ブログ移転&再開します。
はじめまして&お久しぶりです。倉本圭造です。
もう4年以上公開的な活動は絞って、内輪のコア会員さんたちとだけ色々準備してきたのですが、やっと再開できそうです。
人によっては、楽しみに読んでたのに突然いなくなりやがって!と思っておられる方もおられると思うので、これから今まで突然公開を停止したり、引きこもって準備をしてきたり・・・といったことの意図と、これからの活動についてブログで少しずつお話しながら、時間をかけて「再開」していきたいと思っています。
今まで写真とかは掲載してなかったと思うんですが、だいぶピクセルを落として、まあこれだけの情報なら町で会ってもわかんないだろぐらいの写真は出すことにしました。なんか、色んな人に会ったら「イメージと違って・・・」って言われまくったのが嫌だったんで(凄くクールなメガネ系男子のイケメンを想像されがちだった・・・全然違いますから!)、一応、変に幻想を持たれないように、でも一応顔出しはまだ当面したくないという方針ぐらいの妥協点が、右の写真だと思ってください(クリックするとちょっとは拡大されます)。
・
とりあえず、このページの上記プロフィール欄にもある通り、やっとマス出版から本が出せます。その準備、「マス出版から本を出すということ」と「自分が培ってきた会員さんたちとの関係」とをどうやって「無無理なシナジー」に持っていくのかという模索が、この4年半の沈黙の苦労にはあったと言うのがシンプルな説明なんですが、それだけでは意味がわからないと思うので、ちょっとずつそういう話もしていきたいと思います。
とにかく、来年2012年2月24日、星海社新書というレーベルから新書を出します。タイトルは・・・
『21世紀の薩長同盟を結べ』
・・・・は、恥ずかしい・・・・という気持ちが無いと言ったらウソになるアッパーなテイストなんですけど(笑)、そういうタイトルになります。
星海社新書は、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」などのヒット作を次々手がけた業界のホープ的存在である柿内芳文氏が、数ヶ月前に立ち上げたばかりの新書レーベルで、彼は色んな本をキャッチーなタイトルで売るテクニックの名手なんで、僕が最初に付けていた地味なタイトルなどは一瞬で消え去って、実にアッパーで恥ずかしいタイトルに決まりました。
でも、確かに内容をうまく表しているとは思います。プロの技を見たというか。そうか、「俺の本の内容を読者側からみると、それが核心だったのか」とタイトルに教えられたり導かれたりするような感覚だったというか。ついでに言うと、僕の今までの苦労全体も、「あ、それが核心か」と目覚めさせてくれるような感じだったというか。
プロフィールのところにも書いてありますが、僕の人生自体が、「グローバリズム的な思考法・経済や経営の運営のあり方」と、「日本社会の”底力”的なもの・本当のリアリティ」とのギャップをどう発展的なシナジーに持っていくのかというのが人生のテーマなわけですよ。
現代社会において、人間は結構「どちらか側」だけに属してしまいがちで、その「どちらも」が必要なことには違いないのですが、「どちらか」だけで本当に問題が解決するはずもないわけですね。
経済合理性原理主義的にマクロな話を展開するのはいい。必要だろう。しかし、ただ「既得権益をぶっ壊す」だけで本当に「力強い生命力に溢れる新しい経済」が生まれてくるのか?そこに「実務上の無理はないのか?」とかね。かといって、グローバリストを拝金主義者とかユダヤの手先とか言うのは簡単だが、じゃあどうすればいいのさ?と言われると具体策がない・・・っていう状況もありますしね。
ここで、「グローバリズム側に立っている人」を、「概念的思考先行の個人主義者が多かった長州藩士」になぞらえ、「日本の共同体、現場のリアリティ側に立っている人」を、「密度感のある共同体の中で現地現物ベースに一斉に動く薩摩藩士」になぞらえ、その「両者」の「発展的結合」に持っていこうとすること・・・・それを
『21世紀の薩長同盟』
と呼んでいるのが本書なんですね。
それができる「経営の現場的文化のあり方」が形成されない限り、両側から罵り合っているだけでは日本経済は決して救われないし、グローバリズムが先進国全体の活力(個人の内奥の本当のリアリティ的な活力)を奪ってしまっていることでアメリカ経済も欧州経済も死にかけているので、結局この「21世紀の薩長同盟」は現今の世界において普遍的に大事なこと、喫緊の課題だと言えます。
で、その「方法」について日本人が一気にうまくやれるようになったら、「世界の希望」にすらなれちゃうぜ、なってやろうぜホトトギス・・・・というのがこの本です。
まあ、その内容についても徐々にこのブログで話していきたいと思います。
・
ちなみに星海社新書っていうレーベルを出している星海社自体も、まだ1年ちょっとしか経ってない新進の出版社なんですよ。僕と同い年の柿内氏は30代前半ですし、コアメンバーの平均年齢を取ると28歳程度・・・という非常に若い出版社で、選考過程ごとウェブにアップされてる新人賞の座談会で「ドント・トラスト・オーバー・フォーティズ」などと吠えるような危うくも青臭い雰囲気のところなんですね。
