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原点確認的な。

アマゾンさん在庫回復してるようです・・・・いや、でも「5-7日以内に発送」ってなってるから、多分倉庫にはないんだろうな。倉庫にあるけど残り個数が少ないときは「残り何個あります」とか書いてるし。

もしお買い上げ予定の方は、ある程度大きな本屋さんに行かれると、今は平積みで置いてあることが多いようなんで、ご利用ください。

そうそう、今日、生まれてはじめて自分の本が本屋さんに並んでいるのを(しかもかなり平積みで)見て感動してきた。

でもなんつーか、超当たり前の話ですけど、「ここからがスタートなんだよな」って感じなんで、ほんと気持ちの振幅が大きかったですわ。

まあ、正直なんとか走り切れた!!!的な気持ちでいた部分があって、そのへん甘かったというか、ハアハア言ってるのに「はい、また次のマラソン走ってくださいね(にっこり)」って言われちゃった的な感じ(笑)

ただ、こうやってマスコミ的な仕切りから出せたことで、自分を妙に権威化するような部分を捨てていける感じがしていて、それは気が楽で。

一個前の記事に書いたような、「怪しい世界で自活」って感じにすると、あまりに自分の権威化を解いていろんな人に敬意と感謝を払っていく文体にすると、「お金を払ってもらえる理由」的な仕切り全体が崩壊するから難しくて。

でも、これからは、ぐっとそういう方向に振っていけるのかなと思った。

「自分の主張」だけじゃない「読者のための」っていう方向により集中できそうだなとか。



今後の自分をどう持っていったらいいのか?ってことを、凄く迷ってたんだけど、今日良い出会いがあって。

本の中に書いた「Mさん」っていう会員さんがいて、この人は、60歳手前の普通の技術職のおじさんなんですが、時間かけて自分だけの事業を会社の中で起こすように持っていけた・・・・っていう事例として出てくるんですけど。

もちろんまだそんなに「物凄く大きな事業」にはなってないけど、普通にはない新しい「エコでかつ防災になる」ような事業を、「普通はガツガツ仕事するタイプじゃない人」を持続的に炊きつけることで実現できたってことに意義が大きいと思っていて。

「活躍できるタイプ」だけじゃない「活躍できないヤツ扱いされているタイプ」の中から、どれだけ「”今の普通”の”外側”にあるもの」を取り出せるかが、これからの最大の課題だと思うし。

で、今日初めて「対面」したんですよ。息子さんが名古屋の大学を受験されるから、首都圏から付き添いでお越しになったんですよね。

ってもう8年にもなる付き合いなのに顔合わせたのは初めてで。常にメールとSNSだけでやりとりするのが自分たちのスタイルだったんで。

なんかちょっと感無量だったんですけど。お互いに。

なかなかダンディでカッコイイおじさんだった。(経済評論家の山崎元氏にちょっと似てた。)

で、

「普通、指導してくれる人っていうのは仰ぎ見る感じというか、ファンになってそれに着いて行くって感じだけど、倉本さんの場合は、常に対等であろうとしてくれる感じなんで、その分”誰かのファンになって見上げる”という感じではなくて”自分がそれをやるんだ”という気持ちになった。
本も出たことだし、事例として取り上げられてる責任を感じて、この事業をちゃんともっと大きくしていきたい」

みたいなことをおっしゃっていただいて。

そうなんですよ!!!みたいな(笑)

しかもそれ、自然に勝手にそうなったんじゃなくてスゲー努力してなんとかそうしようと頑張ってそうなってるんですよ!!!ってアピールしといた(笑)

いやほんとそうなんすよ。ガッとリードしてった方が絶対僕の商売的には楽なんだけど、そうはしたくないというか、それだったら、「本当に新しいことを、その人の持続的で主体的なやる気によって実現する」ってことができないと思うんですよ。

そうすると、結局「今すでに活躍できているタイプ」の人が、「認められやすい形のビジネス」をやるようにすることしかできないんですよね。

そこなんとかせんと、伸びやすいビジネスが伸びただけでは経済全体が良くなったりしないですからね。

「自分がそういうことをするなんて思ってもいなかった」っていう人を、無数に取り込んでいけるかどうかがポイントなんですよ。



で、

「これからの自分」ってなった時に、結局この「Mさん」みたいな人を沢山作るっていうことがすべて

だなと思った。

僕がやってることっていうのは、

・「もともとかなりアクティブな人を相手にして」
・「ある程度数字的成果の出しやすいことを」

ってやってたらもっと楽だったはずなんですけど。

・「今の時代にアクティブに超出来る人扱いされないタイプの人に」
・「今の時代に普通に受け入れられやすいものでないものを時間かけて形にしてもらう」

っていうことがテーマだったんで。

そこのところを突破しないと、やっぱり「強い人を伸ばす」だけだと全体のバランスが崩れちゃって、で、再分配をするかしないか的な「20世紀的左翼の論争」になってしまうんで’(まあ現状はそれも必要なんですが、”それだけ”だとどこにも希望がない世界になるんで)。

だからこそ、


・「今の時代にアクティブに超出来る人扱いされないタイプの人に」
・「今の時代に普通に受け入れられやすいものでないものを時間かけて形にしてもらう」


をなんとかしなくちゃ!!って思ってここまで来たんで。

だから、これからもただそれをやっていくだけなんだな・・・・って思ったら、心がやっと落ち着いてきた。


Mさんは僕の父親と同世代なんですけど、Mさんを通じて、自分の父親のことも結構理解できるようになったかなって感じがしてよかった。

このブログの人気の投稿

今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。