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『イケてる存在へのアクセシビリティ』を、もっと広い範囲の人に!!!

一昨日本屋さんで僕の本をたまたま見つけて買って、徹夜で読んだ後次の日にSNSに加入し、メール送ってきて、「明日仕事休みなんで会ってください。名古屋まで行きます!!」っつって名古屋まで来られた新しい会員さんに会ってきた。

なかなか面白い人だった。

「覚悟見せるため」とか言って、真剣の日本刀(脇差)持参だった(笑)

いやいや、そこまで行くと「なかなか面白い」の範囲を超えてる感じもするけど。でも、なかなか良い出会いだったな。

英語教育のベンチャーをやりたいらしい。


僕と同い年で、同じ時期に京大にいたんだけど中退して、アメリカの大学に脳科学の研究に行って、結構長い間アメリカにいたんだけど、やっぱ「やりたいこと」じゃねえ、ってなって帰ってきて、で今は予備校で英語を教えているらしい。

で、自分の思う理想の「英語教育」を実現したいんだとか。

でも、前日に送られてきた事業の構想や「ミッションステートメント」的なもののワードファイルを読んだ時には、まああんまり世慣れたタイプの人じゃないんで、ちょっと「うーん」と思ってしまったんだけど。

大学生のビジネスモデルコンテスト風の、「やる気と問題意識は物凄くあるけど具体性はちょっとよくわからない」という感じのタイプの文章で。

でも、「全然話が噛み合わなくてもいいから会ってください!!」って言われて会ったら、案外凄く考えてるし、実際の内容の細部まで、とにかく「こうやっていきたい」という思いとイメージは溢れ出しそうなぐらいある人だった。

ちょっと、先に偏見ぽい気持ちで接したのを反省した。

やっぱり、

「世慣れてるかどうか」っていうのと、「本当に実現したいビジョンがあるのか」っていうのは、今の時代結構トレードオフ関係(どっちかが立つとどっちかが凹みがちという関係)

になりがちなんだよな。

で、たしかに、「世慣れたタイプの人」が、「シンプルなビジネスモデルて、身軽にガンガン動いて次々と新しいことをやっていく」っていうのも、凄い大事なんだけどさ。

それだけだとこう・・・・やっぱ、空騒ぎ感も出てくるじゃない?

彼みたいに、全然世慣れないタイプなんだけど、「英語教育かくあるべし」的な部分に、ちょっと尋常でない熱意とビジョンがあるんだけど、色んな事情で実現できてない・・・・というタイプ。

そういう人を、うまく、ネット時代の可能性を使って引き上げていくことが、本当の意味での「経済の多様性」に繋がるし、「みんなが本当に望んでいるもの」と、「実際に提供されている経済」とが合致してくるからタフな経済になる・・・・っていう「質的転換」のために、一番大事なことだと思うんですよね。

・・・と思ってここまでずっとやってきたので、凄く「理想的な出会い」だったと言ってもいいかもしれないなと思った。

いやまあ、最初から、真剣の日本刀を持参する男が読むと予想して書いてたわけじゃあないが(笑)



彼は、やはり「読んでグッと来る英文で、英語は勉強するべきだ」っていう方向に行きたいらしい。

しかも、高尚ぶった古典をあえて選んだり、あるいは「ほら、面白いでしょう?面白いでしょう?」っていう感じに媚びていったようなものではないような。

良い映画やよい音楽を聞いて、グッとくる。そういう、「今の若い世代にとって、リアルに感動できる」っていう方向の英文で、それが血肉になるように教えたい・・・らしい。

で、音楽やビジュアルにもこだわって、無名のそういうアーティスト的なものを巻き込んで、本当にそれが『感動する体験』に毎回なるような、そういう講義にしたいんだとか。

そういう、Eラーニングをしたいらしい。



で、この時点で、こういうのを「言葉として同じコンセプト」で言うと、多分同じことを考えている人がいると思うんだよね。で、「真新しさがないなあ」ってなったり判断されがちなんだけど。

でも、こういうのって、「どこまでやりきれるか」が勝負じゃないですか。同じ「横スクロールのシューティングゲーム」とかいうククリだって、凄い名作もあれば全然なのもあるわけだからね。