彼が前職でいた出版社が悪いというわけじゃあないんですが、それぞれの「役割」ってものがあるんだと思うのですよ。上の世代に「重鎮」みたいな人がいるから落ち着いた雰囲気でクオリティの保った本が出せる会社というのもあるだろうし、一方で、星海社新書みたいに若さと勢いで行くぞオラァ!!!って感じだから出せる企画ってのもあります。僕の本みたいに「収まりどころ」を見つけるのが企画段階で結構難しいタイプの企画を、よくぞ拾ってくれたなと感謝しています。
星海社と仕事をしていると、同い年の彼が「権限」を持ったボスなので、「自分はいいと思うけど会議でどうなるか・・・・」みたいなことがなくて凄くスムーズに「必要なこと」に集中できる感じがします。そこのところの権限の関係が複雑だと、やっぱ「担当編集者と打ち合わせをしながら、そのボスを説得するための労力を必死に使う」みたいになっちゃうんで、「こう言っておけばギョーカイ内的に通りがいいから」というようなことに引きずられて、「今売れてるのはこういうの」っていう後追いの仕事になりがちだと思うんですよね。もちろん、既に物凄く売れた大御所なら好きにできるでしょうけど、僕のように無名著者の場合は特に。
そうじゃなくて、お互いに「こういうのが今の世の中に必要だ」ていう観点で、仕事をしていける「権限の構図」に持ち込めているのが、彼と仕事をする上での利点だと思います。「今の売れ筋を追っているからギョーカイ的に説明しやすい」ということではなくて、「今の世の中の読者が、本当に必要としているのは何か」に著者も編集者も集中できる感じがするというか。
星海社が、「顔の見える編集」的な標榜の仕方で、アシスタントエディターも含めてみんな顔出し実名出しでブログやツイッターをやっていくという方針っていうのは、ちょっと業界的には「黒子であるべき存在が前に出すぎ」っていう評価もされがちだと思うし、長短両方あると思うんですが、やっぱそうやって「すべてをオープンに」してくれるからこそ、著者側からみて「一人の個人」として一緒にやっていける利点というのがあるように思っています。
その他、「ウェブと出版の融合」的な意味で、ホームページで既刊著者がユーストリームで講義をしたり、他社のものも含めて新書全般の書評コーナーがあったりなど、野心的な試みが面白いところなので、ぜひ注目してあげてください(もちろん僕の本もね!)。
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それでは、これから、はじめましての方も、お久しぶりですの方も、倉本圭造の再度の公開的活動について、よろしくお願い申し上げます。
もう4年以上公開的な活動は絞って、内輪のコア会員さんたちとだけ色々準備してきたのですが、やっと再開できそうです。
人によっては、楽しみに読んでたのに突然いなくなりやがって!と思っておられる方もおられると思うので、これから今まで突然公開を停止したり、引きこもって準備をしてきたり・・・といったことの意図と、これからの活動についてブログで少しずつお話しながら、時間をかけて「再開」していきたいと思っています。
今まで写真とかは掲載してなかったと思うんですが、だいぶピクセルを落として、まあこれだけの情報なら町で会ってもわかんないだろぐらいの写真は出すことにしました。なんか、色んな人に会ったら「イメージと違って・・・」って言われまくったのが嫌だったんで(凄くクールなメガネ系男子のイケメンを想像されがちだった・・・全然違いますから!)、一応、変に幻想を持たれないように、でも一応顔出しはまだ当面したくないという方針ぐらいの妥協点が、右の写真だと思ってください(クリックするとちょっとは拡大されます)。
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とりあえず、このページの上記プロフィール欄にもある通り、やっとマス出版から本が出せます。その準備、「マス出版から本を出すということ」と「自分が培ってきた会員さんたちとの関係」とをどうやって「無無理なシナジー」に持っていくのかという模索が、この4年半の沈黙の苦労にはあったと言うのがシンプルな説明なんですが、それだけでは意味がわからないと思うので、ちょっとずつそういう話もしていきたいと思います。
とにかく、来年2012年2月24日、星海社新書というレーベルから新書を出します。タイトルは・・・
『21世紀の薩長同盟を結べ』
・・・・は、恥ずかしい・・・・という気持ちが無いと言ったらウソになるアッパーなテイストなんですけど(笑)、そういうタイトルになります。
星海社新書は、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」などのヒット作を次々手がけた業界のホープ的存在である柿内芳文氏が、数ヶ月前に立ち上げたばかりの新書レーベルで、彼は色んな本をキャッチーなタイトルで売るテクニックの名手なんで、僕が最初に付けていた地味なタイトルなどは一瞬で消え去って、実にアッパーで恥ずかしいタイトルに決まりました。
でも、確かに内容をうまく表しているとは思います。プロの技を見たというか。そうか、「俺の本の内容を読者側からみると、それが核心だったのか」とタイトルに教えられたり導かれたりするような感覚だったというか。ついでに言うと、僕の今までの苦労全体も、「あ、それが核心か」と目覚めさせてくれるような感じだったというか。
