けている。 この記事を読んで「そりゃあ、これだと移民は嫌だと言うイギリス人の気持ちがわかる」というコメントが溢れていて仰天した、この「説明のわかりやすさ」が元凶だと言うのに。
子どもの人数が増えたので学校に入れない子が出てきた、病院の救急病棟の待ち時間が4時間、不動産が値上がりして一般サラリーマンが普通に家が買えない、EUの押し付ける法律がバカらしい・・・これらはこの国が抱える問題としては全て事実である。 ところが、問題の元凶が移民にある、というのはこれを政治利用したい保守党一部と右派である独立党(UKIP)のレトリックである。
という感じで、どういうところが事実と違うか・・・はリンク先を詳しくは読んでいただくとして、要するに、「学校や病院がパンクその他」は移民以外にも色んな原因があるんだけど、それを全部「移民のせいだ」と炊きつけた独立党のレトリックに老若問わず低学歴層がひっかかったのが問題だ・・・ということらしい。
ただこれ、例えば「移民が多い地域は残留派が多かったが、移民が少ない地域が離脱派が多かった。これは移民そのものが問題なんじゃなくて移民への恐怖を煽った結果だ」という議論、ひょっとして「移民が大量に来れるほどのキャパがあるような地域」は寛容にもなれるが、「少数しか移民が来てない(=少ないキャパに限界まで移民が来てる?)」では本当にシャレになってない現実があるという問題なんじゃないかと私は思ってしまいます。
ロンドンにいてサバけた大都市の文化で生きていてマンションの隣の人ともそこそこの距離感で付き合える地域では、いくら移民が沢山来ても(しかも高い家賃のロンドンに住んでる移民なら付き合いやすい人だろうし)そりゃ「多文化共生って素晴らしいよね!」ってなれるだろうけれども、人間関係の密度が濃い田舎で、しかもその中でも移民の受け入れ数が”実数としては少なくなるような地域”において、おそらく農業などの単純労働に従事するためにやってきた移民がまとまって集住し、公立小学校で全然コミュニケーションが取れないことになるというようなストレスは、「多文化共生って素晴らしいよね」というレベルでは測れないものなのかもしれない。(その辺、今朝の私のブログでもう一人引用させていただいた伏見香名子さんの記事に出てきた地方出身の有名大学生の話にも通じるところがありますよね)
要するに、相当恵まれたロンドン人の目線で、「田舎で本当に困ってる人」を断罪してる要素があるのやも・・・という感じもほのかにするんですが、まあこの辺は、イギリスの土地勘全然ないので、ガーディアンの元記事読んでもよくわからなかったのであえて深くは扱いません。
私がここで言いたいのはそこじゃないんですよね。たとえクローデン葉子さんの主張が全部正しいとして、その上で、問題はそこじゃないんじゃないか?って思うわけですよ。
これは、日本のネット界隈の議論に参加して、クローデン葉子さんの記事に「そうだそうだ!」と思って、こういうことを理解しない愚民どもはほんと嫌だよねえ・・・って感じでため息をついて語り合ってるあなたにもぜひ聞いて欲しいんですが、ここで「はい論破!」で終わりになっていいんでしょうか?ってことなんですよ。
これを、「本質的な問題」と「現実的な問題」の二点から考えてみたいんですが。
●まず「現実的な問題」の方からね。
クローデン葉子さんの記事は正論かもしれないが、そこに現実的(・実利的)問題があるのは、実際問題として、「自分たちのほうが正しい!」ということがわかったとしても、むしろそういう態度・そういう議論の仕方で向かえば向かうほど反感が募って、「もっとこいつら困らせてやろう」ぐらいに、「離脱派」の人たちは思うんじゃないかという感じがするところなんですよね。
「現実問題」として大事なのは「彼らが何を望んでいて、彼らに刺さるメッセージ(で、かつ主流派の国際的感覚として受け入れ可能なライン)はなんだろう?ということを考えることなはず・・・ですよね?
