中国とのツバ競り合いに勝ち、日本経済復活のキッカケにする算段について。

中国や韓国との悶着が、特に中国の方が結構大変そうですね。

こういう時に、「どうせ戦争なんかにはなりっこないんだし・・・」っていうのは、良くないことだな、と最近思います。

ならないとは思うけど、それは「結果」なんだなという。

人間の集まりっていうのは、色んな群集心理の連鎖がヘンな方向に向いてしまえば、いつだって戦争になってしまう可能性はある・・・・と「思って」みんなが対処するから、結果として致命的なことにはならない・・・わけなんで。

だから、「どーせ戦争とかにはならんだろう」と頭から決めてかかるのは良くないね。

「いつ戦争になってもおかしくない」という緊張感を持って、お互い一歩踏み込み、こっちも一歩踏み込み、エスカレートエスカレートしていきながらも、だんだん落ちるべきところに落ちていけば、そのうち収まる・・・はずで。

で、「戦争にはならない」とするならば、先に暴発してる中国の方が分が悪いのは確実ですからね。

日本は、「やれやれ」とか言いつつ一歩ずつ地歩を固めていけばいいけど、その「こっちの一歩」に釣り合うだけ中国が「意地」を張ると、相当に無茶なことをせざるを得なくなってくるんで。

もちろん、そのまま無理押しにどこまでも行って、戦争にまでなったらかなり困るんですが、「戦争にならないようにする」っていうラインを両者で睨みながら推移させていけば、最初から派手なカードを切ってる方が絶対的に分が悪い。

日本が一歩「着実なこと」をしたら、中国は「10歩派手なこと」をせざるを得ない。

しかし、どこまでも派手なカードを切り続けるなんてことはできないので(戦争しないなら)、どこかで「自制」せざるを得なくなってくる。

そのタイミングを見計らって、うまくフェードアウトさせていければ収まる。

というか、いずれ中国政府が「自制」に入らざるを得なくなるタイミングが来るから、そのタイミングの時にやたらにこっちが余計な燃料を注ぎ込まなければ収まる・・・・ということになる。

この、「中国政府が自制に入らざるを得なくなる」タイミングまで、「黙して静かに押していく」ことができれば、日本の右翼さんにも、だいたい8割ぐらいは納得してもらえるだけの「押し切ってやったカタルシス」みたいなのが得られる着地点になると思う。


ともあれ、中韓との最近のイザコザは、かなり色んなことのターニングポイントだなあと思っています。

暴動とかのチャイナリスクが顕在化したから中国進出を諦める会社や撤退する会社が出るだろう・・・っていうような、「直接的な影響」は、あったとしてもそれほど大きくないんじゃないかと、思うんですけど。(そうはさせない程度に収めるぐらいの技量は中国政府にあるんじゃないかと思うので・・・それゆえに”自制”が必要になってくるタイミングが必ず来るという理由でもあるし)

なんか、もっと根底的な影響が、必ず出てくるはずなんですよ。

というのは、要するに「国威」的なものに関して、「自制せざるを得なくなる状況」っていうのになることの、広範囲な社会心理的影響っていうかね。

土地の値段とかね、そういう景況感の基礎になってるようなものっていうのは、「ほんの小さな冷水」が心にかかっただけで結構ヤバイ変動を起こしますからね。

「俺らんとこの首都の目抜き通りの土地なんだからよぉー、これっくらいの値段で取引されて当然だよな?」

っていう「吠える気持ち」に対する

「おうよ!!なんならまだ1割のせたっていいぜ!!」

っていう「合いの手」が、

「お・・・おうよ・・・(でも東京の地価がこれくらいで、NYはこれくらいで・・・・それと比較すると・・・・)」

ぐらいになった程度で暴落するような世界なんで。

中国や韓国の今の勢いっていうのは、昔の怖いもの知らず時代の日本みたいな「内輪感ベース」で成立しているので、その「内輪感」に「自制」がかかる動きになるってことは、凄い決定的に大きな影響力があるんですよ。

その「景況感のベース」にあった、「国威」的なものに「自制の枠」をはめることになるっていうのが、今回のイザコザの長期的な影響として一番大きなものになると思います。

直接的な「暴動があったから進出やめよう」っていうことだけじゃなくてね。


今回、日本が、アタフタせずにジックリ「後の先」的に押していきさえすれば、「相手側の自制」を引き出せる位置にまで来ていることが、1つの歴史的なターニングポイントだなと思うんですよね。

