ジャーナリズムさえ残るなら朝日新聞は潰していいはず
日本の新聞や出版業界の不況のニュースを聞かない日はないぐらいですが、じゃあどうしたらいいのか?について、「そもそもの物事の見方」を変えようという提案を書きます。あらゆる「業界関係者」にとって意味あるものになるんじゃないかと思っています。
この記事の基本的発想は、過去20〜30年日本で繰り返されてきた
みたいなことを辞めるにはどうしたらいいか?という話です。
目次は以下のとおり。
0●出版・新聞業界の現状を数字で確認
1●「業界の危機」を叫ぶ記事に毎回全然足りていない視点は「何のためのその業界なのか?」
2●「業界」の困窮がクリエイターやジャーナリストに与える影響について
3●その産業の一番大事な部分に、”真水”が行き渡る仕組みづくりを
4●お笑い業界や音楽業界の再生を参考に
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新聞業界の苦境を語る記事、出版業界の苦境を語る記事、本屋さんの苦境を語る記事・・・など、ネットのSNSを見ていたらしょっちゅうシェアされていますね。
たとえばこの記事では、新聞の発行部数が直近一年で222万部も減ったそうで、
だそうです。
また、全国出版協会の統計によると、出版業界全体の売上高の推移は以下のグラフのようになります。
グラフを見ると、ピーク時の売上から、週刊誌・月刊誌は半分程度、書籍は6割程度の総売上高になっていることがわかります。
一方で、又引きで恐縮ですけどこのブログによると、「出版年鑑」における出版社の数は25%程度しか減っておらず、新聞社の廃業にいたってはほとんどなかったと思われます。
つまり大枠で言うと、
ということがわかります。減り続ける売上のぶんを、「みんなで肩を寄せ合って困窮しつつ耐え忍ぶ」日本のカイシャの姿が数字から浮かんでくるようですね?
一方で、この日本印刷産業連合会のサイトを見ると、「印刷業」は売上減に応じて容赦なくバンバン従事者数が減っているし、書店の苦境は調べるまでもないという感じだったりするので、「出版社・新聞社の正社員を必死に守る結果、中小が多いと思われる”取引先”の業者さんたちは容赦なくバンバン切られていっている」・・・と言えるかも?
業界全体の総売上が20年ちょっとで半分になるとか、4分の3になるとかっていう変化はそうそうあることじゃないし、もしあったらその「変化への対応」は業界全体でなんとかしなくちゃなんですが、今のところ「弱い立場のところにシワ寄せして終わり」みたいになっている可能性は高いです。
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業界の危機!を叫ぶ記事を読んでいて毎回違和感を覚えるのは、「ギョーカイ」を守ることにしか興味がないんじゃないか?というような視点が多いことなんですね。(冒頭に引用した新聞社危機の記事はかなり良かったです)
大事なのは、
ここ20年の日本の悪癖「”ギョーカイ”を守って”産業”が滅びる」は、たとえば出版社とか新聞社の「正社員」を守るために、印刷業や書店という弱い立場の人たちはバンバン切られていき、さらには「ジャーナリリスト」とか「コンテンツを作る人(クリエイター)」という本来その産業において一番大事な部分が真っ先に削られていく・・・このメカニズムによって起きるのではないでしょうか?
「ギョーカイ」を守っても、たとえばシロウト評論家みたいな時事大喜利をやってるツイッターアカウントの新聞社員の雇用がバッチリ守られる一方で、科学ジャーナリズムにしろ海外ジャーナリズムにしろ、「大真面目にその対象に向かい合ってる」存在がどんどん貧困に追いやられてしまう・・・というのが「ギョーカイ守って産業が死ぬ」日本の悪癖です。
「少年ジャンプ黄金時代」の編集者たちが最近やたら座談会をやっているのをネットで見ますけど、あの時代の人たちは「漫画家がちゃんと食っていけるようにする責任が俺たちにはある」みたいなことよく言ってますよね。無理ならさっさと諦めさせることも必要だし、何年かでガッポリ儲けてもらうことで次回作を作れる余力も生まれるはずだ・・・みたいなことをちゃんと考えてあげている感じがする。
しかし、最近は、ライターさんにしろイラストレーターさんにしろ漫画家さんにしろ、独立系ジャーナリストさんにしろ、どんどん「使い捨て」られていっている印象があります。特にコピーが容易な写真家さんとかはたまにめっちゃヒドい話を聞いたりする。
「正社員」のギョーカイ人が、「どこまでも自営業」のクリエイターやジャーナリストの事情をほとんど理解してないんじゃないか、と感じるところがある。
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最近、ある出版社の社長さん(ウチは売れる本しか出さん!というのがモットーらしい 笑)に、担当編集さんを通じて又聞きなんでどの程度のテイストだったかはわかりませんが、
って言われてですね(笑)
確かにそういう趣旨で企画を練って文章を書いてみると勉強になることも結構ありましたけど(もう原稿はできているので近いうちにお知らせできるはずです)、こういう本ばっかりしか出版社から出ないってどうなんだよ?って思いません?
