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Phaさん的ニートと天才は紙一重。どう使うかは社会の責任。

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知ってる「界隈」の人はみんな知っている、知らない「界隈」の人は誰も知らないネットの有名人に Phaさん という人がいるんですよ。 「日本一有名なニート」とか言うキャッチフレーズで、 ・ブログやウェブサービスのアフィリエイトでそこそこに稼ぎながらほぼ無職状態でもう10年以上、今39歳 ・ギークハウスというテックオタク系の人が集まるシェアハウスを主催 ・しょっちゅう「働きたくない」とか「だるい」とかを露悪的に言いまくる ・彼を慕って相当個性的な人たちが集まっている みたいな感じの人です。 っていうか最近はニートと言いつつウェブ連載もしてるし本ももう何冊も出てるし、ニートとは言えなくなってるんじゃないかという感じですが、ある種の 「今の社会のせせこましさからはじき出されてしまった人たちがどう生きるか」についての思想家みたいな感じのキャラクターとして受けとられている人 ・・・ということになります。 彼は僕と同い年で、彼は大阪、僕は神戸という関西出身、ほぼおなじ時期におなじ京都大学にいて(学部は僕は経済、彼は総合人間学部)、実際に会ったことはないけどメールではちょっと話したことがあるんですが、やってることの志向性がちょっと似てる(現代社会のせせこましさを補完するような何らかの新しい視座を提供したい・・・といような)ので、向こうからこっちがどう見えてるかはわかりませんが僕からは結構気になる存在で。 で、先週と今週、彼と彼のまわりの「面白い人たち」を何年も密着取材したドキュメンタリーがフジテレビでやってて、先週も見たんですが今週のは凄い良くて、なんか最後の方になってジーンとなって泣けてきたんですけど(笑) 見逃した方は、ユーチューブに公式チャンネルがあるので、堂々と動画リンクを貼れます。以下↓ 前半(先週分) https://www.youtube.com/watch?v=gR7kLjuMyx4&t=567s 後半(今週分) https://www.youtube.com/watch?v=wV9OnWx0ANI&t=935s 感動した思いを書き記したいので、 ・この動画の何に感動したのか? ・Phaさんがやっていることの意味はなんだろうか? から入って、最終的に ・Phaさん界隈にいる人を社会はどうやって...

ザッカーバーグのハーバード卒業式スピーチが感動的だったので日本語訳した。

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https://www.youtube.com/watch?v=BmYv8XGl-YU (アイキャッチ画像はウィキペディアからお借りしました) 今朝ツイッターを眺めていたら、フェイスブック創業者マーク・ザッカーバーグが母校ハーバード大学の卒業式に呼ばれてスピーチしてる動画のリンクが流れてきて、軽い気持ちで再生しはじめたら凄い迫力で、30分以上のスピーチ最後まで全部見てしまったってことがあった。 結構笑えるジョーク(窓ガラスに数式書いたりしないよ!・・・とかいう映画”ソーシャルネットワーク”を根に持ってるようなジョークとか)やハーバード内輪ネタ(と思われる・・・ちょっとググると出て来るのが今の時代の救いですが)も交えつつ、卒業生と10歳も離れてない立場から”僕ら世代の責任”という切り口で語る話は非常にグイグイ来る迫力がありました。 「すべての人たちが、人生に意義を感じられる目的感を持てる世界を作ろう」というテーマ です。 僕らミレニアル世代なんだから、昔の世代の卒業式スピーチみたいに 「自分の人生の目的を見つけよう」なんてそんなことは言われなくたって本能的にやってる でしょう? そうじゃなくて「みんながその気持を持てるようにすること」が重要なんだ ・・・っていうのはなかなかパワーある話。 ケネディ大統領がNASAの清掃員さんに何やってるの?って聞いたら「人類を月に送る手伝いをしてるんです」って答えた話が好きで、そうやって「あらゆる人に”俺達はやれるんだという感覚”を持ってもらうこと」が今必要なことだ・・・っていうのは、あらゆる分断が社会を引き裂いていくこの時代に凄く重要なメッセージだと思いました。(最近、凄いのは”日本”じゃなくて単にその技術の発明者個人であって、ネットでこの記事読んでるお前じゃねーよ!とかそういう言わずもがなのことをいちいち言ってタフぶってる人がいますが、そういう人は社会というのが色んな人のサポートしあいによって成立しているってことを軽視しすぎてると思います) 他にも、最初にフェイスブックをハーバードの寮で立ち上げた夜に、今日は自分がハーバードのメンバーを繋いだが、そのうち誰かが世界中を繋ぐだろうと思ったとか。そこで「自分じゃないだろうが誰かが」と思ってちゃダメでそれ「自分が」やるんだよ!というメッセージとか。最初期のマ...

