ユニクロ・アシックス・無印・・ウィグルなどの中国人権問題について日本企業はどういう態度で望むべきか?

中国の人権問題が世界的にクローズアップされ、米中冷戦も激しさを増す中で、日本という国、および日本企業はどういう態度でこれに臨めばいいのでしょうか?

私は、これを単なる受け身の問題として捉えずに、日本という国の存在価値を大きく国際社会にねじ込んでいくチャンスとして捉えたいと思っています。

今回の記事では、アジアと欧米の間で生きてきた日本にこそできる、私たちにしかできない貢献の道について考えてみます。

1●世界中の企業が「踏み絵」を迫られている

中国の(特に新疆ウイグル自治区における)人権問題について、日本企業が「踏み絵」的に難しい決断を迫られる場面が増えてきています。

最近話題になった中でも、

・アシックス社の中国現地法人が、中国のSNS微博において、「新疆ウイグル産の綿花の購入を継続する」と表明しただけでなく、”台湾は中国の一部分とする「一つの中国原則を堅持」し、「中国の主権と領土を断固として守り、中国に対する一切の中傷やデマに反対する」”とまで言った件が中国国外において大きな批判にさらされ、後に削除された。

・ユニクロ(ファーストリテイリング)の柳井正会長兼社長が、新疆ウイグル産の綿花の使用について「人権問題というよりも政治問題であり、われわれは常に政治的に中立だ」としてコメントを控えた件に関して批判が集まった。

・無印良品も新疆ウイグル産綿花の取引継続を表明。「国際機関が発行するガイダンスにのっとり独立した監査機関に調査を依頼し、サプライチェーンに重大な問題点はなかった」とリリースを読み上げる形で販売継続は妥当であることを強調した件も批判されています。

・・・といった例がありました。

実際のところ、こういう問題は欧米企業でも同じで、H&Mは地元の欧米においては高まる批判の声に応えて「懸念を表明」したりはするけれども、中国の現地法人は「これまでどおり中国の消費者を尊重する、いかなる政治的立場も取らない」とユニクロと変わらないようなコメントを微博に投稿していたりします。

結局世界中どこのアパレルメーカーも、巨大な中国市場を失いたくないし、一方で高まる人権関連の懸念にも応えないといけないし、という板挟み状態にあるわけですね。

中でもナイキなどのいくつかのアパレルメーカーは「新疆ウイグル産綿花の使用中止」に踏み込みましたが、案の定中国では強烈な不買運動が行われているようです。

折しも15日夜から菅首相は日米首脳会談に向けて渡米しており、このフィナンシャル・タイムズの記事によると、米国は日本と共同声明で「台湾を支持する」表明を求めてくる見通しだそうで、政治的に「米・日vs中国」といった図式が激化することは避けられません。

この難しい国際状況の中で、日本および日本企業はどういう振る舞いをしていくべきでしょうか?

2●「どっちについたらトク」とかじゃない”誠意ある道”を

この話になると、ついつい「どっちについたらトクなのか」という話になってしまいがちですよね。

「中国市場でボイコットされないようにする」方がトクなのか?それとも「人権に配慮している態度を見せることで欧米における評判を取る」方がトクなのか?

そういう「どっちがトクか」で行動する存在が、マトモな信頼や敬意を得ることは難しいでしょう。そういうのってどこか透けて見えるものですからね。

では、この難しい状況の中で、日本企業および日本国が取っていくべき態度とはどういうものでしょうか?

それは、「新疆ウイグル自治区で起きていることを、欧米側の視点でも中国側の視点でもない形でちゃんと調べていく」ことだと私は考えています。

「こいつは悪だ」と決めてかかった時の「欧米メディア」の報道がときに物凄く一面的で偏見に満ちたものになりえるか・・・ということは、「イラクには大量破壊兵器がある」というレベルの大問題から日常的に些末な事まで、欧米内の現象を扱った記事であれば決してしないであろうレベルのザツな取材や曲解が珍しくないことを、「非欧米」の日本人なら多少なりとも悔しい思いをして知っているはずです。

