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最前線の切実な問題をサポートするための売文家でありたい。

凄い嬉しい応援メールを頂いた。

一個前の記事で書いたように、マッキンゼーの卒業生MLで、「日本の会社はどうしたら変われるのか」的な議論をしている場所に噛んでいきながら自著の宣伝をしてたんですけど。

そしたら、藤井清孝さんという、相当シニアな先輩からムッチャ熱いメールが来た。(長いんで、許可もらって、全文は記事末に転載させてもらいました)

ご著書を購入し一気に拝読しました。世の中にこんなに自分の考え方に似ている人がおられることに驚愕しました。

って、嬉しい言い方じゃないっすか?

確かに、藤井さんのインタビュー記事をネットで見てみると、

                

別に、僕が前もって読んだわけでもないのに、僕の本の中に出てくる喩え話と全く同じようなレトリックで同じような話をされてて、凄く似てるものを感じたんですよね。

同じ神戸出身っていうのもあるのかもしれない。神戸という土地というより、「震災という共有記憶がもたらす謎の危機感」という感じだというか。

草創期のマッキンゼーに入社して、ハーバードのMBAを取った後投資銀行で鳴らし、その後ルイヴィトンを始め色んな会社のCEOを経たあと今はベタープレイスという電気自動車のベンチャーをやっておられる方なんですけど。

何が嬉しいかというと、「人のタイプ」がね、凄く「バキバキのグローバル資本主義者」みたいなキャリアの人ですから、「そういう人に理解してもらえないと困るんだよな・・・」って思っていた領域にいる方に届いたって感じなんですよね。「そういう人」にわかってもらわないと困るんだよ!って本ですからね。

あと、なにより、今度オリンパスの社外取締役になられる方なんですよね。

で、オリンパスって、まさに、僕の本が問題にしているような、「グローバリズムのロジックと現地現物のリアリティとの間をどうやって繋ぐのか」っていう課題が、「世界最前線」的な形で噴出している場所ですからね。

凄い「縁」を感じた。嬉しかった。

本の内容のオリジナリティや、その実効性には凄い自信あったんですけど、特にこういう「バキバキのグローバル資本主義者」みたいな人に「ちゃんと受け入れてもらえるのか、しかも感情的な巻き込み感を持って受け入れてもらえるのか?」っていうのは、やっぱり最後までわからない部分でしたからね。



だからね、やっぱり、真剣に「グローバリズム最前線」的なところに立ち向かっておられる方にとったら、「どっちか片側だけを押し出すだけに終わらない、薩長同盟的な流れが必要」っていうのは当たり前なことなんだと思うんですよね。

でも、そういう最前線で「活躍」することに人生の時間を使っておられる方はね、そこでの「切実な事情」を、「広い範囲の人に面白く読める文章にする」みたいなことはできないじゃないですか。

もちろん、専門的な活躍の場から生まれる、「現場発の迫力のある本」は書けると思いますし、藤井さんも著書を送ってくださるそうなんで、楽しみにしてますけど。

なんか、「活躍すればするほど、”普通の人”との距離がどうしても開いてしまう」部分は避けられずにあるんでね。

だから、そこを、繋ぎたいな、って思ってるんですよね。一種の「売文家」的なポジションをあえて取っていくことによってね。

紋切り型の、「グローバリズムvs守旧派」っていう対立を超えて、「新しい連携」を生み出すための、「発想の土台」っていうか「ストーリー」をね、共有することから始めないと。

でもそれは、迂遠なようでも迂遠じゃないし、結局「サクサク進めたい人」を最終的には援護する方向なんですよね。

結局、そういう「共通了解」が崩壊したままだったら、各人が各様にタフぶって、「自分の持ち場」を必死に守るだけで、全体としての連携がないから各個撃破されちゃうんですよね。

で、「自分の持ち場」が与えられた人はいいけど、「与えられなかった人」に対しては、もう自尊心も何もかも奪われて怨念を貯めこむしかなくなっちゃうわけじゃないですか。

それは、「もっと広域的な連携」が生まれれば、つまり「もっと大きなフォームで振れるようにすれば」・・・・その「今は居場所がない人」にも、「確実な自分の持ち場」っていうのが与えられるはずですから。

みんながみんな「俺はこんだけ成果をあげたからエラいんだぜ。お前なんかカスだろ」って言い合ってるだけだったら、どんどんバラバラになってくるじゃないですか。

そこを繋ぐための、「ストーリー」を、「(読んでくれさえすればみんなに伝わるであろう)作品」に結実させることは、僕がなんとかやったと思うんで。

今度はね、藤井さんのような方に、それを「ツール」として使ってほしいなと思っています。

藤井さんのような志向が、既に日本のビジネス社会で「主流」ってわけではないでしょうから。

でも、「サイレントマジョリティ」的な部分においては、そこに新しい流れを生み出したいという潜在的なエネルギーは溢れてると思うしね。

でも、「本当の風潮」とは違う、「言葉にされるレベル」「マスコミに通る言説」は、やっぱり全然そういう感じになってなくて、むしろ対立を煽る言葉ばっかり溢れてる部分がありますからね。