今まで、過去20年ぐらいの間には、そういう「位置関係」になったことはなかったですから。常に「日本がわの自制」で物事が落着するのが常だった。

今回は、油断せずに着実に押していけば、「相手側の自制による落着」に持っていくことができる。

それは、過去20年の間に、日本人一人ひとりが無意識的に蓄積してきた「足場」ゆえに成り立っていることなんだと思います。


グローバリズムの時代は、新興国ならではの、「”一周回ってきた自制心”のない生来的な勢い」が、どこまでも行ける世界ではないわけですよね。

中国経済の勢いや、韓国企業(韓流スターとか)の勢いを見て、「日本もそうしたらいいのになんでできないの?」みたいな論評するのは、そもそも発想の時点で無理があるんですよ。

彼らはまだ、「自制しなくてはいけない瞬間」を知らずに「”国威”ベースの盛り上がり」で突っ走れる段階だからこそ、できている連携とか、勢いとかがあるわけなんで。

既にその段階を超えてしまって、色んな存在との調和とか、世界最先端におけるオリジナリティの発揮とか、「次の段階の課題」に直面している日本が、中韓の後追い的なことをしたって、あそこまでの「連帯や熱気や勢い」が生まれるはずがないんで(みんな”冷静になっちゃう”からね)。

ただ、過去20年間内輪で足を引っ張りあいまくってきたおかげで、

「周囲との調和のとれた形で、かつちゃんと押し出していくには?」

っていうことに関する、日本人のイジマしい模索が、かなり「あと一歩で花開く」ところまで熟成されてきてるんじゃないかなあ・・・・と思っています。

今の日本の、「内輪の連動感」って物凄いですからね。それが個々のプレイヤーの自由度を奪ってしまって全体として不調な日々ではありますけど。

ただ、その「連動性」を、「調和のとれた、しかしちゃんと押し出していける方向性」に一本化していけることができれば、過去20年の不調が嘘のように色んなものが噛み合いはじめますよ。

必要なのは、「21世紀の薩長同盟」なんですよね。

世界経済の速い変化に対応するための「頭を使って考える機能」と、「日本人だからこそ他の国と隔絶して上手くやれる密度感を持った処理機能」が、分断されたままになっている。

この20年、両者はケンカばっかりしていて、「外からの視点で頭を使って仕切りたい人」は、「日本企業の強みの源泉」までネコソギにぶっ潰してやろうとするような方策しか出せていない。自然と「日本企業」側ともギクシャクするから成果が出ない。

「集中するべき領域を選び出す機能」と、「そこを誰よりも密度感持ってつつきまわす集団の強み」が、お互いを無駄に敵視することなく噛み合えるような、「21世紀の薩長同盟」が気運として成立していって。

そして、その「方向性」自体に密度感を持って内向きに突っつき回すことが可能になれば。

それは、外側からマクロに見れば、

「中韓的な”一周目の勢い”に載った押し出し方」

ではない、

「熟慮ゆえの大胆」

といった新しい形が、日本経済に生み出されるってことですから。

それは、アメリカと比べると、「論理性だけが先行して、各地のスラム街は相当ヤバイ」って形になるのではない、「頭と身体」「知性と集団」が「濃密な空気」によって最適連携するような、そういう

「戦略性と密度感の両立」

が可能になるってことでもありますし。

まだ、国内においてそういう「新しい方向性」が明確な形になったというわけではないんですけど。

でも、今回の「中国・韓国とのイザコザ」は、不甲斐ない日本の代わりに、過去20年間アジアのプレゼンスを世界に保つために頑張ってくれていた彼らの、「一周目の若さゆえの勢い」の限界を、色んなところで、本能的なレベルで日本人に染み込ませて行くんでね。