経産省若手資料はそんなにダメか?褒めときゃいいじゃん。

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書籍の執筆でアタマが沸き立っていて、箸休めに軽いブログを書きたいので書きます。 ネットで話題の、経産省の若手有志による、 国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、 世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト っていうのがあって、 このリンクからパワーポイント資料が読める んですが。 数日前にリンクを見つけてパラパラ読んだ時には、「いいなあこれ、頑張って欲しいねえ」と思ったし、ネットでも高評価な人が多かったんですが、なんかそれから日がたつうちに色んな人が ・全く新しくない ・具体的な政策への落とし込みが足りない ・データ分析が雑 などとクサしまくってるのを見てて、いやーそんなにダメかねえ??いいじゃん!と思ったのでそれについて書きたいです。 「ダメかどうか」もさることながら、「最高とは言えなくてもとりあえず褒めときゃいいじゃん」的な話でもあります。 いや、批判は批判で内容的にはゴモットモではあるんですが、あまりにそういうのが盛り上がっちゃって、 この資料に対してちょっとでも高評価をするのは知的人間として恥ずかしい・・・ぐらいの空気になってきてるのがちょっとどうかと思う んですよ。 そもそも役所が懇談会的にインテリ集めてとりまとめた資料で、総花的にならずに一方向的なストーリーがあって、ある程度こういう「何言ってるかちゃんとわかる」資料ってそんなに多くないですし、だからこそ「うるさ型」の人たちがクサし始める前の段階では結構ネットで「いいじゃん!」的空気が巻き起こったりもしたわけですよね。 単純に言って、役所発のペーパーで、その「いいじゃん!」モードが小規模でも巻き起こったりした時点でそりゃ奇跡と言って良くて、そりゃ批判は結構だが、じゃあどっかに「超絶凄い官僚さんの集団」がいるわけじゃないんだから、今の日本の官僚さんたちに、官僚の役割の中でできることは頑張ってもらうしかないわけで、だからあんまりクサすばっかりなのもどうかと思うわけですよ。 で、資料の内容なんですが、たしかに「どこにもない新奇性」とか、「具体的な政策へ落とし込みきった提案」とかは弱いかもしれないが、この資料は1つの「ストーリーの提示」を目標としてるわけですよね。 いわゆる「高齢者に属する人」にも、資産や健康面...

日本化する韓国、韓国化する日本?

韓国大統領選挙の結果が出て、いわゆる左派のムン・ジェイン候補が新大統領になったそうです。 私は韓国情勢の専門家でも全然ないなりに、個人としてのこの人をインタビューその他で見ていると(特に動画で直接話してるのを見ると)、「親戚にいたら仲良くやれそうなオジサン」ぐらいの、人間的にはとても良い人な印象なんですが、しかしこの時期にこういう人が大統領になるのでいいのか?というのは、他人事ながら心配にならざるを得ません。 じゃあ私の専門は何かと言われれば経営コンサルタントなわけですが、「人間の集団の動き」という面から見て、韓国は過去20年ぐらいの日本の悪いクセを後追いしていっているような予感がします。まさに「日本化する韓国」。と同時にひょっとすると日本のどこかに、過去20年ぐらいの韓国の良い面のようなものが、新しく胎動しているのではないか、そうならいいな・・・というような感覚もあるので、そういう話をしたいと思います。 ・ 今回の韓国大統領選についてニュースで見ていて、色んな候補の支持者が一様に、細かい政策(いや、”細かい政策”ですらない大枠の話ですら!)の話について聞かれると即座にでその話題をほとんど拒否するような形で、 「(政策はともかく)とにかく政権交代をして民意を突きつけることが重要なんだ」 というようなことを言っていたのが非常に印象的でした。別にディスるつもりはないんですが、あまりに自分の価値観と違うので、「へえ、そういう考え方もあるのか!」と思ったというか(笑) どっちが良い考え方だとか言うつもりは全然ないですが、少なくとも私は「政権交代をした後何をするか」が一番大事で、その明確なビジョンがない時期にはあえて対立側に権力を渡しておくことすら意義があると思っているぐらいなので・・・ しかしこう、いわゆる過去20年の、最近あちこちから揶揄されている「日本のサヨク性」といったものは、まさに「こういう価値観」がベースにあったんじゃないか・・・というふうに思い当たりました。 ・ 過去20年、特に日韓ワールドカップあたりから、韓国という存在が日本の中で非常に大きな存在感を持つようになってきましたが、思い返せば韓国と日本は常に「決断と行動力と一点突破の韓国」「バランス感覚と地道さはあるがグダグダな日本」という対比のイメージで捉えておけばほぼ間違...

