「朝日新聞的なもの」にトドメを刺すための出口戦略(前編)

・深く広く日常的に広がりつつある嫌韓感情

今年のお盆は実家の神戸に帰っていたんですが、今回は珍しく妻が用事で帰れず一人で帰ったので、「ワルそうな奴はだいたい友達」みたいな生き方をしてる地元の幼馴染と飲みに行ったりフットサルをしたり、母親と最近のオバチャン友達グループの中の流行について時間をかけて詳しく聞いたり・・・することになりました。

それで思ったのが、過去数年に比べても「草の根」的な有形無形の「嫌韓」感情が、チラホラ目立つようになってきたなあということです。

もちろんそんな話ばっかりするわけじゃないですから、普段はわかりません。でも何かの拍子にそういう話題になると、明らかに「なんか嫌だよねえ」あるいは「物凄く嫌だよねえ」という感じが共有されている。

ずっと地元で暮らしていて子育てを始めている幼なじみとそのフットサル仲間(男・30代なかば)が「嫌韓」的な傾向を持つのはよくメディアでも触れられていることですが、その母親やオバチャンのグループの中で、「なんとなく嫌韓」あるいは「かなり嫌韓」的気分が浸透してきているのは結構「あたらしい」感覚でした。

一応言っておくとウチの母親はかなり早い時期からリトミックの教室を主催していて、口を開けば「欧米じゃあこうなのに日本は遅れてるよね」的なことを言っては周囲に嫌がられるタイプの実に「リベラル」な人間です。私が産まれてこのかたずっと朝日新聞を取ってきてもいる。

その母親に、例の朝日新聞の慰安婦問題の再検証記事について

「え?あれってウソから始まって世界中で問題にしてしまってるってこと?なんであんなことするの?意味わかんないんだけど。」

・・・と聞いてこられると、私としても返答に困ってしまいました。

「まああの時期は、一度何もかも昔の日本が悪かったってことにして日本がオープンな社会運営の仕組みを受け入れていく時期だったから、捏造でもなんでもして悪者にする流れが止まらなかったんじゃないかな。最近はそうやって受け入れたものを日本流にアレンジして世界に提示していくことが、混乱してる世界にとっても必要な時代になってきてるから、当然の揺り戻しと再検証が行われてきてるってことだと思うよ」

などと実に「構造主義的」に持って回った言い方で一応かばってはみたんですが、こういう言い方が通じる相手と通じない相手ってのがいますから、結局「なんであんなことするのかわからん。頭オカシイんじゃないの?」的な母親の疑念を溶かすことはできませんでした。

オバチャンたちの「嫌韓」は右や左の理屈でできているものではないですから、当初は「隣近所なんだし仲良くすればいいじゃない?あの商店街の中にあるキムチの店美味しかったわよ」という気安さを持っている反面、いざ”感じ悪い”となると「なんか感じ悪いなー付き合うのやめちゃお。あなたも付き合うの辞めたほうがいいわよ!」的な思いが凄いスピードで仲間内を駆け巡る容赦ない伝播性も持っている感じで。

日韓関係を改善する・・・となった時に、「このオバチャン的な感情」をウヤムヤにしたままインテリさんの間だけで適当な手打ちをやろうとしても、限界があるだろうな・・・ということをヒシヒシと感じました。

過去の延長じゃなく、何か大きな「捉え返し」の上で解決しなきゃいけない局面に来ているなと。



・「とりあえず日本が我慢すればいい」型の20世紀的脊髄反射が、余計に草の根の嫌韓感情を増幅している

とはいえ実は、ここまで読んだ時点で、読者のあなたの心の中の「態度」は既に決まってしまっている・・・んじゃないかと思います。

物凄い単純化した言い方ですけど、「右」の人なら「そうだそうだ!」あるいは「何を今更なことを言ってるんだコイツは」で、「左」の人なら「何言い出すんだコイツは」って感じで読みながら既に反論を考え始めている・・・って感じでしょうか。

そういう「脊髄反射的な反応パターン」が、この話題では物凄く確定してしまっているんですよね。たまたまネットを漁っててこのページにたどり着いて3秒後には、もうこれを読んでの「結論」をあなたは決めてしまっている。

で、「政治的な立場」が読者のあなたにはそれぞれあるんだということはいいんですよ。それを変えていただく必要は全然ない。あなたの立場が、「僕の言うことの8割ぐらいはムカつくというタイプ」でもいい。

従軍慰安婦問題に対する「右」の人の検証作業・・・には、まあ色んなレベルのものがあると思いますし、それを全て信じなくてはならない・・・というわけでもありません。

ただ、今回その一連の騒動の「大きな起点」となったものが捏造であったことが判明したわけですし、「そこから雪だるま式に膨らんでしまったもの」が、この問題の現時点での「国際理解」の中には”かなり”含まれているだろう・・・というのは、この問題が大きくなっていった時代背景的に明らかに否定できないことであろうと思います。

