この記事の趣旨(もうフェミニズム記事を書くのは辞めます) なんか大げさなタイトルですが、最近ブログでは続けてフェミニズム関係の記事ばかり書く流れになったんですが、それによってネットでの記事が「読まれる量」的な数字が激減してしまったため、 フェミニズムについてネットで書くのはこれでやめよう ・・・と決意するに至りました。 個人的な感性としては非常に重要な話をしているという実感があるし一部の読者には熱意を持って読まれている反応はあるんですが・・・ 「反アベvsアベ」とか「嫌韓vs親韓」とか「嫌中vs親中」とか、資本主義に対してどの程度の肯定的態度を取るかとか、こういう問題に対しては、党派的にどちらかだけの視点からじゃない解決策を・・・という方向性で私のような記事を書くことに一定のニーズがあるんですが、 ことフェミニズムに関わる問題については果てしなく「どちらか」をちゃんと選んで書かないと読まれない、厳しい世界 なのだということを知りました。 なかでも、 「ある程度ちゃんとフェミニストが言ってることの文脈を理解する気があって、かつフェミニストの言っていることには全面的に賛成できない」というような記事は難しい位置にある と実感しました。 そもそもフェミニズムに反対の人はあんまりフェミニスト側の言ってる文脈を理解する気がない人が多いし、一方でフェミニスト側に立つ人はその弱い立場ゆえ(あるいは被害妄想ゆえ?)にちょっとでも自分たちに異を唱えるような趣旨は一切受け入れられない・・・という分断がある。 それでもフェミニズムについて最近書いていたのは、私は経営コンサルティング業のかたわら、 「文通を通じてあなた個人の人生に寄り添って一緒に考えましょう」 みたいないわゆる”コーチング的”な仕事もしていて、そのクライアントの中に「フェミニスト的な女性」も含まれているので、そういう人への態度表明という、”私にとっては”重要な必然性があったからなんですが。 今後、少なくともブログ等ではフェミニズムに触れることは辞めようと思っていますが、最後に、 ・フェミニズムに心情的に共感するが、今のように全方位的に古い社会を罵り続けるだけで何か改善するとは思えない ・・・というあたりの読者の人に、最後の「提言」的なことをして”サヨナラ”ということにしたいと思っています。