今は、この「横スクロールのシューティングゲーム」っていうような「くくり」の段階で、精一杯先鋭化してないと、初期段階で誰も相手にしてもらえない感じになるところがあって、その結果、「凄く先鋭化した新しさはあるんだけど、”広い範囲の人にグッとくる”かっていうと・・・・」っていうような経済になって来てると思うんですよね。

そしたらだんだん、「こういうのが最先端」っていうのにムッチャ頑張って自分を合わせられてる人はいいけど、その「超狭いストライクゾーン」に合致しないタイプの人は、もう経済全体に対して後ろ向きな気持ちになっちゃって来るのも避けられないと思うし。

相当変な人にもオープンなはずの僕ですら、最初のワードの文章を読んだ時には「ちょっと・・・」って思ったような人の奥に、そういう「可能性」を発見できたのが凄い良かった。

実際にどうしたいか・・・っていうのが、彼の中には渦巻きすぎるほど渦巻いていて、でも日常の中で誰もそういう話をしてくれる存在がいないので、ちゃんと一歩ずつ具体化していくっていうこともできていなかったっぽいので。

まさに、そういう人のためのSNSじゃね?って感じで作ったわけだから。しかも、それが、「たまたま本屋さんで見つけた」という出会いから3日でこうなってきた・・・っていうのが、なんか、「狙いどおり」になったな・・・・って感じで安心できた。



でも、彼も言ってたけど、だからといって「マニアックなものにはしたくない」っていう思いが凄くあるんだよね。

で、今の世の中の人は、そういう「マジなもの」って誰も求めてないよね・・・・っていう風に、ついつい思えちゃうんだけど。

でも、今の世界の「マジっぽいもの」は、凄く「閉鎖的な感じ」で行われてるから、たまたまそう思われてるだけなんじゃないかと、彼は思ってるらしいんですよ。って僕も思ってるんですけど。

むしろ、ちょっとチャラすぎるものには飽きてきてる・・・・っていう部分が絶対あるはずだし。

なんせ、ニーチェやらショーペンハウアー本が結構売れたりする時代だし、それを、結構普通のヤンママさんとかが買って読んでるぐらいの時代なんで。

でも、そういうのって、まだ「なんか・・・軽すぎない本格的なものってないかなあ??」っていうボンヤリしたニーズに対して、今のところ世の中的に通りやすい商品のパッケージングが、「過去の哲学者などのビッグネームによりかかった形」で作っていくのが一番手軽だから流行ってるんだと思うんですが。

でも、本当にそれが、今の時代の日常的な感覚として「フィット」してるわけでもないところがあると思うんですよね。

「目先だけ先鋭化して変えたもの」が次々生まれては消えていく時代に、「飽き」が来ていて、その次に進める一歩の段階として、「本格っぽいもの」を色々試してみちゃってる時代ではある。

で、これがもう少し進むと、「本格っ”ぽい”もの」をさらに超えて、

「個人が黙々と積み重ねてきた本格的なもの」を、「最初は難しげだけど万人向けのパッケージングで」

・・・っていう形が、

新時代のスタンダードになる

はずだと思うんですよね。

AKBの秋元康氏が、インタビューで、AKB的なもののブームが行くところまで行ったら、次は「真逆の超本格派みたいなののブームが来るだろう」って昔インタビューでおっしゃってたのを見たことあるんですけど。

「本格派」なんだけど、”衒学的(難しげな知識をひけらかしてるような)”ではない

ような、

「テーマ的に難しげだけど、漫画ワンピースを読んで感動した・・・っていうのと同じような”気持ち”で消費できる

ような、そういうものが、メインストリームになる時代が来るはずだと、僕も思っていて。



っていうのも、この前この回の記事で書いた予備校の日本史の先生のことが、僕はアタマに常にあるんですよね。

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なんか、確か平安時代全部にかける時間が2時間だけなのに、太平洋戦争には一ヶ月まるまるかけたりしてね。

ミッドウェー海戦だけで2時間(笑)