中国を「ドラゴンボールのベジータ」扱いすることが東アジア平和のカギ。

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4月15日土曜日は、 地味に色んな人が「米朝開戦の危機」と騒いでいて、三重県の山奥に住んでるアメリカ人の友人の家に滞在しながら(これは別に疎開してたんじゃなくてもともとずっと前から遊びに行く予定だっただけですけど)、チラチラとスマートフォンが気になって仕方がないみたいな微妙な時間を過ごしました。 とりあえず、一番「危機」的な状況は回避できたんじゃないかという様子で、かなりほっとしてます。 勿論まだまだ何があるかわからないわけですが、しかし単に最大の危機をやり過ごせたというだけでなく、むしろ、「こうなったらいいな」と長い間思っていた流れになったんじゃないかという予感もあり、現在の状況を「 欧米的な戦略論の見地だけではなく、”東アジア流のモノの見方”で」眺めて見ると、新しい視点が見える んじゃないかと思うので、ぜひ聞いて欲しいわけですが。 ・ 今回の北朝鮮危機は、米軍がシリアを爆撃して「見せ」て、かつ空母部隊を東アジアに持ってきて、日韓との連携を威圧的に見せつけ、「次核実験したら先制攻撃もありえる」と発表し、一方で中国には何度も「あいつを抑えるのはアンタの責任だぞ」アピールを続け・・・という状況で、もし北朝鮮がこれでも折れずに核実験を強行したら、米国側としては「振り上げた拳の持って行き場」がなくなってしまって本当にキケンな状況ではあったわけですが。 結果として、ずっと「核開発&ICBM開発で米国直接核攻撃能力を得るまで一直線!」だった北朝鮮が、予定されていた?核実験を回避し、ミサイル実験も米本土向けのものではないのを一発だけ・・・ということで、 ちゃんと「忖度」するモードに入ったこと自体は非常に非常に評価できる と思います。 そして何より、 中国が「ちゃんと北朝鮮を抑える役割」を果たすポジションになったこと自体もメチャ大きい。 シリア爆撃したり、空母部隊持ってきたり、沖縄の基地に戦闘機を並べて見せたり、先制攻撃の可能性について言及したり、自衛隊などとの連携をアピールしたり・・・というのは、「トランプ&安倍嫌い」の人から見たらほんと「許しがたい野蛮人の振る舞い」に見えるかもしれませんが、そして本当に「危ない橋を渡った」ことを否定するものではありませんが、「東アジアの流儀」的にこの問題を解決しようとするならば、私の感覚としては「適切なタイミン...

村上春樹は『男の敵』か?『女の敵』か?

