「朝日新聞的なもの」にトドメを刺すための出口戦略(中編)
・朝日新聞的なものの「良くない部分」にトドメを刺すために、「保守陣営」が繰り出すべき最後の一手とは?
前回の記事では、お盆に実家に帰った時に周囲のオバチャンの集まりとかの「草の根」レベルにおいて、今までにないタイプの「左右の理屈とかじゃないナマの嫌韓感情」が広がっていることを感じたことから、「とりあえず日本が悪かったってことにする」ような仕切り方じゃない「中立的なあたらしい解決法」を左右一緒に考えていかないと、今のままでは何をやってもどんどん「草の根の嫌韓感情」は増幅されていってしまうだけだろう・・・という話を書きました。
多少あおり気味のタイトルで書いているので、ただ単に朝日新聞を敵視している内容のように思われるかもしれませんが、ちゃんと読んでいただくとそうではないことはわかっていただけると思います。
その記事に対して、ある「かなり”右”な雑誌(見慣れていない人には目次を見ただけでギョッとするほど”極右”なレベルの雑誌)」の編集者の方から、私のホームページのコンタクト欄を通じてかなり熱いメールを頂いたんですが、それがなかなか示唆的でした。
要約すると、「朝日新聞的なものにトドメを刺すには、我々(彼ら)保守陣営こそが、今こそ反省し、変わらなくてはいけないことがあるんじゃないか」という趣旨の文章で。
(以下引用)
私は本当に「リベラルの理想」を現代の難しい状況の中で蘇らせようと頑張って色々活動してると言って良いと思うんですが、そのプロセスの中では、困ったことに信じていた「左」の人の突然の居直り・・・みたいなものに遭遇してショックを受けると同時に、「右」の人の意外な”まごころ”のようなものに触れて慰められる・・・・ってことが多いような気がします。
で、このご意見はほんともっともだな・・・と思ったんですが、要するに、「朝日新聞的なもの(”朝日新聞”にかぎらず)」が欺瞞を含んでいて、そのポジションゆえに余計に問題をややこしくしている状況にあることは、多分朝日新聞の社員さんも結構自覚しつつあるんだと思うんですよね。
しかし、なぜ変われないか。「トドメを刺す」ところまで行けないか・・・・というと、彼らが突然消え去ってしまったりした時に、適切なバランスを維持できる存在がどこにもいないからだ・・・・と言うことは言えるでしょう。
・伝統的な「敵・味方の構図」でなく「何がフェアなのか」でまとまりはじめなくては
結局、「全部過去の日本が悪かったことにする」人たちの欺瞞が明らかになったら、今度は「過去の日本は何から何まで完璧だった」という方向の話しか通らなくなってしまうようじゃあ困ります。
そりゃ色々反省しないといけないことがあるでしょう。(ただ、「それを実行した人たちの名誉や彼らなりの正義があったこと」をちゃんと認められるようにできれば、むしろ「保守」の人たちの心底の望みとして「反省」も自然に行われるようになるんですよね。そういう順番じゃないと決して解決しないんですよ。)
とはいえ、今はまだ、広い範囲のマスコミに「朝日新聞的なもの」が公式見解としては生きていますから、「今の状態が異常で、それがただ正常化するだけだ、普通の国になるだけだ」とあなたは思うかもしれない。思うかもしれないが、人間の集団心理の暴走っていうのはなかなかコントロールが難しいものですからね。
だからこそ、今まさに「朝日新聞的なものにトドメを刺したい」と思っておられるあなたは、ぜひ「ブレーキがついてないクルマは危なくてアクセルを踏み込めない」という構図が、今の膠着状態の根本原因になっているのだ・・・ということをご理解いただければと思います。
だからこそ、前回の記事で書いたように、
「20世紀的な世界観の延長だったら”普通は敵扱い”されるような相手」との連携
を考えていかなければ解決できないんですよこれは。
実際には、朝日新聞の社員だろうと「今のままじゃいけない」と思っておられる方は多い印象を持ちますし、逆に「保守」の人だって、あまりにも過激なヘイトスピーチをやりまくってる動画を見て、諸手を上げて賛同している・・・・という人ばかりではない(むしろ苦々しく思っている人が多い)でしょう。
そこにある「伝統的な敵・味方を超えたまとまり」が大きく育っていって、責任を持って「真ん中」を維持してくれる、単純化された論調の暴走を防いでくれる・・・・という「確証」が広い範囲に持てるようになれば、今の「朝日新聞的なもの」のダメな部分は捨て去ることが可能になるんですよね。
