「一貫して連続した"非合理的"決定」が「次の時代の合理性の中心」を作るという話と、「案外後輩キャラ」の重要性について。 (中編)

神戸に戻って、祖父の通夜と葬式に出て、で、また名古屋に帰って来ました。前回の続きを話す前に、ちょと今回の葬儀その他で感じたことを一回分寄り道してまとめます。

・・・というつもりで書いてアップロードしてたんですけど、読み返してみると案外同じテーマについての話になってるなって思ったんで(これが無意識の才能か! 笑)、同じ件名で3つ続きの連作エッセイってことにしようと思います。



なんか、神戸の実家に戻るときも、名古屋に帰って来る時も、どっちに行くときも「帰る」って使っちゃう流れになってるんですけど、でもやっぱり、今暮らしている名古屋周辺の町に帰ってきて、最寄り駅についた時の方が、「帰ってきたなあ」って感じがしますね。

僕にとってこの町は、妻が生まれ育った町という以上の縁は一切ないんですけど、でもなんか、そこがいいなって思うんですよね。ゼロから縁を積み重ねていっている感じがする。

神戸や関西は、自分の原点ではあるけれども、色々なものが絡まりあいすぎていて、僕の場合はちょっとそこでゼロから何かをやっていくことはできなかった。


僕、結構スーパードライ(ビールの)が好きなんですが、同じ関西地盤のビール会社でも、サントリーとかは今も創業者一族が株を凄く持ってるし、いかにも「関西発」って感じでやってってるんだけど、アサヒは、西日本地盤でやってってたんだけど関西経済の地盤沈下とともに凋落してきてて、で、起死回生の新機軸として「東京に!世界に!」って感じで出ていく感じでスーパードライ出して大逆転した感じじゃないですか。

今や、ロンドンのヤンエグ(笑)の一番人気ビールはスーパードライとか、本当かな?っていうような情報も聞いたことあるし、そういう「ルーツを大切にするからこそゼロから作ったもので、外側の世界で勝負したい」っていう、ああいう感じがいいなあと思ったりして。

で、どちらの良さもあると思うんですよね。自分の故郷で自然的な良さを突き詰めるように生きるのも、一回「洗う」ことで、「より結晶化された良さ」みたいなのを求めたいという姿勢も。

僕の両親は、両方とも何代遡っても当分関西人しか出てこない感じの家なんですが、でも、その良さの原点的なものを抽出していきたいと思うからこそ、その「外側」で、「ゼロから積んでいける場所」を探していきたいと思って生きてるなあと思いました。自分はね。

弟とか、従兄弟たちとかはもうずっと神戸からでない人生でいるだろうって感じなんですが、お互いの道は活かし合いになるはずだと思うしね。

だからこそ、積極的に外でゼロから積んでいくからこそ、できるだけ地元をレペゼン(ヒップホップ系の人がよく言ってる、”代表する”という意味)したいっていうか、ルーツを言挙げしていくっていう姿勢は大事だと思うんですが。

そういう姿勢が、関西をルーツとする人にとって勇気となるだけじゃなくて、関西以外のルーツを持つ人にも、「ああ、東京的にホットなものだけじゃなくて、自分のルーツ的なものを表現するように生きて行ってもいいんだな」という風に思ってもらえるキッカケになるんじゃないかと思うし。



でも、「レペゼンしていく」からこそ、「外側」にいるってことが、逆に凄く救われる体験だなあと思ったりもします。やっぱり、ルーツのある場所にいると色んなことが無意識的な自然さの中で行われていくんで、、「一番良い部分」を「他の地域の人にも受け入れやすいようなもの」に転換するような、「結晶化」するような仕事はしていきづらい部分もあるし。

だから、今暮らしている町の方が「帰ってきたなあ」って感じがするんだろうな。「やるべきことがある場所に」っていうか。

例えば結婚制度というものに対して、色々と懐疑的になろうと思えばいくらでもできる時代だと思うんですが、まあ、確かに全然生きてる人の幸せにつながってないケースも多いだろうから、意味ないと思うなら無理して採用する必要はないシステムだとは思うんだけど、でも、「あった方が色々良いもんだぜ」っていう感じもするんですよね、僕は。

