スキップしてメイン コンテンツに移動

選挙結果を、どのタイプの日本人にも良いものにするための考え方。

選挙結果が、なかなか印象深い結果になっていますね。


僕は昔、前回の安倍政権が選挙で大敗した頃、物凄く積極的に安倍支持派で、そういうブログをちょこちょこ書いてたんですけど。これとかこれとか。

当時思っていたのは、彼は色んな事象について、凄く的確に場合分けして「こういう場合はこうしましょう、こういう場合はこうしましょう」って感じで裁く力があって、民放ニュース番組の超ムチャ振りな質問に対しても、ちゃんと「話の前提」から確認して一歩ずつ適切なコメントを出す力があるなあ、そこが信頼できるなあ・・・ってことなんですけど。

「ナンチャラなくしてナンチャラなし」みたいな適当なキャッチフレーズに逃げないっていうかね。

ただ今回は、まあ野党として選挙に向かって挑戦している立場だったということもあって、ちょっと無闇に吠える言説に引っ張られがちな感じが心配なところがありますね。

ただそういうのは、実際に政権を担うようになるとある程度常識的な範囲に収まるようになっていくでしょうし、その辺の適切な場合分けとか判断の柔軟さとかが彼の話からはいつも感じられるんで、とりあえず私個人としては、これは悪くない流れ(というか、うまく日本人が対処すれば良い方向に持っていける可能性がある流れ)だなと思っています。

でも、そうは思わない人も結構いると思うんですよね。これは一種の「危機」だ、というぐらいに感じておられる方も多いと思うので。

で、そういう方の気持ちも結構わかるんで、でもともかく選挙やってこの結果になった以上、この流れを利用しながら日本をどうしたらいいのか、って感じに考えていかないと、またずっと混乱だけが続くことになるわけですよね。

だから、今回の選挙結果が「不服だ」と思っておられるであろうタイプの方に、「この状況を利用して、自分たちの願う未来を実現するにはどうしたらいいのか」みたいなことを提案するブログを書こうかなと思っています。

まあ、少なくとも、「こういう風に考えれば、それなりに希望も持てるな」ぐらいに思ってくれればいいなと思って書きます。



多分、今回の選挙結果が不服だと感じておられる人は、2つの大きなタイプがあると思うんですよ。

A グローバリズム的な流れに乗って活躍している方(開国論者、いわゆる新自由主義者とか、そういうタイプの人)

B 伝統的な形での、いわゆる「左翼」というか「リベラル」な立場の人

Aの人は、日本がこれからどんどん、いわゆる「開国」をしていって、内輪の特殊事情を次々と廃して、グローバリズム的なシステムがスムーズに通用する国にしたいと思っておられる人なわけですよね。

だから、安倍氏が持ちだしてくるような、ちょっと思弁的なというか、タカ派な発言も邪魔に聞こえるし、「日本の特殊性」を押し出していくような部分が生理的に不快だったりするわけですよね。国際的視野における自由な経済活動に、余計な邪魔をしかけてくるような匂いを感じてしまう。

あと、積極的な財政支出と、デフレ対策に対する違和感ってのもあると思うし。

一方で、Bの人の違和感っていうのは・・・・まあ言うまでもないですね。

で、そのどちらの立場の人にとっても、この状況を「うまく利用」する方法を考えて欲しいと思ってるんですよ。それは可能だと思っています。

少し長くなるので、

1 ”右傾化”と”開国”
2 議論紛糾している金融政策と、大きな財政支出について
3 リベラル派の今後あるべきチャレンジとは

の3つで行きます。つまり先ほどの分類、


A グローバリズム的な流れに乗って活躍している方(開国論者、いわゆる新自由主義者とか、そういうタイプの人)

B 伝統的な形での、いわゆる「左翼」というか「リベラル」な立場の人


で言うなら、Aのあなたには「1と2」を、Bのあなたには「3」を読んで欲しくて書いていくというわけです。




1 ”右傾化”と”開国”


