Netflix版「新聞記者」は不誠実な「左翼の内輪ウケ映画」でしかない事が「モリカケの実態」を知ればわかる。

東京新聞の望月衣塑子記者をモデルにした映画を動画配信サービスNetflixがリメイクした連続ドラマ、『新聞記者』が好評を得ているようです。公開後、Netflixの視聴ランキングでもずっとだいたい1位から3位程度に食い込んでいるのを見かけます。

一方でこのドラマに対していわゆる「文春砲」が一昨日炸裂し、制作にあたってのプロデューサー氏や望月氏の姿勢に疑問が呈されているようです。

あっさりした記述で終わっているウェブ記事版でなく文春本誌を読むと、自殺した官僚赤木氏の遺族から、「これでは森友学園の塚本幼稚園とやっていることが同じではないか」と怒りを感じたと告発されており、読んでいてちょっと胸が痛くなる感じではありました。

ただ、こういう事実と近いドキュメンタリー風の映画やドラマを撮る時に、実際の関係者との関係がこじれてしまうことは良くあることで、(文春記事細部の「ちょっとそれは遺族からすれば・・・」という点はともかく)、「決裂してしまうこと」自体はどうしようもないことであると考えざるを得ない時もあるかと私個人は思います。

重要なのは「決裂してしまっても、それでも世に問う価値がこのプロジェクトにはあるのだ」と製作者陣が本当に胸を張れるものになっているのか、という点ではないかと。

一時はわかってもらえないかもしれないし、傷つけてしまう事もあるかもしれないが、それでも今これをつくる社会的な意義があるし、それは長期的にはちゃんとわかってもらえるはずだという意志を持って作品を作る・・・というのなら、それはそれで否定できないと思う。

しかし!です。

ここ以降に載せる記事は、「文春砲」が出る前にファインダーズというウェブメディアに出した記事なのですが、その「文春砲の内容」的なものを抜きにしても、本当にこのドラマは「誠実さ」があるものになっているのかどうか、私としては疑問を感じているという内容です。

遺族と決裂してしまったことだけで「絶対悪」とは言いたくないが、

本当にこのドラマは「この問題を解決しよう」という誠実さによって作られているのか?それとも単に「自分たちの正義」に引きこもる「センセーショナリズムという現代社会の”もうひとつの権力”の横暴」にすぎないものなのか?

そこのところについて、製作者やこのドラマの熱心な支持者の方は一度考えてみられるといいと思います。

以下の記事は、「文春砲」が出てからまた反響が盛り返していて、「文春記事を読んでどんよりしていた気持ちがこの記事で晴れました」という「ドラマの支持者」らしい方のコメントも寄せられています。

この記事の内容に賛同されるにしろ、されないにしろ、一度考えてみていただけると幸いです。

この映画とドラマの元となっている「モリカケ」事件の詳細に踏み込む内容となっており、少し長いですので、お時間のない方はこちらから「連続ツイート」になったダイジェスト版をお読みいただくのも良いかと思います。(ただダイジェストはダイジェストでしかないので、できればこの記事を最後までお読みいただければ嬉しいです)

また、この記事で批判したような「自己目的化した反権力」を辞めるとしたらどうすればいいのか?という質問も多く寄せられています。それについては私は他の記事著書などで発信しておりますので、とりあえず一連の更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。

では以下、「モリカケ」の詳細を深堀りすれば、Netflix版「新聞記者」も不誠実な「内輪ウケ」ドラマでしかないことがわかる・・・という記事をお読みください。

私も公開初日に全部見たのですが、その感想はというと、(確かに俳優さんと監督さんの力量がすごくあって引き込まれる部分もなくはなかったものの)話全体の作りとしてはこの記事のタイトルにあるように、

これじゃ「左翼さんの内輪ウケ」映画にしかなってないんだよな

…という残念な思いでした。

「映画版」にあった噴飯ものの陰謀論描写(「エリート官僚が暗闇の部屋からツイッターに書き込みをして左翼を攻撃している」「獣医学部設立の目的は生物兵器だけどその隠蔽のために正義漢の官僚が自殺した」など)はカットされていたものの、全体として「モリカケ問題」を扱う上でのある非常に不誠実な姿勢がそのままに話全体を組み上げているので、結局「内輪ウケ」映画にしかなっていない。

別に「右翼さんの内輪ウケ映画」があってもいいように、「左翼さんの内輪ウケ映画」があってもいいじゃないか…というのはまさにその通りではあります。

しかし、現実世界における「日本の左派」がちゃんと役割を果たして失われつつある影響力を取り戻すには、こんな「内輪ウケ」映画を持ち上げている場合じゃないのではないか?