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村上春樹氏の 新刊「騎士団長殺し」 を読もうか迷ってる人のためのガイド・・・にかけつけて ・「村上春樹作品の本質とはいったい何か?」 ・「騎士団長殺し」は過去の彼の作品とどこが違うか? について深掘りしてみる記事の二回めがこちらです。 一回目は「村上春樹作品の本質とはいったい何か」について書きました。そちらを先に読みたいかたは →ここからどうぞ。 前回の結論を簡単にまとめると、 村上春樹作品とは、過去からの文化的惰性が通用しなくなった社会において、新しい自明性を獲得しようとあがく試み であり、村上春樹作品を通して、「村上春樹作品の良さが理解できるタイプの読者」が獲得しようとしているのは、 小さく言うと他人との人間関係の1つ1つであり、そして大きく言うと自分の人生全体を、「自分で考えたテーマに沿って自らハンドメイドに形成していく力が私達にはあるはずだ」という勇気 であり、具体的な「しぐさ」のレベルで、崩壊してしまった社会の自明性をゼロから立ち上げなおそうとする 「新しい現代的に通用するセルフイメージの再構築」 が行われているのだという話でした。 では今回は、「騎士団長殺し」が彼の過去作品とはどう違うのか?について考えてみます。 「騎士団長殺し」は、かなり「彼の過去の作品群に出てきたモチーフ」が何度も出てくる作品になっていますが、その「扱いの細かな違い」ゆえに、「今まで彼が踏み込まなかった領域」に大きく一歩を踏み出した作品になっていると私は考えています。 今回の記事に目次はこんな感じです。 1・過去作品たちと似ているモチーフたち 2・しかし過去作品とはここが違っている 3・その違いがもたらしているものは何なのか? キーワードは、よく彼本人の言葉として語られている「デタッチメントからコミットメントへ」という話につなげて、今回は 「コミットメントからインテグレーションへ」というキーワード を私は考えています。 ・ 1・過去作品たちと似ているモチーフたち 今回の作品は、かなり「村上春樹作品あるある」なネタがたくさん出てきましたね。 ・裏庭にある異世界へ繋がる穴 ・理由が明示されずに突然終わりを告げる夫婦生活 ・登場した瞬間ディズニーの版権の厳しさをネタにするトボけた「イデア」氏 ・疑問文のトー...

村上春樹新刊「騎士団長殺し」を読もうか迷ってる人へのガイド

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村上春樹氏の新刊「騎士団長殺し」が発売されてから一ヶ月超がたちました。あなたはもう読みましたか? 私は読みました。なかなか・・・私は結構好きでした。ただ、読もうかどうか迷ってる人も多いかと思うので、「そもそも村上春樹作品とは何なのか?」から、「今回の作品と過去作品を比較するとどうか?」といったことまで、ガイドとしての文章を書いてみたいと思っています。 結論を二行にまとめると、 村上春樹作品とは、過去からの文化的惰性が通用しなくなった社会において、新しい自明性を獲得しようとあがく試み であり、 『騎士団長殺し』の過去作品との違いは、主人公が「完璧な防御壁」の内側から断罪する位置を捨て、「昔からの友人の男」や、そして「女性というもの」に大きく一歩歩み寄った作品 ということになろうかと思います。 目次は以下の通り。 1村上春樹作品とは何なのか? ・・・または(村上春樹読者の三類型について) 2「騎士団長殺し」と過去作品との違いはどういうところにあるか? ・・・または(デタッチメント→コミットメント→次はインテグレーション?) 3村上春樹氏の変化と、現在の世界の変化との対応関係は? てな感じです。 では。その1からどうぞ。 ・ ・ 1村上春樹作品とは何なのか? 村上春樹作品の読者は三類型いると私は考えています。 A 自他共に認めるハルキスト B ハルキストとか呼ばれるとちょっと困るが、春樹作品の”良さ”は一応理解できる層 C なんか話題だから読んでみたという層 勿論どんな作家にもこういう同心円状に広がる読者群がいるとは思いますが、村上春樹作品は他の作家に比べてこの「BグループとCグループの格差」がかなり激しい作家であると思います。私は何人もの、しかも結構本を読むこと自体は好きな層の人から、「あんな荒唐無稽で唐突にエロがはさまってるだけの話のどこがいいの?」と聞かれて、説明しようがないので「うーん、まあ、ねえ、ハハハ」と返答に窮したことがあります。 そういう人がちょっと読んでみた上で公言する村上春樹作品の売れてる理由とは、「うだつのあがらない男が次々と良い女に言い寄られて良い思いをするところがウケてるだけなんだろう」的な感じになっていて、まあそれを影の目的に読んでいる長年の読者がいないとは言いませ...