十二国記に見る「女性ならではの視点」の本当の意味




この記事の要約


「十二国記」という知られざる大ヒット小説シリーズ(累計一千万部突破)があるんですが、18年ぶりに新作が出るということで、ファンの間には大きな話題になっています。

私はこの「18年ぶりの新作ブーム」の中で、薦められてはじめて読み始め、最初のうちは「うーん・・・」と思って一度挫折したんですが再読したら俄然熱中してしまい、いまや11月8日に出る新作完結編を出るのを今か今かと待っている者です。

この記事は、読んだことないあなたへの十二国記の紹介をしながら、最初のうち私が受け入れづらい思いを抱いていた「十二国記特有の設定」の背後にあるものはなんなのか?という考察をしたいと思っています。

この「十二国記特有の設定」にハマれるかどうかが十二国記を楽しめるかどうかの分水嶺みたいな感じなんですが、私からすると非常に「女性作者ならではの世界観」だなあ・・・と思っており、それが最初のうち気持ち的に受け入れづらい理由だったと同時に、途中からは熱中して読む理由に変わった感じでした。

全体的に十二国記は「田中芳樹の作品(アルスラーン戦記とか銀河英雄伝説とか)を女性が書いたらこうなるって感じ」とか言われることが多いんですが、子供の頃田中芳樹の本に熱中していた人は必ず楽しめるというだけでなく、なにか「田中芳樹が持つ男ならではの問題」を「女性ならではの視点」で補完されるような、なんだかそういう気持ちになりました。

この記事は、「十二国記の紹介」だけでなく、その「背後にある設定の女性ならではの部分」を私たち社会がどう扱っていくべきなのか?みたいな話にまで踏み込めればいいなと思っています。それが「敬遠している人も十二国記を楽しめるきっかけ」にもなると思いますので。

目次は以下のとおりです。

●1・知る人ぞ知る名作十二国記の新刊が出ます。
●2・「特殊な設定」に入りづらい理由はなんだろうか?
●3・「女性ならではの視点」の本当の意味
●4・現代社会における”女性のエンパワーメント”はこの道で行われるべき


では以下本文です。







●1・知る人ぞ知る名作十二国記の新刊が出ます


十二国記は一般的知名度はそんなに高くないと思うんですが、「あちらこちらに熱烈なファン」がいる作品です。

私は経営コンサルティングのかたわら、「文通を通じてあなた個人の人生に寄り添って一緒に考えましょう」みたいないわゆる”コーチング的”な仕事もしていて、そのクライアントには色んな世代の「キャリアウーマン」さんがいるんですが、

「実は今度凄い楽しみにしている小説が18年ぶりに出るんですよ・・・」

・・・と言ってる人が何人もいてビックリしました。え?あなたも?え?あなたも?ええー?ひょっとしてあなたも?・・・みたいな。

また、近所の本屋さんに買いに行ったときもレジの店員さんがファンで、ニヤッとしながら

「このラインナップは読み返しですか?今から読み始める感じですか?私はずっと前からのファンなので本当に嬉しいんですよ。今日帰ったら必死で読みます」

とか話しかけられて、オマケの栞を普段より多く入れてくれたりしました。

ゾンビ映画みたいに、「電車で隣りにいるその人は実は十二国記ファンかもしれない・・・おまえもかー!」的な世界で。

それぐらい、「お互いを認知したら話しかけずにいられないような草莽のファン」層が眠ってる作品なんだと思うんですね。

なにしろ、今となっては私もわかりますが、18年前にプッツリ切れた話の切れ方が尋常じゃない。

まるでドラゴンボールで「戦場に遅れてきたゴクウが、絶望的な状況の中やっとたどり着いてこれでちょっとでも何か好転するかな?」・・・ぐらいのシーンで突然連載がストップして18年放置されるような感じで。

作者がご病気という噂も聞くし、もうこの作品は未完のまま終わるのかな・・・と思ってたら18年ぶりに「その続き」が4巻続きで出ます!とアナウンスされた時の興奮たるや・・・ご想像いただけるのではないかと思います。

そんだけ熱烈なファンがいる作品なら、ちょっと手を出してみようかな・・・と思う人もいるかと思います。田中芳樹の作品を昔好きだった人とかは「ハマれる要素」が凄いあるはず。

ただ、「設定が物凄い特殊な話」で、特に男はなかなか入りづらいんじゃないかな、と思うんですよね。でもそこを乗り越えると、「ああ、女性作者ならではの良さってこういうところにあるんだなあ」と思う部分があるんですよ。

その(特にこれから読もうと思っていう男性にとっての)「最初の関門」である設定の特殊さについて考察したいわけなんですけど。

単純に結論をまとめると、

最初は、「十二カ国がお互いに決して征服しあわない」「王が徳を失えば民心が乱れ没落する」的な設定が非常に人工的で現実離れしている感じがして受け入れづらかったが、しかしこれは”女性作者ならでは”の、本当にこの現実世界のある部分を明晰に反映していることに気づいてから一気に熱中できた

という感じです。






●2・「特殊な設定」に入りづらい理由はなんだろうか?