今回のショックがあってから、イギリスの主要メディア(たいてい”良識派”の日本人がリツイートしたりシェアしたりしたのを読んでるのでバイアスかかってるかもですが)が伝えてる内容は、色んな結果を分析して「いかに俺たちは正しくてあいつらは間違ってるのにズルをされて選挙に負けた」という趣旨のものが妙に多くて、「そんなの分析しなくても大枠では元々わかってることだろ(笑)」と思うと同時に「そんなことばっかしてたら余計にもっとイジワルされちゃうぜ?」という気持ちになります。
前回の私の記事の趣旨は、
1 現代の国際的な社会運営のスタンダードは、ある種の怨念を貯めこむ層を常に生み出してしまう構造を持っていて、で、それに無配慮なままだとどこかで暴発するので、このままだとサステナブルでない。
2 そして貯めこまれた怨念が「暴発」する時に、イスラム原理主義者のテロであるよりは、ブレグジット運動の参加者のほうがまだ「かなり話ができる相手」なので、そこで「怨念の塊たちのうちで比較的対話可能な部類の人たち」と対話することを、人類は「EUとイギリス政府の交渉」という仕組みを通じて一歩ずつ覚えていくことが必要な状況に追い込まれる。
3 そのことをポジティブに捉えよう。それで、極論の罵り合いが続く現状から人類を一歩先に進化させよう・・・だいたいこれこそ本当の「異文化コミュニケーション」ってやつじゃないの?
ってことなんですよね。
まあしかし、よく「ショックの受容の五段階」というのがあって、
ショック期→否認期→混乱期→解決への努力期→受容期
と人間はショックを立ち直っていくそうですが、今英国の主要メディアがこういう論調なのは、ちょうど「否定期」にいるということなのかもしれません。
いずれ、「あいつらは間違ってる。頭わるい。現実がわかってない。はい論破!おしまい!」・・・・だと思ってたところが「おしまい」じゃなくて、まさに「その相手」を説得したりコミュニケーションしたりすることが今後必要になってくるという現実が否定しきれなくなることで、いずれ「混乱期」を経て「解決への努力期」へと繋がるんだと思っています。
だから、まあ「愚民どもめぇ!!!クソーーー!!!ワナワナ」っていうのが一巡したら「あ、自分たちは”この人達”にわかってもらわないといけないんだ」という厳然たる事実に繋がると思うので、そこから先は
・そんな面倒なことはせずに自分は生きる。イギリスが居心地悪くなれば移住すればいいだけ。
という選択肢もまあアリだとは思います。一方で、ここで
・「ちゃんとコミュニケーションするぞ!しかもやるからには奴らを騙くらかして従わせればイイっていうようなのじゃない本質的に誠実なコミュニケーションってのがあるはずだ!それを模索するぞ!」
という人も一定数いてもらわないと困るし、いないとほんとただただ混乱の中でイギリスは沈んでいきますよね。前回のブログで私は「チャンスにもなりえる」と書きましたけど、そりゃスペイン無敵艦隊やらナポレオン軍やらが攻めてきてるようなピンチを"England expects that every man will do his duty"的な奇跡の一撃で脱出できたら国運隆盛のキッカケになるぜ・・・というレベルの話なので、グズグズおたがいのせいにして罵り合ってるだけなら目も当てられない不幸が来る可能性はそりゃ高いです。
だからこそ、「考え方が根本から違う離脱派の人たち」と本当に向き合ったコミュニケーションをするぞ・・・・と思った人のための、「本質的な問題」について次は考えたい。
●いざ「本質的な問題」の方へ。
ちょっとだけ最近は照れてきちゃってあんまりやってない自己紹介をすると、私は学卒でアメリカ系のコンサルティング会社に学卒で就職した後、色々あって「日本社会の集団的な強みのコア」と「外資系コンサル風の割り切り」との間があまりにも矛盾が大きくて、その狭間でノイローゼみたいになっちゃったので、「この問題ほっておくと10年後には世界中で巨大な課題になってるなー」と思い、両者をなんとかシナジーする(シナジーまでいかなくてもうまく共存する)方向について模索を始めるみたいなことをやったんですよね。
