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日本一のニートを目指すPhaさんの本『ニートの歩き方』と社会の中のイノベーションの土壌。


「日本一のニートを目指す」という触れ込みのPhaさん(本名・荒川智則氏)という方がいて、彼が最近出した本、「ニートの歩き方」を読んだ。なかなか良かった。最後の方の、「働きアリ」の話してるとことか、ちょっとジーンとして感動したな。

「日本一のニートを目指す」って言われても、それってどういうこと?って感じだと思うんだけど、彼は、「普通に毎日会社に行くとかがどうしてもできない体質」らしくて、「そういう人間でも生きていける社会であるべきだ」的な思想運動?の一貫として、シェアハウスを主催してそこに住みながら、インターネットを通じたアフィリエイトとかその他で生活している人なんだけど。

彼は僕と同い年で、同じ関西生まれ(彼は大阪、僕は神戸)、同じ大学に同じ時期にいたし(当時は面識なかったけど)、僕は彼のブログその他を随分昔から読んでいるし、彼も僕のブログその他を随分昔から読んでくれているらしく、メールで話したこともちょっとだけある。

何より、やってることの「見た目」は全然違うけど、根本的な発想は同じいっていいぐらいのものだなと前から思っていたので、本を読んでもかなりジーンと来た。

彼のやっていることに「猛反対」という人は結構いるでしょうけど、社会の中に彼みたいな存在が全然いないというのも、やっぱ問題があると思うんですよね。

ちょっと前にツイッターでもそういう話をしたし、Phaさん本人にもメールで言ったことがあるんだけど、彼みたいな人は現代の「聖職者」というか、一種の「シャーマン」的存在なんだと思うんだよね。




人間社会は、放っておくと「無理して自分を痛めつけているかどうかレース」みたいなのを真剣にやりこんでしまうことになりがちで、「本当に相手のためになるか」とか「本当に社会の幸せにつながるか」とかいう吟味はそっちのけにして、「俺はお前よりこんだけ自分を痛めつけてるから偉いんだぜ」っていう競い合いに収束してしまいやすいですよね。

だから、そういうのから適切に距離を置いて、「目先のことに汲々とするレース」みたいなのから「降りた」存在が、社会の中のどこかにいて、で、たまに「息抜き」を提供してくれるというのは、かなり

切実に必要

なことなんですよ。

で、仏教というのは、そもそもそういう発想でできている社会的装置だったと思うんですよね。まあ、「それだけのため」とは言えないかもしれないが「たくさんある機能のうちの重要な一個がそれだった」と言っていいと思う。

「世間の内側の人間」だけでお互いを監視し合って叩き合いをしていると、どんどん「誰もが息苦しいのにそれを辞めることができない」っていう方向の我慢大会みたいになっちゃうので。

その「外側にいる人間ですよ」ってなった人が、些細な世事に惑わされない分超然とした人格を涵養していて、で、たまに節目節目に「それっぽい話」をしてくれて、それで「みんなの息苦しさ」が緩和されるっていうか。

でも、現代の仏教は、あまりそういう「本質的役割」を果たしているとは言い難い部分があると思うので(彼らは彼らで別の価値を提供していると思うので、批判してるわけじゃないんですが)、そういう部分を代替する役割として、Phaさんみたいな人は凄い「意味あること」をしていると言っていいと思う。

著書でも、そういう感じの「今の社会の普通」に乗っかれない人が、「死なずに生きていける選択肢」が必要だ・・・・っていうような思想が色んな論法で展開されていて、そこの部分はすごく良いなと思った。




ただまあ確かにね、そうは言っても、彼は相当に「強者」な部類なんだよね。色んな人が言ってるけど。

学歴もあるし、テレビ出たりブログ書いたりウェブサービス開発したりシェアハウス主催したりして、個人的な行動力は相当凄い。

何より、彼の存在が「アンチ・せせこましい社会ムーブメントのアイコン」みたいなポジションにいるからこそできていることがかなりあるので、彼に影響を受けて後発で似たようにやろうとしても結構難しい部分はあると思う。

あのね、僕は実際に「ニート的なポジション」にいる会員さんをクライアントに、社会再参加を目指す的なことをやっていたことも結構あるんだけど、実際に多くの「ニート状態」にいる人にとっては、なんだかんだ言って「カイシャ」に潜り込むのが一番現実的なんだよね。

僕も2007年ぐらいの時点では、そういうニートの中から次々と「ウェブだけで暮らしていけている突破者」が生まれてくれたら痛快だなあと思っていたんですが。

実際に「そういう風になってもらおう」と色々やってみたんだけど結構厳しい部分もあったりする。やれる人は何も言わなくても勝手にやっちゃってるからそもそもニート状態にならないってのもあるしね。

