怒ってもいいし政権批判もいいが、陰謀論はやめよう
(バナーデザイン 大嶋二郎)
気づけば世界大戦級の歴史的大事件になってしまった新型コロナウイルスの未曾有の世界的感染拡大の中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
「古い社会」を敵視せずその隠れた深い合理性に着目しつつ、時代に合わせて変えるべきところを変えていく「あたらしい意識高い系」をはじめよう…というネット連載をはじめる予定でしたが、状況も状況なので、初回はこの新型コロナウイルスに対する日本の対策とそれに対する批判…という課題にからめて書こうと思います。
目次は以下の通りです。
1・怒ってもいいし政権批判もいいが、陰謀論はやめよう
2・無意味に紛糾しているようで、過去になかったフェアな議論ができつつある
3・「あたらしい意識高い系」をはじめよう
●1怒ってもいいし政権批判もいいが、陰謀論はやめよう
糸井重里氏の「責めるな、自分のことをしろ」というツイートや、スガシカオ氏の「今一番大切なことは、みんなが一人一人どうすべきかを考えて、一致団結してこの危機を乗り越えることだと思うんだ(後に削除)」というツイートが、「政権批判をするな」とか「怒りを表明するな」という意味に取られて強烈な批判を浴びているのを見ました。私は、怒ってもいいし、政権批判もしていいと思っているのですが、そこに「陰謀論」的なものが混じるのが良くないのだと考えています。そこがうまく整理できないと、日本社会が危機対応をちゃんと実行していくことを混乱させないために、「怒り」も「政権批判」も抑圧せざるを得なくなってしまうからです。
今回の問題の特徴は、今のところほとんど打撃を受けていない、むしろ特需のような状態にある業界と、ほとんど業界全体が存続の危機というような業界と、あまりに差が激しいことです。
だから「安全圏にいる人」と「直撃を受けた人」との間に危機感で温度差があることは当然で、今ほんとうに「困っている」人はその苦境を伝えるためにどんどん声をあげるべきだし、優しく礼儀正しく言っていたんじゃなかなか声が届かないことも多いだろうから、強い言葉で、感情的になってもいいし、そして政権の行動が遅い、不十分だ、と思うならそれを批判したっていい、というかするべきです。
この「危機感の温度差」は今回の問題の大きな特徴で、政権の周囲にはまだまだそういう危機感が実感できていなくてズレた対応をしていることも多いと思います。
私がコンサルティングをしているクライアントの経営者の中には、「定期的にやってくる危機に備えておくのは経営者として当然のことで、問題が起きたから補償は当然というのはおかしいのではないか」というタイプの人も多いのですが、もちろんそういう人は普段から「ちゃんと従業員にマトモな給料とマトモな休暇とボーナスとマトモなパワハラ的でない環境を整えるのが自分の責任」みたいなことを深く感じて生きている人であったりするし、今回の危機に関してもかなり早い段階で取引銀行と相談してキャッシュを手当てしたりしている人たちなので、そういう「考え方」の人が日本社会の大事な骨格を(通常時においては)担っていることは否定できません。
しかし、今は「世界大戦級の非常時」なので、そういう潔癖さは一度横においておく必要もあると思います。
そういう時には、彼らのような「平時の良識」を担っている人たちよりも、「反権力!」がベースの左翼の方や、右でも過激派の人の声が政権の対応の遅さを叱咤し、前に進ませる効果は確実にあるでしょう。やはりそのあたりは迫力が違いますからね。
だから、非常時なんだから怒りを出すなとか、政権批判をするな…という声は無視して良いし、どんどん怒っていいし、どんどん政権批判をするべきだと思います。
ただ問題は、変な陰謀論を混ぜないこと、そして「海外ではこんなに素晴らしい政策を実行しているのに日本は全然ダメだ…」といった「出羽守バイアス」的な、現実とは違う理想化した外国と比較して日本の当局を叩いたりする行為を慎重に排除していくことです。
●2無意味に紛糾しているようで、過去になかったフェアな議論ができつつある
最近、厚生労働省などが、ツイッターを通じてマスメディアに向けた「反論」したりすることが増えました。(このツイートなど)
こういうふうに役所が「反論」することを、良くないことだと考える人も多いですが、私はこういう風潮はとても良いことだと考えています。
なぜ厚生労働省がこういうツイートをしなくちゃいけなくなるかというと、マスメディアとSNSに変な陰謀論とか出羽守バイアスが強烈にかかった論調が溢れかえっているからですよね。
●●では国民に☓☓円の給付がすでにあったが、日本じゃマスク2枚しか配られない。国民を救う気がまったくない。やはり人権を大事にする欧米諸国と違ってこのカス政権の中で生きている私達は不幸だ
みたいなのがメチャクチャ溢れかえっていたじゃないですか。