よく、日本の労働制度の硬直性が日本経済の活力を奪ってるとか言う議論ってあって、まあ大枠では結構正しい「部分もある」ってぐらいだと思うんですが、そういう議論をする時に、「日本の労働者は終身雇用に守られているので、その会社でしか使えないスキルしかない。だから厳しい資本主義社会で戦えない欠陥品である」みたいなことを言うのが、なんか違和感あるんですよね。

なんか、「どんな場所・時代でも通用するスキル」とか言い出すと、かなり無理して「汎用品的」なスキルをみんなが持とうとしだすんで、そうすると人類全体として無駄が多くなると思うんですよ。

やっぱ、「専用品」「ここだけのもの」に自分を変化させていって、「ツブシが効かない退路を断った状態」にまでに、「一つの選択肢にコミット」したからこそ見えてくる・できるようになる世界ってのがあると思うしね。

で、もちろん、いわゆる完全に確立した「専門職」的な人は別としても、それ以外の「会社固有ではないどこでも通用するスキル」って言うのは、最終的には「よくある代替可能なスキルにしかすぎない」っていう言い方もできると思うんですよね。

英語とか会計とか、あるいはMBA的な思考法や用語に強いとか、なんかそういうのは、「会社に頼らないタフな人生のあり方」のように見えるけど、「そういう人材だけ・そういう職場だけ」で経済全体が成立してるわけじゃないですからね。

で、むしろ、「ある会社固有の」「ある土地でずっと生きていく人固有の」っていうような何かを極めていくことの中から、本当の「普遍性」、本当に何があっても生きていける、誰かが助けてくれる・・・というような人生は立ち上がっていくんじゃないかという風な予感がする・・・っていうよりは、「そう思いたい」から「そう思って生きている」っていうのが正しいのかもしれないけど(笑)

もちろん、「沈みゆくタイタニック号の中でそのタイタニック号の中だけのスキルを磨いてる」みたいなのになってしまいがちだから、だからこそ、「積んでいく場所」は慎重に選ぶべきだと思うんですけど。

でも、常に「英語とか会計とかMBA的な(こういうのも、”それ自体”を深い実存的なものまで込めて探求していくなら奥行きがちゃんとあるものなんですけど、まあ一例としてね)」、そういう「個別性から逃げている場所」でずっと居ようとするのって、ちょっとシンドイと感じる人が多いと思いますしね。

その意味での「客観化されたシステムの運用者としての優秀性」って、凄く「ハマるタイプ」の人はそれをやるべきだと思うけど、でも、それが辛いタイプの人がやっぱり人間の8割以上だと思いますし。

で、そういう時に、「できるだけ戦略的に考える。策に策を重ねて考える。アタマを使いつくす。考え尽くす。でも、最後の最後の最終的には、もう”ここだ”と決めて脇目もふらずにキメウチで積んでいく」っていうモードがね、やっぱ・・・やっぱ・・・・「良い!」と思うんですよ。

まあ、そっちの方が「合理的だ!」とか他人にまで言いはるつもりもないんですけど(笑)本心としてはそうだと思ってるしね。

で、そういう時に、多少以上に粘着質な関係を、「あえて」選んでいくってことは良いことだと思うんですよ。それは不自由なようで結構自由だしね。

要するに、例えば男女関係に結婚が全然なくて・・・ってなると、いつも相手に対して「気を使って」ないといけないというか・・・・なんていうか、「相手にとって素敵な人でありたい」というだけではない、「今風にイケてる存在だぜアピール」みたいなんが必要になり続けるんで、案外結構シンドイ部分もあると思うんですよね。

