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日・中・韓が心の底から仲良くなる唯一の方法。

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この記事は、件名通りの内容で、今年二冊目に出したいと思っている本の概要を書いてみようと思っているものです。 (追記ですが、 結局次の作品は別のテーマになった ので、この記事の本は2015年に持ち越しになりました。) 少し長くなりますがかなり真面目に書こうと思っているので、もし読者の方のご友人等に、日本語の読める中・韓関係の方がいらっしゃったら回覧していただけると幸いです。 ・ 先週末の東京は凄い雪でしたけど、僕もたまたま企業コンサルの仕事で東京にいて、で、吹雪の中靖国神社に行って来たんですよ。 (クリックで拡大します) コンサル仕事と、出版社二社との打ち合わせのアポイントの合間に、前日泊まりだったんでデカいスーツケースを引っ張りながら、メチャクチャ寒いし地面凍ってるし雪は降ってるどころか吹雪いてるし・・・・ってな状況で、わざわざ靖国神社に行く僕は物凄く筋金入りの右翼か?って感じですけど、でも行って良かったです。 雪の靖国神社は凄いキレイだった。 僕はいわゆる 狭義の「右翼さん」じゃないんですが、しかし「靖国神社を否定する立場の上にあたらしい世界平和などありえない」と考えている んですよね。 で、そういう「矛盾した立場」のところから解きほぐしていかないと、日中韓の各国のナショナリストさんたちと、一本気で単純な20世紀型の「リベラル」さんが、それぞれ自分たちだけの内部言語でお互いを罵り合っていたってこの問題は解決できないんですよ。 要するに、 ある種リベラルというか、「ナショナリストではない」立場、「国際的な普遍性」みたいなものを重視したい立場の人の「言葉遣い」によって、「靖国神社の存在意義」を「捉え返す」 みたいなことが必要な時期に来てるんですよね。 それができないと決して東アジアの問題は解決しないし、それができたら全て解決する、そういう「時代のイシュー(決定的な課題)」がここにあるんですよ。

新刊『日本がアメリカに勝つ方法』序文公開ページ。

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お久しぶりです。倉本圭造です。 2月26日に晶文社から新刊、「日本がアメリカに勝つ方法」が発売されます。アマゾンページは→ コチラへ。 って、なかなか野心的なタイトルなんですが、 「タイトル的に凄い安易な日本礼賛本・・・かと思ったら全然違う真面目な本だった」 ・・・って色んな人に言われてるんで、偏見持たずにとりあえず一度手にとっていただければと思います。 以下に、その本のの「はじめに」の部分を転載します。 あ、そうそう、なかなか、装丁がカッコイイんですよ。 (クリックで拡大します↑) この大友克洋的世界観(笑)ぜひ実物を手にとってオビを取って眺めてみてください。 編集者さんに「 映画・戦艦ポチョムキンのポスター みたいなロシア・アヴァンギャルド(ロシア構成主義)の手口で、 マイリー・サイラスのParty in the USAのPV みたいな世界観(特にリンク先1分40秒ぐらいの星条旗が翻るシーンのような)を表現する感じで」って言ったらデザイナーさんとコラージュアーティストさんの大活躍でこうなりました。 あと、オビの紹介文に、ミドリムシ培養ベンチャーのユーグレナ創業者、出雲充くんがナイスな紹介文を書いてくれてます。 サンデル先生、 これが『ほんとうの正義の話』です。 もう少し長い文章を書いてくれたのを短くアレンジしたものが載っているんですが、彼からの紹介文を読んだ瞬間「おおお」と思いました。なんというか、アメリカだけが「正義」やと思ってるんちゃうぞコラァ!みたいな。 今の時代を端的にまとめると、 世界におけるアメリカの存在感が相対的には減衰していく時代 と言っていいと思うんですが、それがただ 「誰も責任持ってリードしてくれないから混乱がどんどん広がっちゃった時代」 になってしまうのか、 「アメリカが一歩引いた分、諸国民の”良識”みたいなのが責任を持って安定性を確保するようになって、いやーいい時代になったなあ」 ってなるのか、そのどちらかになるかは、これからの日本にかかってるんですよね。 いい国、いい世界、いい時代にしましょう。 それでは、以下「序文」の転載をどうぞ! 倉本圭造