一方で日本においては、ここ最近目についたものだけでも、日本人の中国に関わっている記者さんや学者さんの中で、

毎日新聞の米村耕一氏記者の記事

丸川知雄東大教授によるニューズウィークの記事

など、独自取材・考察に基づく「中国で本当に起きていること」に関する論考がチラホラ出てきています。

彼らの記事を読むと、

中国側のプロパガンダにあるようなバラ色の新疆ウイグルはさすがにウソ

だが、一方で

欧米メディアが「糾弾モード」に入った時にアレもコレもと報道されるネタにはかなりウソや曲解したものも多い

ことがわかります。

欧米世界が今まさに中国を「許されざる敵」認定して、一気に叩きに走ってるんだから何も考えずに尻馬に乗って批判しておきゃいいんだよ!・・・と思うかもしれませんが、そういう態度で中国側が納得するわけがありませんよね。

世界のGDPに占める欧米の割合が年々減り続ける21世紀には、”欧米”というのは世界人口の10%強しかいない狭い世界なのだという事実と向き合う必要がある世界でもあります。

本当に中国に態度を改めさせたいからこそ、「批判の内容」に曲解や虚偽が含まれていないかを真剣に精査する必要がある。

そういう役割を担っていく事こそが、「どっちについたらトク」とかではない本当の誠意の道であるはずです。



3●中国人や「中国シンパシーの世界中の人」も納得できる形を考えるべき

これは最近色んなところで書いていることですが、ある「世界街角インタビュー」的なYouTube動画を見ていたら、若いタイ人の大学生が流暢な英語で、

「アメリカみたいな民主制がいいのか、中国みたいなシステムがいいのか、どちらにも長所と短所があるのでそれぞれの国が自分たちの実情や発展段階に応じて選ぶ事が大事ですね」

と、まるでスマホはiPhoneがいいかAndroidがいいか・・・みたいな気軽な調子で話していたのが衝撃的でした。

「日本語が話せる中国人」のSNSの発言を見ていても、日本語が流暢で日本のアニメなどが好きで日常的な会話においては非常に現代的なセンスを持っているように見える若い人でも、こういう話題に関しては欧米的なやり方に対する無条件の尊重心のようなものは全然ない世代が増えてきています。

「欧米メディアの一方的な報道」に相乗りする形でただ批判するだけだと、こういう世界中の「中国シンパシーを持った人たち(欧米の高圧的な態度に嫌悪感を持っている人たち)」まで全部中国側に回ってしまう危険性があるわけですよね。

しかし、そんな彼らでも、先程の毎日新聞の米村記者や丸川知雄東大教授の記事のような内容を丁寧に話していくなら、納得する人はかなり出てくるように思います。

もちろん、「中国政府のプロパガンダ以外を全く受け付けない層」も当然いるでしょうし、そういう人たちには何を言っても無駄でしょうが、

「当然中国政府の言ってる事だって脚色があるだろう」

と考えるのはむしろ中国文化における基本的人生観といってもいいぐらいなので、「”どっちについたらトク”とかでない誠意」によってちゃんと

「欧米メディアのプロパガンダは別として、実際問題”ココ”はさすがに改善するべきでしょう」

という軸に「アジア人同士のナマの共感」を引き寄せていけるかどうか。

丸川教授の記事によれば、「北疆」と「南疆」地区を分けてみれば、「北疆」地区では綿花生産の機械化が進んでおり、強制労働があるとすれば「南疆」地区であるはずだそうです。

「欧米メディアのプロパガンダとは違う路線」で、上から目線でなく地に足ついた分析と改善提案をしていけば、いざ「やる」となったら強烈な事ができる中国政府の豪腕を持ってすれば、「北疆地区でできていることを南疆で実現する」ことも可能なのではないでしょうか。

4●日本は「ヤンキーの気持ちがわかる優等生」の道を進むべき

とはいえ一方で、欧米と協調して中国政府の強権的姿勢に「NO」と言う態度を、日本国全体としては示していくことも重要だと私は考えています。

今回の菅首相の訪米でも、ちゃんと協調してインド太平洋地域への中国の軍事圧力を非難する声明を出しておくべきです。

なぜかというと、もしそういう面まで日本が中国サイドに立ってしまうと、米中冷戦時代の人類社会が完全に「アジアvs欧米」にスッパリ分断されてしまい、どちらも一歩も引けない構造にまっしぐら・・・ということになってしまうからです。

幸いにも日本には米軍基地もありますし、日米同盟も強固なので、完全に日本が「中国サイド」に立つことはありえないでしょうが、その事は折に触れてしっかりと明確化しておくべきです。

軍事衝突を実際に起こさないようにするには、「紛争を仕掛ける側」が「簡単にやっちゃえるんじゃないか」という予想を簡単には建てられないように拮抗させておく必要があります。

