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残業規制がさらなる弱者へのシワヨセにならないためには?

安倍政権が進めている「働き方改革」の一環として、残業規制の最大が「100時間未満」とする方向で決着する見通しである・・・というニュースが流れていました。

「100時間」って!!!過労死レベル直前まで合法ってこと??

・・・と思ってしまいますが、これは「100時間(過労死レベル)までなら残業させ放題」という意味ではなくて、「今までは協定を結べば青天井の特例もあったが、それをせめて最大でも100時間未満にしよう」という形なので、「一応結構前進」したという理解でいいのではないかと思います。

そのことを理解せずに脊髄反射的に「100時間」に対して怒りまくっているネット上の人も結構いるみたいですが、しかし「それは理解した上で、それでも、100時間ってねえ!」という気持ちもわからないでもありません。

特に過労が原因で自殺した電通社員の高橋まつりさんのお母さんのコメントが印象的でした。

このような長時間労働は健康にきわめて有害なことを、政府や厚生労働省も知っているにもかかわらず、なぜ、法律で認めようとするのでしょうか。全く納得できません。

月100時間働けば経済成長すると思っているとしたら、大きな間違いです。人間は、コンピューターでもロボットでもマシーンでもありません。長時間働くと、疲れて能率も悪くなり、健康をそこない、ついには命まで奪われるのです。





とはいえ、実際に我が子の命を奪われた人の言葉には非常に重いものがありますが、私としては、「とりあえずの一歩」としてはこの辺から始めるのがいいんじゃないかという気がしています。

なぜなら、「現場レベルの工夫の積み重ね」が追いつかないままトータルな規制だけが先行すると、結果として単に「弱者へのシワヨセ」が大きくなる可能性があるからです。

現状そのレベルの残業をして回している職場が日本の中に沢山あるとしたら、ソレに対する「何らかの改善」が行われずに規制だけ強化されると、その「事業」が成り立たなくなる。そうすると、また結局「持ち帰ってのヤミ残業」のようなものが増えるか、あるいはその事業自体を辞めて従業員をクビにするしかなくなる。日本じゃあ解雇しづらいので、結果として「ホワイトな職場」に既得権がある人の数がさらに減って、その外側で生きている人に色んな形で「シワヨセ」が行く結果になるかもしれない。

とはいえ、「このままでいい」わけは全然ないわけなので、いずれこのハードルはどんどん上げていけるようにすることが理想ですよね。原則論的には、「残業規制が守れないなら人を増やすべき。それができないような事業は淘汰されることによって、全体として生産性が高まるしブラック企業もなくなることになる」というのは非常に正しいわけなので。

一歩ずつ残業100時間規制を80にしても成り立つような職場環境を日本全体で実現していく。じゃあ次は60に挑戦しよう!!となっていくのが理想です。

そのためには、以下の図(クリックで拡大します・・・力作なので細かい台詞までぜひお読みください)のように、

「ちゃんとホワイトな職場を増やしていく算段」に対して日本人が「協力しあえる」ように持っていくことがどうしても必要になってきます。

経営者は「残業減らせよ!俺の責任になっちまうじゃねーか、方法はお前ら考えろ!」と言いっぱなしにするだけで、インターネットにも「こういう日本ってクソ!死ね!」という言葉が言いっぱなしに次々と投稿されて次々と「いいね!」を取っていくけれども、誰も実質的にまわりと協力しあって具体的な改善をする意志を持たず、結局「現場の人」に次々と単にシワヨセが行くだけで終わってしまうことになる・・・ようだと困りますね?

「日本って無駄な会議多いからクソだよね!」という「”日本”という超大きな主語」で吹き上がっている感情エネルギーを適切にまとめていって、

「”ウチの会社”の”この会議”が無駄。それを辞めたぶんの代替としての情報共有手段はコレ!」

という方向に結実するように持っていかないといけません。

実際に上図の左列でなく右列のようになっていけるか?に対して、我々一人ひとりができることをやっていく必要がある。

「法的な残業上限の数字」を低い数値しさえすればすぐに「あなたの職場」が変わるわけではないので、とりあえずの一歩を、「ちゃんと変わっていくための一歩」に変えていきたいですね。

