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サッカー最近つまんないならスーパーボウルにヒントがあるかも

ちょっと煽り気味なタイトルになってますが、これは「サッカーなんてツマンネエからアメフト見ようぜ」という記事では”なく”、「サッカーがもっと面白くなるヒントがアメフトにはあると思うので、年一回の祭典スーパーボウルを見てみるといいかも(そうすると最近徐々に人気低迷の危機の入り口ぐらいにいるかもしれない日本サッカーへのヒントが得られるかもしれないし、世界の今とか今後の経済の動向とかそういう話まで深く理解できるかも)」というような記事です。

アメフトはいわゆる「アメリカのガラパゴス文化」であって、そのアメリカ国内リーグの最高峰であるスーパーボウルはアメリカ以外ではそれほど注目度がないけどアメリカ内部では圧倒的な存在感があります。

世界最大のスポーツイベントは、サッカーワールドカップか?オリンピックか?チャンピオンズリーグか???という永遠に定まらない争いがあって、それらのビッグネームに対して「数字の選び方によっては」同等以上だと主張できるほどの巨大イベントがスーパーボウルなんですね。

で、紅白歌合戦を経年で見続けると「その年の日本という国の状態」が広く深く実感できてしまうように、最近それほど国民的行事でもなくなりつつある紅白とは違って、依然として本当にアメリカの大イベントであるスーパーボウルを見てみると、「その年のアメリカ」が広く深く実感できるし、その変化が世界とアメリカの今を理解するのにいいんじゃないか・・・と思って、ここ数年スーパーボウル前にはその紹介記事をアップしてるんですよ。

特に今年のアメリカは大揺れに揺れて大混乱の時代ですから、スーパーボウルから透けて見える新しい知見の意義も大きいはずです。

今年も日本時間の2月6日月曜朝(アメリカ時間の日曜夜)にあります。BSが入ればNHKで、関東地方なら日テレで、それ以外でも日テレG+というCSか、最近話題のネットストリーミング「DAZN」でも見れるそうです。再放送が何度かあるのでこの記事を月曜朝以降に読んだあなたも大丈夫!

ちょっと見てみようかな?と思ったあなたは、私のスーパーボウル紹介記事の過去二回分を読んでおくと初心者でも超安心です。

一昨年の記事

↑では、全くの初心者でもすぐに理解できるルールの全体的説明と、特にクオーターバックという主要ポジションの位置づけが変わってきている昨今のトレンドが、「グローバリズムの中のアメリカ」を理解するのに格好の指標になっているという話の入門編が読めます。

そして
昨年の記事
↑では、



上記の図(クリックで拡大します)のように、より深く「活躍するクオーターバックのキャラクターの変遷」を追った上で、「グローバリズムの中でアメリカ的中心が消えてしまうのか、それともアメリカ的中心を無理やりにでも維持しようとするムーブメントが押し勝つのか?」といった視点で読み解いてみる記事となっています。(グローバリズム的にどこまでも液状化していく世界への逆襲としてのトランプ政権がその後誕生してしまった今から見ると、より深く理解できる記事になっているかと思います)

上記記事は2つともかなり好評で、「今年はやらないんですか?」と言われることも多い記事ですので、とりあえず楽しんでいただければと思いますが、今年は「サッカーとの比較」において、このどこまでも液状化して中心がなくなっていくグローバリズム時代に、アメリカはどうなっていくのか?そして日本人が自分たちの価値をちゃんと提示していくにはどういうことを考えていけばいいのか?というような話を考えてみます。





さて今回の本題なんですが、最近サッカーに対する興味が薄れつつある人って、多いんじゃないかという個人的な肌感覚があるんですよね。

新興国が経済成長すればその分だけ「分母」がどんどん増えていくヨーロッパの一流プロリーグはいいけれども、Jリーグの経営難は結構たいへんなクラブも多くあるらしいという話を聞きます。

