左派の過激化する正義感がむしろトランプ大統領再選を可能にする理由

 


今回の記事は、例えば安倍首相が辞任するとなった時に、「安倍氏が支持されていた理由」を直視してそれを包摂しようとすることなく、安倍氏や安倍氏の支持者をリベラル派が罵倒しまくって溜飲を下げているだけだと、結局さらに孤立無援化して「リベラル的でない」政策が通る世界になってしまうのではないか?という話をします。

そして後半では、まさにそれと同じ理由で、アメリカではさすがに今回は米国民主党のバイデン氏の方が勝つだろう・・・と思われていた状況が徐々に逆転しつつある状況にあるという話をします。

この記事を通じて伝えたいメッセージは、

リベラルがやるべきことは安倍氏やトランプ氏を罵倒して溜飲を下げることではなく、「リベラルが取りこぼしているもの」をいかに包摂できるか真摯に向き合うこと・・そうしないと選挙に負け続けるぜ!

ということです。


はじめに●安倍氏やトランプ氏に関する好悪はなぜここまで両極端になるのか?

過去最長の在任期間となっていた安倍総理が突然辞任することになって、色んな人が色んな事を言っていますよね。

私は経営コンサル業の傍ら「文通しながら色んな個人の人生に寄り添って色々と考える」仕事をしているのですが、その「文通相手」さんには「政治的」に分類すれば保守系の人もリベラル系の人もいて、

・昨日電車の中でスマホで安倍さんの辞任会見をLiveで視聴出来て、なんだかしんみりと泣いてしまいました。一夜明けて、今日あたりは「安倍ちゃんロス」な心境ですが、自分でもビックリするぐらいに「悲しんでいるなぁ。」って思います。

と言っている人がいるかと思えば、

・あの不誠実な国会答弁、災害対策の酷さ、公文書の偽造と破棄、報道の自由度の低下、世界と比較し女性活用が進まない、恣意的な記者会見、人事への介入など後世に残る愚行を犯す総理大臣が辞めてくれて大変ハッピーです。

と言っている人もいて、一応お二人とも僕の本とか読んで面白いと思って関係を持ってくれている人にも関わらず、同じ「安倍晋三氏という人間」についてこうまで評価が分かれるというのもなかなか興味深い現象だなと思いました。(ちなみに「文通」のクライアントの男女比はほぼ半々という感じですが上記の二人は女性です。)

この後者の「反安倍派」の文通相手の人が、「なんで安倍をそんなに支持できる人がいるのかわからない。むしろ教えてほしい」という話をしていたので、そういう視点で

あえて「安倍支持者は何を考えているのか」を解きほぐしていくことで、「安倍が許せない人たち」との間の相互理解可能な点はどういうところに生まれるのか?ということを考える記事を書きます。

同時に、この「安倍氏にまつわる強烈な感情的対立」は、そのままアメリカにおける「トランプ氏にまつわる強烈な感情的対立」とかなり似ていると思うので、ここから「世界共通の分断的課題を乗り越える可能性」が見えてくるはず・・・という話でもあります。


1●安倍政権の「評価」をしてみる(まずはポジティブな評価)

SNSでは、安倍政権が終わって、7年たってこんなに凄い成果をあげた!という人と、7年の間にこんなに日本は貧しくなった!と言っている人が、色んなデータを投げあいながら自説を完璧に「証明」しあっているのを見るのですが・・


ざっとまとめると、


A・そもそも毎年首相が変わっちゃうようなことにならなかったのはそれ自体ポジティブな面。


B・外交の基本路線として、新しい安全保障の枠組みの構想なしに気分でアンチ米国的な旗印を掲げて地域全体を不安定化させることはせず、今となっては世界の基調となった「中国政府の無制限的な対外拡張と強権的な国内支配を封じ込める路線」の重要な一翼を安定して担うことができた・・・これもポジティブな面でしょう。当初かなり「中国親和的」だったアメリカ政権がオバマ後期ぐらいから急激に対中対立姿勢を強め、今の「中国政府の強権をこのままにはできないという国際コンセンサス」を形成するに至った流れにおいて、安倍政権が果たした役割は地味に大きいと思います。


最近このウェブ連載記事で書いたように、「あんな強権的な政治政体のまま世界一の経済になられたら困るんだけど」という「当たり前なんだけど誰も言い出さなかった問題」を、今の「世界的大きな流れ」にまで持ってきた基調に安倍政権の安定性は「最初の一石のひとつ」ではあったと思います。


C・株価を高く保ち円安に誘導して「一応好景気」状態にすることで就業者数も増え自殺も減って一応税収も増えて・・・・みたいなところも、まあ評価できる。実際、「期間中に就職活動をした若い人」の安倍政権支持率が有意に高かったのは、民主党時代よりも「就活」が圧倒的に楽だった・・・ということによるとよく言われていますしね。



2●安倍政権の経済政策は高評価していいのか?

