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日本はもっと学歴社会になるべきだ!

(なんか珍しく煽り口調のタイトルになってますけど、最後まで読んでいただけると”真意”が伝わるかと思います。結果的に僕のやってきたことの集大成的な力作記事になりました。)





日本はもっと学歴社会になるべきだ・・・と、色々な探求の結果私は最近そう結論づけています。

とか言うと凄い嫌なことを言い始めるような感じがしますけど、最近日本を揺るがせている「論文ねつ造問題」とかにも関わってくる大事な話ですのでまあ聞いてください。

私が言いたいことを端的にいうと、

「ペーパーテストの細かい点数にこだわるなんて下らないよね!」とみんなが安心して言えるぐらいには学歴社会であったほうがいい

ってことなんですよ。

今、世の中では「ペーパーテスト的・偏差値的価値」による判断をどんどん排除して「人間力重視」「発想力重視」にしていく教育転換が必要だ・・・というような改革が「定説」となりつつあり、まるでそれに反対するとなると物凄い時代遅れで権威主義的な人のように見えてしまうんですがね。

私はその「人間力重視」っていう旗印とか内容とか、「ペーパーテストとかくだらないよね」っていう気分とか、とにかくそういうものは一切合切同意なんですが、

「じゃあどうしたらその理想が具現化する社会になるのか」

を考えると、むしろ

「受験勉強・学歴システム」自体はある程度厳密に運用した方が、むしろ「人間力重視」で日本人が各方面で力を発揮できる社会にできるだろう

と考えているんですよね。

先日、脳科学者の茂木健一郎氏が、予備校や“偏差値”をぶっ壊せ!的な連続ツイートをされた時に、「こういうことを言う人は生まれてこのかた、それなりに「偏差値の高い」人にだけ囲まれて、「偏差値の高い人たちのコミュニティ」の中での内輪の会話だけをして、「偏差値の高い人たちのための仕事」をしながら生きてこられたのだろうなという感想を持ったという記事を書きました。

その記事でも書きましたが、私はそれなりに「偏差値の高い」大学を出て、アメリカの経営コンサルティング会社に入ったのですが、その後思うところあって(まさに茂木健一郎氏の発言の奥底にある思いそのものだと思います)、「偏差値主義的な学歴に守られていない世界」に次々と潜入して働いていたことがあるんですよ。

物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラをどうぞ。)

で、そういう経験の上で言うんですが、あまりに「アンチ受験勉強イデオロギー」が暴走すると、社会全体における「知性の尊重」みたいな風土全体がどっかに吹き飛んでしまって、大袈裟に言えば現代文明が維持できなくなるんですよ。

もちろんそういうわけにはいかないので、結果として逆に物凄く社会全体が防衛的で、チャレンジできない体質になってしまうんですね。

この「狙いと結果の矛盾」みたいなことを、真剣に考えなくちゃいけない時代なんですよ。

それに実際には、そういう点での「無理やり全拒否的なイデオロギー」さえ消えてくれば、「ある意味下らないなりに有意義なことを」っていう方向での、いわゆる「数学の良問」的な話とか、「実用的な英語学習・到達度テストとはどういうものか?」といった改善なら、もっともっと現場的な衆知を結集してやるべき余地があるはずなんですよね。(ちなみにこれに限らず教育問題というのは、”現場”で日々奮闘している人の邪魔になる余計な書類仕事やら無理やりな長時間の研修やらを増やす結果になるような”制度改革”を乱発しすぎているように思います)



「日本人は起業が少ないのは農耕民族だからだ。アングロサクソンのような狩猟民族的アニマルスピリットを大事にしなくちゃいけない」・・・みたいなことを言う人が結構いるんですが、でも実際、どんな離島にもパチンコ屋さんがあって大盛況、オレオレ詐欺とかだって次々湧いてくる、ヤクザさんの存在感も世界的に有名・・・な日本人に「アニマルスピリット」がないわけじゃないんですよ。

別に自慢することでもないですけど、ちょっと詐欺っぽい訪問販売会社に潜入してた時は、「マトモなインテリ家庭に育ったら全然見もしない・想像もできない世界」ってのが、別に「裏社会」イメージなとこじゃなくて「リクルート社が普通に出してる求人誌」からアクセスできる世界にも凄い沢山あるんだな・・・と思ってしまいました。(普通に綺麗な高層ビルにも入居してますよ)

だから、「”偏差値の高い人たち”とだけ付き合って生きてきた」人には想像もできないぐらい、現代文明というのは瀬戸際のギリギリでなんとか維持してる砂上の楼閣なんですよね。

で、これから日本が知的産業の最先端でも世界的競争力を維持していくためには、その「最先端を押し上げる」と同時に、この「末端部分での治安や安定性を崩壊させない」ってことも当然ながら同時にやらなくちゃいけないんですよね。

