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現代の政治家にも「決断力」を持ってもらえる「空気マネジメント」は「三位一体のド真ん中の言論」から生まれる。

アゴラに投稿↓しました。

『ダメ政治家がダメになる真因の方を解決しよう。』

これは続きの記事です。まず上記リンク記事を読んでからどうぞ。

で、政治家がいざというときに決断できるようにする『環境』とは何か?っていう話なんですけどね。

その前に、「決断」っていうのがなんで必要なのかってことを考えると、「物凄い純粋な理想論をただ主張しているだけ」だったら「決断」とか要らないわけじゃないですか。

あるいは、誰が見てもオカシイだろ・・・っていうのを尻馬に乗って糾弾しているだけだったら「決断」とか要らない。

だから、「決断する」っていうことは、あるタイミングで、「現実と理想のぶつかり合いの中で選ぶべきものを選び取る」っていうことなんですよね。

で、戦後日本において「決断」という名に値するなあ、凄いなあ・・・と僕が個人的に思う、日本の政治家が二人いるんですよ。

それは、吉田茂氏と岸信介氏なんですよね。

(こんなことを言うと、「戦後左翼」的なポジションで生きてこられた年配の方には本能的に感情を害されてしまうかもしれませんけど、でも僕自身、自分こそあなた方が真剣に追求していた左翼的良心を継承していこうと思ってる存在なんだと思ってるんで、ぜひ過去の色々の行き違いを白紙にして聞いて欲しいんですけどね。特に、この記事の”前半”はあなたがたにとってムカつくことが多いかもしれないですけど、”後半”まで読んでいただいたら真意がわかっていただけると思うので、ぜひよろしくお願いします。)


彼らは二人とも、

「極論的で(少なくとも当面は)非現実的な理想論」を廃して、「とりあえずのあるべき国の形」を、強力なリーダーシップで妥結してしまった存在

なんですよね。

共産圏も含めた世界の中であくまで中立を守るという「純粋すぎる理想論」が結構あった中で、資本主義世界との単独講和を決めて実行した吉田茂。

その決断によって、当時の世界情勢の中でのパワーバランスゆえにかなり「有利な条件」を引き出したし、戦後日本の経済発展ルートの大枠を決定付けたと言っていい。

で、そのルートを、いわゆる「安保闘争」の大混乱の中、暴漢に刺されて瀕死の重傷を負ったりしつつも、それでもそれを継続することが国益なんだという信念を貫いた岸信介。

極論すると、この二人の決断によって、「国が進むべき道」がガッチリと世界の歴史の中に定まって、それによって敷かれたレールの上で、日本は経済発展に邁進することができた・・・と言っていいと思う。

で、もちろん、この2つの決断によって沖縄その他には米軍基地が残ってるわけだし・・・色々と問題もあるんですよ当然。「夢物語的に純粋な理想」を実行したわけじゃないんだから。

でも、そもそも吉田茂がサンフランシスコ講和条約に調印した時は独立国ですらなかったんだから、それに比べたら一歩ずつ一歩ずつちゃんと回復してこれてる・・・ってことにしないとフェアじゃないんじゃないかと思うんですよね。

確かに基地は残ってるけれども、事実として一回戦争に負けて全面的に占領された所からスタートしてるわけだからね。

「一回ゼロになってしまったけど、あきらめないでまた端っこから着実にちゃんと日の丸立てて行こうぜ」って一歩ずつ塗りつぶして行った人が、「まだ全部塗りつぶせてないじゃないか」的に「不徹底な妥協だ」とか、何もしてない人に批判される筋合いはない・・・的なところは確実にあると思う。

