本を売っていくにあたっても、結局「薩長同盟的困難」ってのがあるものですなあ。
ちょっと空いてしまいましたね。
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でも、本当は、その「みんな違って、みんないい」を本当に実現するにはどうしたらいいか?っていうのを死ぬほど真剣に考えた本なんですよ。
でもあんまりそう見えない部分もあるしね。
なんか、ほんと、情けないことに、結構色々と精神が不安定・・・というと大げさですけど、フラフラしてました。
なんとか「まとまった新しい方向性」を本として形にしよう・・・・それをやらなくっちゃ・・・・ってそればっかり思ってずっとやってきたんで。
それは「モノ」レベルではそれなりに実現してると思ってるんですが。で、その「モノ」自体を、読みやすく面白い形に・・・っていうチャレンジも、まあ出来る限りではやったと思うので。
でもそれを、「広い範囲のみなさんに届ける」ってことを、あまり真剣には考えてこなかった部分もあったのかな・・・と思った。
「世の中全体の本質的ニーズ」さえ捉えていれば、いずれちゃんと届いてくれるさ!!!
ってだけ思ってやってた部分があった。というか、
そう思ってやらないと自分にはできないチャレンジだったから、もうそう考えるしかなかった
って感じなんで、その事自体はもうご容赦いただきたいと思ってるんだけど。
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ここ数日、たまたまマッキンゼーの卒業生MLで、「日本の大企業はどうしたら変われるのか」っていう議論をしている先輩方(かなりシニアな方々)がいたんで。
僕の本のテーマでもあるんで、横槍?(気にする必要ないのかもしれないけどニッポンジン的にはかなり遠慮しながら突っ込んでいった 笑)的な感じでどんどん噛んで行ってたんですけど。
最初はあんまりご理解いただけなかったけど、最終的には「買うよ」って言ってくれた・・・・で、それが凄い嬉しかった。
話していて思ったのは、彼らのように「グローバリスト側」で活躍されている方にとっては、僕が言ってることなんて、「そりゃそうかもしれんけど、でもちゃんと成果出さなきゃだろ?」って思われて、入り口でシャットアウトされちゃう部分があるのかなと思った。
なんか、いわゆる「既存左翼」風の、「みんな一緒」的にナアナアにするような議論をふっかけてくるヤツみたいな扱いになっちゃうっていうか。最初は。
でも、違うんだよね。まずここで大きな誤解を乗り越えなくちゃいけないんだよな。
むしろ、グローバリズム的な仕切りで、次々と「サクサクと考えて決断するべき部分」が、日本社会の中にはもっと沢山確保されるべきなんですよ。
と僕は凄くそう思ってるんですよ。
でも、日本でそれをやると(まあ日本に限らないんだけど)、その周りに凄く「怨念」が渦巻いてくるじゃないですか。
で、その「怨念」自体は、その「切り捨てた部分の違和感」が、「形」になって出てきているものなはずなんですよね。
そこで、
「怨念」の「適切な発揮方法を考える」っていうことは、「サクサクと決断するべき部分を鈍らせる」ことじゃない
んですよね。そうじゃなくて、
「怨念の適切な発揮場所」が社会の中に分厚く存在すれば、「サクサクと決断するべき部分に対するノイズ」が減るはずだ
ってことなんですよ。
だから、
んですよね。そうじゃなくて、
「怨念の適切な発揮場所」が社会の中に分厚く存在すれば、「サクサクと決断するべき部分に対するノイズ」が減るはずだ
ってことなんですよ。
だから、
「サクサク決断するべき部分をアメリカレベルにクリアーに実行できるようにする」ためには、「怨念の適切な扱いが大事だ」
ってことなんですよね。
で、「集団」レベルで見ると、勝ち組vs負け組的なはなしになっちゃうんだけど、そこを「個人」レベルで見ると可能性も生まれるはずなんですよね。
「サクサクと次々やっていく決断には乗りづらい人」を、ちゃんと個人として敬意を払って時間をかけてエンパワーしていけば、「最終的には、サクサクと決断している人にとっても意味が理解できる結晶」にまで持ってこれるんですよ。
「サクサクと次々やっていく決断には乗りづらい人」を、ちゃんと個人として敬意を払って時間をかけてエンパワーしていけば、「最終的には、サクサクと決断している人にとっても意味が理解できる結晶」にまで持ってこれるんですよ。
そういう「今の普通に乗りづらい個人」の、「奥底のもの」を、「時間をかけてエンパワーしていく流れ」・・・・・が、ちゃんと動きはじめれば、「サクサクと決断するべき部分」に対するノイズが減るんで、最終的にはアメリカレベルの決然性も手に入るし、あと「ジックリねっとり時間をかけて結晶化したようなもの」が、「アイデアの結晶体」として再度経済に載ってくるようになるんですよね。
・・・と、こういう感じで毎回説明させていただくと、人によっては「わかった。トンネルを両側から掘るようなものなんだな」とご理解いただいたり、あるいは「意見は違うがとりあえず本読むわ」って言ってくれたりした・・・・のは結構勇気づけられた。