これがウィキペディアにあった「十二国」の地図なんですが・・・


まずこんな幾何学的な形の地形自体が異様に人工的な気がするし、国同士が決して征服しあ”えない”理由があるというのも受け入れがたいし、そもそも「王」がきちんと選ばれて「徳」を示していなければ国は没落し、逆に「王」がちゃんと即位して「徳」を示すことができていればその国は繁栄する・・・という設定が、なんだか物凄い非現実的な感じがしてたんですよね。

だから、最初のうちは読みすすめるのが苦痛で、なにか物凄く人工的な「こしらえごと」の世界を無理やり体験させられているような・・・

そもそも小野不由美さんという作者の作風は、「作品全体の4分の3ぐらいまで意図不明の伏線が果てしなく張られていき、最後の4分の1で一気にまとめるタイプ」というのもあって、その「最後のカタルシスの素晴らしさ」を知っているファンであれば前半部分の苦痛もむしろ楽しみに読めるんですが、そういうことも知らないで最初の「月の影・影の海」を読み始めてしまうと、途中で挫折する可能性は高いかもしれません。

私は一回挫折しかかったんですが、前述した「クライアント」の女性が何人も熱烈なファンでその話を何度も聞いているうちに影響を受けて、もうちょっと頑張って読んでみようかな・・・って努力してみたらパカーン!とハマりました。

十二国記の「人工的で特殊な設定」は、男にはあまり受け入れづらいものが多いんじゃないか・・・と思うんですよ。いや誰しもというわけではないですが、傾向としてね。

まず十二カ国がバラバラに存在するなら、お互い征服しあうか、そうでなくてもその間に統一的な政治的かけひきや論理が設定されていくのが男の描く世界という感じがします。

十二国記はそういう展開がある理由で徹底的に「不可能な設定」になっているのがちょっと男として非常に「嘘くさい」感じが最初はしたんですよ。

さらには、それぞれの国の栄枯盛衰が「麒麟という神獣が選んだ王が徳を示せばありとあらゆることがうまくいき、徳を失えばありとあらゆることがうまくいかなくなる」っていう設定自体がなんか・・・物凄く嘘くさい話を読んでいる気がしていて。






●3・「女性ならではの視点」の本当の意味


しかし、読みすすめるうちにふと気づいたんですが、

・現実世界でも、分離した国同士、個人同士が簡単に”征服”しあったりできるわけではない
・個別の政策決定の内容よりも、安定的にマトモな運営の決定ができる状態に持っていくことが一番大事

・・・という風に考えると、この「十二国記の特殊な設定は、むしろ現実世界を非常にうまく表わしている」のかもしれません。国の運営でも企業の経営でも、「この二点」で非現実的な方向に熱中してしまってうまくいかないことってたくさんありますよね。

現実世界の私たちは、本来不可能な「他者を征服する計画」(国同士でも、イデオロギー同士でも)に熱中するあまり、大事なことを一個ずつ安定的に処理していける態勢を整えることはおろそかにしてしまいがち・・・ですよね?

そういう「十二国記の設定の背後にある深い現実への洞察」が理解できるようになると、「女性作者ならではのリアリティ感覚」ってこういうところが美点なのかもしれないな・・・と思うようになりました。

それに比べると田中芳樹の作品とかの方が、「リアリティ」よりも「イデオロギー」ですべてを斬ろうとしてしまっているアナクロさに満ちているところがあるのやも?

子供の頃田中芳樹に熱中していた人は、ツイッターとかのSNSで果てしない議論に熱中してしまいがちなタイプが多い・・・と個人的には思っているんですが、十二国記はそういう意味で非常に「女性版の田中芳樹」どころではなく、「田中芳樹のダメなところに対する免疫になるような全く新しい世界観」を、男性読者は体験することになるように今は思っています。

イデオロギーに熱中して罵り合うだけで何もできない現代世界における、「あたらしい視点」が18年ぶりにまとまって発売されることの意味、がそこにあるのかも?





4●現代社会における”女性のエンパワーメント”はこの道で行われるべき


最近ネットを開くと人権派やフェミニズムとかそういう「意識高い系ムーブメント」が「日本社会」を徹底的に呪詛する声が溢れていますよね。

個人的にはフェミニストの言うことの8割ぐらいは、まあ最終的にはそういう差別がなくなればいいよねえ、ぐらいには思ってるんですが、彼らが攻撃する「日本社会のある部分」は単純にロリコンでガサツで人権のなんたるやをわかっていない日本の男どもの世界基準から見て呆れ果てるゲスさのためにあるんではなくて、ある種の血も涙もないグローバル資本主義に対する防波堤として切実な「機能」があって存在しているところがあるので、ただ「やめろ」っていうだけではやめられないんですよね。

