同性婚も夫婦別姓も「宗教戦争」にしてはいけない。

 札幌地裁が同性婚を否定するのは「違憲」だと判断したというニュースが流れていて、知人の同性愛者の事を考えたりしながら、個人的には「へえ、良かったじゃん」的なことを思いました。(LGBTだからといって同性婚に賛成の人ばかりではない・・・という事は後から知りましたが、まあ選択肢が広がること自体は基本的に良いことだと思っています)

ただ、そのニュースに対するSNSでの「案の定の紛糾ぶり」を眺めていると、なんでそんな「宗教戦争」みたいな方向に持って行こうとするのかな・・・という不満があります。

これは夫婦別姓制度の議論にも共通する感覚があるんですが、

「保守派を刺激しないような論調に注意しながら具体的に必要な制度をスルリと通す」

みたいな事ができればいいのに、

「夫婦別姓や同性婚を認めたくないタイプの人間」を果てしなく糾弾して「私が間違っていました」と土下座するまで許さないぞ!

・・・みたいな方向に持っていこうとするから、余計に前に進めなくなる。

私は夫婦別姓議論にも同性婚にも賛成ですけど、「社会の伝統に対して新しい変更を迫る側」の、ある種の独善的な態度に対してはかなり嫌悪感というか、「そういう自分の立場の事しか考えない感じなのが反発を受けてるんだろーが!ほんとにそれ通す気あるのかよ!」という気持ちがあります。

そういう人たちは「諸外国では認められてるのに日本は遅れてるよね!」って簡単に言うけど、例えば同性婚を結構無理やり気味に通したアメリカでは(その件だけが原因じゃないにしろ一連のそういう強引な価値観の押し付けに反発して)「社会の半分」がそっぽを向いてしまってトランプ派の暴走に繋がったりしてるわけですよね。

「欧米」というくくりで見れば、米中冷戦時代にはそういう「欧米的理想の押し付け」に対する反発が地球規模で募って、欧米に限らない「全人類」単位で見れば「もう民主主義なんか終わった制度だろ」と考える人達の群れが止めようもなくなったりしている。

「欧米的理想」を否定するわけじゃないけど、それをどうやったら「普通の人」にまで無理なく浸透させて「一緒に」社会を前に進めていくか・・・が重要な時代に、すぐに賛成しない人間に対して「バーカバーカ」って言う態度を取って果てしない宗教戦争になるのは本当に良くないです。

一方で、同性婚をアジアではじめて認めた台湾では、そういう「騒乱」はあまり起きていないように見えます。

でもね、その渦中にあった、例えばオードリー・タンのような人物は、「果てしなく反対派を糾弾しまくるアメリカ型リベラルの振る舞い」とはかなり違う精神性や態度を持っている感じなんですよね。



1●台湾のオードリー・タンがいかに「古い社会の伝統」に配慮しているか

最近、機会があってオードリー・タンの評伝を読んだんですが、この台湾のいわゆる「天才IT担当大臣」の「聖人」っぷりには物凄く感銘を受けました。

(日本とは個人情報に関する感覚が違いすぎるので単純な比較はフェアではないにしろ)コロナ対策でも世界最高レベルの結果を出していますし、市民ハッカーが技術を持ち寄ってマスクの在庫分布を検索できるアプリをあっという間に実装した話など、本邦のコロナ対策アプリ「COCOA」をめぐる混乱っぷりと比較して台湾がいかに「先進的か」を羨望する声もよく聞くようになりました。

そういう変化を先導する「トランスジェンダーの若干39歳(就任当時35歳)の天才IT担当大臣」・・・と聞くと物凄く尖ったアナーキーな人物かと思いきや、評伝を実際に読んでみるとむしろ「アジア的大人物」風の聖人のような人格に圧倒される気持ちになります。

彼の発言を見ていると、自分の発言や、新しいITの仕組みや、LGBT系の課題を始めとする「新しい考え方」を社会に導入していくにあたって、

「社会の古い伝統を攻撃している」と感じられないようにするために物凄く気を使っている

ことがわかります。

”彼女”のコメントを引用すると・・・

私の人生にあった、社会の期待と一致しないところは、社会が悪いのでも、私が悪いのでもないとわかっている。

私自身の経験を分かち合うことで、この社会は本来非常に多種多様な要素で構成されているために、自然と多様な価値観が生まれること、世の中と進歩と称するもののために、その他の価値観が犠牲にされてはならないことを、皆が知ることができる。