政府が色々と対策をパッケージとして出しても、その中からほんの一部のお肉券とか布マスクとか「ネタとしてバカにできる」話だけを取り上げてえんえんとネット大喜利をしてるのは、ほんとうに「主権者」としての役割を果たす気があるのか?っていう話ですよ。
厚生労働省が反論したことで、その後たとえばNPO法人の人とかが、ちゃんとその「内容」について反論を行っているのを見られるようになりました。
たまたま目についたものだけでも…
NPO法人ほっとプラス理事の藤田孝典氏の記事「安倍首相「日本は世界で最も手厚い休業補償」 緊急時のウソは本当にやめてください」
NPO法人POSSE代表の今野晴貴氏の記事「厚労省が異例の「反論ツイート」を連投! 「補償無き休業ではない」は本当か?」
ちゃんと日本政府はこういう対策をやっている…というのを前提にして、それのどこが足りないのか、外国の事例で参考にできるのはどういうものか、について議論している。両方とも、外国の事例を出すにあたって「実はある制限」を隠して美化したりすることを避けてちゃんと議論しようとするモラルもある。
これですよこれ!こういうのもっとやろう。
最近は日本の当局者もネット世論のことを気にするようになってきて、たとえばこれは東京都の事例ですけど、ネットカフェを閉めるにあたって、そこに「住んで」いる困窮者の行き先を確保するとか、ネット世論が「当局」を突っついて実現させた事例も増えてきました(その後、いわゆる“貧困ビジネス”施設に利用されそうになったところ、またうるさく改善要求をすることでさらに是正されたそうです。NPO的に世の中の貧困を生に見ている人たちの監視とリアルな提言と、それでどんどん変わっていくのが素晴らしいですね)。
そういう「実現」があったら、普段は「敵」同士に思っている人たちの意見が両方ちゃんと実現していきますよね?
「過剰に美化した欧米(あるいは最近だと中国や韓国)の事例を持ってきて日本の当局をクサして慨嘆してみせるナルシシズム」的なことをやってるより、ほんとうの充実感があったはずです。
昔ネットではやってたアスキーアートに、
ちょ、ちょーとまって!!!今○○が何か言ったから静かにして!!
っていうのがあって好きだったんですが、
「ちょ、ちょっと待って!今厚生労働省が何か言ったから静かにして!!」
「ちょ、ちょっと待って!今アベが何か言ったから静かにして!!」
的な感じで、とりあえずまずは聞く。そこに嘘を混ぜない。外国の事例を出す時も、「出羽守バイアス」的にほんの一部の美化した切り取りをするんじゃなくてフェアな批判をするように心がける。
そのうえで、「いやいやまだココが足りねーぞ!」「ていうか遅えんだよさっさとやれ!」なら、バンバン怒りを発していいし、政権批判もしまくっていいはずです。
リアルな現実に基づかない「出羽守バイアス」に溢れたナルシスティックな慨嘆をいくらやっていても、それを聞いているとただ混乱するだけなので、どこかで「黙ってろ」的な圧力が高まってくるのは仕方のないことでしょう。
しかし、ちゃんと「政権がやっていること」に嘘を混ぜずに理解して、その上でバンバン「怒り」や「批判」をぶつけていくなら、それは、今までの日本がなかなか実現できなかった、「オープンに議論をして、マトモな理屈がちゃんと通って変わっていける社会」に、このコロナ危機を契機に変わっていけるチャンスだと言えます。
今なら考えた政策がバンバン実現されるからモチベーション爆上がりしてるっていう官僚さんのツイートも見かけましたし、さっき引用した二人のNPO法人の方の記事も、この危機時なんだからちゃんとフェアな議論をしなくては…という良い意味の緊張感があってとても良かったです(普段の彼らの言動をすべて見ているわけではないですが、過去の記憶よりも何倍もフェアで適切な議論をしている感覚でした)。ネットカフェの困窮者の救済策を提案した人たちも、自分たちの意見がちゃんと実現していったことに興奮している様子でした。
●3あたらしい意識高い系をはじめよう
この記事と同時に公開される私のインタビューで述べたように、過去10年、20年の日本は、あまりにもこの「出羽守バイアス」的なものが一方で強すぎたために、逆に強烈な排外主義的な気分でバランスすることで、どうにかギリギリ「日本という国のオリジナリティ」を崩壊させずに守ってきたところがあると私は考えています。
「過剰に理想化した幻想の欧米社会」という話でこの期間中ネットのどこかで読んだ話で一番唸らされたのは、
「お肉券には大反対だけど、ドイツがアーティストに助成するのは大賛成というのは文化的な差別意識があるんじゃないか」
という指摘でした。危機時の休業補償と産業振興といった文脈の違いや順序の問題は多少あるけれども、「そこの扱いの違いにほんとうに全然そういう差別意識がないか?」というのは深く考えてみるべきです。
欧米人が「アート」に価値を感じているのと同じような「全身全霊を込めて純粋になにかをつくる」的な精神性を、多くの日本人はそういう「特産品」に対して感じているはず…なのでは?