そこんところで、「形式的自由の中で本質的な不自由にガチガチに縛られる」ことになりがちなんじゃないかと。

でも、「もうこの人」って決めちゃってあれこれ制度的にカッチリしたものまで作ってしまうと、まあ本当にお互いにとって不幸な関係になってきちゃったらいつでも別れたらいいとは思うんだけど、でも多少はお互いを縛り合ってるからこそできることってのもあるかなとか。

「本当は抱えてることなんだけど、今の世の中でイケてる存在というルールとしたら良くない性質」とかって、人間いっぱいあるじゃないですか。

で、そういうのを出していきたいってなったときに、あらゆる関係が「常に集合離散する自由さ」で動いていると、それを「隠し続ける」ことになっちゃいがちだと思うんですよね。

で、もちろんある程度は気を使いながらも、「どうしてもこういう部分があるねん、俺には」っていうことも、お互い全部共有していくように持っていきたいんですよね。

そうすることで、何かを「積んでいく」ことができるような気がする。「相手を一人に選ぶ」という不自由さを設定することで、その中での「深い自由」を得られるような気がする。

だいたい、お互いの間に何かが「積んでいく」感じになるっていいことじゃないですか。

思い出話を積んでいけるし、二人の間だけで通じる言葉とか、「あ、いつものあの感じになってきたな」とかいう風な情報が積み重なっていくのって、凄く良いと思うんですよね。

で、昔の人間、特に数世代前までの結婚制度には超強制力があったんで、だから、数世代前の人間関係の粘着性に比べて、僕らみたいな世代が新しく作っていく関係っていうのはどうしても「強固さ」で負けてしまいがちで、やっぱり妻より母親だよなとか、両親は家族だけど妻は他人とかね、そういう感じになっちゃいがちなんですけど。

負けたくないじゃないか

って思うんですよね。

両親との繋がりよりも確実な「何か」を、新しくゼロから積んでいって着実に作っていってやりたい

と思ってしまう。そういう空気の中で生きていくのって単純に幸せだと思うし。

ある意味、それが、「日本社会の古い共同体」に対する自分なりの「反抗」というか「革命」というか、そういう「現代の本当の左翼性の最前線」なんじゃないかという、そういう大げさな気分もあるし。

「古い共同体」vs「グローバリズムのシステム」って、どっちにも幸せはないと思うんですよね。少なくとも僕の幸せはない感じがする。どっちでもどっちもの苦労があるし。

だから、「古い共同体」がグローバリズムによって破壊されていくのは、それはそれでいいんだけど、そのシステムを受け入れつつも、昔の共同体にあったような「豊かさ」を、「今ここで自分たちで」再生していくことにチャレンジしたいんですよね。

そういう時に、やっぱ、「結婚」っていいぜ?ってとこあるんですよ。なんか。



同じような話題として、今回通夜とか葬儀とかって、よく出来てるなあ!って思ったんですよね。なんか、イベントプロデュースとして非常に優秀なスキームだなというね。

親戚が集まってざっくばらんにワイワイやる時間と、厳粛さを演出してシッカリキッチリと何かを確認する時間が交互にやってくるっていうかね。

特に、通夜の夜に、集まってきた、初めて会う、あるいは子供のころ一回会っただけっていうような親戚の人たちとお酒を飲みながら、故人の思い出話をするのとか凄い良い時間だなと思うしね。

なんか、一個前の記事で書いた高野豆腐の大店の家で育った、僕の祖母の姉(92歳)が、息子二人を連れてきたんだけど、物凄い元気でね。今でも週三回はビリヤードやるし、天王寺でもどこでも一人で電車乗って出かけるねんよ!とか言ってて。

なんか、常に動いてないと物足りないみたいで、葬儀会館の人がやってくれるって言ってもアレコレお茶出したりビール出したり湯のみ洗ったりする92歳(笑)

なんか、泉州(岸和田とか)あたりに嫁いでミカン農家をしてたらしくて、僕や弟も子供の頃行ったことあるらしいんですけど。

今NHKの朝の連続テレビ小説であのへんの話やってますけど、ほんと大阪の南側から高野山近辺までのあたりというのは、関西人のラスボスみたいなところがあって、全然気取らないナマの「ザ・関西人」みたいな気風なんですよね。