ただ、この「経済面での好調」っていうのはなかなか難しくて、そりゃもっと劇的な改善を起こせる人がいたら良かったんだけど・・・・という話ではあるんですよね。

なぜかというと「アベノミクスの成功」とは、なにか物凄く鮮やかな策を打って劇的に改善させたというよりは、金融緩和路線で色々と「無理」をすることで、とりあえず「過去の延長的な仕組みの中でなんとかうまくやれるように」弥縫してきたのだ・・・ということなんですよね。

「安倍政権の経済政策によって我々は貧乏になったのだ」といって、所得の平均値的なものが下がってきたデータを出すのが「反対派」では定番なんですが・・・

なぜそういうデータが出るかというと、要するに安倍政権は、

日本という国をある程度「安売り」してでもアピールしまくってとにかく買ってもらうことで、みんなで忙しくなってとりあえず好景気っぽくしたが、その結果「過去の延長」的な経済構造が温存されて高付加価値化が進まず、「貧乏暇なし状態」になってしまった

ていう状況ではあるんですよね。

この「安売り」と「好景気」って表裏一体だから、「好景気だったじゃないか!」と「(特にドル建ての数字を持ってきて)賃金下がったじゃないか!」みたいな罵り合いは本当に意味がないわけですよ。

「ドル建てで賃金が上がっていっても国内が空洞化しないレベルの十分な高付加価値化戦略を提示する」か、「まあまあみんなで寄り集まって我慢して頑張った・・・ことの功績をある程度は認めた上で話をする」のか、

どちらか一方

にするべきで、ただ賃金下がったじゃないか・・・とだけ言うのはフェアじゃないように思います。

それにこの「平均所得的な数字が下がっていく」ことには「数字のマジック」もあって、

就業者数がかなり増えて「分母」が膨らんだし、期間中に年功序列下で高級取りだった団塊高齢者層の大量退職もあったので、「所得の平均」的指標が下がるのはある意味当然というか、”反安倍”の言う人が言うほど全部安倍のせいというわけではない

ということは注意する必要があります。



3●安倍氏がなぜ必要とされたのか?とちゃんと向きあわねば

要するに安倍政権の7年間というのは、熱烈支持者が言うほどバラ色だったわけでもないし、反安倍の人が問題視する問題はだいたいその通りだったと言えるわけだけれども、

「そういう選択を民衆総体として選択せざるを得なかった人々の思い」

を上から目線で断罪しまくる姿勢は、ちょっとゲスいんじゃないですか?という気が私はします。

そりゃ自分は「恵まれた存在」だから、「つかのまの安定」にすがりつく民衆を罵倒できる高潔な自分を思う存分ナルシスティックに味わえる「特権的地位」があるかもしれないけど・・・ねえ?

結局民主主義というのは「総体的な本能的民意」で決まっていく話ではあるので、先程の「メリット面」において、


「ただ混乱するよりはある程度押さえつけながらとりあえずの安定を成立させることを民衆は望んだのだ」


というふうに考えると、あまり頭ごなしに罵倒しまくるのも違うのかなと私は考えています。

別にありとあらゆることに「代案を出せ」というわけじゃないですが、たとえば米軍基地問題とかでも、その負担云々という問題を扱うなら、それと同時に東アジアの平和維持方法を自分たちなりに説得的で一貫したビジョンとして示すとか、そういう「路線として乗り換えてもいいというビジョン」を提示できるかどうかがやはりどうしても必要だったはずで。

「自分たちの理想についてきてくれない普通の人たちの願い」をいかに包摂してリードしていこうか・・・でなく、。バンバン「断罪」することに熱中しはじめているのが、全世界的な今のリベラル派の特徴で、それはリベラルな理想をちゃんと具現化していくにあたって、本当に「危険なこと」ではないかと私は考えています。