2.26事件だけで2時間(笑)

あと、戦国時代も無駄に分厚くて、川中島の合戦で確か2時間(笑)

臆面もなく「天皇陛下バンザァアアアアアイ!!」とか言うしね。

「そしてこの第一航空艦隊を率いたのは誰かわかる者手をあげよ!!なにィ?わからんと言うのか!!!この非国民どもめぇ!!!なに?そう正解!!!!
(黒板に大書しながら)南・雲・忠・一(当時は)海軍中将閣下ァァアアアアアアアアただし入試にはッ!!!!!でないッ!!!!!(学生爆笑)」

みたいな授業だった(笑)

一応確認しとくと大学受験専用の予備校ですよ(笑)

でもね、色んな歴史の名シーンを、切々と語り出して、いざって時にはわざわざBGMをかけて泣きながら絶叫したりして、で大教室に詰めかけた普段完全ノンポリの学生が、みんな泣いたりしてたんですよね。

その「笑い」と「泣き」と、超右翼だけど右翼なりに一貫した歴史観みたいなのが合わさった名人芸みたいな授業で、ほんとプロとして見事だなあ!!と思った。

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ていうような授業、はっきりいって綺麗にパワーポイント化した「授業計画書」とか、「企画書」段階では、「こんなん絶対売れねえよ」って感じじゃないですか(笑)

でも、凄い巨大な教室がずっと満杯でキャンセル待ち出てたからね。

で、それを受けてる生徒が、凄く「右翼的な学生」かっていうと全然そんなことなくて、凄いノンポリな感じの普通の学生だったんですよ。

要するに、「気持ち」で伝われば、結構「普通なもの」として消費できるものなはずなんですよね。そういうのは、「色んなところで世の中的に妥協せずに思うさまやりきったら」ってことが大事なんですけど。



ただ、AKB的なものや、アイフォンアプリ的なものを、僕は全然批判する気はないんですけどね。

「本格派」だからって権威主義的になったりファシスト的になったり、政治的に問題アリなことを言いまくってもいいってわけじゃないしね。

むしろ、そういう「誰かに本当に役立ちたいからではなく、自分がエラそばりたいがために本格派ぶっている」っていう人に、居場所をどいてもらうためにこそ、AKBブーム的な方向に一回社会全体をグッと振ってしまうことが必要だという部分もあると思うし。

AKBが、バラバラになってしまう寸前の日本社会を必死につなぎとめてくれてるって部分も、絶対あると思うしね。

僕の妻は、ミクシィにある「ズーキーパー」っていうパズルゲームの中毒(笑)で、BGMが僕のアタマの中にも染み付いてしまってるぐらいなんですけど、でもそれをポチポチやってる妻を見るのは結構幸福な気持ちになったりすりしね。

だから、「今の日本がバラバラになってしまわないように必死につなぎとめてくれている存在」としてのAKBやアプリゲーム的なものは僕はかなり「尊敬」してるんですが、しかし「それだけ」だとやっぱちょっとどうかな・・・と思う部分もあるんでね。

結局は、それぞれの役割分担を、ちゃんとやっていかなくちゃいけないよね・・・・って感じなんですけど。

やっぱり、あまりに「AKB的なもの」ばっかりしか「新機軸」として提供されない時代だと、ちょっと「みんなの本当のニーズ」から、「商売になってるニーズ」がかけ離れて来ますからね。

もうちょっと「今の形に落としこみにくい出し手側の思い」を、時間かけて、「形」にするようなものが、これからの時代の新しいメインストリームになってくるはずなんですよ。

で、そのためには、

『イケてる存在へのアクセシビリティ』を、もっと広い範囲の人に持ってもらえるようにしていくことが最大の課題

なんですよね。(アクセシビリティって英語の使い方、あってるかどうかわからんけど、「自分自身もそうなれる可能性を感じてもらえるかどうか」っていうような、そういう意味だと思ってください。)