そういう本ならとりあえず売りやすいってのはわかるけど、そういう本しか日本じゃ出版されません、ってなったら、長期的に見て業界の未来とか虚無ですよ虚無!
これがなぜ問題かというと、「次の世代の書き手」たちが、その「業界の事情」に必死に付き合ったようなものしか出せなくなることなんですよ。
私は出版社から本出すことが本業じゃないからいいですけど、ライターさんとかジャーナリストさんとか漫画家さんとかイラストレーターさんとかで「出版が本業」の、日本のコンテンツ産業を未来的に支えていくべき存在が、「とりあえずすぐ売りやすいものしか書くな」状態に置かれることの長期的大問題というのはかなり恐ろしい感じがします。
三ヶ月後には誰も覚えてないんじゃない?という流行に無理やり合わせなきゃ生きていけなくなる・・・みたいな。
新聞社がなくなってもいいけど、ジャーナリズムがなくなったら困る。出版社がなくなってもいいけど、コンテンツメーカーがいなくなったら困る・・・という発想がやはり大事なはず・・・なのでは?
詳しく知らないので推測ですが、これだけ世界的にファンがいるアニメ産業の現場が惨憺たる奴隷労働だっていうのも、なにか似たような構造があるような気がしてなりません、
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私事で恐縮なんですが、5−6年前に出版社から本を出した後、本当に「意味ある本」を出すには実力が足りないな・・・と思って、とりあえず「ギョーカイの流行からちょっと離れてても引き受ける力」を持ってそうな結構年上の出版社の社長さんと信頼関係だけ作ったあとは、延々と「本を作る準備」になるような地道な積み上げをやってきてやっとできた原稿があったんですけどね。
昨年末にその社長さんが予定よりはやく退任されたことで、”新社長”さんの方針に合わなくなったので出版できません・・・ってことになったんですよ。既に原稿が整理されて校正にもかかろうかっていう直前になって!
「著者のエゴ全開」でやったわけじゃなくて、一応「一昔前の力がある出版業界なら十分受け止められるライン」を見越して、なんどか全ボツにされたりしながらやっとまとめた原稿だったのに・・・ですよ!