それが生み出す「波」を、良い方向に向けていきたいな、と思っています。

今、単なる「日本人の生来性をこき下ろすことで自分は頭良い人ぶる」みたいな形にしか発露していない「客観的に捉え直す機能」が、自分たちの「地」を最適発揮させるための

「場づくりのスキル」

にまで高まったら、そこに新しいスタイルが生まれるんですよ。「現地現物を抑圧しない、グローバリズムの”進化系”」としての「新しい愛国」みたいなのがね。


今、NHKで吉田茂のドラマやってるんですけど、その吉田茂役の渡辺謙さんが、番組宣伝用のインタビューで、

「日本の政治がダメって言うけど、世界を見れば政治が物凄く機能してる国ってのが珍しいぐらいなんで、日本は怖気づく必要はないと思うんですよね」

みたいなことを言っていて、その

「怖気づく必要はないと思う」

っていう言葉遣いがいいなあ・・・・って思ったんですよ。

なんか・・・うん。

こういう時にね、「希望を探す」「希望を示す」とかね、「希望」って言葉を使うのが、ここ10年の習い性だったところがあると思うんですよね。

でも、「希望」っていう言葉は、「今自分たちがやっていることには希望がない」みたいな認識が前提になってるところがあるじゃないですか。

それがね、良くなかったな・・・・って、その「怖気づく必要はないと思う」っていう言葉を聞いて思った。

「怖気づく必要はない」っていうのは、別に「今のままでいい」と思ってるわけじゃないけど、「自分たちの地」から物凄く離れた「なんか自分たちの本来性から遠くかけ離れたことをやらなくちゃいけない」ってわけじゃないんだな・・・・っていう響きがあるじゃないですか。

むしろ、「今活躍されてると思われがちな人たち」とは違う、「自分たちにしかできないこと」っていうのを、ちゃんとスルスルと追求していけばいいんだな・・・・っていう気になる。

つまり、「希望を示さなくては!!」っていう発想の根本になってるコンプレックスが、そもそもないっていうかね。


最近、ある出版社の社長さんと、次の次に出す本の打ち合わせをしてる時に、

「日本の会社って・・・・そんなにダメ・・・・かなあ?ってのがそもそも疑問なんですよね」

って言われて、凄い「ああ、そういう感覚っていいな」って思ったんですよ。

似たことをもっと力を込めて青筋立てながら言う人結構いるけど、なんかその「素直に思ったこと言ってみた」的な率直感が凄い面白くて、それで気持ちが伝わったみたいなところがあった。

もちろんそれは確かに「呑気そう」な感じに響きますけど、でも、色んな動向は見据えつつも、多少は呑気なところがないと、「今の売れ線とは逆の、自分たちならではの路線」を一貫してたちあげていって、次の世代の覇権を取りに行くとかできないじゃないですか。

必要なのは、「なんでアメリカみたいにできないの?」っていう問いからスタートする議論じゃないですからね。

今日の目を見れてない自分たちの「地」に、どうやったらグローバリズムの中で一花咲かせてやれるのか?

っていう問いを一貫して徹底して考えぬくことからスタートしなくちゃいけない時代なんで。

物凄く日本人の「地」から遠いほんの一部の人が大活躍して「日本人ってダメだねえ」って言う形にするよりも、「日本人の地」の徹底的な延長線上に1つのスタイルを築いて、「8割ぐらいの平均的日本人がプラス3割ぐらい活躍できるようになる」ほうが、絶対マクロに見たインパクトはでかいですからね。


中国韓国とのイザコザがあり、国政選挙がある?中で、どんどん混迷を深めている感じですけど。

「偽物の希望」が全部引き上げられて、「ああ、偽物だったね」ってわかるまで、「本当の希望」っていうのは広く共有できないんですよ。本物より偽物の方がいつの時代も見た目が派手なんでね。

まずは、「全部引き上げてみる」「全部試してみる」「衆目監視の中で偽物だったとわかる」みたいなプロセスを経ることで、やっと「派手だけど中身が無い方向性」というのは消えていくわけなので。

その「選別作業」をシッカリ地道にコツコツ自制に自制を重ねてやりきるためにこそ、世界中の経済人に鼻で笑われながらもこの20年間の日本は混迷し続けてきたところがあるので。

今の「混乱」が生み出す「選別力」を、うまく活かしていける流れにしたいなと思っています。

とりあえず、第一段階として、この中国とのツバ競り合い、戦争になるかもしれない・・・という危機感は常に持って、戦争だけは避けるぞ・・・・という決意も持って、冷静に、沈着に、押していきたいですね。

「中国政府側の自制」という形で終わる

ようにね。

でもそれは、過去20年間、日本の代わりに東アジアのプレゼンスを世界に示してくれていた両者がいったん肩の荷を下ろして、急速な成長ゆえの無理を内的に調整するフェーズになるのに入れ替わり、「よっしゃ、今度は俺らに任せとけぃ!!」とばかり日本が登場する瞬間でもあると思います。

日中韓は、あまりに距離が近いんで、「東アジア共同体」とかなんとかそういう歯が浮くようなことを言い出すと余計にイザコザすると思うんですよね。

むしろ「漫画スラムダンク」の湘北チームみたいに、「うっせーバカヤロー死ねー」って普段言い合ってるんだけど、実際には親近感もあって競い合いながら世界の中にプレゼンスを確保しようとしてる・・・ってぐらいが一番良いと思います。

そのレベルで見たら、こんなに仲良い国同士もなかなかないだろ、って世界があると思うしね。

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