だからこそ、その両者を繋ぐ、「ツール」として、僕の本が機能していってくれたら嬉しいなあと思いました。



以下、許可を得て、藤井さんのメールを転載。こんなん突然着信したらそら喜ぶでほんましかし。なんせ、ちゃんと「読み終わった後の感想」を送ってきてくれたのは彼が初めてってぐらいでもあるしね。

藤井さん、ありがとうございました。しかし、随分年下の人にこんなメール送れるって、男前やなーと思いますね。





倉本さん、
下記のメールやり取りを見て、もしやと思いご著書を購入し一気に拝読しました。世の中にこんなに自分の考え方に似ている人がおられることに驚愕しました。 
私の中にも「MECEで考える外資コンサル的グローバル・ロジカル」を評価する一方で、「結局、何が言いたいねん?!」(私も神戸出身です)という内なる叫びを持つ自分がいます。タコの頭(グローバル・ロジカル)は8本の足(ドメスティック現場派)のおかげでグローバルなプレゼンスを得ているのに、頭が足を批判するヒマがあったら、足と一緒になって新しい餌を探して来い!という主張には共鳴しまくりです。 
私のたとえでは、グローバル・ロジカル派は空軍で、ドメスティック現場派は地上軍です。いくら空爆しても、地上軍がミッチリ詰めて行かないと領土は広がりませんよね。でも制空権を握られると、地上軍の強さが抹殺されてしまいます。日本は、征服し経営する意思のない領土での空爆で資源を無駄使いせず、地上軍と空軍の連携がとれるところでの領土拡大を目指すべきと思います。 
私は『変革を唱える人は、必ずしも真の変革者では無い』と言う言葉が好きなのですが、その心は、真に変革を成し遂げる人は自分の属している組織を本当に「愛している」人ということではないかと思います。愛している人にとってのKPIはあくまで組織が良い方向に向かうと言う「結果」ですが、そうでない人にとっては「俺はこんなにデキル奴なんだ」「俺の高度な提言をインプリ出来ない未熟な組織」のような「自己愛」がベースになったコメントが出てくると思います。良く考えると、これは子供を育てるのと同じですね。子供にとっての本当の幸せを願う親にとって、「自分の方が正しい」と言ったKPIは存在しませんからね。タコの頭に、タコ全体に対する本当の愛情を持って欲しいものです。 
昨日報道されましたが、私はオリンパスの社外取締役に任命されそうなのですが、今回数カ月にわたり、同社での新ガバナンス構築の内情に直接かかわる機会がありました。詳細は言えませんが、まさにグローバル・ロジカルとドメスティック現場の闘いの化学反応の連続でした。日本ではこれからもこの様な場面が益々増えていくと思いますが、誇りを持って日本的なソリューションを構築していきたく考えています。 
藤井清孝

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経産省若手資料はそんなにダメか?褒めときゃいいじゃん。

書籍の執筆でアタマが沸き立っていて、箸休めに軽いブログを書きたいので書きます。



ネットで話題の、経産省の若手有志による、

国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、 世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト

っていうのがあって、このリンクからパワーポイント資料が読めるんですが。

数日前にリンクを見つけてパラパラ読んだ時には、「いいなあこれ、頑張って欲しいねえ」と思ったし、ネットでも高評価な人が多かったんですが、なんかそれから日がたつうちに色んな人が

・全く新しくない
・具体的な政策への落とし込みが足りない
・データ分析が雑

などとクサしまくってるのを見てて、いやーそんなにダメかねえ??いいじゃん!と思ったのでそれについて書きたいです。

「ダメかどうか」もさることながら、「最高とは言えなくてもとりあえず褒めときゃいいじゃん」的な話でもあります。

いや、批判は批判で内容的にはゴモットモではあるんですが、あまりにそういうのが盛り上がっちゃって、この資料に対してちょっとでも高評価をするのは知的人間として恥ずかしい・・・ぐらいの空気になってきてるのがちょっとどうかと思うんですよ。

そもそも役所が懇談会的にインテリ集めてとりまとめた資料で、総花的にならずに一方向的なストーリーがあって、ある程度こういう「何言ってるかちゃんとわかる」資料ってそんなに多くないですし、だからこそ「うるさ型」の人たちがクサし始める前の段階では結構ネットで「いいじゃん!」的空気が巻き起こったりもしたわけですよね。

単純に言って、役所発のペーパーで、その「いいじゃん!」モードが小規模でも巻き起こったりした時点でそりゃ奇跡と言って良くて、そりゃ批判は結構だが、じゃあどっかに「超絶凄い官僚さんの集団」がいるわけじゃないんだから、今の日本の官僚さんたちに、官僚の役割の中でできることは頑張ってもらうしかないわけで、だからあんまりクサすばっかりなのもどうかと思うわけですよ。

で、資料の内容なんですが、たしかに「どこにもない新奇性」とか、「具体的な政策へ落とし込みきった提案」とかは弱いかもしれないが、この資料は1つの「ストーリーの提示」を目標としてるわけですよね。

いわゆる「高齢者に属する人」にも、資産や健康面でかなり余裕がある人もいるんだから、一概に「高齢者サマ扱い」で終わ…

今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。