で、その元気な92歳のおばあちゃんがほんとずうううううっとしゃべってるんで、まわりも引っ張られてずっとそういう空気になって。

全然覚えてないにも関わらず、うちの弟が「あーあれね!あの時のミカンは人生最高のミカンやったと言っても過言でもない感じでしたわ!」とか言ったりして(笑)で向こうも「せやろーせやろー」とかなんとか。

親戚が関西人ばっかりって人は雰囲気わかると思うんですけど、本気でずっとこんな感じなんですよね。誰かが話し出したら、だれがこの話にオチを付けてやろうかと手ぐすね引いてるみたいな(笑)

「あのお爺ちゃんは子供のころ優秀でアタマよくてねえ」「いやーもうほんとそれはバッチリ受け継がしてもろてるから大丈夫ですわ」「うわー大きゅう出たなしかし」「言うとけ言うとけー」みたいな感じで。

そうやってずっと陽気にしてるのが「供養」になるみたいな世界観なんですよね。いや、うちの親戚だけかもしれんけど。

で、そうやって思いっきり開放的にやる時間が終わったら、ちょっとした間にシンミリする瞬間もあったりね。

通夜明けの葬儀の朝に、祖母が「圭造、私は本当に寂しい!」って言って泣き出したんで、よしよし、大丈夫やでー大丈夫やでーって背中なでてあげてたんですけど。ある程度一緒に長い時間過ごすタイムスケジュールになってるから、盛り上がりが自然にひけてきた時間帯にはそういう瞬間も自然にやってくるしね。

葬儀が終わって出棺ってなった時に、最後のお別れとかで、みんなで花とかお供え物(愛用の帽子と日本酒と産経新聞 笑)を入れてたんですけど、そこで祖母が祖父の顔なでながら10分ぐらい号泣してね。

「おじいちゃーんありがとう。おじいちゃんと一緒になれてよかったよーほんと、私は幸せやったわ。おじいちゃんで本当によかった。一緒になってくれてありがとうな。色んなとこ行ったな。色んなことあったな。向こう行っても見守っててな。私は寂しいよ。寂しい。おじいちゃん。もう会われへんのやな。おじいちゃーん・・・」

って感じで。

なんか、あれは凄い参列者ほとんど全員貰い泣きって感じでしたけど、ああいう瞬間も、自然に来るようになってるし、その瞬間をその夫婦だけで迎えるよりは、みんなでそれを見守りながら貰い泣きすることで、何かをおすそ分けしてもらって何かがスッキリ解決するみたいなものがある気がしたしね。



こういうのもね、どんどん簡素化していく流れだと思うんですよね。結婚式が様変わりしていくように、葬式も様変わりしていく。

実際、僕の友人の直江文忠っていう、戦国大名みたいな名前のやつが、形式を廃した、もっとハートフルに「気持ち」にフォーカスした葬儀を、っていうベンチャーをやってるしね。

そう、だから、あらゆる形式は、時代に合わなくなったら捨ててしまえばいいと思うんですよ。

ここ60年ぐらいの左翼思想の流れって、「今は常識と考えられているようなことも、所詮ここ●●年の一時的な仮のトレンドにすぎない」みたいな論理構造なことが多いじゃないですか。

で、そういう思想潮流が完全に確実に人類社会にビルトインされるまでは、やっぱやりすぎなぐらいガツンと「告発」していく姿勢が必要だったとは思うんですよね。僕も大学時代にフーコー読んで、「かっけえなあ!」って思ったしね。

でも、今や、そんなことは誰しもがわかってる時代やしね。「別に家族だからってわかりあえてるなんてわけじゃない」なんて誰でもわかってることだし。

でも、「古い共同体」vs「グローバリズム的な”告発者”」って、誰も幸せにならないんですよね。

なんせ、「古い共同体」の面倒くさい部分っていうのは、一種中学校の体育会のフォークダンスみたいなもんだからね。

そりゃみんな「えー」「だるいわー」「別にそんなんやりたくねえしー」とか言ってるけれども(最近の子供はそうでもないのかな?)、でもみんな内心ドキドキしてたりして(笑)