そのプロセスの中では、その「社会的にキレイな形」の外側にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラをどうぞ。)
だから、クローデン葉子さんのブログで言うと「離脱派の低学歴のthe economistも読まないワーキングクラスの人たち」の中にまで入って一緒に働いたりしてみて、彼らを構成している論理がどういう風にできあがってるのかとか、それはそれとして認めながら、国際的にスタンダードでポリティカリーコレクトな動きと共存させるにはどうしたらいいんだろうか?とか色々考えたり、小さい会社のコンサルしながら実験してみたり・・・とかやりながらここ10数年生きてるんですけど。
繰り返すようですが勿論ここで、「彼らの論理なんか知ったことか」という方向で、「あくまで現実主義的に」取り組むのもアリだとは思うんですよ。さっき書いたような、
「彼らが何を望んでいて、彼らに刺さるメッセージ(で、かつ主流派の国際的感覚として受け入れ可能なライン)はなんだろう?という課題」
について、純粋にマーケティング的にというか、愚民どもに一日もう一本清涼飲料水を飲ませるにはどういうタイミングでどういう訴求をすればいいか・・・みたいな方法論で向かってもそれは社会運営上否定されるべきことではないし、ぶっちゃけそっちのほうがうまく行くこともあるかもしれない(笑)
しかし、理想主義的・本質的には、「離脱派の人たちが本当に大事にしたいと思っていることや、その社会構成上の効用」みたいなものを理解してあげられたら、そこから有効なコミュニケーションの第一歩が始まるはず・・・という風にも考えられますよね。
彼らがどういうことを大事にしたいと思っていて、だからああいう行動を取るのかを、「裁きにかかる」前に彼らの視点から理解できたら一番良い。繰り返すようですが、その後がっぷり四つに彼らと関わるか、それともそうしないで自分は遠くで自由に生きるか・・・はその後の選択でも遅くないはず。
今書いてる本の図で、ブログでも一回紹介したことがあるのがこの「メタ正義トライアングルなんですが。
カンのいい人ならあまり説明不要な図だと思うので、詳しい説明は以前引用したブログを読んでいただくとして、ここでの問題は、
「なぜ離脱派がここまで盛り上がっているのか、その本質的な意義はなんだろうか」
と考えてみることです。ここで「彼らが経済的に負け犬だから恨んでいるのでそのガス抜きになっているんだ」みたいな感じで見るんじゃなくて、「現行の主流派の運営するシステムが人間存在の本質として取りこぼしているものがあるので、マクロに見た時の連環として彼らはそれを知らせてくれているんだ」的に好意的に解釈することが重要だと私は考えています。
で、その先で「彼らの本質的な価値(”彼ら自身が言っていること”ではない)を自分たちのやり方で代替してやれることができれば、彼らが暴れられる「人間の潜在無意識レベルでの正統性」みたいなのがネコソギにできるので、「あいつらムカつく!消してやりたい!」という攻撃性と、「あ、わかりあえたかもしれない」という気持ちが、両方同時に解消されるコミュニケーションの形がありえるだろうと考えています。
・
で、じゃあ「彼らの存在意義」て何なんだろう?ということを考えると、まあこれは深淵すぎるテーマなので扱いやすい話だけちょこっと書いておわりますが・・・(興味のあるあなたは、このブログ末尾にある私の暑苦しい著書なんかを読んで下さい)。
例えば社会というのは法律を書いて発布したらそれでハイ実現!というわけじゃなくて、その価値観を支えている無数の人たちによって成立しているんだという事情について「理解」が及ぶことじゃないかという気がします。
