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いわゆる”左翼叩き”にも飽きてきたあなたへ。

私のクライアントのある経営者の人が、

「いわゆる”なんでも反対的無責任”な左翼的志向に、”論破”とか”お説教的なこと”をするのはもう限界が来てるんじゃないか。いっそそれは受け入れた上で何ができるか考えないといけないんじゃないか」

みたいなことを言っていて、凄い「なるほど」と思いました。色々考えこまされた。



イスラム国人質事件関連で、というかこの事件にかぎらず、”何か”があるたびに盛り上がるパターン化された安倍批判・・・という盛り上がり方をする勢力が強すぎると、むしろ安倍政権の基盤は強化されるばかりか、安倍政権が本来望んでいる以上に「過激」な方向に日本は追いやられてしまうんだ・・・という記事を最近何度か書いています。

この記事から最後のリンクをたどってもらうとフルセット読めますが、そうすると新書の1章分ぐらいの長さになるので、興味はあるが時間はないというあなたはとりあえず重要な部分だけ分割掲載した以下の記事を読んでいただければと思います。

安倍批判をすればするほど安倍政権は過激化する矛盾を超えて
リベラルが安倍政権と向き合うことはイスラム国と向き合うこと

簡単に要約すると、とにかく「安倍批判」の中に意味があるものが含まれているとしても(実際かなり含まれてるんですけど)、今の状況のままでは「一方向的に批判すればするほど安倍政権が過激化せざるを得なくなる」メカニズムがあるので、もう一歩自覚的な言論をしていかないと、本当に「安倍政権がやりすぎない状況」に持っていくことは難しいぜという話です。

こういうのは、単なる「左翼批判」ではなくて、「左翼的良心を本当に持っているならば、今大事なことはこういうことについて真剣に考えることじゃあないか」という真剣な問題提起のつもりでずっとやってきてるんですが、でもまあ、意見されてる方からすれば「単なるよくある左翼批判」と似たようなものだと受け取られているのかもしれない。

冒頭の私のクライアントの話のとおりにね。それは認めざるを得ないな、という気分になってきました。

で、「論破」や「お説教」でなければ何をすればいいのか?というのを彼と話していたんですが、

それは、

「彼らよりもステキっぽい未来を語れるようになるぞ!」という競争

なのかな・・・という話になりました。

考えてみれば「経営」的な局面でも、「ストレートに言いたいことがあってもいかにステキな外見のこととして言えるかどうか」って物凄い決定的な「スキル」ですからね。

でも、そんなんどないせえっちゅーねんとあなたは思うかもしれない。

そりゃ単純に全部「自分たちの逆側にいる人間」に全てをひっかぶせる言論の方がキャッチーにしやすいですからね。(でもあんたらのその「俺サマ完全正義側!安倍は完全な悪魔の使い!」っていう基本的な態度の作り方に潜む無理こそが、イスラム国や安倍政権として目の前に立ちはだかっているという、この「自分の影と戦っている現象」自体を対象化して真剣に取り組むことが、今本当に「リベラルな感性」を持ってるなら大事なことやとワシは思うんやで・・・こんなんただのお説教やと思うかもしれへんけどな、こういうのが”最先端の意識高い系”だし”21世紀のあるべきリベラル”やと思うんやで・・・)

・・・まあ、そういう悩みを持ちつつ、人質事件の「決着後」のあいも変わらず二極化して全然交わらない言論空間を(実際は結構な危機感を持って)眺めながら途方に暮れていたんですが、そしたら凄い昔に個人相手の「文通サービス(人生相談みたいなの)」のクライアントだった、超絶営業ウーマンさんからヒントをもらうことができました。

その人は、もうほんと「むちゃくちゃ売りまくる」営業ウーマンで、なんか昔リクルート系の営業会社にいた頃は、「倉本さん、もう今月のノルマ終わったんでこれから自分のための仕事をします」っていうメールが「あれ?まだ今月一週め終わってないんだけど!」ていうような時期に来る人で。だんだん、私の仕事の仕方があまりに「ダメ人間にアマすぎる」ように見えてお互いの距離が離れてしまったんですが、たまーに思い出したようにメールをくれるんですよね。

で、その営業ウーマンさんのアドバイスは、

「相手が本当に必要としているもの」と「相手が欲しいと(彼ら自身が)思っていること」は常に違うので、後者に答えつつ前者に導くのが良心的なサービスというものだ

だ、そうです。なるほど!