実際に「ニート状態」になっていたり、なる方向になりがちな人においては、「個人による突破」を押し付けるよりも、「バイトから入って・・・・正社員に」的な方向で誘導してあげた方が、結果として「社会再参加」は叶いやすい・・・・っていうのは厳然としてある。

でさ、一種の「左翼的センチメンタリズム」的な部分で、「他人ごと」だったら、「突破した個人」がいてくれたほうが痛快なんで、ついついそっちに「追いやってしまいがち」なんだけど、そんな期待を背負い込まされた方も結構ツライってところがあるからね。

だからやっぱり、「カイシャのあり方」みたいなのを風潮的に変えていくことによって、「社会の内側」の方に「居場所」を作れるように持っていってあげることが、大事なんじゃないかと僕は考えてるんですよね。

Phaさん的な方向性で「生き方の選択肢を増やしていく」ことは凄く大事なことだと思うんですが、そのプロセスで鬱陶しいからといって全ての「おせっかいな社会的父性」みたいなのをネコソギ破壊してやろうとしてしまうのは、本当の意味での「弱者」にはあまり嬉しいことではないところがあります。

なんで、うまいことその両者が両立するように持っていきたいなと僕は常々思っているんですよね。まあ、ずっと一緒にいたらケンカになるような両者でも、最終的になんとなく併存するぐらいは可能だと思うし。



だから、Phaさんの活動を、「ニート的存在に対する救済策」的な文脈で見ると良くないと思うんですよ。色々ミスリードするだろうし、彼の存在が魅力的な分、「カイシャ組織に入ろうと動く」ことが「負け」であるかのように感じられてしまうと、本当に困ってるニートさん本人としてもツライってとこあるからね。

でも、そういう「批判」をする人にも、わかって欲しいなあと思う「彼の価値」っていうのがあってですね。

もっと大きな文脈で、ああいう「適切なサボタージュの論理」が、社会の中に取り込まれるべきだと思うんですよね。

「売上規模を保つためだけに必死に考えだされた空騒ぎ」的なものが、現状の経済にはかなり含まれてしまっていて、で、そういうのをやっていると生きてる人間の心身を蝕んで行くから、最終的には「経済そのもの」からもう「降りたい」と思う人が沢山生まれてしまうことになるので。

「経済」を「内側」から食い破っていくように、何らかの「本来的な喜び」を繰り込んでいけるようにしたいわけですよ。

そのためには、「吟味する時間」をいかに確保するか・・・みたいなことが大事なんですよね。

その点では、Phaさんは、「自分の魂の納得がいくことだけをやることによって生計を立てているアーティスト」的な捉え方ができるようになると思うしね。

僕のところの会員さんが、「とりあえず日々の仕事をしながら、そこでできる”本当に価値があると感じられるプロジェクト”を個人で温めていく」っていう「大道楽」をやろうとしてるのも、同じことなんですよね。

「吟味期間」を濃密に取れないようなプロジェクトは、やっぱり「本当のニーズ」というよりは「売りやすい小ネタ」でしかないことが多くなっちゃうからね。



関係ないようで関係ある話なんですが、最近読んでなるほど・・・と思ったことなんですけどね。

ソニーの創業当時、まだソニーって名前じゃなかったんですが、創業者の井深大氏は「ラジオだけはやらない」って宣言してたらしいんですね。

戦争終わってすぐに会社作った時に、まずどこの電機屋さんも考えたのがラジオの生産なんだけど、それは絶対やらないと。

そういう「普通の商品」は、いずれ三菱とか東芝とか大きな会社が乗り出してきたらすぐ駆逐されちゃうから、ラジオだけはやっちゃイカンと言ってたらしい。

で、まあ実際にはラジオの修理はそこそこやったらしいんですが、いきなりテープレコーダーの研究開発にのめりこんで行くんですよね。

テープレコーダーなんて、まだ技術が全然確立していないし、どこに需要があるかわからない、実際に最初に作った商品は全然売れなくて超困ったみたいなチャレンジに突っ込んで行った。

結果としてそれが成功して、しかも特許を押さえてたんで、その後長くテープレコーダーでまず潤沢な資金を作ることができて、それを技術にガンガン投資したから、トランジスタとかクロマトロンとかトリニトロンとかその他の製品を作り出せたんだ・・・・っていう話なんですよ。