本当に嫌ならね、というか「時代に合わない」感じになってきたなら、辞めたらいいと思うんですよ。

でも、その時に、「変革者・告発者」の方は、「古い共同体への憎悪」で「無理をした逆張り」をしているのか、「本当にそれを望んでそうしているのか」は考えてみたほうがいいと思う。

そうじゃないと、そういう「左翼的ムーブメント」は、決して「生きている人のリアリティ」のレベルで誰かを幸せにしたりしないからね。

だから、無理矢理に全員をフォークダンスさせるようなのが、だんだん嫌になってきたなら、また別の、「思い出作りのための仕切り方」をみんなで考えるように持っていければ理想なんですよね。

できるだけ個人を圧殺せずにみんなの気持ちが自然に場に吐き出されるように、寂しい思いをする人がいないように、でも誰かに無理矢理押し付けで不本意なことをさせるようにはならないように・・・・っていうような「イベントプロデュースのスキーム」「”場づくり”の技術」を、みんなで考えるようにしていければいいんですよ。

でも、今の世の中のあらゆる対立っていうのは、「古い共同体のしきたりのそのままの遵守」を求める人達(和の国を生きる”薩摩藩的な人”)と、それ憎しがゆえに「完全にドライでスッパリ切れたグローバリズム的システム」を求める人達(個人主義者の”長州藩的”な人)との間の、果てしない罵り合いになってるんですよね。

その間に「21世紀の薩長同盟」的なムーブメントを起こすっていう時のカギになるのは、要するに、あらゆることを、「イベントプロデュースのスキーム」的に、「機能主義的に」見ることだと思うんですよ。

で、その時に、「古い共同体のあり方」の中にある、「因習」的な部分を、ただ「悪い部分を非難する」感じにしない方がいいと思うんですよね。「個人を大切にしていない」とか「女性をモノ扱いしてる」とかね、そういう風に言い出すと、誰のためにもならないケンカになるんでね。

だから、「今の自分の感覚として嫌な感じ」って言うのなら、「今の価値観で当時の価値観を批判して罵倒する」方向に行くよりは、

単純に、「なんか・・・嫌じゃん?」でいい

んですよ。

「嫌だから変えようぜ」以上の議論は、この場合、結局誰のためにもならない

と思うんですよね。

そこでスッパリと、「こういうときって、やっぱ嫌じゃん!?」ってぐらいで「面白いネタ話」程度で行けば、古い共同体を擁護する「薩摩藩側」の人としても、「せやな。まあそういう時は色々面倒臭い部分もあるな」っていう部分までは同意してもらえることが多いと思うしね。

それを、まるで「古い共同体の人間は人間性の理想を全然わかってない未開でガサツな蛮人なんだ」ぐらいの言い方していったら、そりゃケンカになるだけだし、「裁くな、その基準で自らが裁かれるからである」で言うなら、結局「あいつらとは俺は違うんだ」って主張したいがために自分自身が必要以上に不自由にぎちぎちに縛られた人生を送らなくちゃいけなくなるんですよ。

それは、どっちのためにも、誰のためにもなってないですからね。

だから、そこから大事なのは、「どうでもいい馬鹿馬鹿しい制度に見えるもの」の中にある、「みんなのためにちゃんと考えられた配慮」を、薩長両側で救い上げていこうとすることだと思うんですよ。

通夜とか面倒クサイよなあ・・・・でも、やってみればこういう時に結構ええもんやで・・・っていうようなね。

そういう「こういう狙いがあるんだ」っていうことをちゃんと明晰に機能主義的に取り上げようとするなら、色々な事情で簡素化していったとしても、「こういう場を作っておけば代替できるよな」って感じになる。

