日本は言いたい事全部言った方が韓国と仲良くなれる!
この記事は、テロが当たり前になった時代に、それでも理想を諦めないとしたらどういう「正義」を考えるべきか・・・という連続記事の一環です。(この記事単体でも読めます)
今回は、「正義についての古い考え方」が解決の根本的障害となっている日韓問題について、この連載の考え方を敷衍してみます。
タイトル見て「そもそもヤツらと仲良くなりたくないわ!」と思ったネット右翼さん、あなたのその気持ちも全部面と向かってもっとぶつけていくようにしたほうがむしろ良くなるはずだという話です(現状すでにそうしているともいえますが、そのことによって日韓関係は混迷を極めているようで実は本当の相互理解へ向けて動いていってるんだという話だと捉えても良いかもしれません)。
韓国人がよく、「日本人はココロの底の本音を隠して上辺だけニコニコしてるから信用できない」と言うたぐいの話をします。いやいやあんたらはむしろ全部出しすぎやろ!と私たちは思うわけですが、そういうレベルのすれ違いというのも、案外馬鹿にはできないところもあるように思います。
漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の有名なセリフに、主人公のジョナサンの大事なオモチャを愛犬ダニーがくわえて離さなくなっちゃった時に、彼の父ジョージ一世が、「それは無理やり引き離そうとするからだ」ということで、以下のように教えるシーンがあります。
逆に考えるんだ。「あげちゃってもいいさ」と考えるんだ。
この問題に関して言うと、こうです。
ジョジョ、逆に考えるんだ、嫌われちゃってもいいさ・・・と考えるんだ
これは、やけくその、もうあいつらなんか知らないもんね!けっ!というような話ではありません。
むしろ、テロが常態となっていく世界のあたらしい不安定さの中に、「今の時代に必要な本当の相互理解ってなんだ?」という真摯な問いの結果として出てくるソリューションなのです。
今回はそういう話をします。
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前回のブログでは、「テロリストとも話せばわかる」は本当に実現できるのか?ということを考えてみて、
酒を酌み交わせば理解しあえるぜ!というのは、自分以外の誰の人生についても、たった一時間酒飲みながら話せる程度の事情以外は俺は勘案しないよと言ってるようなもの
という話をしました。それでも「相互理解」を諦めないならば、
世界の見方全体を変えようとする必要が出てくる
それはどういうことか?というと、
1) 酒飲んで一時間で話せる話以上の、一番深刻な話を解決することから逃げない
2) 相手に寄り添って行く結果として今度は自分側の事情を無視して巨悪扱いするようなことは避け、相手に寄り添うのと同じだけ自分にも寄り添うようにしなくてはいけない
という話までしました。
これ、2)の方が凄い大事なんですよね。
それなりに面白い記事だったと思うので、ぜひ前回のブログもお読みいただきたいわけですが、「酒飲んで一時間で共有できる話」以上のコミットをするとなると、「相手側の事情」にだけどんどん入り込んでいって、今度は「自分がもともと属していた側の事情」を全部否定し、敵視し、巨悪扱いし・・・ってなっちゃうことが多くて、そうすると結局「相互理解」には全然なってないということになりがちです。客観的に見ると「片側だけの事情を言う人」がもうひとり増えただけみたいな感じですからね。
そうするとどうなるかというと、再度私が今作ってる本の挿絵を引用するわけですが、
日韓関係は常にこういう感じになっちゃうんですよ↑
「酒飲んでわかりあえるレベル」「サッカーや芸能人の話題やモノづくりの仕事」といった即物的なところでは、放っておいても交流は促進されていくわけですが、その流れの中で「一番深刻な話」から逃げていると、今の時代の普通なモードとして「日本側の奥底にある事情」が常に我慢し続けることになって、どっかで暴発する。
暴発すると、せっかくそれまでの時間の間に積み重なってきた「友好モード」「交流促進モード」が、元の木阿弥になるどころか、むしろ中途半端に友好モードだった分憎悪が余計に積み上がってしまったりもする。
逆に考えるんだ、ジョジョ、嫌われちゃってもいいさ、と考えるんだ
で言うならば、どうせ最後の3割で暴発することになるのなら、最初からそれは堂々と日本側として言うべきだということです。
こういうのは、ある意味で人間関係の基本かもしれません。気を使って嫌われないように言いたいことも言わないで我慢し続けて最後にブチ切れたりするのは、個人レベルでも人間関係を作っていく上では最悪の方式ですよね。
むしろ、本当に嫌なことはちゃんと言う。嫌われちゃってもいいさという覚悟を持って言う・・・ところから、雨降って地固まる。「なるほど、そういうヤツだったんだなお前は」からの相互理解も始まるというわけです。
こういうのって、感情のネジレが限界を超えてからブチマケるように言うより、最初から堂々と言うべきことを言うようにした方が、冷静に言いたいことを言えるし、言い方に配慮もできるし、勢い余って全然関係ない悪口を叩きつけてお互い後悔したり・・・ってこともなくなったりしますよね。
だからこそ、タイトルに書いた「日本は言いたいこと全部言った方が韓国と仲良くなれる!」を、我々は(特にネトウヨさんとは逆側にいる人間こそが)考えるべき情勢にあるわけです。
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で、ここで大事な話なんですが(ネットで読んでもらえるブログサイズ的にはここまで分ぐらいで一回にした方がいいのかもですが次回予告的な意味も込めて)
この「日本側が最終的に暴発しちゃう3割」っていうのは、本来「絶対悪」であるはずの日本人が過去の罪業を無視して開き直り、うっせーウゼェんだよ!という傲慢さで可哀想な可哀想な韓国の人たちを足蹴にするようなことだと、あなたは思ってしまっているんじゃないか?ってことなんですけど。
もちろん私は寛容と国際的普遍性を愛するインテリ人間ですから、日本の統治がバラ色の王道政治だったとか、高貴で遵法心溢れる旧日本軍は占領地で一切悪いことをしなかったとか言うつもりはありません。(”被害報告”が過大になりがちという問題はあるにしても、それはどっちもどっちな問題でしょう)
しかし、この「日本側が土俵際でどうしても否定されたくない3割」にこそ、テロが常態の時代の危機にあたらしい希望をひらく種が眠っていたりするんですよ!
大事なことなので数回言います。
この「日本側が土俵際でどうしても否定されたくない3割」にこそ、テロが常態の時代の危機にあたらしい希望をひらく種が眠っていたりするんですよ!
この「日本側が土俵際でどうしても否定されたくない3割」にこそ、テロが常態の時代の危機にあたらしい希望をひらく種が眠っていたりするんですよ!
この「日本側が土俵際でどうしても否定されたくない3割」にこそ、テロが常態の時代の危機にあたらしい希望をひらく種が眠っていたりするんですよ!
それどころか、本来はこの「痛み」は韓国人だって普段感じている痛みだし、現代の人類が常にそれぞれは感じているんだけど形にできない「痛み」そのものなのです。
その「個別の怨念」を『普遍的な視座』から位置づけ直すことが、「日本側がどうしてもいいたいこと」を、ヘイトスピーチや歴史修正主義でない形で「これをわかってほしいんだ」と提示する方法に繋がってくるのです。
その話についてはまた次回ということにしましょう。
次回掲載までは、以下の少し長いブログ記事をお読みいただければ、直接この話題を扱っているわけではないですが、私がどういうメッセージを発しているか鋭い方ならご理解いただけると思いますのでぜひどうぞ。
テロが当たり前の時代の『あたらしい正義』について。 - 倉本圭造(経営コンサルタント&経済思想家)のブログ
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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