河野太郎氏的な「抵抗勢力をぶっ壊せ」型の改革をそろそろ日本は卒業するべき

今月29日に迫った自民党総裁選は一応まだ河野氏が支持率一位となっているようですが、個人的には今回は高市氏か、せめて岸田氏になってほしいと思っています。

そうすることで、

「抵抗勢力をぶっ壊せ」型の平成時代の改革中毒

のようなものを乗り越えるべきタイミングだと感じているんですね。

むしろ「あと一歩の双方向性」を持って物事を動かしていくタイミングだと感じているからです。

今回はその事について書きます。

1●「あのしょうもない店が全部潰れたら日本経済は良くなりますよハッハッハ」と外資コンサルの上司は言った。

これはもう20年近く前の事なんですが、私は新卒で入った外資コンサルティング会社で、日本政府の外郭団体が主体の日本経済の国際比較プロジェクトのようなもので、ある役員がニコヤカに

「あのしょうもない店が全部潰れたら日本経済は良くなりますよハッハッハ」

みたいなことを物凄くニコヤカに言っていて凄い衝撃的だったんですよね。

これは、「普段からそういうことを言いそうな人」が言ってたらそれほど衝撃的じゃないんですが、その人がもう物凄く普段はあらゆる意味で「感じの良い振る舞い」をする人だったので、その「ギャップ」が物凄い衝撃だった。

彼は決してセクハラやパワハラ的なことはしないし、人種差別的な事も言わないだろうし、いわゆる「政治的正しさ」的なコードは完璧過ぎるほど身につけているでしょう。

しかし、その背後にある「物凄い冷酷さ」みたいなものが完璧にニコヤカな笑顔と同時に存在しているのを見るのは、当時の私には非常に衝撃的なことでした。

「アメリカの事例」って「見た感じ完璧に素敵」で、それに対する日本のカウンターパートは「いかにも土着的でスマートでない」ので、全部アメリカの事例に合わせちゃえばいいのに!って思っちゃうんですけどね。

でもその「アメリカの見た感じのスマートさ」は、「大量の”普通の人”を切り捨てることで成立している」という部分を自覚しておかないと、日本はそれに合わせようとしても結局合わせきれないんですよね。

「アメリカという劇薬」の「副作用」の部分もちゃんと考えて取り入れる必要があるのに、過去30年の日本はその「劇薬」を無理やり日本社会に飲み込ませようとして、

「副作用の心配が…」

vs

「いや痛みに耐えてこそ成長があるんだ、とにかく飲みなさい!」

的な押し合いへし合いを続けてどこにも進めなくなってしまったのだと私は考えています。

2●アメリカで成功した女医さんの記事では語られない部分

たとえば先日、アメリカで活躍されている内田舞さんという女医さんのこの記事が話題になっていて、これは今アメリカのハーバード大学医学部アシスタントプロフェッサーをされている内田舞氏が、日本で女性に期待される役割に窮屈さを感じて、アメリカに渡った理由について書かれた記事です。

こういう女性が自分なりの活躍の場を求めて努力され、活躍されること自体はとても良いことだと思います。ただ問題は、それを「日本において押し止めるアレコレ」が、全部「日本の男社会の偏見的なエゴ」によってもたらされている…という断罪の仕方なんですよね。

例の私立大学の医学部入試の男子加点問題でもそうなんですが、そういうのは単に「男のエゴ」でやってるんではなくて、現状女性医師が増えすぎると傾向として僻地で勤務したがらないし体力的にキツイ診療科に行かないので、今のコストで日本の医療のクオリティを田舎まで含めて日本全体で維持することができないからだとされているんですよね。

以前、「はてな匿名ダイアリー」に以下のような記事があって凄く印象的だったんですよね。

私が医療崩壊のトリガーになる未来

だいたい要約すると、

女性医師も厳しい労働環境の診療科で頑張って働かないと、今後女性医師が増えたら医療崩壊してしまう。それはわかってるから頑張ろうと思ってたけど、私だって結婚したいし子供もほしい。だから申し訳ないけど私はラクな診療科に行って今の彼氏と結婚します