そういう無意識レベルのものも含めた「無数の出羽守バイアス」が溢れている現状では、そういう言論が一つあるごとに、「排外主義的ななにか」で埋め合わせてバランスしておかないと、ほんとうにその土地のローカルな事情に立脚した政治は行えないことになりますよね?
いろんな人が言っていることですが、混乱する民主主義国家を尻目に強烈な独裁的国家が早々と事態を収拾しつつある現在、今回のコロナ問題の世界的紛糾は、ある種「欧米という理想」が大きく相対化されるムーブメントを生み出す可能性があります。
それが単に「まだ人権とか民主主義とかで消耗してるの?」みたいなものになってしまわないためには、「出羽守バイアス」的なものをちゃんと中立的に検証し、それぞれの国のほんとうの事情にあった議論が行える環境にしていくことが必要です。
「過剰に理想化した幻想の中の欧米」を持ち出してありとあらゆるローカルな存在を上から目線でぶっ叩きまくる…これが「古い意識高い系」
だとすると、
欧米的な理想は決して諦めないが、ローカルな事情にちゃんと向き合うことからは逃げない…そういう「あたらしい意識高い系」
がこれから必要な時代が来ているのです。
今回の混乱をちゃんと乗り切ることができれば、日本は「あたらしい意識高い系」ムーブメントによって、今後さらに激化して第三次世界大戦の可能性すらありそうな米中冷戦の時代において、「欧米がわ」でも「アンチ欧米がわ」でもない、他のどこにもない希望を提示できる国になれますよ。
過去20年、グズグズと変われずにいて、どこか排外主義的な気分で埋め合わせてバランスせざるを得なかったのは、「こういう希望」の種を捨てずにいたからなんだな!という理解が生まれ、そして同時に、今までどうしても必要とされていた「日本社会の良くない部分」をやっとやめることもできるようになるはず。
みなさん、必死に怒りましょう。バンバン政権批判もしましょう。しかし、陰謀論や出羽守バイアスを廃して、「ほんとうにリアルな」議論をしましょう。
今回、この記事を第一回として、FINDERSさんというネットメディアで「あたらしい意識高い系をはじめよう」という連載をはじめることになりました。
めっちゃ大量に写真撮られたインタビューも同時に掲載されています。
・インタビュー前編
・インタビュー後編
連載は、ブロゴスなどへの転載可能性も考えてこの自ブログにも掲載しようと思っています。
次回は、紛糾するPCR検査数を増やす増やさないといった問題も含めた、日本の専門家会議のあり方について、冷静な論点整理と、こういう時に「世論」はどういう「批判や提言」をしていけば有意義になるのか?という話をする予定です。
連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。
また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。
世界大戦級の国難で、思わぬところからダメージを受けた人も多いかと思います。私は出版社から出る予定だった本の企画が飛んでしましました。いずれ仕切り直そうと思っていますが、とりあえずまずはこのファインダースの連載で、今の時代に自分ができることが何かを真剣に考えていきたいと思っています。
これからよろしくお願いいたします。
この記事への感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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