たとえば百田尚樹氏の『日本国紀』を嘲笑しておきながら、自分たちはコレでは示しがつかないのではないか?

…と思っている「立場としては左」の人も実際には結構いるように思います。

何が一番不健全かというと、下敷きになっているいわゆる「モリカケ問題」の真相がどの程度のことであったのかを普通の日本人はほとんど知らない現状で、「いかにも実在の人物を想定しています」という筋書きでああいうドラマを作ったら、

「なんだかわからないけど、ものすごく悪どいことを当時の安倍政権がやって、その結果自殺した官僚さんがいるのにこの国は知らんフリをしているんだろう」

…という「神話」を皆信じ込んでしまうところです。

しかし、当時の安倍政権の関与が「何も知らずに映画を見た印象」とかなり違うかもしれないということが否定できないことを、事件の全貌を真剣にフォローしていた人の間では、たとえ「左派」で「安倍政権を批判している」人であっても共通認識としてあるはずなんですよ。

これは安倍政権の支持者である「右」の人でも同じで、

「左のヤツらがここまで騒ぐんだから“何か”はあったのかもしれないが、それでも国会を延々空転させるほどのことじゃない。物事には優先順位というものがあるのだ!」

…というようにボンヤリと思っている人が多いのですが、しかし実際にはその「何か」の部分ですらかなり怪しいのだということが“右の人”もわからなくなっているぐらい不健全な状況なんですね。

今回の記事では、

・実際の「モリカケ」問題の細部が結局どうだったと考えられているのかを整理しながら映画とドラマの内容を見直してみる

ことで、

・この映画とドラマのどこが「不誠実な内輪ウケ映画」になってしまっているのか、本来“左翼界隈”が現実の日本社会において“信頼”を取り戻して影響力を回復するためにはどう向き合うべきなのか

について考察する記事です。

この記事のタイトルを見て脊髄反射的に怒りを感じ、「こいつも安倍の犬なのか!」というようなコメントを投げたくなっているタイプの人にこそ、一度冷静になって読んでほしいと思っています。

1:まずは映画版について振り返る

そもそも読者のあなたは元の映画版 『新聞記者』をご存知ですか?この映画ほど人によって評価が分かれる作品も珍しいですよね。

「安倍政権を批判する」タイプの人の間では

「よくぞこんな映画を作ってくれた!邦画は死んでなかった!」

…と大変好評で、2020年に「第43回日本アカデミー賞」で最優秀作品賞および主演男優・主演女優・監督・脚本・編集の賞をいわゆる「総ナメ」状態で取った作品でした。

一方で、安倍政権に批判的だった「左」の人であっても、

「こんなムチャクチャな陰謀論映画を内輪で盛り上がっているから日本で左翼はバカにされるんじゃないかと思って席を立って帰ろうかと思いました」

みたいなことを言っている人も実は結構います。勿論、安倍政権を支持していた保守派の中では、徹底的にこき下ろされていた(あるいは全然興味を持たれていなかった)ことは言うまでもありません。

映画版が批判されている理由は、「陰謀論的展開にリアリティがない」という点が最大のものだと思います。

この記事の冒頭に書いたように、

・内閣官房の「内閣情報調査室(内調)」と呼ばれる機関では日夜エリート官僚が薄暗い部屋にこもってツイッターで左翼を攻撃する書き込みを続けているのだ

・「新しい獣医学部設立」の目的は実は生物兵器研究なんだけど、それを政権は隠蔽しようとした結果、硬骨漢の官僚が巻き込まれて自殺することになったのだ

…みたいな話は、実際の状況をある程度知っている人から見ると「ひょっとしてギャグで言っているのか?」という設定であって、これをなまじ実力派の俳優と映画監督が上質の映像に仕上げてしまっているがゆえに、このストーリー自体の「ギャグなのか?」感が余計にチグハグな滑稽さを醸し出してしまっている。