で、その後色んなところをたらい回しされたあげく、ほんと色々あったんですが結果としては、さっき書いた「ウチは売れる本しか出さん!」ていう出版社でもっと短くて売りやすい本を新しく書いて出すことにして、5年かけて書いた本はアマゾンで自分で売ることにしたんですね。
アマゾンから自分で出すと、出版社から出すよりも印税率が単純に言えば7倍ぐらいあるし、初期費用もゼロで、紙の本だって受注生産で在庫なしで出せる仕組みが今はあるんですね。
もちろん、この印税率の違いは、宣伝してくれるとか、あとは「業界」が「日本の出版文化を守る」的な機能を維持するための取り分を中抜きしてるからってのはあるんで、今まで「やっぱ文化を守ってる人たちへの敬意は持ってたいよな」と思って敬遠してたんですけどね。
でも、最近の出版社は宣伝するパワーがあまりないし、個人でもブログなどで発信していれば定期的に十万とか最大百万ビューぐらいのバズにはなるし、そもそもなんとか「一昔前の出版社なら拾えるラインで、より深い意味のある出版を」と思って苦労して作った原稿を「売りづらいです」とか言われると、そもそもお前ら”文化”守れてないじゃん!という気持ちにもなりますよ。
で、結果として「出版社から出る売りやすい本」を出版社から出し、それを入り口として入ってもらって「直接出版で入魂の作品を売る」という構造になったんですが、これは逆に凄い可能性を感じる体験になりました。
このあたりに、「新聞社とジャーナリスト」「出版社とクリエイター」の新しい協業関係・・・があるはずなんですよね。
たとえば学術出版社とか、結構評判の本でも簡単に絶版にしちゃってどうしようもなくなってる・・・みたいな話も、アマゾン・キンドル直接出版みたいな形でうまく回る仕組みができるはず。
たとえばジャーナリストが取材をたくさんして、それを「出版社的に売りやすい本」にまとめたら、本当はもっとディープな情報や写真や映像や・・・がたくさん残るはずなので、それをその「ジャーナリスト」に直接おカネが入る仕組みと組み合わせていく・・・とかね。
今はフリーランスの「クリエイター・ジャーナリスト」側が勝手に自衛生存手段としてやっているものを、むしろ「出版社・新聞社」がわが積極的にサポートして、対等に協力しあってそれをやり、取り分を直接受け取れるような仕組みに変えていく・・・発想が、今後重要になってくると私は考えています。
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参考にしたいのは音楽業界とかお笑い業界なんですよね。両方とも、「ギョーカイ」が縮小するにしたがって、それぞれ「アイドル」か「ひな壇芸人」しか生き残れません・・・ってなった時期があったと思うんですが。
その間にミュージシャンも芸人さんも、「直接的に顧客からお金を取るモデル」を発達させていって、「ギョーカイの流行に左右されない活動スタイル」で実力を磨いたクリエイターが、再度「ギョーカイ」とつながることで再活性化してきている。
結果として「ひな壇でしゃべるだけじゃなくちゃんとネタがやれる芸人」「アイドルじゃないアーティスト」が再度ヒットチャートの上位に出てくるようになってますよね?
今、新聞業界・出版業界で起きていることは、ギョーカイの縮小とともに、
そこで、「朝日新聞が潰れてもジャーナリズムが残ればいい」という発想で色んなビジネスのあり方を見直していって、「その産業の一番大事なところ」に真水としてのおカネが回る仕組みを作っていけば、そのプロセスの中で、業界全体に「全く新しいコンテンツ」が導入されていき、逆説的に「朝日新聞社が生き残る」道も見えてくるはずです。
「売りやすい」方の本は近々告知できると思いますが、「売りづらい」方の本はもう売っています。
こちらから↓
「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」レペゼンする知識人が導く自分軸ビジネスが社会を変えていく
今は電子書籍版のみですが、近々紙の本も同じリンク先に紐付けられます。Kindle Unlimited契約者は無料で読めます。
「売りづらい」といっても、普通に本読む人にとってみたら全然余裕な分量ですよ。「売りやすい」本二冊ぶんぐらいですからね。
ある程度丁寧に文脈を積んで行くことで、「普通なら全然希望が見えない話題」にも突破口が見えてくるはず・・・みたいなことってたくさんあるわけですけど、「この程度の分量」ですら売りづらいと言われて出版まで行くのにメチャ苦労する現状を、なんとかする道をみんなで考えていきましょう。