要するに、

「アニマルスピリット」だけあっても意味なくて、「知的な仕切り」と「アニマルスピリット」が相乗効果的に発動するように持っていく必要がある

んですよ。(ってこれだけ取ると凄い当たり前の話のようですが)

で、アメリカでは、「学校名による偏差値主義」は日本ほどじゃないんですが、「学位」ってものに対する「偏差値主義」が物凄い強烈にあるから、ITとか最先端医療みたいに”実験室的にピュアな現象を全世界に押し付ければいい”ビジネス分野においては「アニマルスピリットと知的な仕切りの相乗効果」が実現できているんですよね。

でもそういうやり方でやると、社会の末端において「物凄く勉強できるわけでもオリンピック級のアスリートでも超絶アーティストでもない」タイプの人間の自己効力感をネコソギ奪ってしまうんですよね。だから日本ではまだまだ安定している「学歴主義に守られてない世界」が、アメリカでは希望が全然ないスラムみたいになっちゃってるんですよ。

しかも、「科学っていうものの有効ケタ数」みたいなことを考えると、アメリカのやり方は本質的に無理があるんですよね。

「科学的に何かが正しいと言えるまでの手続き」の厳密さ・大変さを理解すればするほど、社会の末端の末端レベルの具体的問題については現場レベルの判断をもっと直接採用出来るようにしたほうがいいというのは「科学的に考えて正しい」ことなんですよ。

アカデミックコミュニティの最前線にオリジナルな貢献をした証である「博士号」はそれだけ重要なものですし、日本においても博士号取得者がもっと力を発揮しやすい環境は作っていくべきだと思います。

しかし一方で、昔おベンキョウはあまり得意じゃなかったから「偏差値」は低かったトヨタの製造現場で働いている人が自分の毎日の仕事の中で見つける直接的な工夫の結果として産み出す、一回のコンテナ輸送の荷姿を変えることで積載率を38%改善できた・・・というようなイノベーションの無数に無数な積み重ねだって「大事な知性」なんですよ。

東京の地下をうねるように走っている地下鉄群が毎日分単位で正確に運行していて、ちょっとした事故があってもすぐに無数の相互調整が行われてダイヤが復旧する・・・というような運営だって物凄い「大事な知性」なんですよ。

「大学名的な偏差値主義」を排除する代わりに、アメリカ型の「学位に対する偏差値主義」をガチガチに社会に作用させるということは、単純にやるとそういう「現地現物的な知性のありよう」を抑圧してしまうんですよね。

アメリカはそれをやって、社会の末端がスラム化したってやむを得ない・・・という戦略でやっている国なんですよ。しかしその「末端の優秀性・平和性」をも重要な特質として持っている我々は、単純にアメリカのマネをしようとしても、「アメリカほど徹底できないし、逆に自分たちの強みも発揮できなくなる」結果に終わるんですね。

でもね、最近「“ヤンキーさん”たちは日本の“インテリさん”たちに凄く期待している」っていう記事で書いたように、

「博士号的な知性」と「現地現物の知性」は、本来「敵」じゃない

ですよね。

「信頼関係」

が結べるなら、それが一番いいじゃないですか。

「博士号的な知性」として社会に認証された存在に無制限の権力を与えすぎて「現地現物の知性の発揮をしている人たち」をネコソギ抑圧したりしないように、でも「博士号」を持った人がその力を十分その力を発揮できるようにする・・・その「両取り」のためには、

「科学的知識というのは、現代の“最善仮説”に過ぎないということがわかっているレベルにまで十分に知的」なインテリさんたちの、濃密な相互了解の網の目

が必要なんですよ。

それが、冒頭に書いた、

「ペーパーテストの細かい点数にこだわるなんて下らないよね!」とみんなが安心して言えるぐらいには学歴社会であったほうがいい

ってことなんですよね。

社会の中心に、ある程度厳しい受験勉強をくぐり抜けて、「現代社会における知識の蓄積」に対して尊重心を持っている層が生きていた方が、

むしろ「イレギュラーな存在」を引き上げるフレキシビリティを産み出す


んですよ。

例えば日本でも、例えば中高一貫の超進学校とかでは、博士号持ってる教員がもっといて、はやいうちから「知的最先端」なことを「知的最先端」なモードで触れられるようにしていけばいいと思います。マスコミ分野でも、もっと博士号を持った「アカデミズム最前線のことが体感としてわかっている人」が活躍するべき分野は沢山あるだろうし、その他にももっと博士号取得者(せっかく大増員したんですから)の活躍余地を作っていくべき領域は沢山あるはずです。