もっと実感的な話で言っても、
・Jリーグ発足当時の90年代後半
・2002年の日韓ワールドカップ当時
・2006年のドイツワールドカップ時代

ぐらいと比較して、「サッカーファン」がちゃんと定着してきてその「ファンの内側」においてディープな情報共有は行われるようになったけれども、「特にサッカーファンでもないがワールドカップは日本代表を応援するよね」程度のファンの「サッカー情報に対する感度」は徐々に落ちてきている実感があります。

ウチの奥さんは野球好きのサッカー嫌い派なんですが、中田ヒデさんや遠藤さんみたいな「ドイツワールドカップ世代」の代表選手の名前はそれなりにわかるけど、最近の代表選手の名前はホンダさん以外ほとんどわからないそうです。

宇佐美?清武?大迫?原口?誰ソレ?の世界。カガワさん・・・あ、聞いたこと・・・あるかも?長友さん?あ、あのアモーレの人でしょ!?違ったっけ??

いやこれ↑全然バカにするために演出したんじゃなくて実際にこのレベルですからね。

言っておくけど私個人はまだまだサッカーに期待していて、特に宇佐美さんとか清武さんとかユース上がりの天才肌の選手がもっと世界的に活躍できる状況になっていけばいいなと思っているんですが、それでも「特にサッカー派でもない世の中の普通の人との情報ギャップ」は年々広がっている実感があります。

勿論、数字的にJリーグの市場規模はそれなりに伸びているんですよ。しかしこれは、ある意味で業界関係者の努力の成果そのものでそれには敬意を払うけれども、つまり「マネタイズがうまくなった」だけでサッカー自体の深い意味での日本社会へのリーチ力はむしろ弱まってるんじゃないか・・・という私の感じ、どう思います?

例えばこれを見るとサッカー代表戦の視聴率の数字は、同じ最終予選・同じぐらいの時間帯の試合で言うと結構一目瞭然に下がってきている。

なにより、さっき言った「サッカー選手誰かあげてよ」って聞いた時の「サッカーファンってほどでもないがワールドカップになったら応援するよね層」の印象がどんどん希薄になっていっているのは多くの人が共通して持っている実感ではないかと思います。

こういう「実感」って結構大事で、というのは経営コンサル的に言うと、「ある商品の売上がピークアウトするちょっと前ぐらいに”そこにあるリアルな熱狂”が減速してくる兆候がある」ことって多いんですね。売上の数字はまだ余勢をかってまだ少し伸びる余地がある・・・ぐらいの時期に、「伸び始める時期」には確かにあった「リアルな熱狂」が実は冷めてきている兆候がいくつかあって、それが徐々に「売上の伸びが止まってしまう遠因」となって時間差で効いてくる・・・というようなことがあるんですよ。

「普通よりも優秀な経営者」の人は「まだ直接的な売上数字に現れる前の”その減速の兆候”」に物凄く鋭敏で、他人が「あれ?これからまだ儲け時なのに?」というようなところでスパッと手仕舞いしたり業態転換したりして後々のダメージを避ける判断をする時にその真骨頂が見えるときがあります。

そしてこれは、先述した通り発展途上国の経済発展で「分母」が毎年ガンガン増殖している欧州サッカーでも実は同じことが進行中なんじゃないかという感じが私はしています。

ジダンが頭突きで退場して引退したころ・・・レアル・マドリーが「銀河系軍団」とか言ってた頃は、ベッカムにしろジダンにしろ「特にサッカーファンってほどでもない人も知ってるビッグネーム」はもっといたように思います。もっと前はサッカー自体の人気は比べようもなく小さかったのに、マラドーナだとかバッジオだとか「顔」となるような選手がいつの時代にもいた。

それに比べて、「メッシ&クリスティアーノ・ロナウド世代」を最後として、「サッカーファンの外側にまで波及できるスター」はどんどんいなくなってるんじゃないか?あれだけ圧倒的な強さで優勝した前回ワールドカップのドイツ代表について、サッカーファン以外で誰か名前を一人でもあげられるでしょうか?