獣医学部の話は「モリカケ」の「カケ」の方=加計学園問題を下敷きにしているのですが、そもそも

・日本の獣医師不足は事実としてある(正確に言うと“獣医師の数”自体でなく“地方で公務員獣医になってくれる人数”が少なすぎて問題になっている)

・特に四国地方では獣医学部がない一方、畜産規模はそこそこ大きいので需要と供給のギャップの問題が大きい

…というのは「現実に起きていること」なんですよ。このままでは、今後も予想される家畜のパンデミックが起きれば、日本中どこでも業務がパンクするだろうという懸念が持たれている。

そういう「切実な社会のニーズ」が何もないところから単に「安倍のお友達」だからポッと獣医学部の認可が降りたという話だけでは終わらない。

そして勿論そこで、

・獣医学部の新設でなく、公務員獣医の待遇改善によって、現状市中の動物病院などに吸収されてしまっている獣医師をもっと公務員獣医になってもらう制度設計を考えるべき

・四国に獣医学部を作るにしても、すでに医学部などの研究蓄積がある大学と連携して作るべき

という「対案の議論」をやるならよくわかる。そういう話をしている左派の人も一部にはいるでしょう。

左派系野党も左派メディアも、もっと真剣にそういう議論を徹底的に取り上げていき、必要な財源はどの程度なのか、実行上の懸念事項はどういうものがあるのか等の​掘り下げを進めていけば、マジメに取り上げるべき「代替案」に育っていくでしょう。ただしこの国際政治学者六辻彰二氏がYahoo!ニュース個人で執筆した分析では、国際比較で最も日本で問題なのは“ペットを診る獣医になる人が多すぎる”ことよりも“地方と都会の獣医師数格差”の課題の方が大きいらしく、私見としては加計学園がやるかは別にして四国地方に何らかの獣医学部ができるのはかなり否定し難い合理性を持っているように思われます。

しかしそういう課題分析や制度設計の具体案作りにほとんど力を使わずに、

「獣医学部を作ろうとしているのは、生物兵器を研究したいからだろう!」

…みたいな筋書きの映画を、ものすごくハイクオリティな映像で作っておいて、

「この映画を批判するヤツは全員安倍の犬。マトモな政府批判がなくなってしまったこの国に最後に残された光こそがこの映画なのだ!」

…という感じで盛り上がられると、「理性的な左派」の一部にも「ちょっと待ってくれよ」という気持ちになる人が出てくるのもわかるはず。

なにより「そういう映画」が、日本アカデミー賞を「総ナメ」にするほど内輪でスター化されて、ちょっとでも批判しようものなら「お前も政権の犬なのか!」って言われるような状況が健全だとはとても思えません。

さっきも書きましたけど、たとえば「百田尚樹氏の日本国紀」を嘲笑しておいて、自分たちがやってるのはコレってどうなんだ!?というのは、良識的な左派の人ならちゃんと問題だとわかっているはずです。

2:Netflixドラマ版はどう変わったのか?

さて、ではリメイクされた「Netflixドラマ版」はどう変わったのでしょうか。

まず、「映画版」への批判が意識されたのか、「生物兵器陰謀論」はなくなりました。

そして、内調エリート官僚が暗闇の部屋で暗躍している描写は残っているものの、そこでやっているのは「ツイッターに書き込みをして左派を攻撃している」よりはリアリティがあるかもしれない?「興信所なども利用して左派論敵やマスコミ幹部のプライベートの弱みを握ってファイル化し、いざという時にリークするという話」になっている(その方がリアリティがあるとか言われると実際の中央官僚の人は怒るかもしれませんが、まあフィクションなので、映画版よりはいくぶんマシかとは思います)。

