なぜナイキのCMを感じ悪いと思う人がいるのかに向き合わないと人種差別問題など解決できない。
1●ナイキ社の広告は「案の定」炎上しているが・・・
インターネットで広い認知を得るには「炎上させた者勝ち」みたいなところがありますが、この一週間はナイキ社の動画広告が話題でした。
ナイキ社のこういう「人種差別」問題を前面に押し出したCMシリーズは、アメリカ本国で公開された時も常に賛否両論で、強烈な認知を引き寄せて売上を伸ばしたり、また一方でナイキ社の靴を燃やす写真が大量に投稿されるような不買運動も起きたりしていました。
今回の「日本版」の公開でも、基本的には世界中どこでも同じ「この種類のCMに対する反応」が巻き起こっているようです。
日本でも、案の定、
・「素晴らしいメッセージ性を持った広告だ!」と感じる層
と、
・「日本社会に対する侮辱」だと感じる層
と、真っ二つに分かれており、SNS上で「案の定すぎる」論戦が展開されていました。
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2●こういうのは本当に「人種差別解消」に役立っているだろうか?
個人的な感想を言うと、
「こういうのに勇気づけられる・必要としている人たちもいるんだろうし、まあいいんじゃない?」
ぐらいの感想なんですが、SNSで最近よくある、「コレ系に反発を覚える層を徹底的に嘲笑する仕草」は本当に良くないことだと思っているし、むしろ本音を言えばかなり「嫌い」です。
「コレ系に反発を覚える層を徹底的に嘲笑する仕草」ってどんなのかっていうと、
ナイキのCM素晴らしいわ!これに「怒り」を感じる人達って人間としてどうなの?頭おかしいんじゃないの?
こういうのに怒りを感じるような奴らって、時代の変化に取り残されて滅んでいくべき奴らだよね。
お前らがナイキを不買するとかちゃんちゃらおかしいんだよ。そうじゃなくてお前らみたいなクズどもがナイキに”お断り”されてるんだよ!
こういうの↑ですね。
もちろん、直球の朝鮮人差別を隠さない人たちも日本には残念ながらいるので、それに対するカウンターとして現状必要なことはわかる。日本社会にももっと改善していかなくちゃいけない課題が沢山あるということもわかっている。
でもだからといって、「こういうやり方」が問題を解決に導くのでしょうか?
単に「意識高いフリをして金儲けをしてやろうという、”いかにもナイキ社”的な商業主義」なのでは?という疑問は強烈にあります。
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3●一周回ってきて、むしろ「このCMに反発を覚える層をいかに自陣営に引き込めるか?」を考えるべき時代になってきているのでは?
私はこのナイキ社のCMシリーズがアメリカ本国で始まった時から、「こういうのがカッコいいのは認めざるを得ないがこれが”無条件にいいこと”扱いされる社会って絶対良くないよな」と思っていました。
特に、私は黒人クォーターバックとして徹底的にオリジナルなプレイスタイルを切り開いたNFLのキャパニック選手が選手として好きだったので、彼が始めた「試合前の国旗掲揚時に膝をつくキャンペーン」には複雑な思いを持ちました。
なぜならこういうのは「劇薬」だからです。
確かにこういうことでもしないと、「そこにある差別」をちゃんと認めてもらえないのだ・・・という言い分は理解できなくもない。特にアメリカの黒人差別問題の根深さを考えれば、アメリカの場合はそうなのかもしれない。
しかし、一度こうやって「統合の象徴」を否定しはじめると、その「問題を認識」したあとどうやって「解決」に迎えばいいんでしょうか?
結局ここで「劇薬」を使ってしまったから、警官が黒人に対して差別的な扱いをしてしまう問題に対して、
黒人差別をやめさせつつ治安を守る使命はちゃんと行える警察改革とはどういうものか?
という、あらゆる立場の人の知恵を寄せ合って解決するべき問題に対して、
・ただただ警察だけを悪者にして敵視して、「警察予算を削減しろ!」と叫んだりする
だけになってしまったり、一方でよく指摘されているような、
・黒人の経済状況を本当に改善するために必要な、教育学区ごとの予算が全然違う問題・・・のような「難しい構造的課題」はほったらかしになっている
ような問題がある。
オバマ元大統領ですらこの記事で言っているように、ただSNSで「敵」を作って石を投げつけているだけで「いいことをした」と満足をするような風潮で世界を変えることはできません。
こういう「過激なスローガンで政敵を攻撃するのに熱中するだけで、政治的解決からむしろどんどん遠ざかってしまう」のが世界的な「病」になってきつつある状況においては、
このナイキCMの文句なしのかっこよさ・・・を100%褒め称えることの危うさ
だって理解できるでしょう。
こういうCMに熱中する都会の恵まれたインテリ階層は、お手軽に「古い社会を糾弾」できる「アイデンティティ」の問題だけに熱中して、自分が痛みを負う必要があるような社会の構造的課題にしっかり向き合うことから逃げ続けているのだ・・・という「アイデンティティポリティクス批判」というのは世界でも常に問題になっています。
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4●ただナイキに文句言うだけなのは情けない。私たちなりの答えで返してやろう。
しかしなんというか、ナイキのCMってカッコいいですよね。それは認めざるを得ない。
大坂なおみさんが今年の全米オープン中に、着用するマスクでBLM運動を支持するメッセージをアピールしていた件で、「スポーツに政治を持ち込むな」的な批判が巻き起こっていたことがありました。
そういう議論が紛糾する中で堂々と優勝してみせた上での以下のツイートでは、「みんながスポーツに政治を持ち込むなって言い続けてくれたおかげで、逆にできるだけ長くテレビに映ってやろうと思わせてくれたので優勝できた」的なことを言っていて(笑)↓
All the people that were telling me to “keep politics out of sports”, (which it wasn’t political at all), really inspired me to win. You better believe I’m gonna try to be on your tv for as long as possible.
