『良識』を『炎上』させよう。そしたらヘイトスピーチも消えるよ。
今や日本中が注目していると言っても過言じゃなかった小保方氏の釈明会見についての、コラムニストの小田嶋隆さんのエッセイが凄く良かったんで唸りました。
何が良いって、
「地味で良識的」なのに、一種の『炎上』をしてる
ってところなんですよね。
私は今まで、ネットで出会った人に直接アクセスして、結構な額を振り込んでもらう形態で活動してきたので、あんまりアクセス数を増やしたくない、できればひっそり生きていきたい・・・と思っていたんですよ。
でも、自分の仕事の段階的に、そろそろ「広範囲にリーチ」しなくちゃいけないな・・・となってきた時に、
「地味で良識的なのに、一種の”炎上”をするような、そういう方向性ってないもんかなあ?あるはずだよなあ?」
ということを、たまたま昨日ツイッターでぶつぶつ呟きながら考えていたんですが、そしたら次の日に「実物」が向こうから飛び込んできたぜ!という気分でした。
普段はこんなビジネス系ネットサイトなんか読んでなさそうな、大学の古い友達とかもガンガンリツイートしていたり、また特にフェイスブックとかの「ちょっとナイーヴだけど理想主義的」な人たちがガンガン口コミしていて、「そうそう、この感じだよ!」と思ったんですね。
・
「炎上」するには、「何かを攻撃」する必要があります。
名古屋ってとこに行ってみたらほんと最悪だったぜ!・・・ということを力説すれば「炎上」はするでしょう。たぶん。
もっと「敵」として納得されやすい、中・韓のことを攻撃すれば、センセーショナルに攻撃すればするほどやっぱり「炎上」するでしょう。
で、小田嶋さんの文章を読んでみると、やっぱり「炎上」するなりの「攻撃」「全否定」をしてるんですよね。
なんとなくムヤムヤーっと、みんな違ってみんな良い的なことを言ってる毒にもクスリにもならない文章じゃない。
結果として調べてみたら捏造だった・・・っていうような「無理やり感動話」でもない。
「ある方向性」を持って、「何か」を全否定的に攻撃している。しかしそれは、アクセス増えりゃいいっていう方向の「とりあえず全否定してみる的センセーショナリズム」ではなくて、
「みんなのための良識」
というような、今の時代非常にうそ臭くて時代遅れ的なものに基づいて、しかしキッパリとした断固たる調子で
「それに反する存在を全否定して攻撃」
しているんですよ。
今の日本に必要なのは、「注目集めりゃいいっていうようなセンセーショナリズム」でもなければ、「なんか全部ウヤムヤの”エエ話”にまとめちゃうような現状追認的な惰性の言論」でもない。
こういう『良識ある炎上』こそが今日本に最も必要なものではないでしょうか。
拙著「日本がアメリカに勝つ方法」から図を引用すると、今の日本は先の開いていない注射器を両側から全力で押し合っているような状況にあります。
「グローバリズムに対応しろよ、なんで出来ないの?あーあ、日本人ってダメだねえ!」という「グローバリズムの威を借る狐」的言説か、「日本は昔っからこうなんだ、黙ってろ!」というようなウヤムヤな惰性の現状追認か、「どっちか」しか一般的な認知を受けられないことになってしまっている。
結果として我々はどちらにも進めなくなってしまうのです。
そして現状では、「理屈側・グローバリズム側」からの押し込みが「現場を生きる人たち」の実情からあまりにもかけ離れているので、「切実な事情として押し返したい気持ち」がそのヨリシロを求めて、ある意味「センセーショナルなだけの炎上」「ある種のヘイトスピーチ」とかの不幸な形として噴出してしまっているだけなんですよ。
でもね、図を見れば、我々が実現するべきは、その「注射器の先端に穴を開ける」ことだってわかりますよね?
それはどちらか片側から無理やり押し切ってしまうような話ではないから、最初はちょっとわかりにくい。そんな「わかりにくい話」は「炎上」しないだろう、つまり「広い範囲の人たちで共有」できたりはしないだろう・・・・と思ってしまう。
でもね、ちゃんとやればできますよ。みんな「それ」を求めてるんですから。「それ」以外の言説には実はみんな心底飽き飽きしてるんですからね!
「良識」がちゃんと「炎上」する社会にしましょう。そして、「じゃんじゃん炎上」させましょう。
そうすればヘイトスピーチなんて消えてなくなりますよ。
そして、「本当にやるべきこと」に「みんなの気持ち」がちゃんと集中して、スルスルと最速で物事が決断できる社会になっていくのです。
日本の反撃は、そこから始まるぜ!