僕は、心情的に左翼的なムーブメントには全面的なシンパシーを感じる人間なんだけど、その点だけはどうしてもそう思ってしまうわけなんですよね。



でね、この「吉田茂と岸信介の決断の構図」と、「原発再稼働問題」とか、あと色々、消費税のこととかね、凄く似てるじゃないですか。

というか「決断」というのは常にこういう構図の問題なんだというか。

「物凄く純粋な理想論を求める、みんなの感情エネルギー」



「ナマの現実」

っていうのが

ぶつかり合っている状況

の中で、

「できる限りみんなの思いが具現化する、それでもギリギリ現実的なところをエイヤーっと決める」

のが

「決断」

なんですよね。

で、こういう時に「決断」ができないと、ギリギリのギリギリまで「物凄く純粋な理想論」をゴリ押ししていって、破滅的な状況に陥るんですよ。

過去の共産主義国家ではね、独裁者が気まぐれに「いいじゃん!」って思った「ぼくがかんがえた、さいきょうののうぎょうりろんはこれだぞ!」っていうようなのをゴリ押ししまくって、とんでもない数の餓死者を出したりしてるじゃないですか。

で、


そういう方向に行ったらマジでヤバイというか誰のためにもならないよね!っていうのが20世紀の人類の歴史最大の教訓

なんですよ。

「個人の純粋すぎる理想論を、無理やりにゴリ押しして他人を不幸にする」ってのは一番やっちゃいけないことなんですよね。

だから、選民主義者だとか権威主義者だとかアメリカの犬だとかポチだとか売国奴だとか、なんとでも言ってもらったらいいんですけど、「大枠」については、


「できる限りみんなの思いが具現化する、それでもギリギリ現実的なところをエイヤーっと決める決断」



っていうのが機能するように持っていくことは、真剣に

「みんなのため」

なことなんですよ。どんな基準で「みんなのため」って言えるんかどうかわからんけど、とにかく最大多数の最大幸福でも最小不幸でも神のご意思でもなんでもいいんですけど、とにかく

「みんなのため」


なんですよね。

で、「地元の土建屋さんへの口利き」的な範囲を超えるような、本当の政治家の仕事っていうのは、「それをやるべきときに身を呈してそれをやること」だと言っていいわけなんですよ。

じゃあ、


どうしたら、現代の政治家にも、そういう「決断」ができる「環境」を作ってあげられるのか?

吉田茂みたいな、戦後の混乱期に乗じた超ワンマン政権が成立するような状況を作るのか?岸信介みたいに、CIAからカネ貰って右翼やら暴力団を動員してデモ隊を鎮圧させるのか?

そんなこと現代ではできないですよね。それに、やるべきでもない。

だから、吉田茂や岸信介は「決断力」を単体で取り出して実験室的に見たら凄いけれども、結局それを「可能とするゴリ押し的環境」があったからこそできたとも言えるわけですよね。「個人の決断力」だけの問題ではないんですよ。


じゃあ、


どうしたら、現代の政治家にも、そういう「決断」ができる「環境」を作ってあげられるのか?




じゃあ、


どうしたら、現代の政治家にも、そういう「決断」ができる「環境」を作ってあげられるのか?


か?

か?????

か??????????









それはね、

「理想主義的な感情エネルギーの、適切な発揮場所をみんなで作ること」

なんですよ。これしかない。

つまり、「大枠において現実的決断が必要な場所」において、「純粋すぎる理想主義」が暴走しないように、「現実的な解決に繋がる部分」において、「理想主義的な感情エネルギー」がうまく噴出するように持っていく・・・・それしかない。

それで、「希望」が生まれれば「ガス抜き」が出来て、「決めるべきところで決められる」ようになるんですよ。

でもね、これ、今全然できてないんですよね。

結局、

「かなり非現実的な理想を暴走的に追求する人」と、「やれやれ、現実を見ろよ」って言う人・・・・の二種類しかいない

ってことになってる。

それでは、平行線のまま決して絶対「決断」なんてできないんですよ。CIAにカネ貰って右翼や暴力団を動員したりしない限りは(笑)

そういうのは結局

針先に穴が空いてない注射器を無理やり押し込もうとしてるようなもの

なんで、

「やれやれ、現実を見ろよ」って言ってる人が、冷静で現実的でファクトベースで徹底したリサーチと透徹した理論に裏打ちされたロジックを展開すればするほど、行き場を失った「非現実的な理想を大枠で具現化してしまおうとするエネルギー」も暴走する