プロフィールのところにも書いてありますが、僕の人生自体が、「グローバリズム的な思考法・経済や経営の運営のあり方」と、「日本社会の”底力”的なもの・本当のリアリティ」とのギャップをどう発展的なシナジーに持っていくのかというのが人生のテーマなわけですよ。
現代社会において、人間は結構「どちらか側」だけに属してしまいがちで、その「どちらも」が必要なことには違いないのですが、「どちらか」だけで本当に問題が解決するはずもないわけですね。
経済合理性原理主義的にマクロな話を展開するのはいい。必要だろう。しかし、ただ「既得権益をぶっ壊す」だけで本当に「力強い生命力に溢れる新しい経済」が生まれてくるのか?そこに「実務上の無理はないのか?」とかね。かといって、グローバリストを拝金主義者とかユダヤの手先とか言うのは簡単だが、じゃあどうすればいいのさ?と言われると具体策がない・・・っていう状況もありますしね。
ここで、「グローバリズム側に立っている人」を、「概念的思考先行の個人主義者が多かった長州藩士」になぞらえ、「日本の共同体、現場のリアリティ側に立っている人」を、「密度感のある共同体の中で現地現物ベースに一斉に動く薩摩藩士」になぞらえ、その「両者」の「発展的結合」に持っていこうとすること・・・・それを
『21世紀の薩長同盟』
と呼んでいるのが本書なんですね。
それができる「経営の現場的文化のあり方」が形成されない限り、両側から罵り合っているだけでは日本経済は決して救われないし、グローバリズムが先進国全体の活力(個人の内奥の本当のリアリティ的な活力)を奪ってしまっていることでアメリカ経済も欧州経済も死にかけているので、結局この「21世紀の薩長同盟」は現今の世界において普遍的に大事なこと、喫緊の課題だと言えます。
で、その「方法」について日本人が一気にうまくやれるようになったら、「世界の希望」にすらなれちゃうぜ、なってやろうぜホトトギス・・・・というのがこの本です。
まあ、その内容についても徐々にこのブログで話していきたいと思います。
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ちなみに星海社新書っていうレーベルを出している星海社自体も、まだ1年ちょっとしか経ってない新進の出版社なんですよ。僕と同い年の柿内氏は30代前半ですし、コアメンバーの平均年齢を取ると28歳程度・・・という非常に若い出版社で、選考過程ごとウェブにアップされてる新人賞の座談会で「ドント・トラスト・オーバー・フォーティズ」などと吠えるような危うくも青臭い雰囲気のところなんですね。
彼が前職でいた出版社が悪いというわけじゃあないんですが、それぞれの「役割」ってものがあるんだと思うのですよ。上の世代に「重鎮」みたいな人がいるから落ち着いた雰囲気でクオリティの保った本が出せる会社というのもあるだろうし、一方で、星海社新書みたいに若さと勢いで行くぞオラァ!!!って感じだから出せる企画ってのもあります。僕の本みたいに「収まりどころ」を見つけるのが企画段階で結構難しいタイプの企画を、よくぞ拾ってくれたなと感謝しています。
星海社と仕事をしていると、同い年の彼が「権限」を持ったボスなので、「自分はいいと思うけど会議でどうなるか・・・・」みたいなことがなくて凄くスムーズに「必要なこと」に集中できる感じがします。そこのところの権限の関係が複雑だと、やっぱ「担当編集者と打ち合わせをしながら、そのボスを説得するための労力を必死に使う」みたいになっちゃうんで、「こう言っておけばギョーカイ内的に通りがいいから」というようなことに引きずられて、「今売れてるのはこういうの」っていう後追いの仕事になりがちだと思うんですよね。もちろん、既に物凄く売れた大御所なら好きにできるでしょうけど、僕のように無名著者の場合は特に。
そうじゃなくて、お互いに「こういうのが今の世の中に必要だ」ていう観点で、仕事をしていける「権限の構図」に持ち込めているのが、彼と仕事をする上での利点だと思います。「今の売れ筋を追っているからギョーカイ的に説明しやすい」ということではなくて、「今の世の中の読者が、本当に必要としているのは何か」に著者も編集者も集中できる感じがするというか。
星海社が、「顔の見える編集」的な標榜の仕方で、アシスタントエディターも含めてみんな顔出し実名出しでブログやツイッターをやっていくという方針っていうのは、ちょっと業界的には「黒子であるべき存在が前に出すぎ」っていう評価もされがちだと思うし、長短両方あると思うんですが、やっぱそうやって「すべてをオープンに」してくれるからこそ、著者側からみて「一人の個人」として一緒にやっていける利点というのがあるように思っています。
その他、「ウェブと出版の融合」的な意味で、ホームページで既刊著者がユーストリームで講義をしたり、他社のものも含めて新書全般の書評コーナーがあったりなど、野心的な試みが面白いところなので、ぜひ注目してあげてください(もちろん僕の本もね!)。
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それでは、これから、はじめましての方も、お久しぶりですの方も、倉本圭造の再度の公開的活動について、よろしくお願い申し上げます。