でもそういう改革を進めるには、「博士号取得者」たちの活動が「現場的知性の発揮」を抑圧しないようにするバランスをちゃんと取っていく必要があって、その「サジ加減」は誰がやるんだ?ってことになると、やはりある程度「学歴社会」的なものが維持している安定感があった方がスムーズに変革できるんですよね。(そういう配慮がなくてお互い全力で相手を非難してるだけだから、日本における博士号取得者は活躍できない状況が続くんですよ)

また、受験勉強的に決まりきったことが苦手な、でも天才的な才能がある子どもをどうやって活躍させるのか?っていうのも、「アンチ受験勉強イデオロギー」でよく語られる目標なんですけどね。

彼らを活躍させるためには、「それに紛れ込む詐欺師」さんたちをある程度抑止しながら、「イレギュラーな存在」へのエンパワーをしていく必要があるんですよ。

でも、今回のSTAP細胞の騒動を見ても、「最先端科学」っていうのは本当にプロ中のプロの研究者でもちょっと違う分野のことは全然わからない・・・っていう世界であることが露呈してしまいましたよね。

だからこそ、

「ペーパーテストの細かい点数にこだわるなんて下らないよね!とみんなが安心して言えるぐらいには学歴社会であったほうがいい

んですよね。

「イレギュラーな才能」っていうのは常に玉石混交ですから、そこにある「玉」に対して「おお、いいじゃん!」とちゃんと見抜けるのは、やはり「ちゃんと凄く勉強できる人たちの濃密な共通了解」なんですよね。



私は、グローバリズムの時代に本当に日本の強みを発揮していくにはどういう戦略であるべきなのか?を一貫して提示するために、日本社会の「辺境」的なところをあちこち巡ってきた10年を過ごしてきました。

その結論は、「アメリカ的な先鋭性を実現するために日本社会の安定感を破壊すればいい」という議論は、結局前に進めなくなるってことなんですね。

そうじゃなくて、「我々が世界に誇る安定感」と「最先端科学」をちゃんと無無理に相乗効果的に持っていく我々だけのやり方が必要なんですよ。

そしてそのチャレンジの中には、

「最強将棋ソフトの勝ち方とスティーブ・ジョブズの遺言」

のような記事で述べたように、「デジタルで最先端な知性」と「リアリティそのもの」との間をちゃんと無理なく繋ぐ社会の運営方法を産み出すという、現代世界で

・本質的かつ喫緊に必要で
・日本が物凄くうまくできる可能性がある

課題が内包されてるんですよね。

アメリカが産み出す国際秩序が世界中で問題を起こして混乱するのも、本質的にはこの「科学というものの有効ケタ数を超える運用」の無理が露呈してるんですよ。

だからこそ、「無理やりで強権的な覇権を狙う項羽を、一切合切のリアリティを包含する劉邦が最終的に倒してしまう」ように、日本が「アメリカ文明」を代替することが、世界にあたらしい平和的秩序をもたらす唯一の道なんですよね。

そういう転換の根底的な第一歩として、「人間力重視」で、「ペーパーテストなんて下らないよね」・・・という願いを本当に実現するためにこそ、受験勉強と学歴システムをある程度厳密に運用するべきなんですよ。

安易な「アンチ受験」的な改革は、余計に日本社会を「防衛的に縮こまった社会」にしてしまうってことを、ある意味では自分の順調な個人的キャリアを犠牲にしつつ身をていして探求してきた私の必死のメッセージとして、ぜひ受け取っていただければと思います。(特にちゃんと学歴社会に守られてキャリアを積んでこられた方にはね!)


倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト
ツイッター→@keizokuramoto

また、ここでは詳述できなかった、「科学というものと日本との根底的な関係に対する考察」については、以下のブログをどうぞ↓

●実写版宇宙戦艦ヤマトが、なぜチャチに感じてしまうのか?から考える「科学と日本」。

また、今回の記事を理解できるレベルの「ネット上の知的な論客」さんの力を結集して、今は「●●人を殺せ」デモ・・・のような不幸な形で噴出してしまっているエネルギーをもっと「善用」する方向に動かしてこそ「21世紀のリベラル」と呼べるのではないか・・・という記事がこちら↓

●「知的なネット論客さんたち」との協力関係によって、「●●人を殺せデモ」みたいな不幸な形で噴出しているエネルギーを、「ど真ん中の道」へ誘導したい。

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今更ですけど自己紹介を・・・その1.副題『原生林のような豊かでタフな経済を目指して』

このページはよほど倉本圭造に興味がある人のためのありえないほど長い自己紹介エッセイなので、サクッとコイツ誰なんだ?ってことが知りたい場合は、私のホームページの「Who?」欄をお読みください。(向こうにしかないコンテンツもありますし、とりあえずコンパクトに全体像がご理解いただけると思うので、かなりご興味を持ってくださっている方も、先に向こうをお読みいただけるとご理解しやすいように思います。その後以下の”長文”へと戻ってきていただければと)