んですよね。

で、この両者は、「光と影」「表と裏」で、どっちがエラいわけでもない・・・・っていうところからスタートするべきなんですよ。

っていうか今の日本は、一刻もはやく「その一段高い視線からの議論」を幅広くスタートさせないと、結局永遠に何もできないままズルズルと衰退することになってしまうんですよ。

このままで良いはずがない。っていうか、「理性的・知性派」を自認するあなたは、自身の言論が「あーあ、空気で決めるこの国の愚民どもは嫌だねえ」で終わってしまっていないか、省みるようにして欲しいんですよね。

あと一歩知性を働かせて、「彼らがそういう風に暴走してしまう理由」の方を考えて、そのレベルで解決策を考えていかないといけないんですよ日本は。

その「発想」自体から変えて行かないと、日本が本当に、「欧米の後追いを超える新しい自分たちならではの可能性」をガンガン生み出して経済発展するなんて不可能

ですからね。



そのために、必要なのが、

「三位一体のド真ん中の言論」

って僕が呼んでるものなんですよね。

つまり、

・いわゆる「右翼」な人たちの純粋な理想を求める気持ち
・いわゆる「左翼」な人たちの純粋な理想を求める気持ち
・「経済至上主義」な人たちの純粋な理想を求める気持ち

のどれも

”3つ全部を、同時に満たす”ような方向性をみんなで作っていく

ことなんですよね。

で、20世紀脳のレッテル貼りやら過去の怨念を除いて現実的に考えたらね、それは本当は可能なはずなんですよ。

ただ、「ボンヤリとした一般論」だけを言ってるだけじゃダメなんですよね。

「生きている人間の現場感」ベースで、「気持ち」で没入していけるだけの具体性と、「マクロに見た時の合理性」を同時に持てるような言論を、みんなで用意していかないといけないんですよね。

で、そうやって行くには、20世紀型の、「あいつは敵側、お前は味方」みたいな発想じゃダメなんですよ。

相手が憎いからといって全否定して、自分の理屈だけを絶対化していくようなのもダメ。

一個の行動に、3つそれぞれ全体の意義が多重的に乗っかるように考えていくことが必要なんですよ。



上記の3つは、昔は一致しなかったけど、今は3つ一致しないで本当に「現実的な提言」とはいえなくなってきてますからね。

例えば経済至上主義的な発想で、経済発展しなくちゃ!!ってなったら、本当に「日本人の根っこの部分」と噛みあった自分たちならではの独自の方向性をシッカリ形にしないと、真似事の後追いをしていて、何の因果か自国通貨が世界最強になってしまってる国が持続的な経済発展ができるわけないんですよ。

だから、「本当に現実的実効性のある経済至上主義的な方策」であるならば、見た感じは伝統的に「右翼っぽく」ないとしても、愛国者が満身をフルフルと打ち震わせるようなものになってるはずなんですよ。

・・・・って言うと多分経済至上主義者は、「官僚主導の日の丸●●」が次々と玉砕していくサマをイメージして強固に反対したい気持ちになると思うし、僕もそれには同意なんですよね。

でも、それこそさっき言った


「やれやれ、現実を見ろよ」って言ってる人が、冷静で現実的でファクトベースで徹底したリサーチと透徹した理論に裏打ちされたロジックを展開すればするほど、行き場を失った「非現実的な理想を大枠で具現化してしまおうとするエネルギー」も暴走する


っていう因果関係なんですよね。

つまり、なぜ「官僚主導の日の丸●●」が次々と玉砕してしまうかというと、結局現状の「グローバル経済原理主義者」的なポジションの人の言論が、「日本人の集団の本当の良さ」を引き出せるほどにはカスタマイズされた現実の深みを捉えた言論を作り出せてないからなんですよね。

だから、「余ってしまってる気持ち」が、「てやんでぇ!!スジが悪かろうとなんだろうが俺たちにはこれしかねえんだよぉ!!」っていうところに噴出することになってるんですよ。官僚組織の力を解体しようとしてもできずにいる理由も同じなんです。

