いっそ全部アベのせいにしてしまえばいいのかも?

水害の「犯人探し」の熱狂の行く先


災害があると「犯人探し」的な感情が巻きおこることは仕方ないことかもしれず、冷静な水害の要因分析とは違った感じで、「あいつのせいだ」的な感情がぶつかりあっています。

今回の台風19号の水害は、もちろんあちこちでヒドい被害に合われた方は多いけれども、「ちゃんと対策してる」東京のあちこちに関しては、むしろ「日本の治水関係者ってスゲえな・・・・」と私は思いました。知らないところであっちこっちに色んなギミックが仕込まれており、あちこちの水門の開けしめ、人びとが知らないうちに地下に仕込んであった巨大な調整池の活用、ダムの放水タイミングのコントロールなど、「ちゃんと地道に考えて準備しておく」役割の人たちが、ちゃんと想定どおりにちゃんと対策を実行し、もちろん多少の被害は出つつも破滅的な事態は避けることができた。

「無数の無名のちゃんとやってる人たち」の連携によって何かを成し遂げる、日本っていう国の美点はこういうところにあるんだなあ・・・と思いました。

私は個人的にはアベ氏のことをなんでもかんでも支持しているわけではなく言いたいこともいっぱいあるんですが、ただ水害などの災害があるたびに出てくる「陣頭指揮を取ってない」的な批判は、あまり好きではありません。

アメリカの災害では「そういうしぐさ」をリーダーがしないと絶対ダメですけど、日本の災害はむしろ役所とか電力会社とか自衛隊とかの現場レベルの優秀な仕事人に任せ、トップが腕まくりして出てこられたりしたら邪魔で仕方ない・・・という文化の組織が多いように思います。

私は「そういうアメリカンなしぐさ」が嘘くさいと感じる文化で生きているので、災害のたびにアベ氏に対してそういう批判が巻きおこることに関してはあまり共感できない感じがする。

しかし、まさに「文化の問題」だからこそ、「陣頭指揮を取って欲しい文化圏」で生きている人もいることは理解できるし、そういう観点からするとアベ氏の振る舞いが「彼らの期待に応えられてない」のも事実なように思います。

だから「反アベ」の人は「反アベ」をやる事をやめるわけにはいかない。最近、そのことはまあ一つの避けられない問題として理解することが必要な感じがしていました。

ただ、できることなら「文化の問題」での徹底した対立と、「政策論争」は別の問題として扱えないだろうか?という願いはどうしても湧きますね。


いっそ全部アベのせいにしたらいいのかもしれない


ある種のインテリは土建屋さんが嫌いです。旧民主党の「コンクリートから人へ」のスローガンに見られるような方向に賛同を感じやすい。

しかし、今回の水害が「対策できたところ(主に東京都内)」と「対策できなかった(主に関東の周縁部の県や長野・東北など)」ところを見ていると、「やっぱお金かけなきゃダメだなあ」という感じを持った人も多いと思います。

また、その東京にしても、地球温暖化による「昔はありえなかったことが普通に起こるようになっていく時代」を考えると、あちこち「今回はギリギリなんとかなった」設備を増強する必要も今後あるように思います。

だから、私たちとしては、ちゃんとインフラ投資、しなくっちゃなあ・・・と思っている。これはアベ支持者も反アベ派も、結構同じことを思っている人が多いはず。

こういう時に私は、昔はアベとか反アベとかじゃなくて、「必要な政策」の論議にもっと集中しようぜ!という方向の意見を持っていたのですが、それは甘かったかもしれない。人びとにとって「反アベ」か「アベ支持」かというのは非常に重要な感情的トリガーなので、「まあまあ、とりあえず冷静になって」というのは難しいのかもしれない。

そこで最近私は、19世紀イギリスの貴族、ジョージ・ジョースターが語ったとされる知恵を思い出したりしています。

「なにジョジョ? ダニーがおもちゃの鉄砲をくわえてはなさない? ジョジョ、それは無理矢理引き離そうとするからだよ。逆に考えるんだ。あげちゃっても いいさ と考えるんだ」

反アベやりたいってェーんならよォー!!!全力でやってもらおうぜェー!!!!徹ッ底ェー的によォー!!!(なんとなくジョジョ風のセリフ)

水害以降のSNSでは、対策が不十分だったことについて「旧民主党」を「犯人探し」のマトにして否定しまくる言説が人気です。

一方で、水害対策が不十分だったことが、アベ政権が象徴するような今の日本による棄民政策的なものだと批判する人たちもいて、その場合の「犯人探し」のマトはアベ氏です。

旧民主党政権が土木対策的なものに消極的だったことは事実ですが、一方でアベ政権になってからも必ずしも公共事業費は増えておらず、厳しい財政事情もあって、311直後の旧民主党政権と比べて減っているという見方すらありえる。