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この記事を楽しめた方は、ブログの他の記事もどうぞ。最近は結構頻繁に更新しています。予告していた対中国関係のブログも近々再開します。
この記事への感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト
・ツイッター
この記事の基本的発想は、過去20〜30年日本で繰り返されてきた
「その”ギョーカイ”を必死に縮小均衡で守る結果その”産業”が滅びる」
みたいなことを辞めるにはどうしたらいいか?という話です。
目次は以下のとおり。
0●出版・新聞業界の現状を数字で確認
1●「業界の危機」を叫ぶ記事に毎回全然足りていない視点は「何のためのその業界なのか?」
2●「業界」の困窮がクリエイターやジャーナリストに与える影響について
3●その産業の一番大事な部分に、”真水”が行き渡る仕組みづくりを
4●お笑い業界や音楽業界の再生を参考に
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0●出版・新聞業界の現状を数字で確認
新聞業界の苦境を語る記事、出版業界の苦境を語る記事、本屋さんの苦境を語る記事・・・など、ネットのSNSを見ていたらしょっちゅうシェアされていますね。
たとえばこの記事では、新聞の発行部数が直近一年で222万部も減ったそうで、
新聞発行部数のピークは1997年の5376万5000部だったから、21年で1386万部減ったことになる。率にして25.8%減、4分の3になったわけだ。
深刻なのは減少にまったく歯止めがかかる様子が見えないこと。222万部減という部数にしても、5.3%減という率にしても、過去20年で最大なのだ。
だそうです。
また、全国出版協会の統計によると、出版業界全体の売上高の推移は以下のグラフのようになります。
グラフを見ると、ピーク時の売上から、週刊誌・月刊誌は半分程度、書籍は6割程度の総売上高になっていることがわかります。
一方で、又引きで恐縮ですけどこのブログによると、「出版年鑑」における出版社の数は25%程度しか減っておらず、新聞社の廃業にいたってはほとんどなかったと思われます。
つまり大枠で言うと、
・新聞購読者数はピーク時から4分の3になったが、廃刊になった新聞はほとんどない
・雑誌と書籍の総売上はピーク時から5−6割になっているが出版社数は25%減程度
ということがわかります。減り続ける売上のぶんを、「みんなで肩を寄せ合って困窮しつつ耐え忍ぶ」日本のカイシャの姿が数字から浮かんでくるようですね?
一方で、この日本印刷産業連合会のサイトを見ると、「印刷業」は売上減に応じて容赦なくバンバン従事者数が減っているし、書店の苦境は調べるまでもないという感じだったりするので、「出版社・新聞社の正社員を必死に守る結果、中小が多いと思われる”取引先”の業者さんたちは容赦なくバンバン切られていっている」・・・と言えるかも?
業界全体の総売上が20年ちょっとで半分になるとか、4分の3になるとかっていう変化はそうそうあることじゃないし、もしあったらその「変化への対応」は業界全体でなんとかしなくちゃなんですが、今のところ「弱い立場のところにシワ寄せして終わり」みたいになっている可能性は高いです。
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・
1●「業界の危機」を叫ぶ記事に毎回全然足りていない視点は「何のためのその業界なのか?」
業界の危機!を叫ぶ記事を読んでいて毎回違和感を覚えるのは、「ギョーカイ」を守ることにしか興味がないんじゃないか?というような視点が多いことなんですね。(冒頭に引用した新聞社危機の記事はかなり良かったです)
大事なのは、
・「新聞社を守ることではなく、ジャーナリズムという機能を社会の中で守ること」であるはずです。
・「出版社を守ることではなく、コンテンツ産業(クリエイター)を守ること」
ここ20年の日本の悪癖「”ギョーカイ”を守って”産業”が滅びる」は、たとえば出版社とか新聞社の「正社員」を守るために、印刷業や書店という弱い立場の人たちはバンバン切られていき、さらには「ジャーナリリスト」とか「コンテンツを作る人(クリエイター)」という本来その産業において一番大事な部分が真っ先に削られていく・・・このメカニズムによって起きるのではないでしょうか?