そういう風に見ていく「薩長同盟のモード」が確実に分厚く文化として成立していけば、グローバリズムも、資本主義も、とにかくあらゆる「システム的なもの」が世界を覆い尽くすことって、やっぱ「透明で風通しがいいし、いいもんだよねえ」ってみんなが思えて、しかも、そのシステムの上で、「こういう文化を成立させていけば、みんな寂しくないし幸せに生きられるよね」っていう仕切りを新しく「あらゆる人の知恵を使って」組み上げていくことができるようになると思うんですよね。

それは、葬儀とか結婚とか、そういう制度的なものだけじゃなくて、経営のやり方とか働き方とか、そういうのも全部含めてね。

で、そういうムーブメントが起こせるようになるには、一回、もう「グローバリズム側」「システム側」が、「絶対引き返すことがないぐらいまでに強力に世界に行き渡る」ことがまずは必要だったんですよね。

なんせ、惰性の古い共同体の頑固さって凄いからね。だから、もう古い共同体の存在感は「風前の灯火」ってぐらいまでシステム側にガチガチを行き渡らせてしまって、もうあらゆる人間が、「古い共同体側」は、「終わった存在」って思うぐらい・・・・まで行かないと、

「あれ感じ悪いように見えるけど、案外良い面もあるでぇ」というムーブメントは始められない

んですよ。

だから、過去にあらゆる人類同士の不幸な争いごととかね、経済の不調とかね、そういうのは、「起きてしまったことはすべて正しい」でいいと思うんですよね。水に流そうぜと。

新しい時代には新しい時代の葬式のやり方があるように、結婚式のやり方があるように、「古い共同体」vs「新しく無機質なシステム」という対立を超えて、「天空の城ラピュタを木の根が取り囲んでしまうように」、今まさに世界の中で日本において、経済・政治・男女関係の文化・芸術、その他あらゆる分野において共通して立ち上がっていく「21世紀の薩長同盟ムーブメント」が、「結果として」、人間社会の本当の「美しき連携」を、再度グローバリズム最前線において立ち上げていくことになるんですよ。

それによって日本は人類の希望の星となるのです(笑)

今の時代、金融システム的な資本主義が世界中を覆っているから、「本当にみんなのためになること」を、ちゃんと時間をかけて「経済合理性」にまで結晶化させるプロセスをやったならば、今度はそれがガンガン世界中に何の障害もなく行き渡るようになってますからね。

今はまだ、「本当にみんなのためになること」を「経済合理性の形に結晶化」させる技術が未成熟だから問題起きてますけど、いざ本当に「21世紀の薩長同盟」的なムーブメントが分厚く起きていって、「まさにこれこそ!」っていうような結晶が次々と「経済合理性の形式」に乗って行くのならば、人類が時間をかけて整備してきたグローバル資本主義の暴力的な決定力が、「今を生きている我々」を全員幸せにしてくれる流れは立ち上がるんですよ。

あと一歩。もうちょっと進むんです。それまでは、薩長両藩は、嘘くさい美談でごまかさずにお互いの本分を極限まで尽くして、対立しておくことが必要ってこともあるんですよね。

「直前まで罵り合っていたからこそできる最良のパートナーシップ」

を実現するためにもね。



ということを、思いました。

でも、なんか、祖父が死ぬというのは、一種清々しい気持ちになるものだなあと、思う部分もありました。

なんて言うと人非人みたいですけど、でも、死ぬその前日まで自力でトイレに行って死んだ祖父は見事だったと思うし。

それがもう無理になりそうだったタイミングで、「そこで人生を終わらせたいと思ったんだな」という風に理解するならば、「その決断を他人がとやかく言うものでもないだろ」的なね。

死んだ人は、やはりそこで役割を終えたんだと思ってあげたらいいと思うんですよね。入院を拒否して、自分の人生を自分の手で、しっかり把握したまま終わらせようとした祖父の姿勢は、いわゆるクオリティ・オブ・ライフ的な意味でも「尊重されるべき何か」だったと思うし。