— NaomiOsaka大坂なおみ (@naomiosaka) September 15, 2020
はっきり言ってちょっとかっこよすぎるやろ・・・という感じです。漫画の主人公かよ。
・世界を変える。自分を変えずに。Just Do It. (大坂なおみさんのCM)
・動かし続ける。自分を。未来を。YOU CAN'T STOP US (今回のCM)
うんうんかっこいいよ。それは認めよう。
もちろん、社会の今「抑圧されていると感じている人」が異議申し立てをする権利は完全に擁護されるべきだし、そういうメッセージを必要としている人たちもいることは認めよう。
だからこそ、ナイキ社と、こういうCMが好きな人は思う存分この自由主義社会の中でこういうメッセージを発すればいい。
しかしね・・・
「そういうかっこよさの絶対視」が世界中の民主主義社会を果てしない両極分化に追い込み、民主主義社会の存続すら危うくしている時代には、もっと「何か別のもの」こそが最先端に必要とされている時代なのではないでしょうか?
少年漫画風に言えば、
俺たち日本人が考える「ほんとうの誠実さ」とは!
自分の「逆側の考え方」を持っている党派の奴らに、「ヒトラーだ!」「レイシストだ!」とかSNSで罵倒しまくれば、何か良いことをしたかのような気分に浸れるようなしょーうもないヤツらの浅はかなエゴとは違うんだ!
今はそうやって「思う存分個人だけでかっこつけ」て、ついてこない人間を罵倒し続けるがいいぜ・・・
しかし、そうやって「逆側にいる人間を果てしなく罵倒」した先にトランプ主義者の大群のようなバックラッシュを受けて身動きが取れなくなった時!
俺たち日本人が「中庸の徳」という言葉の意味をお前たちに身を持って理解させてやるぜ・・・
てな感じで「挑戦を受け取って、あくまで勝つ」道を模索したいものです。
具体的には、最近noteで書いて結構高評価を頂いている、
「竹中平蔵を排除するためにデービッド・アトキンソンと組む」・・・「血も涙もないネオリベモンスター」を倒すためには「血の通ったネオリベ」を味方にする必要があるという話。
という記事に、「ナイキ」型にイデオロギー対立を煽るのではなく、「具体的にリアルな改善」を積み重ねていくための具体策・・・は書きましたのでそちらをお読みください。
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5●「妄想の右翼」さんでなく、日本という国の影響力を最大化する「キャステイングボート戦略」に乗り換えよう
日本という国は、単独のパワーで世界をリードするほどの影響力を持つほどのサイズは持っていません。
しかし、世界第三位の経済大国日本は、「拮抗する極論同士の罵り合い」が世界中で問題になる時に、今の日本の国会における公明党のようなサイズの存在として、「場に決定的な影響力を持つ一票」を投じるぐらいのことならできます。
こういう現象を「キャステイングボートを握る」と言いますが、
「イデオロギーの死」の時代にリアルな議論を社会で共有する技術
を日本が作り上げられれば、それは今の日本の国会における「公明党」的なポジションを作り出すことで、
「果てしなく両極に分断されていく人類社会の中で決定的なキャスティング・ボートを握るパワー」
となって、国際社会の中で実際の人口・経済規模を大きく超える力を日本に与えてくれるでしょう。
「そのポジション」さえ確保すれば、そういう国が経済的に繁栄しないことなどありえないとすら言えます。
それは東洋と西洋の間にたってこの150年ほどを強烈な矛盾を抱え込みつつなんとか生き抜いてきた私たち日本人にとって、本当の意味で「私たちならではのオリジナリティ」に基づいたものであり、そして分断に苦しむ人類社会に大きな貢献となりえるものにもなるでしょう。
最近、いまだに「トランプはまだ来年もアメリカ大統領」だと本気で思っている人たちが「日本のナショナリズム」の結構な部分を占めてしまっているというわけがわからない状況になっているわけですが。
そんな「妄想の右」は脱却して、むしろ欧米文明の最前線に新しい価値観を提示できる「自分たちのプライドの源泉」に乗り換えていきたいものですよね。
私の著書などで最近毎回引用している小林秀雄の言葉
美しい花がある、花の美しさというようなものはない
が我々のスローガンです。あらゆる「イデオロギー」に本来懐疑的な私たちの「禅」的感性こそが、欧米文明の独善性を掣肘し、東洋と西洋の文明の間に新しい調和の基準点を生み出していく時代となります。
私たちならできますよ!(Yes, we can!)
その具体的な「策」は、さきほどリンクした以下の記事をお読みいただければと思います。
「竹中平蔵を排除するためにデービッド・アトキンソンと組む」・・・「血も涙もないネオリベモンスター」を倒すためには「血の通ったネオリベ」を味方にする必要があるという話。
もう一個、先月書いた「鬼滅の刃」のブームについての記事、「欧米由来の”最低最悪のアンシャンレジーム”と”完璧な正義の俺たち”という世界観自体を超えて、各人の新しい”責任”のあり方を見出していく志向」を象徴するものとして「鬼滅の刃」の大ヒットはあるのだ・・・という話もかなりnoteで好評をいただいているので、そちらもよかったらどうぞ。
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