そこを乗り越えないと、絶対日本から「新しい発想の商品」が生まれてきたりしない

んですよ。今は、

「マスコミ的な仕切りに乗りやすいもののストライクゾーン」が狭すぎ

て、

「本当に新しいことを考えている人の心の中にくすぶっていること」を時間をかけてまとめ上げるってことができてなく

て、どうも、

「昨日思いついたアイデアに脊髄反射的に人生を賭ける」的なもの

ばっかりになっちゃってるんですよね。そういう「軽すぎるもの」が嫌な場合には、

「過去に本格派扱いされていたものの思い出蒸し返しビジネス」

しか無い感じなんで、

「今の時代に必要な、新しい”本格”性」

ってのを救いあげられてないんですよ。

いや、ゼロじゃないけど、でもよほど幸福な例外以外においては難しいので、かなり鬱屈して眠っている「本当のニーズ」が、供給側にも需要側にもあるはずなんですよね。

そこをなんとかせないかん。



もちろん、色んな人達が、「今のままでいいとは思ってない」と思うし、その中でも、各人の持ち場の中でできる範囲で「良い連携」を起こしていこうとしているのが今だと思うしね。

星海社と柿内氏のおかげで、僕も本を出せたし。そういう「普通じゃない繋がり方」を、なんとか工夫していこうっていう気持ちはみんなが溢れるように持ってると思うので。

だんだん、「あるべき繋がり」がスムーズに起きるようになってきたら、その時が日本の「底力」を、「グローバリズムと噛みあった形」で、次々と現出できる時代が来ると思います。

そこを、あんまり経済学チックに大きく見た話で、対立を煽るだけにするのは良くないですよ。

なんせ、ある程度大企業経済が安定的にあるからこそ、「今の普通よりちょっと理解されづらいけど将来深く太いニーズが期待できるもの」みたいなののチャレンジも可能になるしね。

みんながみんな「個人としてのグローバリズムの部品的優秀性」を身につけなくちゃいけない時代とかになったら、結局みんな小さく「部品」になるしかなくなってくるんで、アプリゲームみたいなものは次々と生まれるかもしれないけど、「その先」なものってさらに出づらくなってくるんで。

「対立を煽る」んじゃなくて、「あるべき連携」を作っていこうという雰囲気を、そろそろサイレントマジョリティ的な意味での「みんな」は求めていて、「今の言論」的なものの規模感が、昔に対してどんどん縮小していってるのは、その「本当のニーズ」に答えられて無いからなんじゃないの?と僕は真剣に思っています。



今日会ってきた彼は、今風の社会学?的な用語で言うと、ちょっと「高学歴ワーキングプア」っていう用語があてはまるような感じでしたけど。まあ、彼にそういうことを言うのは失礼な部分もありますけど、でもそういう人たちには凄い可能性が眠っているかもしれないなあ・・・と思えてよかった。

彼のような存在を、ちゃんと持続的にエンパワーしていって、彼が大事にしたい思いを消さない形で、「イケてる存在」へのアクセスを可能にしてやりたいし、その流れがどんどん分厚くならないと、日本も世界もよくならないよね!!!って切実に思うんで。

そういう出会いがあって良かったと思いました。

そういう人が一人ちゃんと自分の思いを形にできれば、「別にぃー野心とかないですぅー」っていう今風の若い人にも、「気持ち」で伝わっていくものがあると思うしね。

なんせ、彼らは実生活におけるリスクは極端に嫌うけど、でもお話や物語やゲームの中では凄い「感動」を求めてますから。

「こんな話は暑苦しすぎて誰も聞いてくれないよな今の時代」っていうようなことを、ちゃんと「万人向けのエンターテイメント」として形にしたら、「案外普通に受け入れられた」っていう風になっていくはずなんですよね。



僕の本、まだあんま凄く売れてるわけでもないけど、一つ一つの反応は凄く熱い感じ(日本刀持参するぐらい 笑)なんで、まあ、今はそれでいいかと思うようになりました。

他の例でも、義父が、昔勤めてた結構大きな会社の元同僚に売りまくってくれてるんですけど、なんか好評みたいなんで。

今の時代、オジサン世代が、自分のナチュラルな思いを消さずに「今風にホット」なことに関われるって、ちょっと難しい部分もあるしね。

持病の話をするか、それともあんまり興味ない芸能人の話を無理してするか・・・っていうようなゾーンの「ホットな話題」を無理やりなぞらないといけない的な部分もあるわけで。

