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ゆっくり、時間をかけて。

発売日から今日でだいたい一週間という感じなんですが、やっと気持ちが落ち着いて来ました。

アマゾンにもレビューがついたし、色んな場所経由で読んだ感想を送ってくれる方がポツポツ出てきて。

なんか、この記事で書いた藤井さんもそうなんですが、かなり年上で、しかも相当活躍されてる方の評価が高い感じが・・・していて、そのへん凄く安心して、きています。

言ってみれば「おじさんウケ」がいいというか。あと凄く若い人のウケもいいっぽい。

両方とも、速攻の派手な動きにはつながらないけど、持続的に内容を自分の中に留めてくれるタイプが多いと思うし。

そういう層の「気持ち」を、「まとめる」方向に持っていくニーズって、凄く根深い感じであるんだけど、そのニーズに答えてたまにヒットする「品格本」とか「日本がいかに凄いか本」っていうのは、「みんなの気持ち」をまとめる力が凄くある代わりに、ちょっと「他の立場の人に受け入れられがたい内容」であることが多いんで。

そのへん、僕の本は、「他の立場の人にも受け入れられる形」の「内容」に作っておきながら、ちゃんとそういう「気持ち」の部分で広がりつつある・・・っていう「感触」は得られたんで、そこが良かった。

その道を、時間をかけてジワジワと燃え広がるように進んでいきたい。

もちろん、単純な「日本礼賛本」とかに比べると、言っていることの複雑性がちょっと増すんで、「最初のフックが弱い」というか単純で即効性ある反応は引き出しにくくなってる部分もあるだろうけど。そこは、時間が解決してくれると信じたい・・・というか信じるしかない。

結局、「マクロに見た合目的性がちゃんとあるところ」に、「どちら側の立場の人の感情も」・・・・うまく糾合していく・・・・っていうことが、今一番必要なことだと思って、そこに届くように書いたわけだから。

そこの部分は、「商売的なニーズ」があるってだけじゃなくて、「マクロに見た時に色んなことを好転させるためのニーズ」もあるはずだと思うしね。


そこに「新しい需要」が生まれたら、色んな場所で色んな新しい「繋がり方」が生まれて行って、好転していく世界があるはずだし。

で、「反応の感触」が、その狙い通りの方向性になりつつあるのを感じて、安心しつつあるのかもしれない。


今までの自分の仕事っていうのは、というかまあ僕の仕事に限らず、普通の仕事っていうのは基本的にレスポンスがすぐ帰ってくるところがありますよね。

でも、本を出すってことは、なんか・・・その「帰ってくる」期間が物凄く長い感じで。

出版直前の最後のブラッシュアップを除けば、その原稿自体がだいたい完成していたのは半年以上も前なわけですし。

出版が決まって色々あって、最終的な完成品になって、で、本屋さんに並んだ・・・ってところまでかかると。

自分の中で「読み手からの反応がない」っていう状況が長く続きすぎて、気持ちが焦ってる部分もあったかなと思います。

そういうスパンで動いていくことに慣れてなかった。

こっちからいろんな人に「ねえねえ?どうだった?どうだった???」ってとっつかまえて聞いてまわりたい的な感じになってた。

でも、よく考えたらまだ一週間しか経ってないし、かつ少し長めな本だしね。

ポツポツ・・・と帰ってくる反応があって、それが結構良い・・・・っていうだけで、とりあえず安心するべきなんだろうなと、思えてきた。


色んな人に、本に人生賭けたりしないほうがいいよ・・・って最近言われまくっていて。

まあ、たしかにな・・・という感じもする。

でも、主観的・感情的には、賭けすぎてるほど賭けちゃってるんで、もうそれは仕方がないんだけど。

日常生活的に、自分の関心事をどこに置くか・・・という話で言うのなら、あんまり本のことばっかり考えてるのも良くないのかなとは思うようになってきた。

「ねえ、読んだ?読んだ?どうだった?」

って感じで著者が隣でじいいいっと見てる(笑)みたいになったら、そもそも読む気になってる人も読みづらいと思うし。

まあ、時間はかかるだろうけど、「熱い反応」がちゃんと返ってきてるんだから、広がっていくだろう・・・と信じて、別のことを何かやっていようという気持ちが湧いてきている。

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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

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1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
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『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。