選挙結果を、どのタイプの日本人にも良いものにするための考え方。

選挙結果が、なかなか印象深い結果になっていますね。

『他者に寛容でありたいと思っていたら果てしなく損な役回りを続けることになる連鎖』をどう抜け出せばいいのか。

なんか、 一個前の記事 、書いて良かったなあとは思うんだけど、もっとスッキリ言えないもんかね?ってずっと思ってるんだよね。 「スギちゃんみたいな余裕」が欲しいといいつつ、自分自身もそうなってないってとこあるしな。 なんでもっとスッキリ書けないのか?って考えた時に、結局「無意味な遠慮」をしてるんだな・・・・っていう風に、思い立った。 なんか、何回も、「こういうタイプの人はとりあえず現状そういう風な方向での言論をしておいてもらう必要があるし云々」みたいなこと言ってるじゃないですか。 ここ二ヶ月ぐらいの記事の中に、そういう方向の文章、結構書いたと思うんですけど。 その「遠慮」が良くないのかな?って思った。 って、これは「僕個人の問題」でありつつ、グローバリズムの中で日本人が自分たちの良さを発揮していくって時には普遍的な問題なのかな?って思ったりするんで、ちょっと書いてみようと思ってるんですが。 題して、 『他者に寛容でありたいと思っていたら果てしなく損な役回りを続けることになる連鎖』をどう抜け出せばいいのか。 みたいな話。 結論的には、 とりあえずは寛容な態度を取ることによって「色んな立場を包含するような全体の世界観」自体を自分で定義するとこまで行って、それの主張においては「寛容さ」を一切捨てて主張していく、という一貫した態度が必要 ・・・・ってことになるのかな。

村上春樹エッセイと「江南スタイル」と「ワイルドだろぉ?」について考えてみる。

韓国人ラッパーPSYさんの「江南スタイル」って曲が、ユーチューブで火が付いてビルボード2位にまでなったらしい。 実際動画見てるとなんか・・・・ジワジワ来るね。笑えてくるね。いいね。検索すると日本語訳付いてるのも出てくるけどマジでいいな。 なんか、日本のバラエティ番組とか見ない人は知らないかもしれないけど、今「スギちゃん」っていう芸人さんが、何かにつけて「ワイルドだろぉ?」って聞くというネタでブレイクしてるんですけど、ちょっと似たものを感じる。 韓流スターって、特に男性スターは、この「ワイルドだろぉ?」をネタでなくマジにやってる感じがあって苦手だったんだけど、それ自体をここまでネタ化してくれるとほんと気持ちがスッとするなあと思った。 で、それとは関係無いようで関係ある話なんですけど、昨日村上春樹氏が、中国問題について朝日新聞にエッセイを寄稿してて、なんか、それがね、いや正論だと思うんだけど、 なんか、「嫌」だなあ って思ってたんですよね。文章の雰囲気が。

藤沢数希氏の新著「外資系金融の終わり」の偽悪的文体の裏にある「真摯さ」について。

藤沢数希氏の新著、 「外資系金融の終わり」 を読んだ。 前も書いたけど僕は彼のファン(有料メルマガを購読しているほど)なので、発売日に近所の本屋をめぐったんだけど見つけられず、今日ターミナル駅の本屋に行ってやっと発見した。 良い本だったと思う。 けど、なんかアマゾンのレビューがムッチャ荒れてるのが、なんでかなあ?と思ったりした。 まあ、嫌われる理由は簡単と言えば簡単で、たとえ冗談とはいえ「あの職種は所詮年収1500万円程度で貧乏だから」的な書き方をする偽悪的文体が嫌われないはずはないわけだけどね(笑) でも、藤沢氏の文章って、シニカルで偽悪的なんだけど、最終的に「ロマンチックな真実志向」とか、それどころかほのかな「愛国心」的なものまで感じさせるところがあって、そこが僕は好きなんですよね。 あと、偽悪的な文章自体も、彼自身が心の底からカネの亡者ってわけじゃなくて、一種の「福本伸行漫画(カイジとかアカギとか)的美学」なんだと思うんですよ。 この前、iPS細胞の山中伸弥京大教授が、「独占して利益を得るためでなく、変なところが特許を独占することでその技術が死んでしまわないためにこそ、我々はこの技術の特許戦争に勝たねばならない」って言ってて僕は感動したんですけど。 そういう感じでね、「カネじゃねーだろ!って大声で言いたいがためにカネにこだわってる」的な、なんか、そういうところがあるんで、僕は彼のファンなんですよね。

中国とのツバ競り合いに勝ち、日本経済復活のキッカケにする算段について。

中国や韓国との悶着が、特に中国の方が結構大変そうですね。 こういう時に、「どうせ戦争なんかにはなりっこないんだし・・・」っていうのは、良くないことだな、と最近思います。 ならないとは思うけど、それは「結果」なんだなという。 人間の集まりっていうのは、色んな群集心理の連鎖がヘンな方向に向いてしまえば、いつだって戦争になってしまう可能性はある・・・・と「思って」みんなが対処するから、結果として致命的なことにはならない・・・わけなんで。 だから、「どーせ戦争とかにはならんだろう」と頭から決めてかかるのは良くないね。 「いつ戦争になってもおかしくない」という緊張感を持って、お互い一歩踏み込み、こっちも一歩踏み込み、エスカレートエスカレートしていきながらも、だんだん落ちるべきところに落ちていけば、そのうち収まる・・・はずで。 で、「戦争にはならない」とするならば、先に暴発してる中国の方が分が悪いのは確実ですからね。