そのへん、「自分たちの思い」を、「今風のホットな文脈」に、回収していけるネタとして、僕の本が機能してたりするのかな?という感じで良かった。

話を聞いてると、ミスターチルドレンの「くるみ」のPVみたいな感じで盛り上がっているっぽい(笑)

で、年頃の女の子の気持ちなんて明日はわからないですけど、そういう世代のオジサンの、奥底にまで沈んだ気持ちは、持続的に燃えてくれるものがあると思うしね。

そういうのも、やっぱり「イケてる存在へのアクセシビリティ」を広い範囲に広げていくっていう、僕の本のミッションに合致した広がり方だと思うし。

そういうところで時間をかけて広がっていって、半年から一年かけてオリコンに名前が乗るようになるバラード曲みたいな感じでやっていけたらいいなと思っています。



まあ、そうは言っても、今はほんと本屋さんでたまたま手にとってくれた人が・・・っていう形でしか広がってないんで、ほんとちょっとずつでしかないですけど。

ツイッターとかで、たまに柿内編集長がリツイートしてくれる本の感想ツイートって、たいてい「星海社のファン」が、「星海社から出たから買うか」って言って出会ってくれた人が今はまだ多い感じなんで。

その「外側」にまで広がっていくには少し時間がかかりそうですね。

ある程度「この人なら僕の言ってること理解してくれるんじゃないか?」っていうような言論活動をされてる方に、ちょくちょく献本とかしてみたんですけどね。

ちょっと、あなたの文章を読んでいる方に、この本が必要な人が多分凄く沢山いると思うんで、紹介してくれませんか?的な感じで。

でもまあ、お忙しいでしょうし、あんまり今は反応ないですね。初動で、ちょっと紹介してくれたら、大分楽になる部分もあるのかなと思うんですけど。

紹介し方の「パターン」が見つからなくて「紹介しづらい」って部分もあるのかな?とは思うけれども。

「今の時代の主流的言説」を、超えていくような「新しい実質」を出すってなると、やはり「今売りやすい言説パターン」の方に、援護射撃をして欲しいなあ・・・・って思ってはいるんですけどね。

あえて挑発的な構図にして言ってみるとすれば、例えばグローバリスト側にいる人は、

「旧社会を攻撃する言説」っていうのは今「売りやすい言論のパッケージ」なんで、彼らこそが言論世界における「既得権益者」に既になりつつある部分もある

んですよ。

ある特定のパターンで、一種紋切り型に旧社会を非難する言葉のパッケージを連発しておけば通りがよい・・・という「既得権益」ね。

で、その「狭い範囲に限られた、イケてる存在へのアクセシビリティを独占した既得権益者」ゆえに、「新しい言説」が前に出づらい・・・って部分もあるよね!とかね。

あるいは、「旧社会の伝統側」にいる人にとってみれば、

「武士も食わねど高楊枝的なアンチグローバリズムの意地を張る」っていうことも今「売りやすい言論のパッケージなんで、それをただなぞっているのは、本当の意味では「誠実な赤心」とは言えない部分もある

んですよ。

その両者の方には、「その両者を結びつける新しい言説」が今生まれつつあるし、でもそれは、「あなたの思いの延長」を「本当に実現するため」のものだけど、「あなたがたの過去の言論の延長」ゆえに、「谷間に埋没」しちゃって苦しい思いをしているんだよ!!!って知って欲しいなあ・・・・とか思ったりします。

そこの間に新しい立場を確立していくことは、「グローバリストの”フェアさ”を求める精神」の延長だし、「アンチグローバリストの、真心を求める気持ち」の延長・・・なんですよね。

その2つの「真実を求める気持ち」が、「過去の両派の紋切り型の言論」を突き抜けて「新しい文脈」を求めるとき、そこに、「日本ならでは」の、「新しいムーブメント」が生まれてくるはずで。

それこそが、「21世紀の薩長同盟を結べ」なんですよね。

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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。