今回の選挙結果は、幕末に例えると「尊皇攘夷運動」みたいなものだと捉えるといいと思うんですね。

幕末の革命は、結果として出来た「開国」路線の新政府とは全然違うムーブメントからスタートしたじゃないですか。

最初は、とにかくガイジン見たら斬り殺せっていうような反応からスタートしましたよね。

「結果として出来た政府」と、「ムーブメントの初期段階のスローガン」は全然違うものだった。

結果論的に今の我々から見ると、当時の「尊皇攘夷運動」なんて、ネコソギ馬鹿馬鹿しいものに見えてしまうわけですけど、だからといって最初っから「開国」を旗印にして明治維新がちゃんと完遂できたかというと、それは絶対ありえないでしょう。

もしあなたが「開国主義者のグローバリスト」であるならば、そういう目で安倍政権のありようを見れるといいと思うんですよ。

つまり、「開国しろ。グローバリズムに乗り遅れるな。引きこもってるんじゃない。そんなんじゃ駄目だ」と過去10年言い続けて言い続けて言い続けた結果、余計に萎縮してしまってるというような部分が今の日本にはあるわけですね。

それに、本当にグローバリズムの中で自分たちの独自性を打ち立てて行くには、ただ「アメリカや韓国の真似をする」ってだけじゃダメなわけですよね。

何らかの「独自性」を打ちたてられてこそ、既に通貨が強くなってしまった国ならではの新しい経済が立ち上がっていくわけですよね。

で、そういう「開国して打って出る」ことを、広い範囲で日本社会に浸透させるには、ある程度「尊皇攘夷的なもの」が必要なんだと私は思います。

そういう旗印によってまず「熱量」を発生させないと、日本社会の隅々から底力を引き出すような浸透力のある「開国」なんてできない。

「開国主義者」っていうのは、要するに「開国」によって直接的に利益を得やすい層の人なわけですから、そういうあなたは簡単に「開国」というスローガンに熱量を感じられます。それは、「ムカつく既得権益のオヤジども」から「権力」をひっぺがして自分たちのところに持ってくる行為だからです。

でも、「引き剥がされる」ほうからしてみれば、そんなスローガンを叫ばれれば叫ばれるほど、熱意を失うに決まっています。

で、難しいのは、そういう「古い秩序」の中にいる人たちのありようが、全く無意味で有害そのものだったらいいんですけど、実際には、日本社会の安定感とか密度感ある技術蓄積とかが、その「古い秩序」によって保たれているわけなんで、単純にアメリカンなシステムを導入するってことがどうしてもできない「彼ら側の事情」もあるわけですよね。

だからこそ、そういう「集団的密度感の中で生きている日本人」にも、熱意を持って「開国」に参加してもらうためには、それなりの特別な配慮が必要なわけです。

「開国主義者のグローバリスト」の方で、自公民政権に違和感がある人は、そういう風な視点で、今回の動きを「開国の前段階としての尊皇攘夷運動」のようなものだと理解してみると良いのではないでしょうか。

そのムーブメントが生み出す「熱量」が、普段は「グローバリズム的な流れで美味しい思いをしている人たちだけの内輪で盛り上がっている感じ」を、「より広い範囲の日本人を巻き込む流れ」に広げていくキッカケにすることが可能だと思います。

今までの「笛吹けど踊らず」的な無力感を感じるような、「なんでわかってくれないんだよ」的孤独を脱して、「よーしこれから俺らの良いとこ世界に見せちゃおうぜ!」的なムーブメントに転換していく起点にできるだろうということです。

逆に言うなら、その「熱量」が、破滅的な方向に行ってしまうのではなく、ちゃんと角度を調節して「グローバリズムの中で自分たちの独自性を打ち立てること」に使えるようになるかどうかが、「開国主義者のグローバリスト」さんの、これからの「役割」だと言っていいでしょう。

ここでもしあなたがた「開国主義者のグローバリスト」さんたちが、自公民政権が持っている動きに対して「VS」の形で向かって、彼らの「自分たちらしさを感じたいよぅという切なる思い」に対して叩き潰してやろうとするような方向で向かうならば、彼らの思いはさらに鬱屈して過激化し、本当の意味で誰のためにもならない方向に行ってしまうでしょう。