「経営の数字」ではありえないほどのマクロ市場要因で底上げされていっているので目立ちませんが、欧州サッカーにおいても同じような問題は起きているんじゃないかと私は見ています。

その一方で、斜陽斜陽と言われる日本のプロ野球は、経営的にもJより健全な球団が多いだけでなく、なにより大谷翔平さんのような「次世代のスーパースター」みたいな存在が出てきたり、アメリカで堂々と活躍するピッチャーがまだまだ定期的に出てきたり・・・と、「サッカー界をめぐる実情」とは随分と違う感じがします。

「この違いは何なのか?」という点について考えてみることから、今後の日本サッカーだけでなく「今後の日本の経営のあり方」にまで至る知見を持ってみたいわけなんですよね。



日本企業の駄目なところとして(あるいは強みの根源として)、「ジョブディスクリプション」がちゃんとできてない・・・ということが槍玉に上がることがあります。「ジョブディスクリプションがある・ない」というのは、個人を雇う時に何をやってもらってその職掌範囲がどこまででどういう責任を持ってもらうのかというのを明示的に言語化して契約する風習があるかないかという話ですね。

最近あるシンガポール在住の人事系コンサルティング会社の友人と話してて、「サッカーはジョブディスクリプションがないから、あまりに真剣にプレッシャーかけると個人が潰し合っちゃうんだよね」と私が言うと、物凄く意外そうな顔をして「ナルホド!!」って何回も言ってました。

野球に比べてサッカーは非常に「開明的で新しいスポーツ」であり「日本社会の古くて駄目なところ」から切れている・・・というような印象が、(日本では特に)ある人が多いので少し「意外」な感じがしてしまうわけですが、競技特性を素直に観察すれば、「野球」というのは非常に「ジョブディスクリプションが明確」な競技であるのに対して、サッカーは「ジョブディスクリプション」がほとんどないといっていいような競技ですよね。

野球に限らずアメリカ発祥のスポーツは個人がちゃんと「その個人のための数字」で評価される設計になっていて、サッカーみたいに曖昧な部分ができるだけ排除されている(そして、「打席」や「マウンド」にあがった時には、余計な雑音的な問題で「空気を読ませる」ような要素をできるだけ排除した上で、「純粋なその個人のパフォーマンス」に集中できるような構造になっているんですよね。

この「野球とサッカーの違い」から深掘りして日本の今後の社会運営や経営実務はどうあるべきか?っていうのを前回ワールドカップ時にブログに書いて、えらくバズって「フットブレイン」というテレビ東京の番組にまで呼んでいただいたことがあるんですが。

(だいたい以下の2つの記事で全貌がつかめるかと思います・・・)
サッカー派と野球派はなぜ仲が悪いのか?

サッカー日本代表の敗因はアドレナリン過剰?

上記過去記事でも書いたように、「ジョブディスクリプションが全然ない状態」だと、その社会の共通了解が強くある時はいいんですが、変化の激しい時代に色々と不確定な要素が絡んでくる状況になると、「個人が自分でありとあらゆる細部に気を使い続けなくてはいけなくなって疲弊する」んですよね。(これは”あまり良い状態でない日本の会社”で働いているアナタなら物凄く実感があると思いますが)

つまり、欧州サッカーも、今ほどショーアップされてグローバルに商業化される前の、極めて欧州・南米ローカルなスポーツだった時期には、地続きな「サッカーとはこういうもの」的な文化共有が明確にあったので、「ジョブディスクリプションがない」サッカーの特性が、むしろ「個性の自由な発揮」に繋がっていた幸福な関係があったんですよ。そういう時期には、むしろ個に対するジョブディスクリプションが明確でないこと自体が「自由度」に繋がりますからね。

しかしここ10年20年で圧倒的にグローバルな商業的存在感を増して、ケタが違うお金が関わるようになり、そしてサッカーのあらゆる要素をデータとして分析できるツールが普及してくるに従って、「あまりにジョブディスクリプションがないサッカーという競技特性」が、「個性のつぶしあい」の方向に働きつつあるんじゃないか・・・というのが私が感じていることです。