インド太平洋地域に果てしなく軍事圧力を加えようとする中国の姿勢にちゃんと「NO」を言っていく部分においては、欧米特にアメリカとの協調で一切の曖昧さを残さないようにしておかないと、中国側に「あれ?これやっちゃえるんじゃない?」という感覚をもたせてしまう可能性がある。

それによって突発的に「実際の紛争」が起きればあらゆる人が不幸になるでしょう。

日米同盟をはじめとする国際協調による中国の軍事的膨張への圧力を明確に確認し、ちゃんと「拮抗状態を維持する」ということは、強烈な国家的膨張のエネルギーを自分たちでコントロールできずに、全方位的に恫喝外交をしまくることで敵ばかり増やすことになってしまっている彼ら中国人のためにもなるはずです。

つまり、

・「NOと言うべき部分」においてちゃんとNOと言っておくこと

・欧米メディアのプロパガンダからは距離をおいてちゃんと事実を精査すること。そしてアジア人同士の共感関係を利用して中国に改善を促していくこと

この「両方」をやっていくことが、米中冷戦を本当に「火を吹く戦争」にしないためにも日本に求められていること・・・と言うことになるでしょう。

ここでも、「どっちについたらトクか」ではなく、ちゃんと「本当の誠実さ」を持って事にあたっていくことが重要です。

日本が果たすべきこういう役割について、私は2014年に出した著書の中で「ヤンキーの気持ちがわかる優等生」の道と表現しました。

「先生」が高圧的に上から糾弾するだけでは余計に「ムカつくからその逆をやってやる!」という方向にヤンキーさんを追い込むことになります。

一方で「優等生」がヤンキーさんと一緒になってタバコを吸ったり学校の窓ガラスを割りまくったりしはじめたら秩序も何もあったものじゃありません。

「気持ち」の面でちゃんとヤンキーさんと繋がり続け、そして先生の批判が一方的で理不尽だと感じる時にはちゃんとそれを制止する役割を担う。一方でちゃんと「優等生」ではあり続ける・・・そういう存在をこそ、今人類社会は必要としているはずです。

5●「問題解決のためでなく、自分がカッコつけるために誰かを糾弾する」悪癖を克服しよう

そろそろ長くなってきたので簡単に述べますが、昨今、特に欧米において、

「問題解決のためでなく、自分がカッコつけるために誰かを”絶対悪”扱いして声高に糾弾してみせる」

ような態度が持て囃されているのは、問題解決を余計に難しくしている悪習であると私は考えています。

そういう態度で「糾弾する事が自己目的化したムーブメント」が大きくなりすぎると、「グローバルで見たそれぞれのローカル社会」や、欧米社会の中でも「その社会の保守派グループ」との間での現実的で難しい交渉をする必要性を皆が軽視しはじめるからです。

結果として、欧米社会の中のほんの一部の上澄み部分の内側において物凄く精密で細かい「正しいマナー」が普及していく一方で、それは結局人類全体の90%を占める非欧米社会や、そもそも欧米社会内においても上澄みの特権階級の部分以外に普及していかない事になる。

数日前に日本語訳が出たマイケル・サンデル(ベストセラーの”白熱教室”で有名な人ですね)の新刊「能力主義は正義か?」を読むと、恵まれた知的なエリート階級が、自分たち以外の労働者を無意識に見下した態度を取っていることが、トランプ・ムーブメントのようなバックラッシュの根本原因にあることを直視するべきだ・・・という趣旨の分析がこれでもかと展開されていました。

たとえば最近日本で話題になった車椅子のバリアフリー問題でも、「当事者が気を使わずにバリアフリーを利用できる環境」をちゃんと広めるためにこそ、「当事者が声を上げること」を尊重する事は勿論重要ですが、それに相乗りして「日本社会の成り立ち」をそもそも論的に否定する「知識人」がたくさんいることが、「日本社会全体」にバリアフリーを通用させていくために良い事なのか、真剣に問い直されるべき時だと思っています。

そういう態度は、「欧米社会(にアイデンティティを同化した存在)がそれ以外の社会を無意識に蔑視する感情」が含まれているのではないでしょうか?