…みたいな話です(もっと詳細に細部の制度の問題が書かれているのでリンク先ぜひどうぞ)

もちろん、だから女性差別はOKだ…という話じゃなくて、「変えるなら”誰かを悪者にして終わり”じゃないような全体の構造を変える議論が必要」ってことなんですね。

そうしないと、

「私立の医学部にいけるような(比較的恵まれた)若い女性の権利を守るために、貧乏人や僻地で暮らす人が現状受けられている医療のクオリティを落とす取引」

…になっちゃうんで、そりゃ社会の側も抵抗するよね…ということになる。

それでも無理押しに「日本の男がいかに女性を抑圧してるか」みたいな切り口でばっかり吹き上がってたらそりゃ恨まれますよ。

世界的に見れば比較的安価な給与で、日本の医師が信じられないほど長時間労働することで維持されている日本の医療が限界に来ている現状があるわけで、それを「構造的に変えるべき」という話なら男女関わらず反対する人はほぼいないはずです。

「アメリカじゃできてるのに!」って言う話には注意が必要で、そりゃ世界トップのハーバード大学の医学部ならできてるかもしれないが!って話なんですよね。

内田舞氏のように「アメリカのトップオブトップの事例」が輝かしいのは、彼らはその一方で貧困層がかなりの程度医療システムから排除されることになってもそちらを取っているからこそできているのだ…という、「アメリカという劇薬の副作用」もトータルに見た上で考えることが必要なんですね。

その「ピッカピカの成功事例」の背後には、貧乏人がマトモな医療を受けられず放置されているシステムが放置されているわけで、単純に「アメリカ最高、日本はゲスな男どもが牛耳ってるからダメね」という話では絶対ない。

「そうはいっても」日本人が期待する万人平等なレベルの医療を許容範囲のコストで維持しつつ、医師の過重労働をなくし、女性医師も同じように働ける環境を作っていく…というのは、いくつも変数がある方程式を苦労して解くような難しい配慮が必要ですよね。

今はギリギリの「現場の頑張り」で維持されているものが、ふとした瞬間にほどけてしまったら、もうアメリカみたいに貧乏人はマトモな医療が受けられない国に真っ逆さまに落ちていく可能性がある。

医療にしても、基礎教育なんかにしてもその他いろいろ、「アメリカが結構捨ててかかっている」ようなところをなんとか維持しようと土俵際で頑張り続けている人たちがいるなかで、アメリカの「ピカピカのトップ」の事例だけ持ってきて「日本全体を断罪」されても身動き取れないですよね。

そこはちゃんと「古い制度」への敬意を払った上で「仕組み的に解決」する必要があるんですね。

3●「敵を作って叩く」をやめて「具体的な話」に集中できるように

フェミニズムに限らないんですが、ビジネス面でも日本における「改革派」は過去30年、この「日本側の事情」を汲み上げる文脈も回路も沈黙しがちだったので

完全にアメリカ直輸入でやれる社会のほんの一部

にだけ成功事例が生まれるけど、それ以外の部分で強烈な怨嗟の嵐が巻き起こるような事が起きてしまったんですよね。

でもそういうのはサステナブルじゃないんで、今後は「あと一歩の双方向性」が必要になってきてるんですよ。

さっきの私立大学医学部の話でも、そういう差別は許さないようにしよう、っていうのはいいんですよ。それに今更反対する人なんてほとんどいないわけで。

でもその議論を、あと一歩進めて、

「女性も平等に参加できる社会にしたいですよね。じゃあ構造的問題を解決しなきゃね」

という部分に踏み込まずに、「日本の男社会への呪詛」みたいなものばかり垂れ流してるから、全然問題も解決されないし、そもそも女性の活躍自体にアンチになる男だって出てくる。