「居づらくなったら出てっちゃえばいいや」という人と、「そのモノに対する骨絡みの深い愛情と責任」がある人とでは、やはり目配りの範囲が違ってくるというか、厚みが違ってくるというか。前者だけの人間しかいない都市って、ほんと世界最先端レベルで凄い資本が唸ってる時はちゃんと運営できるけど、流れのちょっとした変化でスポットライトからちょっとでも外れると誰もそこに愛着を持ってないから一気にスラム化したりするんですよね。
また、ロンドンがオープンで外人に優しくてスマートな都市であるということは、「地方のワーキングクラスの兄ちゃんたちも全員含めたイギリス人が培ってきた文化の総体」が可能にしてるんだというような発想も大事だと思います。
「意識高い系の文化」が嫉妬で潰されるのは人間の本能レベルの摂理みたいなところがある中で、それが潰されずにロンドンに培われてきたのは、その「中心が生まれると辺境が結果として生まれる」ような構造の中で「辺境役」を引き受けてくれる人たちの自意識の納得のメカニズムがあってこそなんですよ。
「光が影を産む」ように「影役」を引き受けてくれる人が必要で、その相対的な連環によって、「一見さんの外人が凄くオープンな空気が吸えるロンドンの雰囲気」も何百年かけて培われてきているところがある。
そういうところで、今回の件で色々怒っておられる谷本真由美さんの旦那さんは確か古来からの英国人で、一方クローデンさん夫妻は両人とも英国とは関係ないが、ロンドンが魅力的だから住んでいる(魅力的だと感じる限りはここに住むがいずれ合わなくなったら移動しようと思ってるとむしろ宣言されているぐらいで)・・・という価値観なところに、この問題に対する態度のギャップがあるのかもしれません。その生き方を否定するわけではないですが、そうじゃない生き方もあって、そういう人たちで支えられているその地域のベースってのもあるんだという「理解」はあってもいいかも。
多分化共生にしたって、やっぱりもともと住んでる人が大事にしたい風習なんかにある程度後続は敬意が払えるのが前提・・・という価値観は、今後「適切な範囲で」広がるべきだと私は思います。なんせ、移民にはいつまでも故郷があるけど、英国人には故郷は英国しかないわけですからね。
そういうの全部ぶっ壊したい人と過剰に復古主義的な人は、正直鏡の中の自分を罵り合っているようにしか私には見えません。
そういう「伝統」の、どこまでが個人の内面や移民集団への不必要な抑圧で、どこまでが適切な伝統遵守なのか・・・は、それこそ日々の生活の中で真剣に微調整が繰り返される中で見出されていくべき課題であろうと思います。デジタルにゼロイチに決められるようなものじゃなくて、むしろそこを微細に微細に選り分けることこそが今最も必要なプロセスだと私は考えます。
このような、ロンドンの自由な空気は、フーリガンみたいな人たちも含めた彼の国全体の歴史が時間をかけて作ってきてくれたものなんだ・・・という感覚が多少なりともあれば、ナイーヴなことを言うようですがその感覚は態度で伝わるので、「異文化コミュニケーション」もスムーズになるでしょう。
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で、翻ってこれ日本の話でも同じなんですよね。
私がいろんなブラック企業で働いてた時、仕事自体は結構「ツライという意味でブラックなだけじゃなくて、ちょっと詐欺的なんじゃないの?とかそういう意味でもブラック」な職場も結構あったんですが、それでも彼らの勤労精神というか、「こういうことはやっちゃいけない的な倫理」とかはかなりレベル高いんですよね。日本の「職場」ってものの強さの源泉を凄い感じるものがあった。他の国だったらこの人達絶対スラムでギャングになってるだろ・・・って感じでも、最低限の「日本人ならこれぐらいはね」っていう基準は強固に守られている。(本当にがっぷり四つに関わっていたのはなんせ10年以上前のことなんで今は随分根腐れが進んでいるかもしれませんが)
日本人ならそういう価値は当然未来永劫簡単に手に入る・・・というのは幻想だと私は感じています。実際には、広く薄ーく破れる寸前になってしまった「義理の連鎖」がまだ切れずに残っているから、ギリギリ維持されているメカニズムがそこにはある。