っていうかね、ソニーだけテレビの内部構造が違う独自様式だった・・・っての、それ自体凄いことですよね。テレビみたいな基幹的な商品において、他社とは違う独自様式をゼロから作ろうとするとか、なかなかできたもんじゃないなと思うんですけど。

・・・ともあれ、で、本題はここからなんですが、テープレコーダーの技術開発と商売がうまく行くまで、相当資金繰りに苦しい時期があったそうなんですが、その時期の社員の給料は、かなり盟友の盛田昭夫氏の実家から出てたらしいんですよね。

愛知県で結構有名なお酒の会社で、敷島パンも関連会社に持ってる富豪家だったらしいんですけど。

つまりね、そういう「家ベースの特別扱い」が、「システム化された”普通”の範囲」を抜け出すための「風穴」をあけてくれて、それが適切な「助走期間」になり、結果として「テープレコーダーの成功」を産んで、その成功が生んだ余剰資金で、トランジスタも独自様式のテレビ技術も・・・・・ってうまく回っていったってことなんですよね。

そういう部分を、社会の中にどうやって残すか・・・っていうことが、やっぱり大事なんだよな・・・・って思うんですよ。

アメリカのITの会社とかだったらね、それを「国とかシステムとか」ベースでやってるんですよね。世界に展開して何年後までずっと赤字だけど突っ走ってる会社とかザラにあるからね。

日本の、「面白い会社」って、大抵「既にあった会社」を「二代目が好きに引き回して実現」したような会社が多いしね。

って、そういう「家」とかベースの、「システム外」のものが全部全滅しても、アメリカ型にベンチャーキャピタル的なのができたら大丈夫なんだよ・・・て思うかもしれんけど、でも、それなかなかそうはいかないですよね。

アメリカが機能してるのは、凄い金持ちになった過去の成功者が、かなり「二代目のドラ息子が思う存分やれる環境を作る」みたいなのと似ている、「システム外の連鎖」を作り出してるからね。

別に、「家」が消えてってもいいんだけど、ちゃんと「必要な、システム外の価値連鎖」が保護されない限りにおいては、ただ「システム」を用意すりゃいいなんてもんじゃ絶対ないんですよ。

だから、お互いをガチガチに監視しあって、説明責任の網目をはりめぐらせてキチキチに管理すれば経済が良くなるなんてことはないんだってことなんですよね。

そもそも、「本当に新しいもの」は、「ファンディングの時点で説明できない」ものであることが大半であるはずなんですよ。特に、「アメリカにはできない日本ならではの強み」っていうことを考えた時には特にね。

そういう時には、やはり、「システム化される以前の曖昧さ」の中で処理されなくてはいけない「価値の連鎖」ってのは絶対あるんですよね。

ある範囲以降は「キッチリしたシステム」に載せることが必要なんですけど、その「きっちりしたシステムに載せるまで」の間の「遊び」「思う存分の吟味」をどうやって社会的に確保するのか・・・・っていうことが大事なんですよ。

「競争市場原理主義者」の人は、それに対するアンチの人が懸念している材料↑について、適切な手当てを考えてあげることが、本当に「市場主義者の理想」を具現化するためのボトルネックを外すために大事なことだと思いますよ。



だから、Phaさん的存在に対して、やたらと批判や憎悪が集まる社会は、次の経済発展を支えるイノベーションの土壌っていう意味で良くないんですよね。

「遊び」からしか生まれないものがあるからね。

むしろ、色んな立場で働いている人が、彼的な「正直さ」ベースでの「やりたいことの吟味」を行えるような土壌が育っていけば、経済が「空騒ぎ状態」から、「物凄く実体が感じられるもの」に内側から転換してくるからね。

そういう方向で動かしていきたいし、そういう意味じゃPhaさんはそういう方向性を示してくれる「灯台」みたいな生き方を、相当なリスクを取りながらやってくれてるんだと思っています。

彼の、「どんな性質の人間にもとりあえず生きやすい社会を」っていう方向性についてジックリ述べた部分とかは、気持ちが伝わる良い文章だったと思うので、かなりオススメな本です。

色んなことを考えなおすキッカケになるんじゃないかというようなね。

彼みたいなのを「叩き潰してやりたい」っていう論理で動いている経済から、本当に「新しいこと」が生み出されたりしない・・・・ってとこあると思うからね。

理想主義的なことを言えば、ああいう生き方だって、普通だよね・・・・っていうぐらいになることが、「経済」から「無理やり創りだしたバブル部分がなくなって、本当に”実質感ある幸せ”部分で満ちている」っていうことの判断基準になる・・・・っていうぐらいの構造はあると思う。

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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

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1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
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『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。