なんか、

実際に女性医師が僻地に行きたがらない、勤務がキツイ診療科に行きたがらない

…という現状が色々な無理を生んでいるのなら、

「だから女医が増えたら困る」って言っている人を「差別だ!」非難してても解決しない

…じゃないですか。今のままだと本当に事実として「困る」わけなので、「大元」から解決しないと。

たとえばこの朝日新聞の記事では、最後に申し訳程度ですが、ちゃんと「構造的改善案」も載せています。

入試での女性差別の背景には、医師の長時間労働、その要因となる医師の偏在や、軽症でも夜間・休日を問わずに受診する「コンビニ受診」など、構造的な問題があります。そこの解決なしに差別はなくなりません。(中略)

では、どうしたらいいのか。回答からいくつか策は見えています。一つは、医療機能、特に急性期医療機能の集約化です。日本は世界で一番病院数が多い国。医師を集約すれば、勤務時間外に医師が駆けつける事態を減らすための複数主治医制などが導入でき、働きやすさにつながります。二つ目は、医療秘書や一部の診療行為を行う診療看護師を増やすこと。医師の仕事の半分近くが、カルテなど書類作成と聞きます。三つ目は適正待遇です。現在、当直や、病院から緊急の呼び出しがあれば対応する「オンコール」勤務をしても、十分な手当が支給されているとはいえません。そこが、当直やオンコール勤務ができない女性医師への不満や不公平感を生んでいる素地にもなっています。

こういうの↑をもっと話していかないと解決できるわけがないんですよね。

なんかこう、この記事もそうなんですが、延々と「恨み言」みたいな事を言った上で、最後にほんの一言ぐらいだけこういう「仕組みの話」が出てくるバランスが凄い悪いと思うんですよ。(この記事はここの部分があるだけかなりマシで、”日本のフェミニストの言説”としては物凄くレアな部類だとすら感じます)

ここの部分で「アメリカという劇薬」で崩壊させられないように、日本的な平均レベルの底上げのために奮闘している色んな日本人たちに対する敬意がないと、そもそも「問題点」がどこにあるのか?をちゃんと深堀りできないから解決できなくなるんですよね。

なんかこう、「何の意味も理由もなく日本の男がただ偉そばりたいから女性を抑圧している」みたいな話になってたら全然この問題の「真因」に迫っていけないじゃないですか。

そこへの理解なしに一方的な呪詛の声ばっかりあげていれば、余計に「これだから女ってのはよぉー」みたいな女性嫌悪が巻き起こるのもむべなるかなという感じがしますよね。

むしろ「こういう課題」にまで女性が積極的に関与してくれれば、多くの日本人にとっての「女性嫌悪」は吹き飛んでしまうぐらいの効果があると感じています。

今は「なんでアメリカみたいにできないの?」と放り投げたまま全然深堀りされない議論が放置されることで、「日本社会を支える同志」として同じ責任を共有している仲間を求めている気持ちが裏切られ続けているのだ、という事に気づいてほしいんですよね。

そして、医療システムにはあらゆる人間の怨念が渦巻いているんだから、一致団結して「万人にとってベストな」建前の改革を迫っていかないと実現するはずがないんですね。

そこには「抵抗勢力」がいるんですよ。でも「抵抗勢力」にも彼らがいる「建前的な理由」があるので、ただ攻撃するだけじゃ勝てないんですね。



4・「抵抗勢力」は必ずいるが、あと一歩の対話が必要

何らかの変革には「抵抗勢力」を押し退けるパワーが必要・・・というのは、まあ否定できない部分はあるんですよね。

ただ、どんな抵抗勢力にもその「存在意義」が一応建前だとしてもあるわけなので、「そこ」ごと否定してると押し合いへし合いの拮抗状態になってしまって前に進めなくなるんですよ。

「都会の恵まれた階層」なら「アメリカ直輸入」ができて、当てはまらない人間はただ排除すればいいんですけど、そこで排除された人は「同じ社会」にい続けますからね。結局社会全体で見ると先に穴が空いていない注射器を押し込むような感じになって押し合いへし合いになっちゃうわけです。

