『他者に寛容でありたいと思っていたら果てしなく損な役回りを続けることになる連鎖』をどう抜け出せばいいのか。
なんか、 一個前の記事 、書いて良かったなあとは思うんだけど、もっとスッキリ言えないもんかね?ってずっと思ってるんだよね。 「スギちゃんみたいな余裕」が欲しいといいつつ、自分自身もそうなってないってとこあるしな。 なんでもっとスッキリ書けないのか?って考えた時に、結局「無意味な遠慮」をしてるんだな・・・・っていう風に、思い立った。 なんか、何回も、「こういうタイプの人はとりあえず現状そういう風な方向での言論をしておいてもらう必要があるし云々」みたいなこと言ってるじゃないですか。 ここ二ヶ月ぐらいの記事の中に、そういう方向の文章、結構書いたと思うんですけど。 その「遠慮」が良くないのかな?って思った。 って、これは「僕個人の問題」でありつつ、グローバリズムの中で日本人が自分たちの良さを発揮していくって時には普遍的な問題なのかな?って思ったりするんで、ちょっと書いてみようと思ってるんですが。 題して、 『他者に寛容でありたいと思っていたら果てしなく損な役回りを続けることになる連鎖』をどう抜け出せばいいのか。 みたいな話。 結論的には、 とりあえずは寛容な態度を取ることによって「色んな立場を包含するような全体の世界観」自体を自分で定義するとこまで行って、それの主張においては「寛容さ」を一切捨てて主張していく、という一貫した態度が必要 ・・・・ってことになるのかな。