これは、「対長州藩(個人主義者のグローバリスト)」側の説得に関する問題ね。
まあ、ほんとそれをどうやって乗り超えていくのか・・・・に答えが出たわけでもないけど、時間かけてずっと話していくしかないかな・・・・って感じですね。
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で、一方でね。
こういう話をすると、また今度は、「グローバリズム的にイケてる世界で活躍できてる人だけの話」・・・・みたいに見えてきちゃうじゃないですか。
でもそうじゃないんですよね。
「今成功しやすいタイプの人」vs「そうじゃない人」が、「対立」のままで終わったらほんとどうしようもないじゃないですか。
だから、「適切な力の噛みあわせ方」が必要になってくるんですよ。
で、そのためには、やっぱりいわゆる「既存の左翼風」な感じで、経済のダイナミズムを縛っていく方向ではいけないと思うんですよね。
・・・て、またこういう話をしはじめると、多分この本を「一番読んで欲しい人」に届きづらくなるのはわかってるんですよ。
わかってるんだけど、でもそれを書かないとこの本の意味がないんですよね。「薩長同盟」にならないから。
で、グローバリズムとか資本主義的な経済を、うまく使えば、今眠っている「個人の奥底のもの」を、経済に載せられるようになって、今はあまり活躍できてない人にも活躍の場が生まれていく流れに持っていけるはずなんですよね。
そういう「全体の持って行き方」について書いてるんですよ、僕の本は。
だから、最終的には広い範囲の人に、「希望」になってもらえるはずなんだけど、その過程において、「耳障りの良くないこと」も含まれてる文章になってるんですよね。
だから、普通に、「みんな違って、みんないい」的なお話を期待されている方からすると、凄いウザいことを言ってるヤツみたいに見えてしまう可能性がある。
でも、本当は、その「みんな違って、みんないい」を本当に実現するにはどうしたらいいか?っていうのを死ぬほど真剣に考えた本なんですよ。
でもあんまりそう見えない部分もあるしね。
また、そこに超えなくちゃいけない壁があるんですよね。
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だからほんと、これ、本当に伝わるのかな?っていうのは、凄いビクビクしてる。
時間かかってもいいけど、でも全然伝わらなかったら僕ほんと泣くしかないっすよ。
だからね、「お、面白いな」と思ったら、できるだけ言挙げしたってください。ほんとお願いします。
電子献本っていうのの準備ができたらしいんで、普段本を読んでいる人とか、ブログを読んでいる人とかで、「この人ならわかってくれるんじゃないか」っていう人にはちょくちょく連絡を取っていってるんですけど。
(なんか、あとから聞いたら出版社経由でお渡しするのが通例らしいんですけど、ツイッターでガンガン@ツイート飛ばしちゃったりして、恥ずかしい思いをしました。すいません。そういうもんかと思ってたんで。正式なルートでいずれ渡るようにします)
もしお読みになって、この本の「狙い」の難しさと、でもそれがどうしても今「乗り越えなくちゃいけない大事なポイントなんだ」ということをご理解いただいたら、何かしらのご協力をお願いいたします。
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まあでも、ほんと最後は、「気持ち」でなんとかわかってほしいみたいな(笑)で行くしかないのかなと思っているところですね。
なんかね、もっと「わかりやすく」っていうのは、もう凄い頑張ってわかりやすく書いたつもりなんですよ。
でもテーマは、どうしても難しいものなんでね。普通の「薩長がバラバラ」な世界観で、その「片側だけの内側」だけで話す論理じゃあないので、やっぱ複雑な、ちょっと「あれ?」ってなるものにはなっちゃうんですよ。
「長州藩側」から見ると、「ナアナアに決断力を鈍らせる迂遠な話」に見えるし。
「薩摩藩側」から見ると、「集団の和を乱す、拝金主義者の言説」に見えるし。
そこの壁を超えて、「理解してくれる人の輪」が広がっていく・・・・っていうときには、なんかやっぱり、「気持ち」でね、伝わって欲しいなと思っています。
ほんと、「そこをなんとかしなくっちゃ!!!」って凄い思ってここまで来たんで。
で、「そこをなんとかする」ってこと自体の、「マクロに見た時にニーズ」ってのは凄いあると思うんですよ。マジで「そこがなんとかなる」ようにならないと、ほんと何も解決しないってぐらいに大事な問題だと思うんで。
でも、そこに「今生きている個人」のみなさんとどうやってつながっていくのか???
って考えると、ちょっとブルッと身震いするぐらい、「どないしてったらええんやろうか?」って思ってしまう。途方にくれるっていうか。
全国の書店に並べてもらえるところまでは来たんだから、そこから先は「信じる」しかないってのはわかってはいるんですけど。
信じさせてもらってもいいのかな?どうかな?
と思いながら、まあ、できることからやっていこうと思っているところです。