そのためには、前回も言ったとおり「もっと大きな視点での捉え返し」が必要になってくるわけです。それが「あたらしいリベラル」なんですね。
日本は戦争に負けてるので、ただ「アメリカもやってることを自分たちもやって何が悪い」的な意味での「普通の国になるだけだ」的な論理は、気持ちはわかりますが広範囲の反発を受けることはやむを得ない部分もあると思います。
しかし、今の世界は「アメリカ一極支配が終わり、その先の協調体制を模索しつつある。ある程度説得力を持って”みんなの願いを入れ込める”世界観を構築しないと冗談抜きで世界大戦になっちゃう」というタイミングなわけです。
そのプロセスの中で、戦勝国や敗戦国・・・といった枠組みを超えて、「悪いものは悪い、良いものは良い」というレベルの「あたらしい普遍性」を共有しようとするムーブメントは国際的に既に起きてきているんですよ。
「日本の保守の念願」の三歩向こうぐらいまでは来てくれているんです。
それを信じて今度はこちらから三歩歩み寄ってトンネルを逆側から掘り抜くことで、「普通の国」どころか「混乱する世界のあたらしい希望」に日本はなれる。
おのおのがた、幸薄い対立は辞めて、「それ」をこそ我々は目指すべきではなかろうか?
その「あたらしい普遍性」は、当然「欧米人の暴虐に対抗した東アジアの日本軍なりの正義」的なものだって入れ込めるはずです。歴史を客観的に見たら当然そういう要素はあるからです。「欧米の理想」と「日本が信じた理想」を両論併記的に入れ込める領域に「当然」入っていける。
それが「当然の両論併記的な認識」に入っていけさえすれば、「そのプロセスの中で犯してしまった罪」について日本の保守が「完全にゼロになるまで否定する必要もなくなる」んですよね。
そうすれば全力で各国のメンツを賭けたプロパガンダ合戦に巻き込まれる結果として「本当の被害者」の救済が置いてけぼりにされるような不幸もなくなる。
そういう「あたらしい国際的なフェアネス」に立脚する「あたらしいリベラル」が、今求められているし、それは混乱する世界に、政治的にも経済の運営方法的にも「あたらしい希望」を提示できる大チャンスなのです。
行き場を失った「朝日新聞的なもの」を信じているあなたは、ぜひその「一歩先の理想」へと踏み込んで欲しいし、あなたならそれができると私は信じています。
とはいえ彼らに呼びかければ呼びかけるほど失望することが続いているんですが・・・・ある意味「朝日新聞的なものにトドメを刺したい”右”」の人こそが、「あたらしいリベラル」の最先端を走れる才能と本当の意味での「世界への責任感」を持っているんじゃないか・・・とも思いつつあります。(僕の長年のリベラルへの思い入れや、彼らへの信頼が崩れ去っていくようで悲しい気持ちも正直あるんですけど!)
断片的なブログ記事だけでは限界がありますから、「あたらしいリベラル」についてのまとまった記述は晶文社刊の『日本がアメリカに勝つ方法』をお読みください。思想・政治・外交レベルと経済・経営レベルを連動させつつ日本が「あたらしい文明」を提示することで世界の分断を解決するビジョンについて書かれています。
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前後篇だったはずが前・中・後編になってしまいましたが、次回は前回触れた「解決のための3つのヒント」について考えてみたいと思います。
その他にも、この「あたらしいリベラル」についてのブログ記事は続いていく予定ですが、最近は私も忙しくなってしまって、そうしょっちゅうはアップできないので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
・『話に行ける思想家』=倉本圭造と文通しませんか?→コチラへ
・この問題の、中国・韓国と日本の関係や、靖国神社問題に関連して捉え返した記事はこちらにあります。少し長いですが、ある出版社の社長さんに「これはミニ書籍として電子出版すべきだ」と言ってもらった力作です。日本のリベラリストの方だけでなく、日本語のわかる中韓関係者がお近くにいらっしゃる場合はぜひ回覧していただければと思います。
・面白かった!というあなたはこちらから100円投げ銭することもできます!
