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経産省若手資料はそんなにダメか?褒めときゃいいじゃん。

書籍の執筆でアタマが沸き立っていて、箸休めに軽いブログを書きたいので書きます。



ネットで話題の、経産省の若手有志による、

国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、 世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト

っていうのがあって、このリンクからパワーポイント資料が読めるんですが。

数日前にリンクを見つけてパラパラ読んだ時には、「いいなあこれ、頑張って欲しいねえ」と思ったし、ネットでも高評価な人が多かったんですが、なんかそれから日がたつうちに色んな人が

・全く新しくない
・具体的な政策への落とし込みが足りない
・データ分析が雑

などとクサしまくってるのを見てて、いやーそんなにダメかねえ??いいじゃん!と思ったのでそれについて書きたいです。

「ダメかどうか」もさることながら、「最高とは言えなくてもとりあえず褒めときゃいいじゃん」的な話でもあります。

いや、批判は批判で内容的にはゴモットモではあるんですが、あまりにそういうのが盛り上がっちゃって、この資料に対してちょっとでも高評価をするのは知的人間として恥ずかしい・・・ぐらいの空気になってきてるのがちょっとどうかと思うんですよ。

そもそも役所が懇談会的にインテリ集めてとりまとめた資料で、総花的にならずに一方向的なストーリーがあって、ある程度こういう「何言ってるかちゃんとわかる」資料ってそんなに多くないですし、だからこそ「うるさ型」の人たちがクサし始める前の段階では結構ネットで「いいじゃん!」的空気が巻き起こったりもしたわけですよね。

単純に言って、役所発のペーパーで、その「いいじゃん!」モードが小規模でも巻き起こったりした時点でそりゃ奇跡と言って良くて、そりゃ批判は結構だが、じゃあどっかに「超絶凄い官僚さんの集団」がいるわけじゃないんだから、今の日本の官僚さんたちに、官僚の役割の中でできることは頑張ってもらうしかないわけで、だからあんまりクサすばっかりなのもどうかと思うわけですよ。

で、資料の内容なんですが、たしかに「どこにもない新奇性」とか、「具体的な政策へ落とし込みきった提案」とかは弱いかもしれないが、この資料は1つの「ストーリーの提示」を目標としてるわけですよね。

いわゆる「高齢者に属する人」にも、資産や健康面でかなり余裕がある人もいるんだから、一概に「高齢者サマ扱い」で終わるんではなくて、ある程度社会の中での応分の負担をお願いしていくことが今後必要になってくる。その負担をお願いしつつ、子育て世代や「日本の伝統的システムの外」にこぼれ落ちてしまった人たちへのサポートを増やすべき

という全体のストーリーがあって、つまり今の公的サポート・システムは、伝統的に想定されているモデルに沿った「間違いない生き方」をしている人に手厚すぎる時もある一方で、そこからこぼれ落ちたタイプの人へのサポートがメチャ弱い特徴があるので、それを適宜リバランスしていくような一連の政策が必要だっていう話じゃないですか。

これって、「うるさ型」の人の多くが賛同するような、現状のままだとサステナビリティに疑問がある社会保障制度の見直し的な内容でもあるわけですよね?

でもこういうのっていわゆる「一部には痛みを伴う」改革だから、政策実現プロセス的に難しいから、「いかに、サポートが現状より減らされる側の人に痛みを感じさせず、”より大きな社会目標のため”にというストーリーで理解してもらえるか」っていうのが超大事・・・というかそこが一番決定的な問題なわけですよね。

しかし、現状でのこの問題への切り込み方っていうのは、特にこの資料をクサすタイプの人が普段やってる言論というのは、むしろ対立を煽りまくってるというか、サポートが減らされる側に立つ人間からしてみれば「お前の言ってることは正しいかもしれないが絶対実現させてやらねえ!!」などと青筋立てて怒り狂いそうな物言いをしまくってる現状があるわけです。

それに比べると、たしかに「内容として全く新しくない」とか、「具体的な政策の細部まで詰められてない」とかはそうかもしれないが、

「大枠として社会がこっちに向かっていくことが、”色んな立場を超えて”、私たち日本の未来のために大事なことですよね?」

というフワッとした合意形成(意地悪く言うのなら、負担増をお願いする対象に対して負担感ができるだけ減るような話の持って行き方)についてそれなりに配慮されていて、そして小なりともネットで熱狂が巻き起こったりしたこのペーパーは、とりあえず褒めときゃいいじゃん、と私は思います。