個人的な感触だけで言うと、やはりジダンが頭突きで退場して引退したあたりから、徐々にそういう「予感」はヒタヒタと満ちてきて、前回のワールドカップでドイツが圧勝したあたりでかなり「完成」してきた一つの流れがあるように感じています。

昔のサッカーはもっとユルかったので、サボってる時期はサボってる選手が、勝負時!って時に俄然凄い活躍をしたり、目の覚めるような局面を変えるパスを出したり・・・っていう可能性がもっとあったんではないかという感じがあるんですよね。

しかし今はガチガチに分析され、「短所是正」的に試合時間中ずっと常時全力で走り回らされる選手たちが必死に潰し合うことで、「自分たちのクリエイティビティの発揮ではなく相手の強みの発揮を速攻で潰すことに全力を尽くし合うような陰鬱な競技」になってしまい、結果として「選手が小粒化」してしまったというか、「サッカーファン以外にまで届くスター性」が徐々になくなってきているんではないかという・・・まあこれは私の「感触」にすぎないことですが。

あれだけショーアップされて「次世代のスター」を運命づけられたようなネイマールさんもどうも「伸び切らない」。日本でも、次々と「カズ→ヒデ→本田さん」の次を担うのは「この人だ!!」というような「次世代のスター」を期待される選手は散発的に出てくるのに、どうも伸び切らない。なんか欧州の知らないマイナークラブに移籍して、その後よっぽど情報を追いかけている人以外には音信不通になってしまったりする。

それに比べると、野球の方は大谷翔平さんを始めとして、「次世代のスター」がちゃんと出てきてる感じがしますよね。プロ野球にデビューする「スター」も連続して出て来るし、昨年のマエケンさんみたいにメジャーで活躍するスターも連続して途切れずに出てきている。

サッカーと似たようなフィールドスポーツでありながらジョブディスクリプションの塊のようなアメフト(NFL)の世界でも、やはりルーキーに近いような若いクォーターバックが大活躍してチームを決勝戦まで引っ張ってくる・・・ようなことが結構頻繁にあります。

クオーターバックだけでなく色んな地味な(初心者から見るとね)ポジションにおいて、「明らかに隔絶した数字」を残した選手はそれだけでちゃんとフレームアップされますから、その人が個人として非常に「スター性」を持った存在として周りが持ち上げていける環境が用意されている。

この違いは何なのか?が、この「ジョブディスクリプション」の違いじゃないか・・・と私は経営コンサルタントとして「組織を見る目」の延長でそういうふうに感じてるんですよね。

ちゃんと「個の範囲」が明確に定められていると、この世界がどこまでも不確実性を増していっても「その人がやるべきことの範囲」が崩れずにちゃんとあるので、若手選手がのびのびとチャレンジしのびのびとパフォーマンスをすることができる。結果として「新しいスター」がちゃんと出てきて、それをみんなで愛でることができる。

しかし、「個の範囲」が曖昧なまま、巨大資本が入って関わる人間の数が飛躍的に増えるだけでなく、重箱の隅までつつきまくれるような分析ツールが発達して細部の細部まで一挙手一投足が評価の対象になる・・・ような状況になっていくと、「若手の個」は「長所を伸ばす」ようにクリエイティブに才能を発揮していくというよりは、「あれもやってないの?これもやってないの?あんたサッカー舐めてるの?」みたいな圧力ばっかり高まっていって、全体的に競技が陰鬱なものになり、華々しいスター選手も生まれなくなってくるんじゃないかと・・・私は感じています。

なにより、

>>>
「昔は共有了解がちゃんとあったからジョブディスクリプションが全然なくてもそのほうが自由でノビノビできたけど、変化の激しい時代にどんどん不確実性が増して来て共有了解が雲散霧消してきた時代にジョブディスクリプションなしの組織でやってると、とにかく果てしなくアレも考えろコレも考えろアレやってないの?コレやってないの?的な圧力に怯え続けることになっちゃう」
<<<

これって、「あまり今は良い状態じゃない日本企業」にいる読者の人にとっては「あ、それどっかで聞いたことある状況かも?」って思うところあるんじゃないかと思うんですよね。

ということは、「サッカーという競技の今」が日本だけでなく全世界的に陥りつつあるように思われる問題を、「アメリカのスポーツの良さ」を参考にしながら超える方向性が見えてきたら、サッカーというイチ競技だけでなく日本社会全体における「組織運営のあり方」にまで新しいヒントが得られるかも???