4●「リベラル派が、リベラル派の世界観の外側にある存在をいかに包摂できるか」

この8月は、半ばぐらいにアメリカ民主党が「バイデンで行くぞ」と正式に決めて、それまでやってた内輪もめをやめて世界中のリベラルメディアと共鳴しあって強烈なプロパガンダをはじめ、またそれを警戒した世界中の保守派がカウンター的なプロパガンダをしまくっていたので、個人的にはどんどん強烈な嵐に巻き込まれていくような体感の中で生きていました。

8月中旬以降、あまりに「世界中にバカでかい嵐が来ている」体感だったので、個人的には安倍氏が月末に辞意表明したのも自分でも意外なほど驚かなかったというか、「そりゃこんだけ世界中が激変してりゃそれぐらいの変化は日本にも起きるよね」という感じでした。

で、「これから」なんですが、結局、


「リベラル派が、リベラル派の世界観の外側にある存在をいかに包摂できるか」


これにすべてがかかってくると感じています。

以下の記事↓で書いたように、

ポスト安倍時代のポリコレのあり方について。ゴーストオブツシマと欧米のフェミニズム本「BOYS」と「萌え絵」問題と悪役令嬢ストーリーとサムライカルチャーにハマる外国人についてなど

例えばアメリカの場合でいえば・・・


「我々の日常生活を守ってくれる警官の命も大事だし、黒人の命も当然大事だし、どうやったら改善していけるか考えたいですね」


という程度の発言ですら、徹底的に罵倒されてしまいそうになる昨今のアメリカの状況は、


そういう態度が、いわゆる”隠れトランプ支持者”を静かに強力に増やしまくっているのではないか?


とかなり私は心配しています。

誰が銃を持ってるかわからないアメリカで警官やるって本当に大変なことなんで、


「今日も命の危険をおかしながらコミュニティの治安を守ってくれている多くの警察官たちに私達は敬意を払っているし、問題は一部の黒人と見れば攻撃的になる偏見を持った警察官をいかに掣肘するかなのだ」


的な、


「デモ隊と暴徒を一緒にするな」の論理を「警官」の側にも向けるようなキャンペーン


をちゃんとやることは、「バイデン側の選挙戦術」としても不可欠なことではないでしょうか?


5●トランプ派はこの「弱点」を徹底的に突いて来るぞ!

今トランプ派はこの点を物凄く徹底的に突いたキャンペーンを繰り返していて、民主党側はどんな破壊的行為をやる人間だって擁護するし、ちゃんと秩序を守って生きている人間を憎んでいるアナーキストなのだ、みたいな広告をバンバン打っていて、最初はかなり差があったバイデン氏との支持率差もジリジリ狭まってきているわけですけど。

私はそこでなぜ、「問題なのは差別的行動を取る一部の警察官であり、命をかけて治安を守ってくれている多くの警察官への敬意を私達は失っていない」という程度のことをちゃんと明確なメッセージとして出せないのか?本当に不思議な気持ちになっています。

むしろ、


「ほんの一部の暴徒のせいで、多くの”平和的な抗議者”が濡れ衣を着せられているのだ!」

的な、

人種差別への抗議を徹底する形で暴徒に対する厳しい意見を表明するメッセージ

だって工夫できるはずなのに、なんでやらないのか?


・・・・と思っていたのですが、その「なぜ米国民主党はそれをやらないのか?」についてツイッターで慶応大学の中山俊宏教授に質問したら、丁寧に以下の返答を返してくださいました。

「正しきことをしている」という感覚がゆえの不寛容さが最悪の形で発露しているとしか言いようがないですね。今の民主党にとって、「ソーシャル・ジャスティス急進派」は極めて危険な存在です。これはサンダース的左派(部分的に重複しますが)よりもはるかに厄介な存在だと思います。

いまの米国ではこのツイートだけで「キャンセル」されてしまいかねません。私もサリバンの危機感を完全に共有します。重要論考だと思います。そのサリバンが主流メディアから事実上締め出されたことそれ自体が多くを物語っています。

(文中の「サリバンの論考」というのはこの記事のこと。)

中山先生が「自分のこのツイートですらキャンセルされかねない」と書かれている”キャンセル”というのは、最近政治的過激派が、自分の”正義”の基準から見て気に入らない公職者を徹底的にクレームを入れてクビにしてしまう運動のことを指します。

”上記程度の”発言ですら”キャンセル”対象というのは明らかに行き過ぎではないでしょうか?