前回の記事では、お盆に実家に帰った時に周囲のオバチャンの集まりとかの「草の根」レベルにおいて、今までにないタイプの「左右の理屈とかじゃないナマの嫌韓感情」が広がっていることを感じたことから、「とりあえず日本が悪かったってことにする」ような仕切り方じゃない「中立的なあたらしい解決法」を左右一緒に考えていかないと、今のままでは何をやってもどんどん「草の根の嫌韓感情」は増幅されていってしまうだけだろう・・・という話を書きました。
多少あおり気味のタイトルで書いているので、ただ単に朝日新聞を敵視している内容のように思われるかもしれませんが、ちゃんと読んでいただくとそうではないことはわかっていただけると思います。
その記事に対して、ある「かなり”右”な雑誌(見慣れていない人には目次を見ただけでギョッとするほど”極右”なレベルの雑誌)」の編集者の方から、私のホームページのコンタクト欄を通じてかなり熱いメールを頂いたんですが、それがなかなか示唆的でした。
要約すると、「朝日新聞的なものにトドメを刺すには、我々(彼ら)保守陣営こそが、今こそ反省し、変わらなくてはいけないことがあるんじゃないか」という趣旨の文章で。
(以下引用)
たとえば今回の記事でも、「あまりに日本を悪くいいすぎた反動」としての いまの「嫌韓化」というご指摘にうなづきつつ、 一方で朝日が「過去の誤報」を認めた今、このまま突っ込んでいくとこれからの「保守」は今の「リベラル」の辿ったような道を歩むことになるのでは? と、危機感さえ持っています。(中略)(引用終わり)
「過去の日本の神格化」によって問題点はすべてなかったことになってしまうという「日本悪玉論」の単なる裏返しになりかねないという危機感です。
本来「(リベラルに対抗する存在としての)保守」は嫌韓でもなければ、改憲でなければならないということもなかったと思うのですが、保守の側も硬直が見られ、「〇〇でなければ保守ではない」という論調が横行し始めています。
「日本にしかできない」方式を世界の真ん中で唱えるために、保守の側もやらなければならないことがある、と考えております。
私は本当に「リベラルの理想」を現代の難しい状況の中で蘇らせようと頑張って色々活動してると言って良いと思うんですが、そのプロセスの中では、困ったことに信じていた「左」の人の突然の居直り・・・みたいなものに遭遇してショックを受けると同時に、「右」の人の意外な”まごころ”のようなものに触れて慰められる・・・・ってことが多いような気がします。
で、このご意見はほんともっともだな・・・と思ったんですが、要するに、「朝日新聞的なもの(”朝日新聞”にかぎらず)」が欺瞞を含んでいて、そのポジションゆえに余計に問題をややこしくしている状況にあることは、多分朝日新聞の社員さんも結構自覚しつつあるんだと思うんですよね。
しかし、なぜ変われないか。「トドメを刺す」ところまで行けないか・・・・というと、彼らが突然消え去ってしまったりした時に、適切なバランスを維持できる存在がどこにもいないからだ・・・・と言うことは言えるでしょう。
・伝統的な「敵・味方の構図」でなく「何がフェアなのか」でまとまりはじめなくては
結局、「全部過去の日本が悪かったことにする」人たちの欺瞞が明らかになったら、今度は「過去の日本は何から何まで完璧だった」という方向の話しか通らなくなってしまうようじゃあ困ります。
そりゃ色々反省しないといけないことがあるでしょう。(ただ、「それを実行した人たちの名誉や彼らなりの正義があったこと」をちゃんと認められるようにできれば、むしろ「保守」の人たちの心底の望みとして「反省」も自然に行われるようになるんですよね。そういう順番じゃないと決して解決しないんですよ。)
とはいえ、今はまだ、広い範囲のマスコミに「朝日新聞的なもの」が公式見解としては生きていますから、「今の状態が異常で、それがただ正常化するだけだ、普通の国になるだけだ」とあなたは思うかもしれない。思うかもしれないが、人間の集団心理の暴走っていうのはなかなかコントロールが難しいものですからね。
だからこそ、今まさに「朝日新聞的なものにトドメを刺したい」と思っておられるあなたは、ぜひ「ブレーキがついてないクルマは危なくてアクセルを踏み込めない」という構図が、今の膠着状態の根本原因になっているのだ・・・ということをご理解いただければと思います。
だからこそ、前回の記事で書いたように、
「20世紀的な世界観の延長だったら”普通は敵扱い”されるような相手」との連携
を考えていかなければ解決できないんですよこれは。
実際には、朝日新聞の社員だろうと「今のままじゃいけない」と思っておられる方は多い印象を持ちますし、逆に「保守」の人だって、あまりにも過激なヘイトスピーチをやりまくってる動画を見て、諸手を上げて賛同している・・・・という人ばかりではない(むしろ苦々しく思っている人が多い)でしょう。