と思いますよね?



ある程度「人間の集団の動き」というものに対して普段から洞察のようなものを養っている人が、普段見ないアメフトを見ると色んなことに気づくと思います。それぐらい「特殊な場」という感じなので。

特に、「あらゆる個のプレイヤーの役割が言語的に明確に決められていて、その間の連携プレーも事前に打ち合わせがされている」という性質がバッチリ噛み合って発揮されている「良い試合」を見ると、いかにサッカーというのは自然に任せたままにグダグダになっていきつつそのグダグダさを楽しんでいるスポーツなのかもしれないとすら思えてきます。

勿論これは、その約束事のないグダグダさの中から一瞬のクリエイティビティの発揮によって大きな局面が変わり、アメフトの場合完全にデザインされた結果として生まれるような大きな連携プレーが「自然の結果」として生まれる奇跡・・・の中にサッカーの魅力はあるんだ・・・ということを前提にした上で言っているわけですが。

ただ、そうやって「アメフトを見るといかにサッカーがグダグダなスポーツなのかがわかる」という「気づき」を得るのはいいんですが、その先じゃあサッカーも単にアメリカのスポーツみたいに「ジョブディスクリプションを明確に」すればいい・・・という単純な解決は無理なんですよね。

そもそもサッカーという競技の本質が自由なので、時計を一々止められるアメフトやピッチャーが投げるごとに仕切り直しになる野球と同じようにはできない。

実際、さっきリンクを貼った昨年のスーパーボウル紹介記事で詳しく述べているんですが、アメフトの世界においても「グローバリズム的な液状化」の影響は大きくあるんですよね。

旧来の役割分担に従わない自由な発想のプレイヤーがどんどん出てきて、「アメフトという競技のテンプレート」は揺らされ続けている。特にモバイルクォーターバックと呼ばれる一連の黒人QBたちの活躍は見ていて興奮させられます。「え?なんでそんなとこにQBがいるの?」っていうようなところに変幻自在に出没してプレーが繋がる面白さ。

しかしそういう「自由なプレースタイル」が「アメフトらしさ」を損ないつつあるというふうに考える保守派アメリカ人も多いようで、昨年の記事で扱ったキャム・ニュートンというあまりに破天荒な黒人QBの活躍に逆向きに刺激され、今年は得点取った後のパフォーマンスでちょっとでもフザケすぎたら即罰金みたいな運用になっていて、試合結果としてもモバイルQBのチームはかなり早い時期に敗退してしまい、久しぶりに「伝統派の白人QB同士の戦い」の決勝戦になっています。

この結果に、どこまで「トランプ時代の空気」が影響しているのかはわかりませんが、こうやって「グローバリズム的な自由度を一度拒否してしまう」ことが、アメフトの魅力を損なう結果になるんじゃないかと私は思っています(これはトランプ政権的な動きが、短期にはともかく長期には明らかにアメリカの国力、特に”ソフトパワー”的なものを失わせて行くだろうという大方の予測と対応する流れであるかもしれません)

実際、キャム・ニュートンが大活躍していた試合はなんど見ても楽しくて、昨年はポストシーズンの全試合を見たぐらいだったんですが、今年はどうも・・・徐々に興味を失いつつある自分がいたりして。

だから、「アメリカのスポーツのようなジョブディスクリプション」はサッカーには導入できないんですよね。そうやろうとするとアメリカという制度全体が壊れてしまう。それへの拒否反応がトランプ現象だと言っていいぐらいのものなので。



じゃあどうすればいいのか?は、ワールドカップの時の以下の記事↓

サッカー日本代表の敗因はアドレナリン過剰?