同じように、この「経産省若手有志」的なプロファイルには、ある種の「青年将校」的なロマンを感じる人が日本には結構いる状況があるわけですが、そういうのだって積極的に利用していけばいいじゃんと私は思います。同じプランを自民党のご老人が考えましたって言うより、少壮の若手官僚が止むに止まれぬ思いからまとめたペーパーなんですってなってる方がいいなら、積極的にそこだって褒めてけばいいじゃん、と思います。

普段、何か真剣に議論する時には信頼している色んな論客さんが、このペーパーについてはメッチャひどくこき下ろしまくってるのを見て、「なんか、考え方が自分とは違う人なんだなあ」っていうふうに痛感するってことがここ数日多かったです。

このペーパーに厳しい人の類型には2つあって、1つは学者さんで、もう1つは起業家さんかもしれません。起業家ってほどでなくてもある程度自分の権限で好きに切り回せる立場で仕事をしている人には多かったかもしれない。

そういう人は、「フワッとした空気的な他人の意向」を”忖度”せずとも自分のフィールドにおいては成果が出せるタイプの仕事をしてる人なのかもしれません。でも、そうやって「固定的に切り分けられる仕事」の範囲をいくら積み重ねても民主主義政府という化け物には太刀打ちできなかったりしますよね。

自分のスタイルじゃない、自分はやらない・・・としても、最終的に「自分の望みを実現する追い風になる」のであれば、褒めときゃいいじゃん、ぐらいには思ってもいいんじゃないかと思いましたが、いかがでしょうか。

この資料を見て「官僚のレベルが下がった」という嘆きも沢山見たんですが、おそらく昔の官僚は「誰の意向を汲むことなく思い通りに動かせる」仕事だったけれども、今の官僚はそうではないんだという話なんじゃないかと思います。そういう意味では、こういう資料を作れるようになったこと自体が、時代の変化にちゃんと適応した上でできることを模索している動きなんだと理解できるんじゃないでしょうか。

そこそこ好評だった前回の記事↓

日本化する韓国、韓国化する日本

で書いた、「韓国が今後、今までの日本のようにグダグダになっていく一方で、日本が今後、グダグダさの先にある新しい連携を生み出せるかもしれない」という方向性は、そういう「大域的な空気の問題」に対して、山本七平的に批判して自分はそんな愚民どもとは隔絶したクールでタフな個人主義者だぜ!とカッコつけるだけで終わってしまわないで、むしろ積極的に「空気マネジメント」にも力を注ぐことを意識的に選択することの中から生まれてくるように思います。



●自ブログをアップしてから色んな人の反響を聞いての追記なんですが、この資料が「急速な社会保障の縮小を目指す緊縮的メッセージだからダメだ」という批判があると聞きました。私は全然そういう印象を受けなかったので驚いてしまったんですが。

資料内部にあるように、諸外国の例も引きながら、自然に「やりすぎな延命治療を辞める」だとか、「資産家高齢者に対しては年金給付で多少我慢してもらう」とか、その程度のことをやろうという話であるように私には見受けられます。

そういう「破滅的な影響は出ないところでちゃんと節約しよう」程度の抑制策はやっていかないと、「一切手をつけないぞ!」と意地を張っているうちに限界が来たら、「本当に悲惨な影響が出てしまうような削り方」をしてしまうんじゃないかと私はむしろそちらを懸念します。

また、AIの活用による産業構造の転換なんかの「プラスの話」でなく世代間格差のゼロサムゲームに限定した話になってしまっているという批判もあるらしく、それは確かにそうなんですが、プラスの話はプラスの話でやるべきで、少子高齢化と人手不足はその千載一遇の好機と言っていいぐらいだと思いますが、それは単にどちらもやればいい話というだけではないでしょうか。

勿論、この資料のような言説が一気に広まりすぎて、社会保障を削りすぎてしまう過剰な緊縮効果が懸念される・・・というのは確かにありえるわけですが、実際には抵抗も大きく、そこまで行くことはほぼありえないと思います。

むしろ、「削るか削らないか」という極論同士ではなく、「総額はできるだけ減らさないようにしたいが、同じ支出するにしてもトータルに日本の中でフェアな分配になるようにしよう」という方向での気運が高まることは、緊縮的財政に賛成かどうか、新しい産業育成に賛成かどうか・・・などとは関係なく常に重要な視点であると私には思われます。

逆に、そういうところから「立場を超えた連携」の気運が見えてこないと、新産業と旧産業の対立を乗り越える必要があるAI活用による大躍進など夢のマタ夢といっていいぐらいでしょう。

夢物語も困るけれども、あまりにクサすばっかりなのはやはりどうかと思います。こういうとこからやってこうぜ!的なプラスの声の掛け合いというような、知的人間がバカにしがちな要素こそ、今の日本に最も欠けているものだと感じるのは私だけでしょうか。



それでは、また次回お会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。