この記事で書いた私のクライアントで平均給与を10年で150万円ほど引き上げられた事例のように、地方都市のような環境ではもっと「細部の事情に敬意を払いながら注意深く転換する」ようにしないと、二派に別れた果てしない罵り合いで身動きが取れなくなってしまうんですよね。

たとえばコロナ禍でもコロナ病床がなかなか増えないことに郷を煮やして、「政府が医療に強制できる権限をもたせるべき!」っていう議論がありましたが、もちろん権限の問題は当然ありつつ、「病院間連携」に関するきめ細かい施策の共有の方がもっと大事でしたよね。

「墨田区モデル」が話題になってましたけど、設備が整った基幹病院にコロナが見れる医者を集めて集約し、一方で回復期の患者がベッドを埋めないように中小病院に移動させる施策など、色々と柔軟な現場発の工夫を積み重ねて病床拡大を実現した。

「権限」だけあって、こういう「細かい事情を吸い上げる施策」がないと、結局「権限」も活かせないんですよね。逆に「細かい事情を吸い上げる施策」があれば「権限」はそれほど強くなくてもなんとかなる。

「平成時代30年」の日本っていうのは、この「細かい事情を吸い上げる施策」なしに全部これを「抵抗勢力をぶっ壊せ!」的にゴリ押ししようとして、押し合いへし合いになって何もできずに終わった時間だったのだと私は考えています。

「アメリカという劇薬が切り捨てているもの」を日本でも切り捨ててしまったら日本の本当の強みみたいなものまで雲散霧消してしまうので、本当に「ぶっ壊す!」ためには「細かい事情を吸い上げる施策」について丁寧に丁寧にちゃんとやることがこれからの時代には必要になってきてるんですよね。


5●ワクチン接種なら「豪腕」でいいが、エネルギー政策もそれでいいのか?

スガ氏や、それを受け継ぐ河野氏の「豪腕」によって、日本のワクチン接種は急激に加速して、そのおかげでデルタ株でも高齢者の死体の山を積み上げたりせずにすみました。

その「功績」はちゃんと皆が理解しなくてはいけない。

しかし一方で、きめ細かい病院間連携のベストプラクティスを吸い上げて丁寧に日本全国に横展開するような機能は沈黙してしまって、多くの自宅療養者が放置されてしまうことにもなった。

この「長所と短所」は、まさに「抵抗勢力をぶっ壊せ型」の「平成時代的な”改革”」のあり方そのものだと言えるでしょう。

で、今後河野氏が首相になったら、さらにこの「平成時代の”改革”路線」を推し進める感じなのが、かなり不安があるんですよね。

いちおうワクチン接種なら「拙速は巧遅に勝る」で、どんな問題が起きてもゴリ押しで突破するんだ!でもいいんですよ。

でもエネルギー政策とかまでソレで、もし問題が起きたりしたら本当に国家的危機になりますからね。

実際、去年も今年も冬には大停電の危機になっているんですが、普通の人はそれを意識すらしないし、結局それを「東電みたいな古い体質の企業が必死に尻拭いをする」状態になっているのがコレで本当にいいのか。

このあたり、いわゆる「原発ムラ」的な存在からだけでなく、再生可能エネルギー関連業界の関係者からすら、今後の「移行期」における供給安定性について不安の声が漏れているのを最近よく聞きます。

たとえば最近ツイッターで目についた、自然エネルギー導入関連のしごとをされている元経産省の宇佐美典也氏が出ている動画を見ていたら、河野氏周辺(いわゆる”再エネタスクフォース”)が強引に導入しようとしている再エネ関係の施策が安定供給について軽視しすぎているという話で、以下のように発言されていました。