に書いたような方向性で行くべきなんだろうと思っています。

つまり「個別のジョブディスクリプション」はそこまで厳密にできないが、「その場」に対する「場作り」的な戦略は明確にしていく・・・という感じでしょうか。

要するに、自由度があまりに高い状況の中でジョブディスクリプションも明確で無いとなると、そこの中にいる個人が「ありとあらゆる不確実性を全部一人で引き受けてあれこれ考えなくちゃいけなくなる」わけなんですよね。

その「不確実性を下げる」ための「自分たちはこうやっていくんだという共有了解」を立ち上げていくと、徐々に「個」が「課題に集中」できるようになっていく。

それは、サッカーにおいては、日本のサッカーファンやサッカーメディアや業界関係者や勿論選手や元選手がサッカーを見て、語って、分析し・・・を『良い方向に』行っていくことで、特有の言語・特有の見方・特有のプレースタイルがだんだん立ち上がっていくことで、「余計なことをゼロベースで考えすぎなくてもよくなっていく」ことで克服されていくものがあるだろうということです。

そして普段の「仕事のありよう」においても、「このグローバリズム時代の中で日本人のどうしようのない性質を善用していくにはどうしたらいいのか?」について、現場レベルの働き手から学者から官僚からコンサルから金融関係からメディア関係者まで「それぞれの立場なりに」知見を持ち寄ることで、「立場の違いを超えた共有了解」を打ち立てようとしていくことです。



最近経営コンサル業の方のあるクライアントの決算が非常に良くて、「おお、”良い経営”って地味だけどこんな感じなんだな」というのが実感できたというようなことがあったんですが、それは要するに、

>>>
A・自分たちの価値が他人より活かせる分野をあらかじめ選んでおいてそこに集団を方向づける
B・その方向に対して構成員が他に余計なこと考えずともちゃんと工夫を積み重ねられるように動機づけておく
<<<

結局この2つしかやってないし、でもこの2つをちゃんとやっておいて、時代の変化を気にしながら、「だんだんこうなっていくからそろそろこの分野強化しておこう」みたいな判断を世の中より二回り早いぐらいのタイミングで下し続けるだけ・・・・で充分「おお、スゲエなこの決算」というような数字にはなる・・・ようです。

大事なのは、AとBを両方できる人ってそんなに多くなくて、今の日本は「Aの機能」と「Bの機能」が分断され気味で、

・「Aのアイデアはあるのに伝える手段がなく、なんでわかんねえんだよこのアホどもが!」ってなってる人たち

がいる一方で

・「Bの能力はあるけど方向付けのアイデアがもたらされないので、旧態依然とした目標にバンザイ突撃をし続けている」

結果になっている組織が多くあったりすることなんですよ。

で、この「AとBをつなぐ文化」こそが今の日本に必要なことで、これはサッカーで言うと、「各ポジションの選手に余計なことを考えさせないで済む方向づけを与えてあげられるかどうか」ということになると思います。

要するに「個のジョブディスクリプション」をアメリカのスポーツみたいに明確にすることはもう無理な時代だけど、「目指すべきプレイ」を語れる共有了解を増やしていくことで、「あ、自分の役割はこれなんだな、それ以外は別に自分は考えなくてもいいんだな」と個々のプレイヤーが思えるような状況を作り出せるかどうか。

「余計なことを考える必要がなくなる」という意味では、「広義にファジーなジョブディスクリプション的な了解」とも言えるかもしれません。

結果として、そういう「サッカーの見方」が再生されていけば、今は落ち込みつつある「サッカーという競技自体のリーチ力」も、再度回復してくるだろうと思います。日本経済における「あるべき連携の姿」ももっと見えてきて、ネット上に強烈な怨念が溢れかえっているような状況も改善していくでしょう。

この経営面での話は次回にでもこのサッカーやアメフトの話を離れてそれ自体としてブログで扱おうと思っていますが、結局そういう「共有了解」がなくなってしまった結果バラバラに個人が奮闘するだけで叩き潰しあいになってしまっている現状が今の日本の「働きづらさ」そのものなんですよね。