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
ツイッター→@keizokuramoto
・・あまりに感動したことがあったんでザザッと書いてしまった文章です。他人の文章への後乗りなんでnoteへの投稿はしませんでした(いずれまとまった小噺シリーズが書けるようになったらやります)。
何が良いって、
「地味で良識的」なのに、一種の『炎上』をしてる
ってところなんですよね。
私は今まで、ネットで出会った人に直接アクセスして、結構な額を振り込んでもらう形態で活動してきたので、あんまりアクセス数を増やしたくない、できればひっそり生きていきたい・・・と思っていたんですよ。
でも、自分の仕事の段階的に、そろそろ「広範囲にリーチ」しなくちゃいけないな・・・となってきた時に、
「地味で良識的なのに、一種の”炎上”をするような、そういう方向性ってないもんかなあ?あるはずだよなあ?」
ということを、たまたま昨日ツイッターでぶつぶつ呟きながら考えていたんですが、そしたら次の日に「実物」が向こうから飛び込んできたぜ!という気分でした。
普段はこんなビジネス系ネットサイトなんか読んでなさそうな、大学の古い友達とかもガンガンリツイートしていたり、また特にフェイスブックとかの「ちょっとナイーヴだけど理想主義的」な人たちがガンガン口コミしていて、「そうそう、この感じだよ!」と思ったんですね。
・
「炎上」するには、「何かを攻撃」する必要があります。
名古屋ってとこに行ってみたらほんと最悪だったぜ!・・・ということを力説すれば「炎上」はするでしょう。たぶん。
もっと「敵」として納得されやすい、中・韓のことを攻撃すれば、センセーショナルに攻撃すればするほどやっぱり「炎上」するでしょう。
で、小田嶋さんの文章を読んでみると、やっぱり「炎上」するなりの「攻撃」「全否定」をしてるんですよね。
なんとなくムヤムヤーっと、みんな違ってみんな良い的なことを言ってる毒にもクスリにもならない文章じゃない。
結果として調べてみたら捏造だった・・・っていうような「無理やり感動話」でもない。
「ある方向性」を持って、「何か」を全否定的に攻撃している。しかしそれは、アクセス増えりゃいいっていう方向の「とりあえず全否定してみる的センセーショナリズム」ではなくて、
「みんなのための良識」
というような、今の時代非常にうそ臭くて時代遅れ的なものに基づいて、しかしキッパリとした断固たる調子で
「それに反する存在を全否定して攻撃」
しているんですよ。
今の日本に必要なのは、「注目集めりゃいいっていうようなセンセーショナリズム」でもなければ、「なんか全部ウヤムヤの”エエ話”にまとめちゃうような現状追認的な惰性の言論」でもない。
こういう『良識ある炎上』こそが今日本に最も必要なものではないでしょうか。
拙著「日本がアメリカに勝つ方法」から図を引用すると、今の日本は先の開いていない注射器を両側から全力で押し合っているような状況にあります。
(画像はクリックで拡大します)
「グローバリズムに対応しろよ、なんで出来ないの?あーあ、日本人ってダメだねえ!」という「グローバリズムの威を借る狐」的言説か、「日本は昔っからこうなんだ、黙ってろ!」というようなウヤムヤな惰性の現状追認か、「どっちか」しか一般的な認知を受けられないことになってしまっている。
結果として我々はどちらにも進めなくなってしまうのです。
そして現状では、「理屈側・グローバリズム側」からの押し込みが「現場を生きる人たち」の実情からあまりにもかけ離れているので、「切実な事情として押し返したい気持ち」がそのヨリシロを求めて、ある意味「センセーショナルなだけの炎上」「ある種のヘイトスピーチ」とかの不幸な形として噴出してしまっているだけなんですよ。
でもね、図を見れば、我々が実現するべきは、その「注射器の先端に穴を開ける」ことだってわかりますよね?
それはどちらか片側から無理やり押し切ってしまうような話ではないから、最初はちょっとわかりにくい。そんな「わかりにくい話」は「炎上」しないだろう、つまり「広い範囲の人たちで共有」できたりはしないだろう・・・・と思ってしまう。
でもね、ちゃんとやればできますよ。みんな「それ」を求めてるんですから。「それ」以外の言説には実はみんな心底飽き飽きしてるんですからね!
「良識」がちゃんと「炎上」する社会にしましょう。そして、「じゃんじゃん炎上」させましょう。
そうすればヘイトスピーチなんて消えてなくなりますよ。
そして、「本当にやるべきこと」に「みんなの気持ち」がちゃんと集中して、スルスルと最速で物事が決断できる社会になっていくのです。
日本の反撃は、そこから始まるぜ!
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
ツイッター→@keizokuramoto
・・あまりに感動したことがあったんでザザッと書いてしまった文章です。他人の文章への後乗りなんでnoteへの投稿はしませんでした(いずれまとまった小噺シリーズが書けるようになったらやります)。