本当に電力供給大丈夫なの?日本って。これで日本に投資しろって言われても投資できないよ…というのは言われますね。やっぱり安定した電力供給ってのは保証しないと、そりゃあ日本って・・・国内向けにカッコつけるのはいいけど、世界市場からどう見られているかを見たときに、ちゃんとある程度供給保証できますっていう話が大前提であって、その上での温室効果ガス削減ですから・・・まあそういうことをちゃんと考え直してほしいなと思います。

話している内容の深刻さに対して宇佐美氏のトーンが全然ニコヤカすぎてうっかり聞き流しそうになりますが、かなり凄いことを言っていますよね。

再生可能エネルギー関係者にすらこういう懸念をもたせるような形で「突っ走る」ので、本当にいいのでしょうか?

繰り返しますが、「ワクチン接種」なら「拙速は巧遅に勝る」で多少問題が起きても突っ走るんだ!で良かったわけですが、国のエネルギー政策がそんな感じでいいんでしょうか?

「ワクチン接種」でなく「墨田区医療の最適連携」のような配慮で進んでいくことが重要なタイミングではないでしょうか?

アメリカ的な世界観で、「あらゆる個人は利己的にしか行動しない」という前提で全てを組み上げると、「抵抗勢力をぶっ壊せ!」的な改革になりがちなんですよね。

しかし日本人には薄く広く引きちぎれないように束ねている義理の連鎖があるので、そこをタテマエとして押し立てて、「個と全体を調和する最適な配慮」を押し込んでいくことで、「相手の事情とかお構いなしに”敵”を作ってぶっ壊せ!と叫ぶ」ような「平成時代の改革スタイル」を超える連携が持ちうるのだ…と私は普段の経営コンサルタントとしての活動の中で思っています。

「マクロに見たときの思い切った豪腕」にも意味があるときはあります。スガ政権がとりあえず強引に路線を引いたことで、賛成にしろ反対にしろ議論が活性化した側面はあるでしょう。

そして、「超長期」的に見て自然エネルギーがかなり安くなる可能性は否定できないというか、これは私もいろいろな資料を読んでその可能性を多少は信じる気持ちもあります。

しかしだからこそ、「中期」レベルの計画において「保険」をしっかりかけておいて、安定供給に疑念が生じないような配慮をしておくことは、再エネの普及が頓挫しないようにするためにも今後非常に重要になってくるのではないでしょうか。この点については、もし仮に河野氏が首相になっても、ぜひご一考いただきたいと思っています。

私の著書で使った以下の図のように「改革」には二段階あって、「飛行段階」に入ったなら「別の態度」でいかに細かい事情を吸い上げながら適切に微調整をし続けられるか…が大事になってくるんですね。

6●”地味な”岸田氏に期待

今回の総裁選では、私は高市氏が案外物凄く対話的に色々と具体的な工夫を積んでいける人に見えて、凄く期待しているのですが、それは何度か最近記事を書いているのでそちらに譲るとして

私は「改革」をやるにしても「あと一歩の双方向性」が必要な時代に、現状三位の高市氏でなければ二位の岸田氏に期待しています。

「地味だ地味だ」と言われまくっていますが、しかしなんというか、「抵抗勢力をぶっ壊せ!」と拳を振り上げる型の候補に日本人有権者は過去30年騙され続けてきたのではないでしょうか。

ちょっと似た候補に90年代の小渕恵三総理がいましたが、私は名前の読みが一緒なので結構応援していましたが、最初はとにかく地味だということで「冷めたピザ」などと散々な言われようでしたよね。

しかし積極的に「ブッチフォン」で色んな人に電話して話を聞く姿勢が人気を集め、急死される直前ごろにはかなり人気を集めていたように記憶しています。

そろそろそういう「聞き上手総理」を再度試してもいい時期なのではないでしょうか。

「抵抗勢力をぶっ壊せ!」型の「平成時代の改革グセ」を超えた、「ワクチン接種のゴリ押し」よりも「墨田区の病院間連携」のような政治運営をこそ、今後の日本は必要としているのではないでしょうか?


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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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