そしてストーリー全体が、「モリカケ」の「モリ」=森友学園問題をメインにしたストーリーになっている(正確に言うと細かいエピソードを“合体”させて一つの話になっている)。

「モリ」問題をざっくりとまとめると、

・森友学園が新しい学校を建てる時に、設置基準が緩和されたうえに近年前例のない好条件で開校が認められ、また異様に安い値段で国有地を払い下げられたのは「安倍のお友達」だからではないかという疑惑

・その件に対して当時の安倍首相が、「私や妻の関与があったら総理も政治家も辞める」と発言してしまったために、官僚組織が「忖度」をして公文書の改ざんを行い、それを苦にした近畿財務局の赤木俊夫氏が自殺してしまった問題

の2点ですね。

「モリ・カケ」を比較すると、「そもそも公務員獣医の少なさが問題で」というような現実的な課題と向き合う必要がなく、直球に「安倍のお友達だから国有地を格安で買えた」というサスペンスドラマにありそうな汚職事件として扱える「モリ」の方が適当だと考えられたのかもしれません。

しかし、この問題の扱われ方の非常に不誠実な部分はここにあります。

この問題はあまりに紛糾したために、実際に安倍氏の指示で格安で売却されたし、公文書の改ざんが行われたのだとボンヤリと多くの人が思ってしまっている問題があります。先述したように、「安倍支持者の右翼」の人ですら、ボンヤリと「確かに“何か”はあったのかもしれないが、国会を空転させるほどの問題ではない」というように考えている傾向があるでしょう。

しかしこれは実態を細かく追っている人ならば、ある程度「左派的・安倍政権に批判的」な人でも共通認識として「実態はドラマと違ってかなり複雑」とわかっているはずです。

3:森友学園問題の「実際」はどの程度のことなのか?

知人に元雑誌社でこの事件を詳細に取材していた人がいるのですが、これだけ騒がれているのだからやはり何らかの安倍氏の大きな関与があったんじゃないかと漠然と思っていた私が何気なく意見を聞くと、「全然違うんですよ」という話が帰ってきて私もびっくりしたんですよね。

その人の発言は非常に「現場で取材してきた人の感じが伝わってくる」ものがあるので形を整えて引用しますが…(以下引用)

総理の妻との写真を出してから「値段が元の10分の1」になるまでにどれだけの紆余曲折があったかは、財務省が2018年に公開した決済記録(改ざん前)と交渉記録(ただし抜けがある)を見るだけでも明らかです。本当に「お友達」だからというだけで安く買えるならあんなゴタゴタを2年も3年もやらないで済むはずです(「お友達だから値下げ」なのだとしたら、それを隠蔽するためのゴタゴタ小芝居に官僚から関連建設会社、弁護士まで登場人物全員が何人も付き合って、しかも気づかないふりをして「大幅値下げ」に持ち込む、なんてことは不可能)。
結局格安で買えた理由の一番の問題は、国有地内から廃棄物が見つかって、それを理由に森友側がゴネたからだという説明が最も説得力があります。
森友側が虚偽の「ゴミ見つかりましたレポート」を出したのではという解説もあったのですが、「買う側」が「ゴミがあったぞ」と虚偽のはったりをかけて安くしてもらうってことができるのかという話で。弁当屋から買ってきた弁当に髪の毛を入れてクレームつけるのとはわけが違うので、「買う側」がそんな細工をすることはできないだろうと思うんですよね。
もし仮にゴミの有無を確認しないで安くしたらそれは近畿財務局と、もともと土地を管理していた大阪航空局の責任ですよね。ですが確認しないはずもないと思うのでこれも普通に考えたら変です。ただ「開校できなくて裁判を起こされたら困る」からと言っても値段を引きすぎたので後に両者は会計監査院から注意されています。(引用終わり)

この話題については多少調べようとしても「党派的に結論ありき(全部アベが悪いと決めつけるか、逆に一切やましいことはなかったと突っぱねるか)」な論者の言説が大量に出てきてしまうので、結局のところ「どの程度のこと」であったのかが非常にわかりづらくなっています。