次回予告的な意味で以下の図を掲げておきますが(クリックで拡大します)


共有文脈が消滅していると、個々人が頑張っているようでもお互いのイジメあいにしかなってなかったりする。「戦略」を考える人は「現場への浸透方法」がわからなくなってしまっているし、「現場レベル」の人は自分たちと同じ文法で話してくれない「戦略」とか言う奴らへの不信感で凝り固まっていってしまったりして。

で、これは私も組織の中で働いていた時にはできなかったじゃんという指摘は重々承知な上で言うんですが、

>>>
「日本の会社ってほんと無駄な会議多くてクソ!」
<<<

というつぶやきは、ツイッターでもブログでもフェイスブックでも毎日何百件と投稿され、それにつく「いいね!」の数も物凄い量だと思うんですが、そこに投入されている感情エネルギーのうち、どれだけが

>>>
「どの会社の、どの会議が無駄で、それを減らした時の代替的な情報共有のやり方はどういうものがあるのか?」
<<<

という「次のステップ」に進めているかは・・・かなり心もとないですよね。

でも、「日本の会社って・・・」みたいな超デカイ主語で吹き上がってても何も解決できないですよね。それを無理やり押し出していくと、残業減らせ!という掛け声だけトップダウンで降りてくるけど現場は何も変わってないので隠れ残業が増えただけ・・・みたいなことになる。

「日本の会社は無駄な会議ばっかりだ!」が「うちの会社のこの会議が無駄」に変わってこそ意味が生まれるわけです。

まあ、繰り返すようですが私も組織の中でサラリーマンとして働いていた時はなかなかそんなことできなかったですけど、でも実際に外から見てコンサル的に関わってみると、「こういう動き」って動き始めたら結構ホイホイ進んだりします。

担当者レベルでも、会社全体の流れを考えるとこうあるべきじゃないか?っていうのを言い出してみると、案外その「良心を共有」してくれる部署の人もいたりして、勿論何にでも文句つけてくるカスも沢山いるんですが、そういう奴らは黙殺しつつちゃんと話がわかる「現場の良心さん」的な実力者の賛同を多少粘り強く集めていけばある時点以降一気にラクになったなぁ!ってなることも多い。経営レベルからちゃんとそういう動きを後押しできたらなおスルスル進みだしたりする。

今は「日本の会社・社会ってほんとクソ!」か「日本の会社・社会はァァァァァ世界一ィィィ!!!」かどっちかで無駄に吹き上がってるエネルギーを、次第に次第にまとめていって、そういう「場づくり」「共有文脈づくり」に方向付けられるかどうかが今一番大事なことなんですよ。

よく同世代のクライアントの経営者と話すんですが、ある年代以降の若い世代の人間にとって、イナモリさんとかナガモリさんとかヤナイさんみたいな経営ってまずできないんですよね。それだけの「他人への教化力」を個人が持つという発想自体が既にかなりありえない文化的状況なので。

だからこそ、「強権的にトップダウン」ではなくて、「お互いの価値を活かし会える場を作る」というような発想で、「色んな立場の人が、お互いを活かしあえる工夫を出し合っていく」ような流れになんとしてでもしないといけません。

そうすることで「戦略レベルの思考」と「現場レベルの思考」が繋がりはじめないと、我々は上記の図の左側のようにお互いをグズグズと傷つけ続けることになってしまいます。

逆に言うと、「意味ある課題」を「組織に動機づける」ところまでやれば、放っておいても勝手に細部まで具現化していく力があるのが日本の組織であるとも言えるので、「その方法」さえ集団的に習熟すれば、今までの低迷が嘘みたいにスムーズに回り始める可能性だってあるんですよ。

サッカーの試合でも、良い感じに集中してるなーというチームは、相手の状況をよく見て、ちゃんと「会話」をしながら適宜修正してってますよね。

>>>
・「ちょっとこの辺敵のディフェンス空く時あるから機会あったらこういうパス出してくれ」
・「今の危なかったな。何番の敵のこういう攻撃ヤバイ時あるから気にしておいてくれ」
<<<