表裏一体。光と影。どっちもどっちなんですよ。



日本人の集団の力を本当に発揮させるには、かなり特有の「プロトコル」が必要なんですよね。

で、今の時代そういうのに配慮する方向の努力自体が、「グローバル時代に時代遅れ」とか言われがちなんだけど、そんなわけがない。他人のやり方に無理やり合わせて独自の圧倒的成功ができると思ったら大間違いなんですよ。

今の時代そういう圧力自体が日本に危機感を持って変化させるために暫定的に必要ってのはある程度ありますけどね、そんなこと言ってる人が「ダイバシティ(多様性)が大事」とか言ってるのを聞くのは無茶腹立つんですよ。

「ダイバシティ」っていうのは、「今の風潮がこう」ってなってる時に、「そこから疎外されてしまっている自分たちの本当の長所」を活かすための、「一貫した逆張りの精神」をどれだけ維持できるか・・・によって生まれるんですよ。

世界をノッペリとした無個性な一色に塗り固めようとしてる人たちの手先が率先して「ダイバシティ」とか言ってるのを見るとマジであれだけは本当に許せん。というか本当に脳ミソ付いてるのか?「ダイバシティ」って言葉の意味本当にわかってんの?と思ってしまう。

今の日本のアレコレが機能不全なのは明らかなんですよね。で、そのかなり部分が、「やる意味ないところでやたらミッチリやってる」ってことに尽きるんですよ。

じゃあ、「やる意味あるところで、ミッチリやる自分たちの長所を活かさないとね」っていうのが素直な結論ですよね?

で、そのためには、

「やる意味がある分野」を探しだして、「日本人の集団の力」をそれに振り向けるように持っていく

ことが大事なんですけど、この

「やる意味がある分野を探しだす機能」と、「日本人の集団的密度感」が仲悪くて、「やる意味がある分野を探しだす機能を発揮するべき役割の人」が、ただ「憎っくき日本人の集団の密度感をぶっ壊す」ことしかやってない

んですよ。

別にぶっ壊す必要はない。「集団」の中で生きるのが得意な日本人はそのままでその特色を発揮してもらえればいい。

ただ、その「集団」の「意味ある振り向け先」を考えるにあたって、今みたいに現状の惰性で何の工夫もなく超絶技術で特攻して玉砕してるようなのを避けられればそれでいいんですよ。

で、「分野の特性」的に、アメリカでもなく韓国でもなくシンガポールでもなくフランスでもなくほかならぬ日本人がやったらスゲー「違い」が生まれるぜ・・・・っていう分野を選びに選んで、そこに「日本人の集団」を振り向けられたらそれでいい。

そのためには、「決断力」を、「集団の惰性」からある程度ひっぺがして「冷静な現状認識」と接続させていくことが必要になるんで、そのプロセスを社会の中に広く具現化するには、やはりある程度「資本の論理」によって「会社のガバナンス」をコントロールしていく・・・会社は株主のものなんだよ的なロジックが効いてくることは当然必要だと思うんですけどね。

でも、それは結局

「集団側」と「戦略策定機能」が、ちゃんと「チームワークを発揮する」ように持っていけるような”現実的配慮”がある時のみ有効

なロジックなんですよね。

多分、経済至上主義者の人たちは、一緒にされたくない例え話になると思うんですが、

・自分たちが政権取ったら官僚組織をぶっ壊して埋蔵金をガッポガッポ取り出せるから財政も立ち直るしウハウハだぜ・・・・と言っていた民主党

・自分たちの秘策を使えば真夏のピーク時でも原発無しで絶対乗りきれるッスよ、なーんも心配いらねッスよ・・・・と言ってたけど無理でしたな脱原発派の人

と、

・日本的商習慣をボコボコにぶっ壊して競争させて、あらゆる個人が集団からバラバラになって自立するようになったら日本経済は良くなるよ・・・・って言ってる市場原理主義者の人