「ギョーカイ」を守っても、たとえばシロウト評論家みたいな時事大喜利をやってるツイッターアカウントの新聞社員の雇用がバッチリ守られる一方で、科学ジャーナリズムにしろ海外ジャーナリズムにしろ、「大真面目にその対象に向かい合ってる」存在がどんどん貧困に追いやられてしまう・・・というのが「ギョーカイ守って産業が死ぬ」日本の悪癖です。
「少年ジャンプ黄金時代」の編集者たちが最近やたら座談会をやっているのをネットで見ますけど、あの時代の人たちは「漫画家がちゃんと食っていけるようにする責任が俺たちにはある」みたいなことよく言ってますよね。無理ならさっさと諦めさせることも必要だし、何年かでガッポリ儲けてもらうことで次回作を作れる余力も生まれるはずだ・・・みたいなことをちゃんと考えてあげている感じがする。
しかし、最近は、ライターさんにしろイラストレーターさんにしろ漫画家さんにしろ、独立系ジャーナリストさんにしろ、どんどん「使い捨て」られていっている印象があります。特にコピーが容易な写真家さんとかはたまにめっちゃヒドい話を聞いたりする。
「正社員」のギョーカイ人が、「どこまでも自営業」のクリエイターやジャーナリストの事情をほとんど理解してないんじゃないか、と感じるところがある。
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2●業界の困窮がクリエイターやジャーナリストに与える影響について
最近、ある出版社の社長さん(ウチは売れる本しか出さん!というのがモットーらしい 笑)に、担当編集さんを通じて又聞きなんでどの程度のテイストだったかはわかりませんが、
・読者は8万字〜10万字以上の文字は読めない
・読者は自分の生活が直接すぐに良くなる話以外興味ない
・その2つから絶対離れずにいるなら、最後でちょろっと世の中が良くなる話をしてもいい
って言われてですね(笑)
確かにそういう趣旨で企画を練って文章を書いてみると勉強になることも結構ありましたけど(もう原稿はできているので近いうちにお知らせできるはずです)、こういう本ばっかりしか出版社から出ないってどうなんだよ?って思いません?
そういう本ならとりあえず売りやすいってのはわかるけど、そういう本しか日本じゃ出版されません、ってなったら、長期的に見て業界の未来とか虚無ですよ虚無!
これがなぜ問題かというと、「次の世代の書き手」たちが、その「業界の事情」に必死に付き合ったようなものしか出せなくなることなんですよ。
私は出版社から本出すことが本業じゃないからいいですけど、ライターさんとかジャーナリストさんとか漫画家さんとかイラストレーターさんとかで「出版が本業」の、日本のコンテンツ産業を未来的に支えていくべき存在が、「とりあえずすぐ売りやすいものしか書くな」状態に置かれることの長期的大問題というのはかなり恐ろしい感じがします。
三ヶ月後には誰も覚えてないんじゃない?という流行に無理やり合わせなきゃ生きていけなくなる・・・みたいな。
新聞社がなくなってもいいけど、ジャーナリズムがなくなったら困る。出版社がなくなってもいいけど、コンテンツメーカーがいなくなったら困る・・・という発想がやはり大事なはず・・・なのでは?
詳しく知らないので推測ですが、これだけ世界的にファンがいるアニメ産業の現場が惨憺たる奴隷労働だっていうのも、なにか似たような構造があるような気がしてなりません、
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3●その産業の一番大事な部分に、”真水”が行き渡る仕組みづくりを
私事で恐縮なんですが、5−6年前に出版社から本を出した後、本当に「意味ある本」を出すには実力が足りないな・・・と思って、とりあえず「ギョーカイの流行からちょっと離れてても引き受ける力」を持ってそうな結構年上の出版社の社長さんと信頼関係だけ作ったあとは、延々と「本を作る準備」になるような地道な積み上げをやってきてやっとできた原稿があったんですけどね。
昨年末にその社長さんが予定よりはやく退任されたことで、”新社長”さんの方針に合わなくなったので出版できません・・・ってことになったんですよ。既に原稿が整理されて校正にもかかろうかっていう直前になって!
「著者のエゴ全開」でやったわけじゃなくて、一応「一昔前の力がある出版業界なら十分受け止められるライン」を見越して、なんどか全ボツにされたりしながらやっとまとめた原稿だったのに・・・ですよ!