最近出版の依頼を下さった人がいて、”出版社の女性社長さん兼編集者”としてギョーカイでは結構有名な人らしいんですが、「21世紀の薩長同盟を結べ」本体を読むまで、プロフィール欄を読んでも「???」って感じだったと言われたんですよね。

その「???」になったっていう文章は、本の著者プロフィール欄に記載されているコレなんですが。

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元会社員の独立自営初年黒字事業化など、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』発売中です。
で、「なるほど、意味わからない・・・かもしれないな」と思ったんで、それについて、一度まとめた文章を書いておいたほうがいいのかな・・・と思って、これから書きます。

『逃げ恥』が教える「自分らしく生きる」の本当の意味

あけましておめでとうございます。昨年の私は普段の仕事的にはそれなりに一歩ずつ経験積んで進歩してこれた感あるんですが、いかんせん本出したりネットに上げた文章が広く読まれて・・・という方向での活動としてはなんだか何もやってないも等しいような印象になりそうで、正直ちょっと焦ってもいます。

ただ今は、焦って本やブログを書いても、よくある「右や左の紋切り型」にしかならない難しい状況に世界がどんどんなっていくなあと感じていて、そうじゃなくて「個別の事例」と仕事で向かいあう中から立ち上がってくる何かを信じて積んでいきたい気分だというか・・・ま、もうこの歳になると自分はマイペースにしか生きていけない人間だってところは骨身にしみてわかっているので(笑)、相変わらずそういうペースで今後もやっていきますので見捨てないでたまに気にかけてやって下さい。

ちなみに、ブログ再移転しました。ブックマークされてる方は変更をお願いします。

新ブログトップページ↓
http://keizokuramoto.blogspot.jp



で、久しぶりのブログ更新、しかもブログ移転一回目・・・がテレビドラマの話題ってなんてミーハーなって感じもしますが、2016年最大の(たぶん)ヒット作となった『逃げ恥』が超よかったので、年末だしそれについて書きます。

全体的に言って、「自分らしく生きる」っていう現代的に超超超言い古されたことについて、ちゃんと一歩ずつ考えて一歩ずつ実現していかなくちゃね!っていう気持ちになったところが凄く良いドラマだったと思ってます。夫婦で見てて毎週二回は泣いてました。

このブログはそういう方向で、

・『逃げ恥』のどこにこんな感動するのかって話
と、
・それはある種「運命へのニーチェ的向き合い方」なんじゃないかって話(より正確には”一連の実存主義哲学”)
と、
・「他人の人生を生きないで、自分の個別性(自分らしさ)を生きること」っていう「言い古されたこと」を私達が本当にちゃんとやりきるにはどうしたいいのか?
というような話に広がっていく予定です。

日本から老害を一掃して残業を減らす唯一の方法

なんか挑戦的なタイトルになってしまいましたが、ただ最近「老害」っているんだよなァ〜と物凄く実感することがあって、その詳細をそのままは言えませんがそのやるせない思いをより広くて皆様と共有できるテーマとして昇華して書いてみたいと思っているんですが。

あなたは、「老害」って言葉、キライですか?好きですか?

私は最近まであまり好きではなかったです。老害扱いされてる人にも、うまく使ってあげればそれなりの価値やら色々あるんだぜ・・・と言いたい気持ちが結構あって。

ただ、そんなこと言ってると「老害さん本人」が「自分の老害性」を一切意識せずにノウノウと暮らし続ける反面、困ったことにその「老害さん」は権力持ってたりするのでその集団全体の適切な運営がどんどん滞り、直接的には「ヤル気のある若手」さんが、そして結果的には「その組織の人全員」が非常に困った状況にみんなで追い込まれていくことになってしまう。

物凄く大枠での言い方をすると、過去20年にわたる日本の苦境はこの「老害さんをどう扱うか」について、思い切りの良い諸外国のように何のテライもマヨイもなくボコボコに権力を奪って放逐していくような思い切ったマネジメントができなかったから・・・と言ってしまっても悪くないかもしれません。

ただね。現状の日本は、老害さんたちを腫れ物に触るように扱って捨てずにいたので、社会全体が「トランプvs反トランプ」みたいにどこまで行っても平行線な対立に落ち込んだり、スラム街がどこまでも悲惨なスラムになっていくようなことは避けられたり・・・というプラス面もあったんだろうとは思います。アメリカに比べたらまだ貧富の格差もまあマシなレベルに留まっている。

つまり、なぜ日本が「老害さん」たちを諸外国のようにはボコボコに斬ってしまえないかというと、「その老害さんが代表しているものの中に自分たちの良さの根幹も混ざっている」からだと言えるでしょう。