そのあたり、ネットで公開されているコンパクトな、かつできる限り中立的に「わかったこと、わかっていないこと」を冷静に整理してくれているものとしては、毎日新聞が2018年に、その時点で国会に提出されたか、あるいは関係者から流出した資料A4判5000ページを超える文書、交渉の録音データなどを整理した全6回の連載「検証・森友文書」が非常に参考になりました(有料会員限定記事ですが1カ月無料キャンペーンなどもやっているようなので、契約されていない方もご興味があれば)。

連載を通読して印象的なのは、まず森友学園の籠池夫妻の、「徹底的にゴネるパワー」がものすごいということです。

とにかく自分が持つ「保守派」的な思想に共鳴してくれそうな大阪維新や自民の政治家に陳情しまくって、自分の小学校開設がうまく行くように口利きをしてもらう熱意と行動力と執念がすごい。

そして相手の弱みを掴んだと思ったらそこを徹底的に突いて押し込んでいく強引さもすごい。第2回記事にある、「実際にゴミがあるんだろう。これは刑事事件だぞ」と声を荒げて近畿財務局の職員を脅す様子などは読んでいて光景が目に浮かぶようです。

また、第3回記事では、自民党の議員ですら「執拗に毎日電話してくる」籠池夫妻に困惑している様子が描かれています。

「籠池理事長に会うのなら、柳本議員から局長に連絡があった旨伝えてほしい。こういう商売をしているので、持ち込まれた話は聞かなければならないが、(理事長から)毎日のように電話を受けて困惑している」--。秘書から飛び出した「こういう商売」という言葉からは、政治家がいかに日常的に陳情を受け入れているかが分かる。秘書にとって、支持者らからの無理難題を聞くことも業務の一環なのだろう。

同じ記事にはこうも書かれています。

財務省が公表した交渉記録からは、少なくとも国有地の貸付賃料や、その後の売買での約8億円の値引きについて、政治家側の照会が直接影響した記述は見られない。ただ、近畿財務局の担当者が度重なる問い合わせに手を焼いていたことは間違いない。

ここまで読むだけでも、

・「学校設置の規制緩和は善」という時代の流れを捉えて大阪維新の政治家にも掛け合いつつ基準を緩和させる
・使えると思ったカードを全部使って小学校設置認可交渉、国有地賃貸交渉および値下げ交渉をゴリ押しする
・敷地に廃棄物が埋まっていることを事前に十分には説明されていなかったことを理由に強引な値下げを持ちかける

…というように、籠池夫妻という尋常ならざるゴネるパワーを持つ存在があの手この手を使って「開くはずのないドア」を次々と強引に突破していく様子が鮮明に浮かび上がります。

そしてその「最後のひと押し」的な交渉カードの一つとして、安倍昭恵氏が学校を訪問した時の写真を出して“総理のご意向(実際に交友関係があるのは昭恵氏だけではあるものの)”をちらつかせる的なこともした…という状況であることがわかる。

もちろん結果として、例えば現在の保守派政権のもとで、逆に非常に左派的な学校を作る時にこういう便宜が図られただろうか?と考えてみるとそれは難しかっただろうという事は言えると思います。

しかし、Netflix版にあるように、

・「総理のお友達だから格安で売却されて当然だった」
・「総理側からトップダウンで指示が出て強引に価格を下げさせた」

…という、「籠池よ、そちも悪よのぉ」「いえいえ、アベさまほどでも」的な江戸時代の時代劇のような話ではないことが十分伝わってくるのではないでしょうか。

問題は「安倍総理または昭恵氏関与がゼロなのか?」と言われると恐らくゼロではないことです。特に昭恵氏は籠池夫妻の「ゴネるパワー」のカードの1つとして利用され財務省・近畿財務局に効いてしまった可能性が否定できていませんし、改ざんに関しても官邸の関与があったのではという疑惑が元参議院議員の辰巳孝太郎氏のnoteで記されています