切腹とか殉死とか特攻とかまで行ったらアレだと思うんですが、自分の人生の終わり方を「キッチリ」としたいと思うダンディズムって、その人の尊厳にとって最上級に大事なものなんじゃないかという感じが僕はするし。

て、あとは生き残った人が引き継ぐぜ・・・ってなるならば、バトンを受け取ったんだからもうとにかく走れよって言われるような、なんかそういう清々しさがあったりするなとか。

僕、レディ・ガガで一番好きな曲は「The edge of glory(例によって宣伝用公式チャンネルなんでリンクさせてもらいます)」なんですけど、これ彼女の祖父が死んだ時に書き上げた曲らしいんですよね。

レディ・ガガって、デビューからしばらくは、色んな意味であんまり広い範囲に(うちの母親とかまで)人気を得るようなタイプじゃなかったと思うんですが、この曲あたりから、なんか突然超真っ直ぐで、パワフルで、逃げてなくて、メッセージ性が明快にある曲になったなあって思うんですよ。

うちの母親までもが「あれはただ変なカッコしてる人ちゃうで!」って力説するぐらいの。

祖父が死ぬって、なんか、そういう風なタイミングにできるイベントだなあって思ったんですよね。

なんか、やっぱ生きていると、特にその人のことを大切に思っていたりすると、「その人が生きて来た価値観を否定してしまうような新しい何か」を強力にストレートに一切のごまかしなしに追求していくとかって、ちょっと難しいと思うんですけど。

でも、去年に父方の祖父が、で、新年に母方の祖父が相次いで90代でなくなったことは、僕にとって、「プライベートでも仕事上でも、彼らの基盤を否定してでも新しい基盤を作っていって良い時だし、その準備ができたんだからさっさとやれって言われたようなもの」だなと・・・・まあ、本当にそうかどうかはともかく、そういうストーリーで理解したら、色々とスッキリするからいいなと思う体験でした。

そう、だから、死んだ人は死んだ人なんだよ。過ぎゆく一切は比喩にすぎない。去ってしまった者たちから受け継いだものは、さらに『先』に進めなくてはならない。

今を生きなくては。

だから、僕自身は全然動じる部分はなかったんですけど、でもやっぱり出棺の時の祖母にはかなり貰い泣きしましたね。やっぱり、生きている人が辛い思いするのは良くないですよ。

過去に死んでしまった誰かのために、今生きている人が辛い思いをするなんてダメなことだと思います。そんなのは、思いやりでもなんでもない。

もし死者が映画や漫画みたいにフワフワあちこちを漂っていて、でも口を出せない・・・みたいな感じでいたとしたら、勝手に死んだ人のことを慮ったつもりで生きてる人間が不幸になったりしてたら「おいおい、俺そんなことしろって頼んでへんぞ!」って歯がゆい思いをすると思うし。

でも、死ぬ直前に祖父は祖母に、「俺が死んだら寂しいやろうから、デイケア(地域の老人が集まって交流する仕組み)にはできるだけ行かせてもらえよ。一人で泣いてないで、みんなと楽しく生きててくれよ。でもな、再婚はせんといてくれな、俺が寂しいから」って言ったらしい(笑)

そういうのをどう解釈して生きるかは、生きている人間の勝手だと思うけれども、「その人と生きた記憶」は自分の中に確実なものとしてあるから、それと大きく矛盾するような生き方をしたら自分自身が辛いしね。だから、「影響は受けるし、何かを受けついで生きる」ことには自然となると思うんですよね。

だからこそ、そこで「形式にとらわれる」ことなく、「誰かと自分は違うんだ!と主張したいがための無理ではない」ような、「本当に生きている自分たちにとって自然なことは何か」を、今ここで考えて作っていく、そして

「積んでいく」

のが、多分生き残った人が自分の人生の幸福を最大化していくにあたっての最適戦略ってことになるんじゃなかろうかと思います。



さて、ちょっとそろそろ新書原稿の改稿作業が大詰めにヤバいんで、ちょっと間が空くかもしれませんが、次回は前回の続きを書きます。

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