彼女によると、私がやっているようなことは、「受け手のニーズ」に応えてない・・・ということになるらしい。

つまり、「彼ら自身が欲しいと思っていること」に応えてない。「本当はこれが必要なんですよ」という押し売りをしている。・・・ということになるらしい。

なるほど。

で、どうすればいいの?という質問に対して、メールをコピペさせてもらうと、

遠くの大きな目標(気の遠くなる程の個人差はあれ)はみんな持ってる。
で、同じ24時間を生きてます。

でも結果的に、目の前の雑事への対応とか
そのときに受けた感情的ダメージとかイライラとかを引きずってたいしたことにならずに時間が過ぎるっていうのは、

>>忘れるから<<

だと思うんですよ。

どんなにすごい人もね、日々やっていることは、1つ1つは普通の人でもできることなんですよ。

でも、結果が違うのは流されるから。

1つ1つのことを、積み重ねる「意味を忘れるから」

意味を忘れて目先の不快感の解消に意識を集中するからつみあがらないんです。
寄り道しちゃうんです。

で、自分にもできそう感というのは
その1つ1つを積み上げることが小さいことだと教えてあげること。

覚えていられるための仕組みを提供すること。
だと思います。

さすが鍛えられた営業スキルは、ハートフルっぽいこと言ってても無駄な言葉を使わない感じしますね。

だからこう、「大きな話」をするのはいいが、「読み手の明日の一歩」に繋がる話に毎回しっかり落とし込まないとダメですよというメッセージだと私は受け取りました。

結局、ある意味で全体像に無責任な左翼性というのは、こういう「一歩ずつの具体性」とちゃんと繋げないから、架空の「善なる我々」と「許されざる悪の化身たち」というストーリーでアジテーションをしていくしかなくなっちゃうわけですよね。

それはまあ、ある意味今までの自分もそうだったんだろうと、なんとなくこの記事に書いた二人との対話の中で思い始めました。

だから、これから、「安易な左翼叩き」はそろそろ個人的には辞めようと思っています。

なんかそうじゃなくて、「彼らより俺の方がもっとステキっぽい未来を語れるようになってやるぞ!」という決意に変えたい。

冒頭のリンク先の記事のような懸念を持っている人って、ネット見てても結構いるように思います。安倍政権に対する批判が「あまりにも20世紀的に紋切り型の左翼性」すぎて、それに含まれてる無理こそがイスラム国や安倍政権やネットウヨクさんとなって目前に立ち現れてるんじゃないの?という感覚、あなたにもありませんか?

なんで、もし可能なら、「無責任左翼より、俺らの方がもっとステキっぽい未来を描いてみせるぞ!」という競争を彼らに対してしかけてやろうじゃないですか。

絶対、最終的には、「全部敵側が悪いってことにしてそれっぽい話をぶちあげてる人間」よりも、「本当のど真ん中」を目指していた人間の方が、「真実が持っているポップさ」によって「もっとステキなこと」が言えるようになるはずですよ!

私はそれを信じて、そういうチャレンジをすることに決めました。

もちろん、そんなの自分のキャラ的に無理なんだよ、リバタリアン(あるいは逆に”真正保守”だったり)的ポジションのヒールとしての役割が俺の使命なんだ・・・っていう人は、まあその道を行ってください。ある意味で凄くマクロに見ると「ハサミ打ち的な協力関係」がそこにはありますからね。

そういうムーブメントと、「あくまで何かステキなもの」を求める気持ちがぶつかり合って行き場を失うことによって、「あたらしいど真ん中の道」が立ち上がってくるわけで。

ジョジョの奇妙な冒険のセリフで言うなら、

『ポルナレフは追いながらヤツと闘う』… 『おれたちは逃げながらヤツと闘う』 つまりハサミ討ちの形になるな…」

です。

全部相手が悪い的な派手な論戦でなく、丁寧に「ど真ん中の共有軸を育てていく」作業こそ、地味なようですがイスラム国が突きつけている現代の危機に対して「日本ならではの貢献」ができる道だと、私は信じています。

そういう「グローバリズム2.0時代の日本の可能性」については、前出の記事の四回目、以下の記事↓の部分をお読みいただければと思います。

イスラム国には徹底して『日本らしく』対抗しよう。



今後もこういうグローバリズム2.0とそこにおける日本の可能性・・・といった趣旨の記事を書いていく予定ですが、更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
最新刊『「アメリカの時代」の終焉に生まれ変わる日本』発売中です

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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

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1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。