しかし「アベがすべての元凶であり黒幕である」という見方もかなり無理があります。

そして、お互いに「完璧」を求めて殴り合っていると、真相解明も前向きな改善の考案も全然進まないという「昨今の日本あるある」に陥っていることが見えてくるでしょう。

安倍首相・昭恵氏の件を抜きに考えれば、「政治家の関与は一切なかったと言えるのか」という詰め寄り方をされると、そりゃ籠池夫妻から毎日のように電話をされたいろいろな政治家の秘書から「この件お願いしますよ」という連絡が入っている記録はいくらでも出てくるわけです。

しかしこういうのはあまりに「普通によくあること」であって、近畿財務局の担当者は「政治家からの照会への返答マニュアル」すら作っていたといいます。

そして、そもそも政治家が「陳情を受けて便宜を図る」事自体が絶対悪なのか?という大問題がある。例えば左派が、何らかの「ジェンダーやエコやその他」といった課題についての公的な催しを行いたいとなってそこに公金の支出を働きかける構図と何が違うのか?

「どの程度のことなのか」を冷静に党派性を離れて検証する姿勢がないと、「ほら、秘書から連絡が来ているじゃないか!」=「完全な関与の証拠」みたいなトーンで攻撃し、マスコミに流して大騒ぎになってしまうような「真実追求よりもセンセーショナリズム優先」の嵐の中では、組織的隠蔽だって当然起きるだろうという感じがします。

また、そうやってお互いに「完璧」を求めて殴り合いをする結果として起きた「改ざん」の方の課題についても、安倍政権が「指示」をして改ざんさせたのではなく、というよりも、むしろ官僚の「忖度」「組織防衛の論理」的なもので勝手にやったことである可能性がまだ否定できないというのも、ある程度「共通認識」となっているようです。


4:「小悪の連鎖」こそが問題なのだという発想の転換が必要

どうですか?

なんだか、何も知らずに映画&ドラマ版の「新聞記者」を見た印象と全然違うと思いませんか?

そういう「グレーゾーン」的な議論をすっ飛ばして、「日本というのはアベという巨悪がすべてを仕切ってお友達だけが美味しい思いをしている国なのだ」という戯画的に単純化した構図にしてしまうNetflixドラマ『新聞記者』は、やはり「左翼の内輪ウケ映画」にしかなっていないのではないでしょうか。

国民のほとんどが実情を知らないところにつけ込んで、明らかに当時の首相(安倍氏)が直接指示をして「お友達だから」という理由で国有地を格安で払い下げさせたり公文書を改ざんさせたりした印象になる映画を作って、批判されると「お前は政権の犬だな!」とキレるというのがいかに不健全かがわかるはずです。

要は、「アベという巨悪」がすべての元凶で、あらゆる悪を背後で差配している…という世界観自体が「内輪ウケのネタ」でしかない</b>わけです。

実際にあるのはそういう「わかりやすい巨悪がすべて悪い」という状況ではない。

・時代の流れを捉えてとにかくゴネまくる籠池夫妻
・自分たちの小さな瑕疵を突かれてゴリ押しされると“事なかれ主義”的に解決しようとした近畿財務局と財務省
・自分が持っている影響力に無自覚で利用されるに任せてしまった安倍昭恵氏
・売り言葉に買い言葉で“関与が発覚したら総理も政治家も辞める”などと言ってしまった安倍首相
・政治家からの連絡が少しでもあればそれだけで“揺るがぬ関与の証拠”だとしてマスコミと一緒にフレームアップしようとした批判勢力
・組織の自己保身的本能から改ざんをしてしまった財務省

…という「どこにでもある小悪の玉突き連鎖」こそが結果として良識的な官僚の自殺という不幸につながってしまっている。

この「小悪の玉突き連鎖をどうすれば辞められるのか」について真剣に考える時、これは「アベが全部悪い」と全部「敵のせい」にして吹き上がっていれば解決できる問題ではないことがわかるはずです。

Netflix版のドラマは映像としてはちゃんと作られていて俳優陣も実力派だから、気弱そうな官僚さんが組織の論理で意に沿わない改ざんをさせられるシーンとか、たとえ筋金入りの“右”で安倍政権支持者の人だって気持ちを揺さぶられる映像も一部にはあったと思います。