ここで「VS」の関係にならずに、「適切に角度を変えるように導く」ことが、世界を広く見た視野を持っているあなたがたが取れる「あるべき方向性」だと私は思っています。




2 議論紛糾している金融政策と、大きな財政支出について


次に、付随する問題として、積極的な財政支出とデフレ脱却のための日銀への圧力について、どう考えたらいいかについて私見を述べます。

私個人は、基本的に強い円は国益だと思っているし、日銀にさらなる過激な量的緩和を迫ることが良策だとは思いません。あまりに大きな財政支出にも、心から賛成とは言いがたい部分があります。

ただし、もうそういう方向に行くと「決めた」ような情勢なわけですから、その手前のところでそもそも論的反論をしていても仕方がないようにも思います。

では、もし「やる」とするなら、それが「破滅的な結果にならないようにする」と同時に、「できるだけ大きな成果に繋げる」ことが必要になるでしょう。

実は、過激な日銀悪玉論の背後には、先述した「尊皇攘夷運動的熱量の必要性」が隠れていると、私は考えています。

凝縮性の高い「俺たちイズムの熱量」を発揮する結集軸を形成するには、思想の「純度」が必要になってきます。

「日銀」という見た目の「顔」の背後には、実質的には「金融市場」が存在するわけですが、その「市場という顔の見えない不確定要素」を内側に抱き込んでしまうと、「俺たちイズムの熱量」を発揮するための結集軸としての思想に、「純度」が足りなくなるんですね。

タービンを回すための蒸気の圧力を高めていこうとしているのに、その「不確定要素の穴」からプシュー・・・・と圧力が逃げてしまう。

だから、「尊皇攘夷的ムーブメントの中心」を創りだすためには、「日銀悪玉論が必要」というわけです。

そういう方向で「押す」流れに持っていくことで、「結集軸」が出来上がり、それを起点として先述したように「本当の開国」に向かう流れに載せることができる。そういう「本能的な連携」を今日本人は取ろうとしているのだ、とまず考えてみれば良いと私は思っています。

そこで、どの程度「日銀への圧力」を掛けるのか、という話になるわけですが、ここで完全に日銀を「俺たちイズムの内側に抱き込んでしまう」ことは避けたいところです。

というか、そういうことは、相当積極的なリフレ派の方でも、避けたいと思っておられると思います。日銀が政府にとっての「打ち出の小槌」になるぐらいまでガッチリ抱え込んでしまうことはね。(幕末で例えると、原理主義的に閉じきってしまうことで暴発した西南戦争の西郷軍のような方向性ですね)

そこまで行かない範囲で、適切なレベルの「マジで緩和してるぜという姿勢を見せる」こと自体は、「国富とはそもそも何か」的な物凄く本質的な議論はともかくとして、市場の空気的なものに対して適切な範囲で良い影響を与えることが可能かもしれません。結局市場関係者といっても万能の神ではないので、「こういうのは意味あるぜ」と言ってる人が世の中に結構いれば気迫でそれなりの影響を与えることもあると思いますし。

というか、やる以上はそれを目指したいところですよね。

それが成功すれば、とりあえず輸出関連企業の帳簿上の業績は明らかに改善しますし、なんとなく株価も活気付くでしょうし、そのことのシグナル効果も結構あるかもしれないので、やる以上はやっただけちゃんとみんなの気分が盛り上がるように持っていきたいものです。

そのために重要なのは、結局財政出動も金融政策も、「それさえやっておけばいい」というような万能薬ではないんだという認識を、共有することだと思います。

金融政策について、通貨現象に対して実体経済的な下部構造の影響を一切無視してしまうような純粋論者の方でもない限り、結局金融政策というのは、「薪に火を付けるための着火剤に過ぎない」という認識の方が多いと思います。財政出動にしてもしかりです。