そこにある「伝統的な敵・味方を超えたまとまり」が大きく育っていって、責任を持って「真ん中」を維持してくれる、単純化された論調の暴走を防いでくれる・・・・という「確証」が広い範囲に持てるようになれば、今の「朝日新聞的なもの」のダメな部分は捨て去ることが可能になるんですよね。
そのためには、前回も言ったとおり「もっと大きな視点での捉え返し」が必要になってくるわけです。それが「あたらしいリベラル」なんですね。
日本は戦争に負けてるので、ただ「アメリカもやってることを自分たちもやって何が悪い」的な意味での「普通の国になるだけだ」的な論理は、気持ちはわかりますが広範囲の反発を受けることはやむを得ない部分もあると思います。
しかし、今の世界は「アメリカ一極支配が終わり、その先の協調体制を模索しつつある。ある程度説得力を持って”みんなの願いを入れ込める”世界観を構築しないと冗談抜きで世界大戦になっちゃう」というタイミングなわけです。
そのプロセスの中で、戦勝国や敗戦国・・・といった枠組みを超えて、「悪いものは悪い、良いものは良い」というレベルの「あたらしい普遍性」を共有しようとするムーブメントは国際的に既に起きてきているんですよ。
「日本の保守の念願」の三歩向こうぐらいまでは来てくれているんです。
それを信じて今度はこちらから三歩歩み寄ってトンネルを逆側から掘り抜くことで、「普通の国」どころか「混乱する世界のあたらしい希望」に日本はなれる。
おのおのがた、幸薄い対立は辞めて、「それ」をこそ我々は目指すべきではなかろうか?
その「あたらしい普遍性」は、当然「欧米人の暴虐に対抗した東アジアの日本軍なりの正義」的なものだって入れ込めるはずです。歴史を客観的に見たら当然そういう要素はあるからです。「欧米の理想」と「日本が信じた理想」を両論併記的に入れ込める領域に「当然」入っていける。
それが「当然の両論併記的な認識」に入っていけさえすれば、「そのプロセスの中で犯してしまった罪」について日本の保守が「完全にゼロになるまで否定する必要もなくなる」んですよね。
そうすれば全力で各国のメンツを賭けたプロパガンダ合戦に巻き込まれる結果として「本当の被害者」の救済が置いてけぼりにされるような不幸もなくなる。
そういう「あたらしい国際的なフェアネス」に立脚する「あたらしいリベラル」が、今求められているし、それは混乱する世界に、政治的にも経済の運営方法的にも「あたらしい希望」を提示できる大チャンスなのです。
行き場を失った「朝日新聞的なもの」を信じているあなたは、ぜひその「一歩先の理想」へと踏み込んで欲しいし、あなたならそれができると私は信じています。
とはいえ彼らに呼びかければ呼びかけるほど失望することが続いているんですが・・・・ある意味「朝日新聞的なものにトドメを刺したい”右”」の人こそが、「あたらしいリベラル」の最先端を走れる才能と本当の意味での「世界への責任感」を持っているんじゃないか・・・とも思いつつあります。(僕の長年のリベラルへの思い入れや、彼らへの信頼が崩れ去っていくようで悲しい気持ちも正直あるんですけど!)
断片的なブログ記事だけでは限界がありますから、「あたらしいリベラル」についてのまとまった記述は晶文社刊の『日本がアメリカに勝つ方法』をお読みください。思想・政治・外交レベルと経済・経営レベルを連動させつつ日本が「あたらしい文明」を提示することで世界の分断を解決するビジョンについて書かれています。
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前後篇だったはずが前・中・後編になってしまいましたが、次回は前回触れた「解決のための3つのヒント」について考えてみたいと思います。
その他にも、この「あたらしいリベラル」についてのブログ記事は続いていく予定ですが、最近は私も忙しくなってしまって、そうしょっちゅうはアップできないので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
・『話に行ける思想家』=倉本圭造と文通しませんか?→コチラへ
・この問題の、中国・韓国と日本の関係や、靖国神社問題に関連して捉え返した記事はこちらにあります。少し長いですが、ある出版社の社長さんに「これはミニ書籍として電子出版すべきだ」と言ってもらった力作です。日本のリベラリストの方だけでなく、日本語のわかる中韓関係者がお近くにいらっしゃる場合はぜひ回覧していただければと思います。
・面白かった!というあなたはこちらから100円投げ銭することもできます!