っていうのは、似たような感じなんですよね。

民主党の「思い」はスゲー大枠として大事だったと思うんですよ。硬直化した官僚主導社会から、自由で現場的な無数のトライアルが民間ベースで起きる社会に転換していかなくちゃいけない。でも、そのプロセスで自説を絶対化する方向に行って、色々の現実的問題もぜ~んぶ吹き飛んじゃうぜ!!ってなったら「広範囲の生身の人間の心底の協力関係」を引き寄せられないから結局実現しない。

脱原発派の人でも、それぞれのアイデアはかなり面白いなあってものが沢山あったはずなんですけど、「自分たちだけが正しくて他はカス」っていう方向に行くと、足りないものも絶対足りる!!って言わなくちゃいけなくなってきて破綻する。

同じように、市場原理的なメカニズムをもう少し徹底できるようにして、「マクロに見た合理性」=「大枠で見て何に力を振り向けるべきなのか」について、もっと「真剣に考える機能」が有効に機能するように持っていくべきなんだ・・・・という観点は恐らく絶対的に正しい。バンザイ突撃をコレ以上続けないためにも。

しかし、それが「日本人の本来的特性」を「どうやって活かすのか」っていう観点から一貫して現実的配慮をしていくことなく、なんか物凄い抽象度の高い経済学的理論だけの延長で、「集団の密度感を解体すれば良くなる」っていうのは、そもそも「そんなことしたら自分たちの本当の長所が崩壊する」ことになる。

つまり、結局「一般論すぎる経済原理主義者」の言うことが全然通らないのは、結局それは「グローバリズムの威を借る狐」にすぎない一般論しか現状では言えてないからなんですよね。

本当に「自分が提言する相手」の、「本来的特性」を活かせるような議論じゃないと、受け入れられなくて当然なんですよ。

で、「本当に現実レベルで噛みあう方向性」を突き詰めていくと、



・いわゆる「右翼」な人たちの純粋な理想を求める気持ち
・いわゆる「左翼」な人たちの純粋な理想を求める気持ち
・「経済至上主義」な人たちの純粋な理想を求める気持ち



も、徐々に徐々に一体的に具体化していけるような、


「三位一体のド真ん中の言論」

に収束していくはずなんですよね。

まず、その「大元」の部分でコンセンサスを作らない限り、「論破しようがない完璧な論理の旗印」を掲げて逆側にいる人達を焼き払って絶滅させようったって結局今の日本じゃそんなことできないんですよ。

ただ、一個前のブログ記事にも書いたように、案外、「最初の時点ではかなり中立的で冷静」なこと多いんですよねそれぞれは。というかいわゆる「サイレントマジョリティ」的には、「極論どうしの罵り合い」には結構辟易してる感じがかなりあるんですよ。

でも、それがいざ「20世紀的対立構図の中での煽りあい」に発展していくと、初期にはかなり理性的だった論客も、「先鋭化せざるを得なくなって」しまうメカニズムがあるんですよね。

だからこそ、その「欧米文化的概念論理の対立」に至る手前で、「現地現物のそもそもの部分」で、先に「大まかな方向性」を「三位一体に共有する」方向に、日本のなかの「言論」は力を尽くすべきなんですよね。

そこを真剣にみんなで突っつき回さない限り日本は決して変われない。



現在には、「無理やりな経済原理主義」「無理やりなグローバリズム」が、世界中に軋轢を産んでテロやら海賊やら地域紛争やら貧困やら生んでる世界があるわけで。

で、シンガポールみたいに、「規格外のものはすべて排除してしまう形でのグローバリズムへの最適化」っていうのは、シンガポールサイズじゃないとできないことなんですよ。

だから「シンガポールみたいになんでできないの?」的なことだけ言っちゃうグローバリズムの威を借る狐どもはね、民主党が政権取ったら官僚組織もぶっ壊せるし埋蔵金も(以下略)とか、脱原発は明日にでも可能でそれができないって言ってるのは原発ムラの既得権益が(以下略)とかと同レベルの話なんですよ。

アメリカがそれが出来てるように見えるのも、もうマジで「アメリカだからこそ」なんですよね。

日本は荷物が多くて「余っちゃってる」ものが多い国なんで、その「余っちゃってる部分」=「他のスマートな国にはない部分」を、どうやったら「他にはない優位性に転換できるのか」について超真剣に考えるように持っていかなくちゃいけない。