「誰かを糾弾することが自己目的化」しているようなタイプのある種のリベラル派の人間とは、もう人としての「格」が違う感じがします。

結果として、台湾ではLGBT系の政策や社会内部におけるIT活用などにおいて色々と「先進的」な試みが行われていますが、欧米社会で起きているような「分断」は今のところそこまで深刻にはなっていないように見える。

それはオードリー・タンだけの成果ではないと思いますが、こういう「”古い社会”への敬意を失わない振る舞い」を常に「変革を起こす側」が示し続けているので、「どちらの派閥の人たちの気持ち」も同じ場所につなぎとめることができているわけですね。

2●「古い社会」が積み上げたものに「敬意」を表し、そして「許す」ことが必要

とはいえ、オードリー・タンみたいな人が育つなんて、台湾って凄く寛容な社会なんだな・・・と思ったら全然違うんですよね。

むしろ、評伝を読んでいると子供の頃「勉強ができすぎてイジメられて」いたあたりとか、考え方が同時代の日本と比べても相当古い感じの父親と喧嘩しているシーンとか、読んでいて胸が痛くなる事が多かったです。

その後一時期ドイツで暮らすことになるんですが、そのままドイツで進学して、「台湾とかアジアって遅れてるよね〜」とか言う人間になっても良かったんですが、そうしないでわざわざ帰国して、「台湾の伝統」と「自分」というのをちゃんと対等に見て新しい着地点を模索し続けてきたからこその今がある・・・という感じだった。

要するに本当に社会を変えたいなら、「現時点での社会の伝統」に対する「敬意」と、ある種の「許し」みたいな態度が鍵なんだ・・・ってことでしょうか。

ハッカーらしくアイザック・アシモフとかのSFにも熱中したけど、逆に東洋の古典にもハマって乱読していたという話が、彼の「欧米型のハッカーカルチャー」のアナーキーさとは一味違った「古い社会との調和」をもたらしているように思いました。

3●伝統への敬意の上に新しい発想を調和させる

で、台湾の例のように、

「新しい考え方を導入したいなら、”その社会の伝統”への敬意を徹底的に示すことで、”古い社会との調和”を実現していくことが重要だ」

とするなら、昨今の日本における夫婦別姓議論や同性婚の議論をどうしていけばいいのでしょうか?

大事なのは「保守派が嫌がることをしない」という発想だと私は考えています。

今の日本における「夫婦別姓議論」や「同性婚」議論は、むしろ「制度を通すことよりも、あの保守派の奴らが嫌がることをやったらスカッとするじゃん」が優先されているんじゃないかと私は感じています。

自分たちの理想を捨てずに、「保守派が一番嫌がること」は避ける。そのためには「保守派が大事にしたい」ことの背後にはどういう「意味」があるのか・・・ということも敬意を持って理解しないといけません。

台湾の場合、「婚姻」という中国語は「婚」と「姻」で意味が違うそうで、「婚」が「パーソナルな二人の個人の繋がり」的なものであり、「姻」が「二つの一族が結びつくこと」といった意味を持つそうです。

だから「同性婚」を法制化するにあたって、

「婚ではあるが姻ではない(結婚不結姻)」形式を作る事によって、”一族”的なものに関する中国の文化的伝統との対立を避ける

工夫が行われることになった。

アムネスティの記事によると、最初は民法における異性婚の規定に同性の場合も入れるようにしたが反対が大きく否決されたために、別立てで「同性婚」専用の法律と制度を作ることで決着したそうです。

このアムネスティの記事↑を読むと、ともすれば「わけがわからない未開人の反対派がいたために制度が別立てに変更された」みたいな論調に見えてしまうんですが、その背後には、

「そもそも”婚”とは?”姻”とは?的な中国的伝統を否定せずにその器の上で議論する姿勢があった」

という「保守派への敬意と調和」の発想があることが、今の日本が学ぶべき点であると私は考えています。

4●今回の北海道地裁の判決文はなかなか感動的だったと思う。

そういう風に考えた上で、今回の北海道地裁の判決文を読むと、なんかなかなかの「名文」に見えてきます。私はなんだか心がジーンとしました。

以下のように社会の伝統に敬意を表しておいた上で・・・

婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものであること,同性婚に否定的な意見や価値観を持つ国民が少なからずいることを,立法府が有する広範な立法裁量の中で考慮し,本件規定を同性間にも適用するには至らないのであれば,そのことが直ちに合理的根拠を欠くものと解することはできない。

返す刀で以下のようにちゃんと「理想」の部分はしっかりと斬りきっておく。

圧倒的多数派である異性愛者の理解又は許容がなければ,同性愛者のカップルは,重要な法的利益である婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の一部であってもこれを受け得ないとするのは,同性愛者の保護が,異性愛者と比してあまりにも欠けるといわざるを得ない。