で、その後色んなところをたらい回しされたあげく、ほんと色々あったんですが結果としては、さっき書いた「ウチは売れる本しか出さん!」ていう出版社でもっと短くて売りやすい本を新しく書いて出すことにして、5年かけて書いた本はアマゾンで自分で売ることにしたんですね。
アマゾンから自分で出すと、出版社から出すよりも印税率が単純に言えば7倍ぐらいあるし、初期費用もゼロで、紙の本だって受注生産で在庫なしで出せる仕組みが今はあるんですね。
もちろん、この印税率の違いは、宣伝してくれるとか、あとは「業界」が「日本の出版文化を守る」的な機能を維持するための取り分を中抜きしてるからってのはあるんで、今まで「やっぱ文化を守ってる人たちへの敬意は持ってたいよな」と思って敬遠してたんですけどね。
でも、最近の出版社は宣伝するパワーがあまりないし、個人でもブログなどで発信していれば定期的に十万とか最大百万ビューぐらいのバズにはなるし、そもそもなんとか「一昔前の出版社なら拾えるラインで、より深い意味のある出版を」と思って苦労して作った原稿を「売りづらいです」とか言われると、そもそもお前ら”文化”守れてないじゃん!という気持ちにもなりますよ。
で、結果として「出版社から出る売りやすい本」を出版社から出し、それを入り口として入ってもらって「直接出版で入魂の作品を売る」という構造になったんですが、これは逆に凄い可能性を感じる体験になりました。
このあたりに、「新聞社とジャーナリスト」「出版社とクリエイター」の新しい協業関係・・・があるはずなんですよね。
たとえば学術出版社とか、結構評判の本でも簡単に絶版にしちゃってどうしようもなくなってる・・・みたいな話も、アマゾン・キンドル直接出版みたいな形でうまく回る仕組みができるはず。
たとえばジャーナリストが取材をたくさんして、それを「出版社的に売りやすい本」にまとめたら、本当はもっとディープな情報や写真や映像や・・・がたくさん残るはずなので、それをその「ジャーナリスト」に直接おカネが入る仕組みと組み合わせていく・・・とかね。
今はフリーランスの「クリエイター・ジャーナリスト」側が勝手に自衛生存手段としてやっているものを、むしろ「出版社・新聞社」がわが積極的にサポートして、対等に協力しあってそれをやり、取り分を直接受け取れるような仕組みに変えていく・・・発想が、今後重要になってくると私は考えています。
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4●お笑い業界や音楽業界の再生を参考に
参考にしたいのは音楽業界とかお笑い業界なんですよね。両方とも、「ギョーカイ」が縮小するにしたがって、それぞれ「アイドル」か「ひな壇芸人」しか生き残れません・・・ってなった時期があったと思うんですが。
その間にミュージシャンも芸人さんも、「直接的に顧客からお金を取るモデル」を発達させていって、「ギョーカイの流行に左右されない活動スタイル」で実力を磨いたクリエイターが、再度「ギョーカイ」とつながることで再活性化してきている。
結果として「ひな壇でしゃべるだけじゃなくちゃんとネタがやれる芸人」「アイドルじゃないアーティスト」が再度ヒットチャートの上位に出てくるようになってますよね?
今、新聞業界・出版業界で起きていることは、ギョーカイの縮小とともに、
・「アイドルしかいない音楽業界」みたいになりつつあるってことなんですよ。こう例えると深刻さが身にしみてきますね。アイドルや雛壇芸人をディスるわけじゃないんですが、「それしかない」文化に未来はあるのか?って思いますよね?
・「雛壇芸人しかいないお笑い業界」
そこで、「朝日新聞が潰れてもジャーナリズムが残ればいい」という発想で色んなビジネスのあり方を見直していって、「その産業の一番大事なところ」に真水としてのおカネが回る仕組みを作っていけば、そのプロセスの中で、業界全体に「全く新しいコンテンツ」が導入されていき、逆説的に「朝日新聞社が生き残る」道も見えてくるはずです。
「売りやすい」方の本は近々告知できると思いますが、「売りづらい」方の本はもう売っています。
こちらから↓
「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」レペゼンする知識人が導く自分軸ビジネスが社会を変えていく
今は電子書籍版のみですが、近々紙の本も同じリンク先に紐付けられます。Kindle Unlimited契約者は無料で読めます。
「売りづらい」といっても、普通に本読む人にとってみたら全然余裕な分量ですよ。「売りやすい」本二冊ぶんぐらいですからね。
ある程度丁寧に文脈を積んで行くことで、「普通なら全然希望が見えない話題」にも突破口が見えてくるはず・・・みたいなことってたくさんあるわけですけど、「この程度の分量」ですら売りづらいと言われて出版まで行くのにメチャ苦労する現状を、なんとかする道をみんなで考えていきましょう。
・
この記事を楽しめた方は、ブログの他の記事もどうぞ。最近は結構頻繁に更新しています。予告していた対中国関係のブログも近々再開します。
この記事への感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。
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