だからこそ「なぜそんなことが起きてしまうのか」を「全部あいつらのせい」にしてないでちゃんと考えなくてはいけません。

左派が礼賛するタイプの韓国映画には「どうしようもない巨悪」が出てきます。学生を閉じ込めて拷問して殺してしまう公安警察とか、学生のデモ隊に発砲する軍隊とそれを隠蔽する政府とかね。

しかしそれは韓国は一世代前まで軍事独裁政権という「巨悪」が本当に存在していたからで、もうそんな存在は民主主義国家の中では左派のファンタジーの中にしかないんですよ。

一方でたとえば同時期にNetflixでも公開されたアメリカ映画『ドント・ルック・アップ』(レオナルド・ディカプリオ主演)などは、単に「自分たちの敵」であるいわゆる「トランプ派的な存在」を批判するだけの作りにはなっていません。

善悪左右関係なくあらゆることがネットミーム的に茶化されてしまう社会の現状をリアルに描いている上に、さらには「正義の告発者」側も「自分たちの正義」の純粋性に引きこもってしまって一般大衆に伝わらなくなってしまったり、突然アリアナ・グランデが出てきて歌を歌って「なんか良い感動イベント」に回収してしまうがために大事な課題はそのまま放置されてしまったりする現状が徹底的に皮肉られている。

「巨悪」を打倒してしまった民主主義社会で問題なのは、むしろ「どこにでもある小悪」がそれぞれの立場で「全部敵のせい」にして騒いでいる全体像自体に本当の問題はあるわけです。

韓国映画でも、国際的評価の高い『パラサイト 半地下の家族』などは明らかに「巨悪」世界観を超えた視座で作られているはずです。

「知的で正義な俺たちの純粋性」VS「巨悪のあいつらが全部悪い」という20世紀型の世界観は、容易にもう「中国的独裁の方がいいんじゃないか、民主主義なんてもう終わったんじゃないか」という結論に通じてしまう時代なんですよ。

だからこそ、「巨悪ファンタジー」を脱却して、「小悪の玉突き連鎖」こそが赤木さんを殺したのだという事実とちゃんと向き合う必要がある時代なのです。

どうすれば「バカバカしい袋小路の罵り合いに陥らないか」、「敵を攻撃する」ことよりも「議論の有意義さ」を両側から目指して動いていくしかこういう課題は解決できません。


5:「問題の大本」に遡って考えるべき

もちろん、さらに「問題の根本」に踏み込めば、官邸への権力集中が進むことで官僚が「政権の意向」を過剰に「忖度」するようになり、組織防衛の為に公文書改ざんなどに踏み込むほどになってしまっていたこと自体が問題なのだという言い方はできます(そこまでの権限の集中が日本国の機動的運営のために必要だというなら、安倍氏はそれに伴う責任としてもっと発言に気をつけるべきだったというのは全くその通りな批判だと言える)。

しかしさらに「根本」に踏み込むと、「なぜ官邸に権力を集中させる決断を日本国民はしたのか」という点と向き合わなくてはいけません。

それは1990年代ごろから、「決められない政治」は良くない、日本もアメリカのように二大政党が議論をして方向性を決めて、グダグダの漂流状態を脱して明確な指針を持って運営されるようにならねばならないのだ…という議論を右の人も左の人も参加してやってきた流れがあるわけです。最近よく批判される「小選挙区」制だってその意図で自分たちが民主主義的に決めて導入した制度なわけですよね。

そういう意図で、「権限を集中」した結果いろいろな問題が起きてしまった…というのが「モリカケ」の本質なわけです。

だからこそ、「官邸への権限集中」が問題だというのなら、議論が漂流して「決められない政治」に戻らないような方策について、「敵側が全部悪い」って言ってないでどちらの側も真剣に考える責任があるでしょう。

今のように「完璧な理想論だけを述べて具体的な積み上げをしない勢力」VS「多少の瑕疵はあっても強引に実現し、ついでにちょっとした利得を得る勢力」みたいな最悪の二択ではどうしようもない。