法律論の細部はプロではないので立ち入りませんが、全体としてこの判決文は、台湾であったように「戸籍制度とかいった保守派にとってセンシティブな話題」から分離した別立ての「法的な保護」を行うことを求めているように私には読めました。

これだけの「配慮」が判決文にはあるのに、これをネタに「保守派をバカにする」SNS投稿をしまくることが、本当にこの問題の解決にとって良いことなのか、「リベラル派」の専門家は一度考えてみてほしいと思っています。

天皇制だとか戸籍制度だとか、そういうモノに対する「大事さ」って人によって全然違いますよね。

ある人にとっては物凄く人生の根幹を成すものであり、ある人にとっては単なる紙切れ的なものだったりする。

そこに「優劣」をつけはじめると果てしなく論争が続くわけですけど、「同性愛者の具体的な困りごとの解消」という視点に徹底的に集中すれば、それに反対するのはよほどの保守派の人でも多くないはずです。

逆に言えば、「保守派にとって大事なこと」を徹底的に否定して「敵」をひざまづかせたい・・・という欲求に引っ張られるほど、当事者の「具体的な法的保護」は遠のいていくことになるでしょう。

5●ここまでの議論がムカつく原理主義者の人へ

ここまでの議論って、ムカつく人はムカつくと思うんですよね。

私は若い頃結構「過激派」で、中学校の弁論大会で、

「夢を持って頑張ることが大事だと思いまぁす!」

って言ってる隣のクラスの代表の横で、

「いかに学校制度というものがその社会に役に立つように生徒の個性を鋳型にはめることを目的に作られた監獄であるか」

・・・みたいなことを熱弁していた人間だったので、そういう人の気持ちはとてもわかります。

しかし、その後高校では「全国大会にいつも行くような強豪の部活動」の中心人物になって、3年になって自分が権力を握ったら「こんなバカな制度は全部廃止してやる!」と思って色々とバカバカしく(見える)制度や風習を廃止しまくったら、その後その強豪の部活動が見る影もなく衰退してしまった・・・っていうことがあったんですよね。

いかに「バカバカしいように見える風習」が、「単なる個人主義だけでは繋がれない違う立場の人間への想像力」を生み出すか・・・っていうのを痛感したんですよ。

その後、大学を出てから外資系のコンサルティング会社に入ったんですけど、「こういうモード」だけで社会が運用されていたら全然相互理解不能な二つの世界が分断されていって大変な事になっちゃうな・・・と思って(結果アメリカじゃあ明らかにそうなったですよね)、その後色んな「現場」レベルのしごとを渡り歩いたりしつつ今は中小企業相手のコンサルティングをして暮らしています。

その「社会の現場レベル」で実際に生きてみる・・・みたいな話で肉体労働をしたり、たまたま声かけられたカルト宗教団体に潜入して色んな人の話を聞いたり・・・していて本当に痛感したことが、アメリカだとほとんど「相互理解が不可能」になってしまっているような「二つの世界」が、一応まだ日本では繋がっていることの意味や、台湾では色々と「先進的」な政策が実現してもアメリカのような分断には陥っていないことを考えると、いかに「その社会の伝統」的なものが、生きている生身の数千万人とか一億人とかが無意味に対立してしまわないような潤滑剤となっているか・・・ってことなんですよ。

実際、アメリカのように社会が二分されたら「トランプ派」の人は日常生活において「意識高い系が言ってることのあえて逆をやってやる!」ってなりますし、地球全体で見たら「欧米的理想」に反発を持った中国フォロワーの国が増えれば増えるほど、「欧米的理想とは逆の環境」で生きる人の数が増えるわけですよね。

「敵陣営を論破する」ことではなくて、「できるだけ多くの人が日常レベルで理不尽な思いをしないで済む方法」を考えるべき

で、そのためには、特に非欧米社会においてその社会の伝統や自律性を、「欧米的理想」と徹底的に「対等」なものとして扱っていくことの重要性が、今後米中冷戦時代には非常に重要なこととなっていくでしょう。

今の欧米社会の流行は「白と黒」の政治闘争なので、「とりあえずの現段階の社会運営における知恵」みたいなものまで一緒くたに「黒」側の政治活動家が否定するので、着地点がまとまらずに徹底的な分断が生まれるわけです。

しかしそれは、人類の歴史における「白人と黒人」という「完全な上下関係」が生まれてしまった部分しか見てないからそうなるわけで、つまりアメリカ人がそういう「絶対善vs絶対悪」的な世界観で生きられているのは、アメリカ合衆国がネイティブアメリカンをほとんど「抹殺」した更地の上に建てたという犠牲があってこそ可能になっているわけです。

しかし、「東アジア」諸国の現在の成り立ちは、アメリカのように「ネイティブアメリカンを抹殺した更地の上」にできているわけではないですよね?