バーベキューをやるときに、炭や薪といった「本体」に火がつくまで、着火剤として新聞紙とか、時にはホームセンターで売ってる専用の着火剤を燃やしますよね。

着火剤は簡単に火がつきますけど、持続的にちゃんと美味しいご飯が炊けるような熱量は期待できません。ボッと燃え上がってそのうち燃え尽きます。

そして、金融緩和も財政出動も、無尽蔵にできるわけではないので、いつまでも着火剤に頼り続けるわけにもいきません。

つまり、大事なのは「どうやって薪や炭といった本体に火をつけるか」の方に、みんなの意識を持っていくことではないかと思います。

「着火剤を使うかどうか」について、もう「使う」と決めてしまったわけなので。そして、「使う」と決めたなら、是が非でもその「着火剤が燃え尽きるまで」に、「本体」の方に燃え移るようにしなくてはいけません。

一番良くないパターンは、「着火剤を使いさえすればOK」という人たちと、「いや着火剤だけじゃダメだ」という人たちの間の論争がヒートアップする中で、「着火剤をどうやったら薪や炭に燃え移らせられるか」といった一番大事な問題から意識がそらされてしまうことだと思います。

今回巨大な財政出動をしてしまえば、これが「息切れ」するころにまだ日本経済が離陸してなかったならば、それこそ本当に絶望的な状況になりかねません。

また、金融緩和をしても資金需要の少なさから結局効果がなかった場合、さらにさらに意地でも無理押しにしていくような流れになってしまえば、どこかでポキッと行ってしまってこちらも相当ヒドイ結果に導かれてしまうでしょう。

つまり、「やると決めたこと」が「適切な範囲に収まる」ように誘導するのも大事なんですが、その「着火剤を使った」分、もうこれがラストチャンスぐらいの気持ちでそれが「本体に燃え移る」ように仕向けることが大事だということです。

そのためには、財政出動とか金融政策とか、そういうクリアーな論理では捉え切れない「実体経済」上において、ツキナミですけどみなさん一人ひとりが直面している現実の中で「より良くするにはどうしたらいいか」を試行していくことが大事ですよね。

つまり、この「金融・財政政策」についても、自公民の主張する路線に違和感がある人は、彼らが今の主張をしたいと思っている「根っこのエネルギー」を適切に理解して、「VS」で向かうのでなく「適切な角度に誘導していくこと」を目指すと良いのではないかということです。



とは言っても、どうすればいいんだ?という話なんですが。

思うに、景気が悪いとなった時に、経済学的に文句を言われないような議論が出来るのが、この「財政出動と金融政策」、それでなければ「規制緩和」しかない・・・という状況は、まるでその3つが特効薬で、それ以外に必要なことはないように思えてきてしまうので、非常に問題だと私は考えています。

結局、人々の「買い手としての自分たちの本当の望み」と「自分たちが現状実現できている売り手側としての活動」との間に齟齬が大きくなっているから、経済が回らなくなっているという理解を基本とせねばならないでしょう。

と言うと、いわゆる「構造改革論者」だと思われて、つまり「規制緩和して競争を促進して創造的破壊を目指せって言うんだろ?」という風に自動分類されてしまいがちなんですが、そうではないんです。

そこに何かしら「構造的変化」が必要なんですよ。でも、その構造的変化は、決して何かの規制を政府が撤廃しただけで勝手に巻き起こってくるようなものではないはずです。よね?

「着火剤」として財政出動も金融緩和もこれからやっていくのだとすれば、その「ラストチャンスの着火剤」が、ちゃんと「薪や炭」といった本体に燃え移るように、みんなで必死に考えなくてはいけません。



私は、その「転換」を起こすために必要なボトルネックを、「薩長同盟的なもの」に例えて説明しています。

つまり現状の日本では、「なんでアメリカみたいにできないの?なんで韓国みたいにできないの?」という「グローバリズム側に立っている人間が、国内派の人間の切実な事情を理解せずに振り回す議論」か、あるいはそれを完全に無視した泥縄の現状追認か、「どちらか」しか無くなっていることが最大の問題なんですね。

いや、「どちらかしかなくなっている」というのは言い過ぎで、現場レベルでは優れた「両取り」の取り組みは沢山あるんですよ。

問題は、「広く共有されるもの」が、その「キャッチーな両極の極論」ばっかりになってしまっているので、「本当に自分たちの特性が活かせる方向性」を、「グローバリズム的な環境の中でキッチリ位置づける」ということが、ほんの一部の特殊例以外ではできていないんですね。