私の5年ぶり新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」の図から引用しますが、



こんな感じで、欧米的基準を持ってきて「ダメ」って言うのではなくて、「古いものの中にある価値」をどうやって現代的にOKな形で再現できるかについて真剣に考えていけば、いずれあれだけ罵り合っていたのが嘘のように、「なくしたほうがいい風習」などはキレイサッパリゴミ箱に捨てられるように自然になるでしょう。

私は学卒でマッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのはいいものの、そこで展開される「方法論」と、いろんな意味で「日本的なるもの」とのギャップがあまりに大きい現状にだんだん心を病んでしまい、その後「日本という国の”現場を知る”旅」と称して肉体労働やら新興宗教団体への潜入やら色んなことをやった後、中小企業向けのコンサルティングや、前述の「文通を通じて個人の人生の戦略を考える」みたいな仕事で日本の今を生きる「老若男女いろんな立場の人」と触れ合う仕事をしています。

巨大なグローバルIT企業や原理主義的な金融資本主義への厳しい批判がなされるようになり、「時代の振り子」が逆側に振れてきている今、むしろそういう「欧米的世界観によるグローバルな流行」に乗らずに内輪で引きこもり、結果として守り通してきたモノの中には、今後の人類全体にとっての新しい希望になりえる萌芽みたいなものが眠っていると感じています。

このブログ記事などで書いたように、「一部のインテリとそれ以外が果てしなく分断される欧米社会の悪癖を超えるための、中間集団を破壊しない最新型の資本主義」も見えてきつつある。(ブログ一回では詳しい話ができないのでご興味あればリンク先の記事等読んでいただければと)

「女性として生まれて日本社会に育ってみれば、男としてノウノウと暮らしてきたテメーにはわからない苦労をするんだよ!」・・・ということなのかもしれませんが、同時に「日本社会において男として期待される責任を感じずに生きてきたアンタにはわからない、日本社会全体でちゃんと協力しあって欧米社会にはある破滅的な分断を起こさないように抑止するシステムってものもあるんだよ」という感じがします。

これは表裏一体の問題だから、「どっちも」解決できるようにならないと「片側だけ」は解決できない種類の課題なんですね。

欧米由来の「こうあるべき」的な基準を日本にもってきて「そうなってないのはカス」って言われると、そもそもその基準が本当に「人間社会を幸せにするのか」のレベルから議論したくなりますし、人類社会に占める欧米社会のGDPの割合が減り続ける21世紀にはそういうゼロベースで議論する態度がむしろ切実に必要だと思ってしまいます。欧米的な理想を本当に全世界的に社会にインストールしたいと思うのなら余計にね。

一方で、「十二国記にハマるような女性の意思」の中には、切実に「男が持っている世界観に欠けているもの」が濃密に詰まっている感じがします。

女性の「その部分」がちゃんとエンパワーされていくことは、男側の切実なニーズにも叶うことですし、お互いが自分でこしらえた「人工的な基準」に相手があてはまってないからと罵り合うよりも、どうしたらこの社会の中で人びとが幸せに暮らせるのかを真剣に考えていく「潮流」が生み出せれば、それは日本発の世界の希望になるでしょう。

最近、オバマ元大統領が「最近の若い人みたいに他人に石を投げてるばっかりじゃ何も変わらないよ」とか言ってたのが話題になっていた事からわかるように、こういうのは「全世界的な傾向」として生起しつつあります。

先日書いた「モーツァルトが既に描いていたフェミニズムの行く先」というブログ(この記事がお好きな人は楽しめると思います)の最後でも書いたとおり、世界的なフェミニズムの最先端は「徐々にこういう課題に向かいつつある」ように私は感じていますし、なにより例の「クライアント」の女性には「昔からの延長でノウノウと生きている男」とは比べ物にならないぐらい「ちゃんと考えている」人もいるなと体感するようになってきているところです。

「女性のエンパワーメント」が、なんか男のやっていることで気に入らないことを全部端から攻撃しまくることを容認すること・・・なら、それは強烈な反発も生まれるでしょう。

しかし、「女性のエンパワーメント」が、社会に対する「十二国記的」な女性ならではの視点がちゃんと還流するようにし、無駄な罵り合いではなく「実質的な問題の解決に迎える態勢を整えることが第一である」という意思であるならば、むしろ日本のネット右翼さんとかですら「我が意を得たり」と思う要素もたくさんあると私は思っています。

・・・そういう観点から、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」という直球なタイトルで、私の5年ぶりの新刊が今度でます。

以下のリンク先↓の無料部分で詳しく内容の紹介をしていますので、このブログに共感いただいた方はぜひお読みください。

みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?

また、同じ視点から、紛糾続ける日韓関係や香港問題などの「東アジア」の平和について全く新しい解決策を見出す記事については、以下のリンク↓からどうぞ。(これも非常に好評です。日本語できる韓国人や中国人へのメッセージもあります)

この視点にみんなが立つまでは決して解決しないで紛糾し続ける・・・東アジア問題に関する「メタ正義」的解決について

この記事を楽しめた方は、ブログの他の記事もどうぞ。最近は結構頻繁に更新しています。

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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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