「障害者はわきまえて隅っこで生きるべき」みたいな事を考えている人は多くありません。しかし、日本社会が培ってきた人間関係や社会構築のモードやマナーごと否定するような言説をすればするほど、「多くの普通の人」を「逆側」に押し出してしまうわけです。

「バリアフリーの理想」が、障害者があちこちでペコペコしてなくても普通に生きていける社会であるとするなら、「”当事者”以外」の言説はちゃんと「それぞれの社会の国民性や伝統」とどうやったら調和できるか真剣に考えるべきでしょう。

どうすれば「欧米社会以外の社会の伝統」と「バリアフリーという発想」が調和するのか、両者に対等な敬意を払った上で考えていくべきで、「欧米ではこうなのに遅れてるよねー!」的なオシャベリをしまくることで「日本社会の協力」が得られると思う発想の中に、欧米社会のシェアが果てしなく低下し続ける21世紀には捨て去るべき文化帝国主義的なレイシズムが潜んでいると私は考えています。

この「バリアフリー思想と日本社会との調和」の課題については、「社会運動について研究する社会学者」である富永京子さんの著書、「みんなのわがまま入門」の書評という形で詳細にまとめたnote記事があるので、そちらをお読みいただければと思います。

結局、「特権的なインテリエリートサークル」の内側の論理を、その外側にまで広めていくにあたって、「遅れているダメな人たち」という目線が隠しきれず、現地現物の事情に敬意を払ってすり合わせる地道な試みをバカにし続けるからこそ、結局”欧米的理想”は人類の上澄み10%の外側には決して普及せずにいるのではないでしょうか。

それは単に「欧米人以外は人権思想が理解できない野蛮人」だからでしょうか?そうではなく、「ローカル社会の運営上の事情やそれぞれの伝統」への配慮がない上から目線のゴリ押ししか存在しない事を反省するべきなのではないでしょうか?

欧米的理想をそれ以外の社会にまで敷衍していくにあたって「現地のローカル事情」へ事細かに配慮する努力をあざ笑う傲慢さ・・・が、結局21世紀においては抜き差しならない米中冷戦の形となっているわけです。

その状況の中で日本が取るべき役割は、欧米社会が作り出す「絶対善vs絶対悪」的なイデオロギーを全て徹底的に相対化し、現地社会の事情をちゃんと事細かに読み取って実質的に「優しい」社会を「人類の中のできるだけ多くの人」に向けて作っていくビジョンを実現していくことです。

以下の図のように・・・


以前この連載で書きましたが、日本という国は頭で考えた概念的枠組みだけを果てしなく推し進めて行くようなことは苦手なので、過去20年の「グローバリズム全盛期」には後手後手に回ってきました。

 

しかし、20世紀の米ソ冷戦時代に、「資本主義と共産主義」という全く相反するイデオロギーがぶつかり合う中で、その「イデオロギーにごまかされない実質主義」で着々と自分の道を歩むことで圧倒的な繁栄を引き寄せることができました。

 

当時の日本の事を「最も成功した社会主義国」などと揶揄されたりしましたが、それは「イデオロギーの純粋性」が頓挫する世界において「結局の現地現物」の事だけを見る我々の特性の強みを表したものだったと言えるでしょう。

 

米中冷戦が世界を二分するようになり、単純なイデオロギーを無理やり推し進めるだけの方向性が「拮抗する力」とぶつかって頓挫し始めるこれからの時代は、20世紀の日本が体験したような「ボーナスステージ」を再び引き寄せることも可能だと私は考えています。

 

「世界の逆側の誰か」に全ての責任をおっ被せて糾弾するナルシシズムが横行する時代に、本当の「実質」を目掛けて常に動いていくことで、自分たちが長い歴史の中で培ってきたオリジナリティを現代世界の中で明確に打ち立てていくことができるでしょう。

 

ヤンキーっぽい用語に「ハバを利かす」っていう言葉がありますが、今の時代、「全部敵のせいにしてナルシスティックに騒ぐ」ようなしょうもないヤカラどもがハバを利かし過ぎだと思います。

 

米中冷戦のガチンコのぶつかり合いの中で、私たち日本人が考える「本当の理想はこうだ」というビジョンを妥協なく押し出していって、我々こそが堂々と「ハバを利かし」て行ってやりましょう。

 

そこには、20世紀の日本が経験したような、2つのイデオロギーのハザマにある特殊な実質主義のボーナスステージが、用意されているはずです。

 

私たちならできますよ。

 

もっと踏み込んだ形で、「果てしなく他人を糾弾し続けるムーブメント」を超える、「ニンテンドー型の包摂ビジョン」こそが日本が提示する理想なのだ・・・というnote記事も書いたのでこちらも合わせてお読みいただければと思います。

 

今回記事はここまでです。

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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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