結果として、「国内派」の人は、「国際派の奴らとかかわるといつも罵倒から入られるし、俺らの事情も全然わかってくれないし、それだったら今のままでもいいや。現状、多少ジリ貧とは言えまだ食えなくなっちゃったわけでもないし」という方向になってしまい、国際派のあなたはさらにキリキリと怒りと危機感を感じて罵倒の声を強めることになってしまいます。

大事なのは、その「ど真ん中のマットウな意見」を、ちゃんと「広い範囲に共有すること」です。

今は、「両極端な極論」に埋め付くされてしまっている領域を、

「グローバリズム対応は当然必要。そしてそのためには自分たちの特性をトコトンまで突き詰めることが必要」

という

「ど真ん中の意見」

に置き換えることです。

これが、

「集団的密度感の中に生きる薩摩藩的人間」と、「概念的一貫性の中で生きる個人主義者の集まりである長州藩的人間」との間の最適連携

という意味において、

「21世紀の薩長同盟」

なんですね。

しかし、この「ど真ん中の意見」というのはなかなか共有しづらい。なぜなら、「逆側にいる人間」を罵倒して消去してる方が議論がキャッチーになりがちだからです。

でも、今回の「自公民政権の盛り上がり」は、そのための重要な「場づくり」になりえます。

なぜなら、「薩摩藩側(集団側、自公民側)」の方がある程度安定したポジションを確保しているので、「長州藩側(グローバリスト側)」の意見を、是々非々でちゃんと取り入れる「度量」を示すことが可能になるからです。

グローバリスト側としても、今まではとにかく外国の事例を持ってきて「日本はダメだ」と言っていればみんなが聞いてくれていた時代が終わっていくでしょうし、そうすれば、ちゃんと「適切な選別システム」が働き始めるでしょう。

言ってみれば、今までの日本は「言論市場」が歪んでいたと言えます。

「外国の事例を持ってくればどんなものでも持て囃される」というような評価軸が「日本社会が本質的優秀性を発揮するためのメカニズム」とズレたままだと、「薩摩藩側」としても一緒くたに拒否せざるを得なくなってしまいます。

今後、「薩摩藩側」の「俺たちイズム」が高揚して、彼らの自信的なものがある程度高まってくれば、「尊皇攘夷運動が開国政府を作った」ような転換を我々は起こすことができるでしょう。

その時、「開国派のグローバリストのあなた」が今まで必死に語りかけても反応が薄かった「日本人のみんな」との、適切な協業関係が回復し、ただのアメリカや韓国の後追いではない新しいジャパニーズ・スタイルの経営経済のあり方が現出するでしょう。

そのために考えなくてはならない論点や、打ち手の方向性については、「21世紀の薩長同盟を結べ」をお読みください。

ケイクスというコンテンツプラットフォームでも配信が開始されました。(今後ちょっとずつ連載される予定で、その部分は有料ですが、リンク先↑では序文が無料で読めます)




3 リベラル派の今後あるべきチャレンジとは


さて、最後に、今回の選挙結果に最も「危機感」を持っておられると思われるリベラル派のあなたへ。

あなたがたにとっては、今の日本の流れは、非常に「良くない」感じがするでしょう。まあ、私もかなり根っこは左翼的な人間なんで、あなたがたの気持ちは結構わかります。

しかし、私は、今の状況は、日本の「リベラル」における、「大事な試練の時」だと思っています。

「リベラルな理想」というのは、常に人間社会という抜き差しならないリアリティとぶつかり合い、葛藤を産み、そこであくまで理想を求めつづけるにはどうしたらいいのか真剣に問い直すところに、リベラルのリベラルたる核心があるはずです。

今の日本の右傾化は、欧米の基準ならば許される「リベラル思想というものに含まれる甘さ」が、「日本人の厳しい基準」での実効性を問い直されているチャレンジだと言えるでしょう。