ある程度欧米社会と「対等」な関係性を維持した「白vs黄色(東アジア)」の政治闘争の時代には、台湾のオードリー・タンがその自国社会の古い伝統への敬意をベースに動かすことで対立を止揚したような事が重要になってくるでしょう。

その時、「欧米的理想」は歴史的にはじめて「高貴な自分たちが上から目線で救ってやるべきかわいそうな存在」ではない「対等な他者」を発見することになる。

21世紀の人類社会では「フランス革命」の理想に興奮する層の思いも、その興奮の暴走でギロチンでクビを斬られまくった層の思いも、熱狂的な軍隊に攻め込まれまくってヒドイめにあった国の人の思いも、

全部

取り入れられないと安定できるはずがないんですよ。

「アンシャンレジーム(古い社会制度)」が「絶対悪」で、「俺たち」が「絶対善」みたいな発想は20世紀までで終わりにするべきです。

日本はこの来たるべき「白vs黄色」の政治闘争において、重要な役割を担える歴史的経緯が明らかにあるはずですよね。

私が7年前ぐらいから著書で使っているこの図のように、


ありとあらゆる抽象的な「原理主義的対立」を徹底的に丸め込んで「具体的な生活レベルのこと」に転換して止揚することに集中することが、これからの我々の進むべき道だと私は考えています。

「美しい花」がある。「花の美しさ」というようなものはない。by小林秀雄

6●「日本維新の会案」はなかなかいいと思った。

先日、私が連載を担当しているFINDERSというウェブメディアの編集長が出演するというので、どんな人なのか知りたくてアベマプライムというネット番組を見たんですが、そしたらたまたま夫婦別姓制度がテーマでした。

その中で、日本維新の会の梅村みずほ議員が、夫婦別姓議論において、

「保守派にとってセンシティブな戸籍制度はそのままにして、通名を選んだ人が法律的・実務的に不利益が起きない細かい制度変更をしていく」

のが維新の方針なのだ・・・と説明されていて、私はかなり賛成でした。(正直言ってこんなに配慮の行き届いた発想が”日本維新の会”から出るということ自体が失礼ですが意外な気持ちになりました 笑)

クレジットカードや特許の名義・・・みたいな具体的なレベルで、「困りごと」が無いようにすることは責任を持ってちゃんとやります・・・という方向で徹底する方向で具体的な話をしていけば、改革派の「まだこんな困りごとがあるぞ」を次々と改革していく動きも生まれるでしょう。

大上段の宗教戦争で果てしなくモメ続けるよりもずっといい。

改姓にともなう色んな手続きがワンタッチで終わるような仕組みづくり・・・なども実現してほしい。

そもそも多くの「改革派」が言う、

諸外国では認められているのに

当事者以外には一切関係ない話じゃないか

みたいなのは、「保守派」から言うと全然反論になっていないというか、むしろ「だからこそダメな理由」みたいなものなんですよね。

外国がどうあれここは日本だし日本の伝統がある。それがたとえ明治期以降のものだとしても、それを守り通してきた先人への敬意というものがある。

個人的な生き様はもちろん「個人の自由」だが、こと「婚姻」のような問題に関しては「当事者以外には関係ない」という態度自体が国の伝統への侮辱である。

↑こういう風に考える人を改革派が「説得」するとかほぼ不可能だと思いますし、それを「引きちぎって」改革したアメリカ社会が回復不能の分断を抱え込んでしまったことと、「古い社会への敬意」をベースに動かした台湾が非常に安定していることを比較すると、我々が選ぶべき道がどちらかは明らかだと思います。

せっかく「名文」な地裁判決文が出ているんですし、同性婚でも夫婦別姓でも、

・「保守派」「伝統を大事にしたい人」を罵倒するのをやめ、「考え方は違うが対等な存在」として扱う。

・粛々と、「別立ての制度」を通して、当事者の「具体的な困りごと」は解消する。

こういう方向に誘導していけば、これがそのまま

「白vs黒」の「どっちかが絶対善でどっちかが絶対悪の政治闘争」

から、

「白vs黄色」の「どちらの理想も対等に扱いながら具体的細部の困りごとを解決する」

への転換点となって、これがお互い非妥協的に攻撃し合うだけで社会の分断がヒドイことになっている欧米社会に対しても、希望となる「新しい考え方」となっていくでしょう。

私はこういう発想を「メタ正義感覚」と呼んでいますが、その観点から、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。


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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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