加計学園が選ばれた理由の中に「総理の友達」である要素が「一切」ないかといえば、数々の資料や証言からして言えないでしょう。

しかし、「実際の公務員獣医の不足問題」がある時に、親しい政治家の名前まで利用してアレコレの交渉を積み重ねて「実際にやると手を上げている人」がいる課題について、単にアイデア段階でしかない生煮えの理想論だけで、「公務員獣医の待遇改善や、別の医学部のある四国の大学に新規開設するべきだ」みたいな話をぶつけていてもしょうがない。

先日毎日新聞の記事で、昨年10月の選挙で落選した立憲民主党の辻元清美氏が、自分たちの反省として、以下の「三本柱」のバランスが取れていなかったことが敗因だと総括していました(下線部筆者)。

A・持続可能な社会・経済を実現するための具体的な政策を提示する
B・公平公正な政治を行うために政府を監視・チェックする。
C・そして現場に出向き、国民の共感と参画を得る。

「カケ」にしても、公務員獣医不足に対してちゃんと向き合って、Aのところで「カケ」案以上に良い解決策を自分たちの責任で練り上げることをちゃんとやっていれば、 Bのところで「カケ」が選ばれた経緯に問題があれば一発レッドカードで退場させられるし、その事にCの「国民の共感」も着いてくるわけですよ。

立民ともなれば年間68億円もの政党助成金をもらっているんですから、それこそ「お友達」のPR会社に大金を払ったりしてないで、こういう代替政策案作りにちゃんと資金を投じる余裕は本来あるはずです。左派メディアも「モリカケ」について報じる熱意の半分ぐらいで良いからそういう動きをバックアップしてあげてほしい。

日本の現状は、実際のニーズにかけ離れていても「こういうのがOK」とされた形をなぞるだけの試みに対して、日本中で少なくないお金が投じられ続ける不健全な状況は明らかにあります。

少子高齢化なのに私学助成金を貰う私立大学が増え続けるとか、空き家が大量に問題になっているのに節税目当てのアパートが乱立するとか、そういう「歪み」は確かに大量にある。

しかしこれは「アベという巨悪」がやってるんじゃなくて「小悪の玉突き連鎖」で止められなくなっているんですよ。「妄想の中の巨悪」を設定して「糾弾」すればいいんじゃなくて「実際の制度の細部の歪みをどう微調整すればいいのか」に手間とカネとエネルギーを徹底的に注ぎ込んで変えていくしかない。

今は「提案型野党になる」と言っても、出してくる「提案」が「今の日本の現状」とシッカリ向き合ったものではない、抽象思考先行のフワッとした理想論でしかないので支持者以外からは非常に「イタイ」感じになってしまっている。

本当に「自分たちの提案」に手間とカネとエネルギーをかけて作り上げて、その「成果」によって「自民党政権という現状追認型すぎるにしろ、それなりに国民から支持されているシステム」を「超える成果」を出してやるのだという気概が感じられない。

「加計学園」は一応は「地方の公務員獣医不足」という切実な現実の課題に向き合っているし、自分の責任で学校を運営しようと手を上げている存在ではある(その許認可を得るためにお友達関係を利用した疑惑はあるにせよ)。

それに対して、「生物兵器を作りたいんだろう!」みたいな映画で「対抗する」という精神がいかにも「内輪ウケ」にしかなっていないか、この記事のタイトルを見て「お前も安倍の犬か!」と脊髄反射的な怒りを覚えた読者の方にこそ、真剣に考えてほしいと思っています。

この記事で書いたような「誰かのせいにして騒ぐだけの議論」を、いかに「具体的な問題解決」に振り向けていけばいいのか?について、対立を乗り越えてここ10年で150万円平均給与を上げられたクライアントの事例などを紐解きながら、経営コンサルタント&思想家の観点からまとめた新著「日本人のための対話と議論の教科書(ワニブックスプラス新書)」が来月2月9日に発売されます。


また、当連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。

そして2月9日までは、関連記事として


と、


をお読みいただければと思います。

今回記事はここまでです。長い記事をお読みいただきありがとうございました。

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倉本圭造

経済思想家・経営コンサルタント
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