「リベラル思想に含まれる甘さ」とは何か?はいくつもの問題をはらんでいますが、1つだけ、

「自己満足的でない具現性を持った社会ビジョンとは何だろうか」

という問いをあげておきたいと思います。

勿論、現代の経済社会は優しくない側面を沢山持っているわけですから、それをバランスするリベラル派の種々の活動は大事です。

しかし、そのまま「両極端な極論」同士を戦わせていても、「その先」は生まれません。

このブログ記事の「1」と「2」で書いたような「本質的な転換」を生み出すには、あなたがたのような、「リベラルな思想的な広がり」を経済の中に注入することが必要です。ヒッピーあがりのスティーブ・ジョブズが経済の潮流に、ガチガチのMBA卒業生には生み出せない新しい付加価値を注入したように。

「具現化プロセス」への配慮の甘い「リベラルさ」に対して抑圧力が非常に高まっているのは、今の日本ならば、紋切り型の欧米的な左翼の文法を超える、新しい「ど真ん中のあり方」を立ち上げられる準備ができているから・・・・だと私は思っています。

もしあなたがたが、昨今の「右傾化する人たち」と、「グローバリストの開国主義者」を、理解しあえない悪魔扱いして、あくまで使い古された欧米風紋切り型の左翼ストーリーにしがみついている限り、右傾化する人たちはさらに右傾化するでしょうし、グローバリストはさらに過激化するでしょう。

直情的な志向性をちゃんと落ち着かせられる能力を持っているのは、「思想的な広がり」を持っている人間だけです。

「リベラルさ」を持つということは、「右傾化する日本人」と「グローバリストの日本人」の「切実な事情」を、ちゃんと飲み込んでやれる人間であるということではないでしょうか。

そういうチャレンジを、今起こさなくてはならないんだと思ってくれたら嬉しいです。

私は中学生の時には自覚的にマルクス主義者でしたし(1978年生まれにそんなヤツがいるのかって感じですが)、予備校時代は元革命家の講師と仲良くなって毎日議論するような人間でしたから、あなたがたの「願い」は凄くよくわかります。

その「願い」を、この世界において本当に実効性のあるプロセスに転換するための方策について書いたのが、「21世紀の薩長同盟を結べ」です。

あなたがたにとっては多少「考えが違う」部分もあるかと思いますが、あなたがたの本当の「願い」、そして過去の不幸に対する贖罪意識を、「マットウな方向」に、つまり日本にとって良いだけでなく、かつ世界の他の地域の人たちにとっても、我々ならではの「価値」を提供できるように持っていける算段について書いています。

よろしければ参考にしていただいて、「20世紀の左翼思想の失敗」を乗り越えられるような、「新しいチャレンジ」を目指していただきたいと思っています。

その「新しいチャレンジ」が、あなたがた一人ひとりの自己満足的なものでなく、「右傾化する日本人」の思いも、「グローバリストの日本人」の思いも、ちゃんと「包含」出来るものになるとき。

その時はじめて日本の「右傾化」も止まるし、グローバリズムの良くない側面も克服されるでしょう。

それはあなたがたの真摯なチャレンジにかかっているんですよ。



元左翼として、もう一歩踏み込んだことを言わせてもらうとですね。

私が「21世紀の薩長同盟を結べ」を書いた時には、あなたがたからもっと熱意を持って受け入れてもらえるだろうと思ってたんですよ。

グローバリストの実務家さんたちや、「右傾化する日本人さん」たちには、多少迂遠すぎるように思われてしまうかもしれないと思っていた。いずれ彼らにもわかってもらえるように、一歩ずつクリアーでビビッドなものにしていこうと思っていた。

しかし、伝統的なリベラルさを持っている論客さんたちには、「わかってもらえる」だろうと思って書いたんですよ。

でもね、全然反応がないのにほんと失望したところがあります。

それどころか、「グローバリストの実務家さん」たちの中には、かなり熱烈な賛意のメールをくれた人だって結構いるというのに。

あなたがたは、「こう言っておきゃ絵になる・自分が良い人そうに見える」っていうような言論を垂れ流して、身内同士で「さすが先生」「いやいや先生こそ」みたいなことを続けて死んでいくつもりですか?