でも、そこを「止揚」する方策を日本人1億2千万人が作り上げられたら、マジでグラミン銀行どころじゃない世界の光輝ける希望なんですよ。

ガチガチの利益最大化主義者VS欧州左翼風のロマンティックで遠い目をした良心

みたいな対立を、そのまま「概念で分断されてるんだからそもそも違うもの」って感じになってしまわずに、「現実レベルで統合していく力」が日本にはある。

その道を歩んだ時にだけ、「あれこれ面倒くさい自分たちの性質」が、「他にはない圧倒的な才能」に転換されるわけですからね。



その「議論の対象」には色んなレベルがありますからね。一歩ずつでいいんですよ。

それにこれは対立自体が「囚人のジレンマ」的な関係にあるんで、片方だけ相手に理解を示して逆側は結局相手を非難するだけしかしないでいたら、パワーバランスが崩れて凄い非現実的な方向に暴走してしまいがちなんで、だからギリギリまでお互いを罵倒しあっていることがプロセスとして必要ではあって、進むのは一歩ずつでいいんですけど。

日々の現場の工夫レベル、そしてそれをある程度「抽象度をあげて」認識する、経営幹部的な人やコンサルやMBA的な文化の人やそれについて文章を書く仕事の人のレベル、そしてそれを大づかみに総括する経済批評レベル、さらに外側の人文的な分野での書き手・・・まで、それぞれの持場での取り組みが必要なんですよね。

それぞれの「発想のレベル」が、「概念的に分化したらそれでわかったつもりになる欧米文化の悪癖」そのままに暴走した「20世紀脳レベル」を超えて、「現実レベルでの噛み合い方を模索」をそれぞれができるようになっていけば。

その「三位一体のド真ん中の言論」が次第に次第に束ねられていけば、「現場の働き手」がまず楽になりますからね。

今の、「なんかもっと自分たちらしさが大事にできる方向性ってのがあるはずなのにな???」っていうような違和感が消えてきて、「よっしゃ、どこにもないことやったろうぜ!!」っていうようなポジティブな雰囲気が満ちてきますから。

そしたら、「過剰に理想主義的な感情エネルギー」が暴走せずに済むようになるんで、そしたら政治家は、ある程度狙いすましたタイミングで自らの一身を差し出して訴えれば、


「できる限りみんなの思いが具現化する、それでもギリギリ現実的なところをエイヤーっと決める決断」

ができるようになるんですよ。



経営・経済分野において、ある程度具体的なステップを踏みながら「三位一体のド真ん中の言論」を具現化していくガイドラインはね、僕のクレイジーな10年の探求の末、全身全霊を込めて本にまとめてあるんで、ぜひお読みいただきたいんですけど。

とてもブログ一回分で書ききれるようなテーマではないんでね。

例えばその中には、自分には何の取り柄もない・・・という自意識だった50代の技術職のオジサンが、10年弱かけて本業の片手間から徐々に結晶化させた、最初はあり得ないと言われた技術系新事業を創った事例とかね、色々と、自分ところの会員さんたちと準備してきた、


「純粋な理想主義を、漸進的なプロセスを踏むことで毀損せずに市場に乗せる試み(我々は”PQ的大道楽”と呼んでいるんですが)」

も含まれてるんですよ。

そういうプロセスがちゃんと社会に根付いていけば

「けっ、なんでも市場市場言いやがって守銭奴どもが!!」っていう気持ちも、「適切な出口」を見つけられるようになるはず

なんですよね。そしたら、政治レベルで過激なまでのアンチ市場主義的政策をゴリ押して余計に事態を悪化させるような方向性は萎んでいくはずなんですよ。

結局今は、「どうせ、活躍しやすい小賢しい奴らだけの論理で世界は動いてるんだろ?」みたいな怨念が強く残りすぎてるから、過剰な理想主義的政治運動も過激化するんですよね。でもそれは、「経営の実務」レベルで、「うまく活用できてる人材タイプ」が限定されすぎてるから起きるミスマッチなんですよ。