そして、従軍慰安婦問題に対する当時の日本軍の「関与」度合いがどれほどであろうとも、「(戦争の結果として当然起きるであろう)レイプ被害を抑止するために、当時は合法だったプロの女性を使う措置を考える」ということが、むしろ「当時なりの良心」として考えられたのだという経緯も、例えばノルマンディー上陸作戦後にアメリカ軍兵士によるレイプが頻発していたというような「戦勝国・敗戦国といった垣根を超えた平等な検証」が次々となされている世界的な流れの中で、あたらしい枠組みで捉え直すことが必要になる要因となるでしょう。

とはいってもこれは、「みんなやっていたから悪くない」と言ってるんじゃあないんですよ。

「左」がアンフェアなポジションのままでいると、「右」の人は「みんなやっていたんだから悪くない」と言うしかなくなる構造があるってことなんですよね。(彼らの中の多くが”悪くない”と心底思っているわけではなくとも、です)

この解決を「みんなやっていたんだから悪くない」に落としたくなければ、「みんな」を共通の秤で裁けるようなあたらしい枠組みを考えることで、日本だけが特異的に裁かれて国際間のパワーゲームに利用されたりしないようにする必要があります。

「みんなやっていた状況」の中で「ある人」だけを非難する(しかもそれを、国際関係における主導権争い的なパワーゲームに利用される)ってことが続けば、この記事の冒頭で書いた「オバチャンレベルでの友好感情」は余計に悪化する流れは止められないだろう・・・ってことです。

要するにこの問題は「根本的な捉え返し」がないと、20世紀のインテリの習い性的に「ウヤムヤに」する形では決して解決できないんですね。インテリレベルで「ウヤムヤ」にしようとすればするほど、「オバチャンレベルの生身の感情」が、むしろどんどん悪化し続けることになる。

それはもう、電車で隣にいる人を力いっぱい殴りつけておいて、恨まれずに済む・・・と思っているというぐらいの”無理”がここにはあるんですよ。

その「オバチャンレベルでの友好感情」が悪化し続ければ、ヘイトスピーチも止められないし、「左」のあなたの心を痛めさせる数々の不幸な差別の解決も、「広範囲の協力」を取り付けて実現することが日に日に困難になっていくでしょう。

要するに、脊髄反射的に「昔の日本が全部悪い」的にならない道筋を考えないと、余計に「左」的な立ち位置にとって望ましくない方向に「社会の本能」が向かってしまうということです。(同時に、”右”の人の”良識派”にとっても、あまり望ましくないけど否定しようもない状況・・・が続きます)

まずは、その「一点」について一度立ち止まって考えていただきたい。広いネット上でたまたまこのページに出会われたあなたへの、私の「ひとつの大事なお願い」です。



・国際関係が「あたらしい均衡点」に移動しつつある結果、20世紀的な「分断」を超える考えの変化が求められている。

実家に滞在している間、久々に朝日新聞を毎日読んでいたんですが、色々と難しい立場に置かれていることが、論調の隅々に見え隠れする感じでした。

突然アナクロなまでに「朝日新聞的」なことを言ったかと思えば、逆に神経質なぐらい両論併記的なことを言い出したりして。

多分、朝日の社員さんたちとしても、「ちょっとまずいな・・・でも自分たちの矜持を守りつつ着地できるあたらしい方向性ってどこなんだろうな」っていうような模索をしている最中なんだと思います。

でもそれが、やはり「腰の定まらなさ」「自信のなさ」として伝わり、別に理屈は全然なくても本能レベルでは強固なほどのリベラル志向だったウチの母親の気分すら変えさせつつある。

オバチャンたちは決して「政治的」な人間ではありませんけど、逆に言うと本質的な意味で「政治的」っていうのはコレのことか・・・みたいな生身の感情の流れを持っています。

そのレベルで考えると、ほんのちょっとした「気合い」のレベル、論調の変化・・・が、案外大きな変化を与えていっているんですよね。

今、何かのバランスが大きく崩れて、あたらしいバランスへと移行しつつあるわけです。

それは、国際的に見れば「アメリカの力」がだんだん弱まって多極化していく世界の中で、「アメリカの立場に反対する奴は全部爆撃して黙らせる」ことができなくなっていく結果、「それぞれの立場を平等にいれこむことが可能で、かつ現行の世界秩序が崩壊しない」あたらしい方向性が求められていく・・・という時代の流れに呼応している。

また、「あまりに市場原理主義的な」経済運営の方法が世界中で反発を受ける中で、そういうのを「全拒否」にするでもなく「調和」の取れたあたらしい経営のあり方を提示していくべき存在としての日本文化が世界的にフィーチャーされていく未来の流れに乗るものでもある。

すべて、「あまりに理性的に考えすぎた仕切りによって、”オバチャンレベルのナマの感情”が置いてけぼりになってしまった世界」の限界が露呈し、「感情レベルの問題とピッタリフィットした理性の運用」が実現できるような”あたらしい世界の着地点”へと変化していっている動きの反映なのです。