なんにせよ、日本じゃ「こうやって仕事を簡素化しよう!」と言い出しても「お前がラクしたいだけのことになんで俺が協力しなくちゃなんないの」となってしまいがちなので、こうやって『公的な声かけ』をキッカケとして、「働き方改革しなくちゃな時代ですし、これやってみませんか」と言い合える気分をまず作っていくのは非常に大事なことです。

そういう「声のかけあい」が、組織内部だけじゃなくて、取引先関係も含めた日本社会のあちこちで自然に起こせるようになっていきたいですね。



じゃあどうすればいいのか?について、簡単に方針を2つ書いてみたいと思います。

その1・”小さくはじめて大きく広げる”形で巻き込んでいくプロセスを地道にやる
その2・「視野の広い個人主義者」と「集団的日本人」との間の連携を意識的に模索する


・その1について。

全体として、上から経営者が「おまえら残業減らせよ!」とトップダウンで言って無理やりにやらせようとしてもなかなか具現化しない。しかし、小さな実例レベルで「これイケルかも?」という改善案を実行し、そこから芋づる式に周りを巻き込んで行く形(このときに後付にトップダウンでお墨付きを与えて動かしていく)形にすると、「大きな主語で吹き上がってる無駄な感情」を「具体的な改善提案」に適切にまとめていくことができます。

今朝に日経新聞に自分が書いたんじゃないかってぐらい同意な記事があったんですが・・・

働き方改革、社長が張り切ると失敗“渋滞学”西成活裕・東大教授インタビュー(下)

上記記事のようにステップバイステップに、「改善」の火種を横展開できる動きを「日常化」していけるといいですね。

その「変革の日常化」にあたっては、ぜひ前回の私の記事「老害さんとの対決から逃げてはいけない」をお読みいただければと思います。


・その2について

とはいえ、上記のような「業務改善」だけで残業をちゃんと減らせるかっていうと限界があります(真剣にやれば想像以上に劇的に変わる職場もたくさんあるとは思いますが)。

それ以上に根本的に「職場をホワイト化」していくには、「そもそも無理なく儲かる事業領域」を確保して、そこでちゃんと「無理なく勝てる仕組み作り」もちゃんとやった上で働く・・・ようなことが必要になってくる。

結局職場がホワイトかどうかは、「勝てる試合」をそもそもやってるかどうか・・・に大きく依存するんだというのは、私がコンサル業のクライアントたちを見ていても思うことです。いわゆる「戦略の失敗を戦術で取り返すことはできない」というやつですね。

問題は、「視野が広くて戦略的な発想ができる人材」と、「いわゆる日本的な組織」というのが乖離しがちで、創業経営者が全権を持ってたりするような好例を覗いては、思い切りの良い「戦略」を適宜「日本人の集団」がうまく採用できなくなってしまっていることです。

一昔前には、「ひとつの企業の中」に個人主義者も集団側の人間も両方いて、それぞれ多少はぶつかりあいながらも時間をかけて相互に理解をし、それぞれの良さを出し合って「視野の広い戦略性」と「現場的優秀性」をシナジーする組み合わせは自然に生まれていました。

が、今は「視野の広い戦略性を持った人材」が、「日本的集団」の中で我慢しきれずにさっさと見切りをつけて転職してしまい、もっと個人主義的なスタイルで仕事できる環境に出ていってしまうことが多くて、この「戦略」と「現場」との乖離が余計に激しくなっているように思います。

その解消はそう簡単なことではありませんが、「個人プレイ型の小組織や個人事業」と「日本的な組織」をピンポイントでうまく協業させるスキルを今後意識的に磨いていけば、むしろ以前よりも適切な形で両者の良さを発揮しあえる形を大規模に実現していけると私は考えています。

そのためにはかなり大規模な「静かなる革命」が必要で、それが実現できるかどうか・・・によって、「掛け声倒れに終わらない本当の働き方改革」ができるかどうかは決まります。

もし興味があれば、少し長いですが個人的に過去に書いたブログ記事の中で最高傑作だと思っている以下の記事をお読みいただければと思います。

我々が起こすべき「静かなる革命」について・・・または「知性とは文脈力・空気を読む力」という時代の終焉



それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。


倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。