だからその「真因」の方を叩けば、もっと「政治」レベルではスムーズに「やるべきこと」ができるはずなんですよね。

それに、結局そういうのは、目先の数字だけ追い求めてるけど、純粋に「経営の合理性」だけを取ってみたって結局非合理な小手先の方策にしかすぎませんからね。



ただ、そういう地道な個別の事例をパイロットプロジェクトとして作っていくのも大事なんだけど、それだけのパワーじゃ足りなくて、もっと根底的な転換を起こさないといけないんですよね。

日本人の一番の強みは、「欧米文化に飽きた最初の1億人」って部分

ですからね。「欧米の先端文化」が「遠い世界」の中で、伝統社会にまどろんでる人たちか、「坂の上の雲」を目指してガムシャラになってる人たちか、当の欧米人・・・しか地球にはいないですから。

その「どの存在」も、「今のままの延長じゃあ、ちょっとヤバイんじゃないの?」ってのは思ってますからね。でも他に選択肢がないから強気なフリで続けてるだけで。

日本はその両者に「引き裂かれた違和感」を感じ続けてここまで来た国だからこそ、単純に欧米に追従しようとすれば余ってる部分が悪さをするわけですけど、そこで「飽きて」からの、「自分たちの積み重なった違和感」ベースの、「自分たちの本当の幸せ」につながる「独自のスタイル」を生み出せるかどうかがいま問われてるわけなんですよ。

そういう根底的なムーブメントから生み出される商品には、円がどれだけ強くなろうと需要されるだけの「独自的な強み」を宿らせることが可能ですからね。

でも、そのためには、「ただの思考停止的な伝統回帰主義」とかやっててもダメなんですよ。むしろ、グローバリズムの最先端の切実な問題意識で持って、「自分自身が日々感じている違和感」を再定義するような思想運動が必要なんですよね。

それには相当な「知的マンパワー」が必要なんですけど、今、お互いを叩き合って潰し合うことに投入されてる「知性」の量て物凄いもんがありますからね。

今更右だとか左だとか保守だとか革新だとかリベラルだとか言ってんじゃないっすよ。

目を覚まそうぜ、そろそろ。

っていうかもしあなたが右翼だとしてあなたに

『本当の愛国心』がある

のなら、そしてもしあなたが左翼だとして

ただ自分がロマンティックな遠い目をしながら華麗に主張してカッコつけたり悦に入ったりしたいだけの論理じゃあない『本当に現実的に解決したい対象を持った左翼的良心』を持っている

のなら、そしてあなたが経済至上主義者で、

日々タフさを増す世界の中で奮戦するタフな俺ってカッコイイだろアピールをしたいだけじゃあなくて『本当に日本経済をうまく活かせたい』と思っている

のなら、お互いの欠点をあげつらいあう言論に時間を使うのを徐々に減らしていって、その紋切り型を脱却しよう。



今の日本に問われているのは、欧米的概念論の後追いじゃない形の、「日本人の日本人による日本人のための言論」が、「思考停止の伝統回帰主義」じゃない形で、グローバリズムと噛みあった形で、どれだけ生み出せるかどうか・・・なんですよ。

今の日本は、「マットウな普通の自然な運営」すらできないぐらいバラバラになってしまってますけど、それはこの「三位一体のド真ん中の言論」を生み出さない限り永久に迷走してしまう・・・という「あえて飛び込んだ背水の陣」みたいなもんなんですよね(笑)

やっぱり、自分の身を危険にさらして、「そこで死中に活を見出さない限り破滅する」ってならないと、慣れ親しんだ、そして世界中でみんな言ってる「20世紀的紋切り型」をなぞってるほうが楽ですから。

その「普通のウラ側の真実」に対して、本当に自らの五感と体感と知性をフル動員して飛び込み、「自分たちだけの勝利のあり方」をつかめるかどうか。

自分たちだけの泥沼の底をリスクを取って這いずりまわって、欧米的二元論を超える新しい文明の旗印を掲げることができるか?

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1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
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『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。