私は大学卒業後、マッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「オバチャンレベルのナマの感情の動き」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

そのプロセスの中では、その「野蛮さ」の中にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラ↓をどうぞ。)
http://keizokuramoto.blogspot.jp/2012/07/blog-post_18.html

「オバチャンレベルのナマの感情」を置いてけぼりにするような「20世紀的に無理な仕切り」は、もう賞味期限が来てるんですよ。そういうのはただの「恵まれたインテリのエゴ」なんです。その延長で脊髄反射的に反応していても、これは決して解決できないんですよね。

「20世紀的な世界観の延長だったら”普通は敵扱い”されるような相手」との連携

を考えていかないとね。

とはいえ、これは色んな立場(日本にかぎらず国際的な)の人の願いやメンツが錯綜して絡まっており、解きほぐしていく糸口がなかなか見つかりませんよね。

この記事の後半では、その「解きほぐす糸口」として「3つ」のヒントについて触れたいと思います。どんな立場のあなたにとって明日にでも取り入れられる「ヒント」です。

1 慰安婦問題に対する態度と、その他の色んな問題への態度をあえて分けて国内における連携を考える。(他の問題では敵でもいいから、とりあえずこの問題は先に協力して解決してしまおう・・・という文脈を普及させていく)

2 ”自省的なタイプの韓国人”のプライドをくすぐり、そことの連携を考える。(今の世界の分断を越えていくための美質を持ちながらアピール力に乏しい”自虐的すぎる日本”と、アピール力があるのはいいとしてもセウォル号事件以降多少は反省する素質も必要なんじゃないかと国民が思い始めている”反省しなさすぎる韓国”・・・を”足して2で割ったぐらいの空気”に両国がなれるような落とし所を模索していくことで、両国の”オバチャンレベルの生身の感情”が”理性的に考えてフェアな領域”に自然に流れ込めるように誘導していく)

3 中立的な”あたらしいリベラル”によって一面的な”古いリベラル”を置き換えていく。

この問題がなかなかスムーズに解決しないのは、変な形でみんなの感情が暴走してしまうと戦争にもなりかねないからだし、本当に「あたらしい均衡点」に到達したなら、その昔ベルリンの壁が自然発生的な感情のウネリで崩壊してしまったように、韓国と北朝鮮の間の国境だって吹き飛ぶんじゃないか・・・というぐらいの「大きな変化」がここにはあるからなんですよね。

それは山奥にある危ない吊り橋みたいなものなので、怖いからといってそのど真ん中で前に進むか後ろに進むかでずっと紛糾し続けていたら余計に危ない。渡り始める前ならまだしも、もう渡り始めちゃってる以上はできるだけスムーズに渡りきってしまうことが一番安全なのです。

もちろん、ただ習い性のパターンを無批判に繰り返すだけの脊髄反射で生きている人が世の中の大半かもしれません。しかし、ネットの海の中での一期一会においてこの記事と出会い、わざわざ最後まで読みつつあるあなたの中には、「今のままじゃいけないんだよな」ということ自体は明確にお分かりいただけていると私は思います。

素直に問題を見つめて、そして協力関係を模索しながらこの「吊り橋」を渡り切るプロセスの中に、この世界のあらゆる対立を根本から解きほぐす道を提示できる日本のあたらしい「勝ちパターン」が見えてくるんですよ。

さあ、対立を煽るだけで余計に生きている人々を傷つけてしまうことになった「古いタイプの対立構図」を捨て去って、「世界最先端のあたらしいリベラル」を日本から提示することです。

賞味期限が切れた惰性の論調と決別し、「迷える朝日新聞的なもの」にトドメを刺しましょう!

彼らもそれを心底では望んでいるはずですし、その先にある「アメリカ一極支配終焉の中で混乱し続ける世界の中に、日本ならではのあたらしい希望を提示すること」こそが、今後”彼らの願い”をも過不足なく昇華していくための唯一の道なのですから。

北斗の拳のセリフで言うならこうです。

倒すことが愛!お前もまさしく強敵(とも)だった!!





さて、ここまでが前半です。そろそろ文字数的に限界のようです。この「3つのヒント」の詳細については「後半」でお伝えしましょう。後半の記事は近日中にアップします。

その他にも、この「あたらしいリベラル」についてのブログ記事は続いていく予定ですが、最近は私も忙しくなってしまって、そうしょっちゅうはアップできないので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

また、前述したような色んなアホなチャレンジも含めた”日本の色んな立場”の人との繋がりの中で私が10年以上模索してきた、この「大きな世界の構造変化とその中での日本の新しい勝ちパターン」といったテーマについては、断片的なブログ記事では伝えきれない部分もあろうかと思うので、この記事に興味を持たれた方はぜひ晶文社刊の『日本がアメリカに勝つ方法』をお読みください。思想・政治・外交レベルと経済・経営レベルを連動させつつ日本が「あたらしい文明」を提示することで世界の分断を解決するビジョンについて書かれています。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
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