本当の「実効性」とは何かについて、「リベラル」が真摯な反省を持つべき時が、今来ているんだと思います。

あなたがたが自分たちの砂上の「倫理的優位性」に閉じこもってしまうために切り捨てたものを、「包含する新しい視座」が今求められているんですよ。

今目覚めないと手遅れになりますよ。

来年の参院選でさらに「右傾化」する議席が増えて、あなたがたの大事な憲法が変えられてしまうのを避けたいなら、今すぐ「21世紀の薩長同盟を結べ」を読みましょう!

別に今までのあなたがたのポジションを捨てる必要もないし、あなたがたがやってきたことが無意味というわけでもないんですよ。

というかむしろ、今の日本を本当の意味で前に進めるには、あなたがたのような志向が一番必要なんですよ。

その「思想的広がりを持った思考者」が、「ど真ん中の論理」を着実に言挙げしてってくれないと、ほんと日本はこのままバラバラのまま、ズルズルと「良くない右傾化」をせざるを得なくなりますよ。

あなたがたの「リベラルさ」の奥にあるものを、私は信じています。




4 まとめ



長めのブログをここまで読んでいただいてありがとうございました。

以上のように考えると、今回の選挙結果も、うまく扱えば日本を輝かしい未来へ動かしていくための必然的なプロセスのように理解することができると思います。

既に「出した結果」について否定しようとしたって虚しいことです。

スティーブ・ジョブズも言ってたように、先を見通して点を繋ぐことはできないのです。振り返って点を繋ぐことしかできない。過去に起きたことに意味があると信じて、点と点がつながって意味のある美しい一線が我々の未来に描かれるように信じることです。

そして、それが具現化するように具体的に考えていくことです。20世紀的紋切り型の党派論争は、そろそろ辞めにして、自分たちだけに可能なオリジナルな方向性を、今ここでみんなで考えて具現化していきましょう。

ステイ・ハングリー。ステイ・フーリッシュ。


このブログの人気の投稿

経産省若手資料はそんなにダメか?褒めときゃいいじゃん。

書籍の執筆でアタマが沸き立っていて、箸休めに軽いブログを書きたいので書きます。



ネットで話題の、経産省の若手有志による、

国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、 世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト

っていうのがあって、このリンクからパワーポイント資料が読めるんですが。

数日前にリンクを見つけてパラパラ読んだ時には、「いいなあこれ、頑張って欲しいねえ」と思ったし、ネットでも高評価な人が多かったんですが、なんかそれから日がたつうちに色んな人が

・全く新しくない
・具体的な政策への落とし込みが足りない
・データ分析が雑

などとクサしまくってるのを見てて、いやーそんなにダメかねえ??いいじゃん!と思ったのでそれについて書きたいです。

「ダメかどうか」もさることながら、「最高とは言えなくてもとりあえず褒めときゃいいじゃん」的な話でもあります。

いや、批判は批判で内容的にはゴモットモではあるんですが、あまりにそういうのが盛り上がっちゃって、この資料に対してちょっとでも高評価をするのは知的人間として恥ずかしい・・・ぐらいの空気になってきてるのがちょっとどうかと思うんですよ。

そもそも役所が懇談会的にインテリ集めてとりまとめた資料で、総花的にならずに一方向的なストーリーがあって、ある程度こういう「何言ってるかちゃんとわかる」資料ってそんなに多くないですし、だからこそ「うるさ型」の人たちがクサし始める前の段階では結構ネットで「いいじゃん!」的空気が巻き起こったりもしたわけですよね。

単純に言って、役所発のペーパーで、その「いいじゃん!」モードが小規模でも巻き起こったりした時点でそりゃ奇跡と言って良くて、そりゃ批判は結構だが、じゃあどっかに「超絶凄い官僚さんの集団」がいるわけじゃないんだから、今の日本の官僚さんたちに、官僚の役割の中でできることは頑張ってもらうしかないわけで、だからあんまりクサすばっかりなのもどうかと思うわけですよ。

で、資料の内容なんですが、たしかに「どこにもない新奇性」とか、「具体的な政策へ落とし込みきった提案」とかは弱いかもしれないが、この資料は1つの「ストーリーの提示」を目標としてるわけですよね。

いわゆる「高齢者に属する人」にも、資産や健康面でかなり余裕がある人もいるんだから、一概に「高齢者サマ扱い」で終わ…

今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。