的な会話が「普通に」できている状態のチームは強いです。さっきの図の「右側」の状態ですね。

でも、浮足立っちゃってみんな殺気立った顔をしていて、なんかみんなお互いに「指示を出し合ってる」ような叫び声は聞こえてくるんだけどただ焦りを叫び声にかえてお互いを威圧しあってるだけで、全然双方向なコミュニケーションになってそうにないな・・・っていう時は、やっぱり駄目です。これがさっきの図の「左側」の状態で、多くの日本の組織はこうなってしまっていることが多い。

「日本のサッカーの未来」について、アメフトや野球との比較から考えてみることで、「日本社会のあるべき運営方法」についても、思いを馳せてみていただければと思います。

既にブログ一回分としてはありえない分量になってきたのでこのあたりで今回は閉じておきます。次回上記の図をもう少し詳しく見ていこうと思っています。

今回はあまりスーパーボウルの紹介記事っぽくなくなってしまいましたが、「アメリカが大揺れに揺れているこの時期」だからこそ、国歌斉唱やハーフタイムショーも含めて、目が離せない感じです。よかったら普段見ないアメフトを見てみるのも悪くないですよ?このブログ前半に貼った私の過去二回の紹介記事を参考にしていただければと思います!

(ちなみに本ブログの図はネットでの再利用自由です。特に今回の図は力作なんで、あなたのツイートやブログやフェイスブックなんかで使いつつお仲間との議論のネタにしていただければと思っています)



それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

今回も、「ブログに書ききれなかった話」をさらに別記事にしてあります(また今回も超力作です・・・話題の映画、遠藤周作&マーティン・スコセッシの沈黙・・の話から・・・ぜひご一読ください)。既に普通のブログとしちゃ結構長いですが、俺はまだ読めるぞ!という方は上記リンク先へどうぞ。


倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
公式ウェブサイト
ツイッター




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経産省若手資料はそんなにダメか?褒めときゃいいじゃん。

書籍の執筆でアタマが沸き立っていて、箸休めに軽いブログを書きたいので書きます。



ネットで話題の、経産省の若手有志による、

国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、 世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト

っていうのがあって、このリンクからパワーポイント資料が読めるんですが。

数日前にリンクを見つけてパラパラ読んだ時には、「いいなあこれ、頑張って欲しいねえ」と思ったし、ネットでも高評価な人が多かったんですが、なんかそれから日がたつうちに色んな人が

・全く新しくない
・具体的な政策への落とし込みが足りない
・データ分析が雑

などとクサしまくってるのを見てて、いやーそんなにダメかねえ??いいじゃん!と思ったのでそれについて書きたいです。

「ダメかどうか」もさることながら、「最高とは言えなくてもとりあえず褒めときゃいいじゃん」的な話でもあります。

いや、批判は批判で内容的にはゴモットモではあるんですが、あまりにそういうのが盛り上がっちゃって、この資料に対してちょっとでも高評価をするのは知的人間として恥ずかしい・・・ぐらいの空気になってきてるのがちょっとどうかと思うんですよ。

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単純に言って、役所発のペーパーで、その「いいじゃん!」モードが小規模でも巻き起こったりした時点でそりゃ奇跡と言って良くて、そりゃ批判は結構だが、じゃあどっかに「超絶凄い官僚さんの集団」がいるわけじゃないんだから、今の日本の官僚さんたちに、官僚の役割の中でできることは頑張ってもらうしかないわけで、だからあんまりクサすばっかりなのもどうかと思うわけですよ。

で、資料の内容なんですが、たしかに「どこにもない新奇性」とか、「具体的な政策へ落とし込みきった提案」とかは弱いかもしれないが、この資料は1つの「ストーリーの提示」を目標としてるわけですよね。

いわゆる「高齢者に属する人」にも、資産や健康面でかなり余裕がある人もいるんだから、一概に「高齢者サマ扱い」で終わ…

今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。