もちろん、アメリカにはアメリカのやり方があるんだろうから、コレで本当に「押し切って勝ちきれる」んならいいけど、でも明らかにジリジリと世論調査の「差」は縮まってしまっているわけですよね。

「人種差別問題に対して勿論取り組むべきだが、それは関係ない商店を襲ったり焼き討ちにしたりすることを容認することではない」

・・という程度のメッセージすら明確には出せない・・・という運動が、本当に社会運営に対する態度として正当なのか?一度考えてみないと。

「そういう意見に自己陶酔しているインテリ」さんはたいていお金持っていて、治安悪化して大変なトラブルに巻き込まれるような地域には決して住んでいない可能性が高いわけで、場合によっては昨日までワイワイ「暴動」を応援してたけど、自分の家の近くで暴動が起きたら激怒したり警察呼んだりした・・・というような話もよくシェアされており、「そういう欺瞞」って本当に真実のパワーをもって人々を説得できるものなんでしょうか?

これは、中国問題にしても同じで、

「中国だから仕方ないよね」では済まされない。激化する中国包囲網の中で日本が取るべき選択は?

この記事↑で書いたように、先進国内のリベラル派は、自分のところの「権力者」をあらゆる細部まで批判したいがために、隣国の「もっと強権的な政府」のことに凄く甘くなってしまいがちだったりするんですよね。

そういう「リベラル派のバグ」の部分を、トランプ的な存在は突いてくるわけですが、それは「リベラル派が持っている閉じたインテリ世界だけがすべてだと考える独善性」を反映しているわけですよ。


6●「(現時点での)リベラル派の理想についてきてくれない民衆」を「断罪」しはじめたらそれはリベラルの終わり

要するに、「リベラル派の世界観が見えてない範囲の現実を無視している」から、安倍氏やトランプ氏といった「無茶」をやる人たちによって埋め合わされる必要があった・・・のだと考えると。

私達は、その「今までのリベラル派が狭いインテリサークルの中だけで閉じてしまっていた問題」を、「その外側のリアリティ」までちゃんと拡張していく課題に向き合う必要がある。

でもそのためには、「(現時点での)リベラル派の理想についてきてくれない民衆」を「断罪」しはじめたら終わりだってことです。

それやりはじめたら、もう「中国みたいな政体でいいじゃん。アホな民衆どもにつきあってくのはやめようぜ。エリートの自分たちが全権握っていった方がいいに決まってるじゃん」的な世界まであともうほんのちょっと!で突入してしまうことになりますよ。

「リベラル寄りに共感してるけど、過激すぎるとついていけない」というようなレベルの層をちゃんと包摂できないで罵倒しまくってるだけだと、あっちこっちの「愚民ども」を上から目線で罵倒しまくるのは大変お気持ちがよろしいかもしれませんが、リベラルは負け続けるぜってことです。

もしあなたがリベラル派だとして、トランプや安倍氏の熱狂的な支持者の中には、リベラル派から見てどうしても許せないタイプの人がいるでしょう。そこは当然意見の違いですから、そこを受け入れる必要はありません。

しかし、日本で言うなら、

「混乱して全く明快なビジョンが見えない中で、とりあえず安定した状況に逃げ込みたいと願う人々の心」

だったり、アメリカで言うなら、

人種差別問題は当然重視しているが、必死につくりあげてきた自分のビジネスを暴徒に焼かれて途方に暮れている人とか、その様子を見てやはりオカシイと思う自然な感情

とか、

そういうものを徹底的に「敵視」し続ける状況が続くと・・・・

二週間ぐらい前は、「さすがに今回はバイデンになるのでは?」と私は思っていましたし世論調査などの数字も結構差がありましたが、すでにそれがかなり縮まってきています。

リベラルの理想を捨てたくないのであれば、現時点ではついてきてくれない「普通の人の願い」をいかに包摂できるかに必死になるべきです。そこで「断罪」しはじめたら、もう終わりですよ。終わり!

じゃあどうやって「普通の人」との「先鋭化した理想」をコミュニケーションをしたらいいのか?については、今世界中で大ヒットしている「アメリカのゲーム会社が作った元寇の時の対馬のサムライを操るアクションゲーム」=「ゴーストオブツシマ」の例から、私達は「先鋭化した意識高い系の理想」と「古い社会の伝統や普通の人びとの生活」をどうやって自然に溶け合わせていけばいいのか?について、萌え絵やフェミニズムや「悪役令嬢もの」や「異世界転生モノ」といった日本のカルチャーについて触れながら考察した記事が今非常に好評をいただいているので、ぜひお読みいただければと思います。

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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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