それがあるから、夜道を歩いてもまあ安全・・・というレベルで日々暮らしていけたりするんですよ。その「義理の連鎖のやせ我慢」が、「屋根」になってて雨を防いでくれている。だから感謝しろとかひれ伏せとか言う話じゃないんですが、「そういうのがあるんだ」と理解してるかどうかが、長年着々とどうしようもない恨みが溜まっていっていずれ暴発してしまうかどうかの分かれ目だと私は考えます。
私が安倍政権に好意的なのは、彼ら(ブラック企業のヤンキー社員もギリギリ保っている日本人としての義理の連鎖みたいなもの)が守っている価値が誰にもメンテされずにほうっておかれすぎてきたらからこそ、”あくまでその当然の結果として”過剰な右傾化につながっているという問題意識があるからなんですよ。
安倍氏の支持者の中に、国際的に最先端なポリティカリー・コレクトの視点から裁きにかかると「明らかに頭オカシイ」ように見える人たちも含まれてるのは確かなんでしょう。私もちょっとビビる時があります。(安倍政権のライトな支持者もその8割ぐらいが全員ビビるようなこと言ってる人も実際にはいるでしょう 笑)
しかしそこで「ハイ論破!あいつらは愚民!」で終わると、なんで安倍一強時代と呼ばれるほど今支持されてるの?ってことから目を背けることになりますよね。
彼らが、現代社会の中で彼らが何を思ってそんなことをやってるのか?について考えることが、本当の「異文化コミュニケーション」だし、21世紀のあるべき「左翼性」じゃないかと私は真剣に考えています。
なんか、今のところまた次の選挙も自公が勝ちそうな予測が出てるそうですが、もし本当に安倍政権を倒したいあなたがいるなら、大事なのは「はい論破!」ではないんじゃないかという私のメッセージが、ぜひ伝わっていただければと思います。
「彼らが本質的に守っているもの」を、国際的良心派もOKなルートで代理実現できれば、日本国民の多くは別に「過剰な右傾化」自体をしたがってるわけじゃないというか、安倍政権のそこの部分はむしろ「オマケ扱い」というか、ちょっとやりすぎと感じている支持者も多いと思いますよ。
なんだかんだいって安倍氏の支持率が高いことを、マスコミへの抑圧が原因とか、色々と選挙の時に大衆扇動的に経済の話でごまかしてるとか、まあそういう批判自体はだいたい正しいと思うんですが、結局向き合うべき課題が違うんじゃないか?という問題意識を私はこの十数年ずっと持っています。
その答を、この記事中の「メタ正義トライアングル」から発見していただければなあと思う次第です。
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それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。
また、こういう話について私はずっと本を書いてるんですが、いつ出るんだ的新作が出るまでは過去作品をお楽しみいただければと思っています。
今回のブログで書いた「現実と理屈のすり合わせ」を社会的に大規模に起こすシステムの整備が、「個々の論点における極論のぶつけあい」よりも重要だ・・・というのを幕末の薩長同盟に例えて書いた「21世紀の薩長同盟を結べ」はデビュー作的に気負ってしまった暑苦しい文体が苦手でない方には好評です。その他、アマゾンのサブカテゴリで1位になった「日本がアメリカに勝つ方法」は、その「理論と現実のすり合わせ専門職」を強みとして活かすことで日本がアメリカに勝てる道が開けるという本。上記二冊のように暑苦しい文体が苦手な方は、女性読者に一番好評な三冊目「アメリカの時代の終焉に生まれ変わる日本」をどうぞ。
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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