だから、上記の「ふたつの犯人探し」は、「ある意味両方あってる」わけです。

そこで「犯人探しなんかやめようぜ」というよりも、もっと徹底的に「犯人」に罪をぶつけてカタルシスを得るべきなのかも?と最近私は思い始めています。


「ちゃんとお金をかけるべきなのに、あの現実が見えてないお花畑のサヨクのアホどものせいでできてない!!!」


「ちゃんとお金をかけるべきなのに、あの自分さえ良ければいいクソファシストのアベのせいでできてない!!!」

決して交わることのない2つの並行宇宙において、この2つの声が徹底的にひとびとの感情を吸い上げて盛り上がるようにすれば、「実際の政策化」の場面においては「揺るぎないひとつの方向性」が見えてくるようになり、優秀な日本の「現場レベルの実務担当者さん」たちに、「あとはよろしく」と引き継いであげることができるかも?しれません。

ちゃんと「民意」が一方向にまとまっていきさえすれば、そこから先は、ダムがいいのか調整池がいいのか堤防がいいのか、ひとつひとつ常に違うそれぞれの土地の形に合わせて、実務家の冷静な議論に余計な感情を交えずにサクサクと判断が進んでいけばいいですよね。




対立する2つの陣営が同じことを考えていることはよくある


再分配重視の左翼主義者が、今の日本企業の多くは利益を溜め込みがちでちゃんと使ってない・・・とよく批判してますが、一方で同じ声を市場関係者からもよく聞きます。ちゃんと投資しろ・・・という形で。

労働基準法を守れて無くて死ぬほど働かせて手取り14万円みたいな会社は潰すべき・・・というのは労働運動関係者からも聞こえますが、一方で市場原理主義みたいなタイプの人からも、「退出させることで経済の新陳代謝を高めなくては」という声はよく聞きます。

「敵」だと思ってる陣営同士が「同じ意見」を持っていることは案外多いように思います。

その時に、「陣営同士の敵対感情は捨てて、同じ問題に向かおうぜ」というふうに冷静な意見をいうよりも、私たちは「もっと徹底的に敵のせいにする」ことをやるべき・・・なのかもしれません。

「分断と罵り合いの時代」において私たちは「分断を超えなくちゃ」と「マアマア」という方向で考えてしまいがちですが、むしろ「徹底して相手のせい」の形式で「分離された別々の宇宙」の中で徹底的に感情を放出していけば、「全部アベのせい」「全部サヨクどものせい」というアタマの部分だけ違うけど、「内容は同じこと」を言っている・・・という構造になることも多いかも?

そこまで行ったら、あとはその「揺るぎない方向性」に対して実務家集団が党派性を分離して実行段階に入ればいい・・・という風になるんじゃないでしょうか。

明日から、SNSでの罵り合いに遭遇したら、むしろ「こういうゴール」を予想しながら、「あえて、あえてだ!!」という感じの罵り合いゲームに参加してみてはいかがでしょうか。その先に、案外「同じこと」を考えている味方の存在に気づくかもしれません。



このように、人びとがそれぞれ別の「正義」を持って生きている時代には、20世紀のように「自分の陣営が持っている正義」の旗だけで相手を抑え込もうとしても無理があります。むしろ複数の「正義」がバラバラに存在する世界の中で、「同じ現実策」を実行できる陣営をまとめていって何かをする必要がでてくる。

たとえば政府レベルで「再分配」政策をやるとか、経済レベルで「違いを活かした連携」が生まれるように持っていくとか、今の時代喫緊に必要なあらゆるアクションを「本当に実現」するならば、「他人は自分とは違う正義を信じて生きている」ことを理解した上で、「メタ正義」的な行動を取っていくことが必要になります。

そういう観点から、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」という直球なタイトルで、私の5年ぶりの新刊が今度でます。

以下のリンク先↓の無料部分で詳しく内容の紹介をしていますので、このブログに共感いただいた方はぜひお読みください。

みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?

また、同じ「メタ正義」的な視点から、紛糾続ける日韓関係や香港問題などの「東アジア」の平和について全く新しい解決策を見出す記事については、以下のリンク↓からどうぞ。(これも非常に好評です。日本語できる韓国人や中国人へのメッセージもあります)

この視点にみんなが立つまでは決して解決しないで紛糾し続ける・・・東アジア問題に関する「メタ正義」的解決について

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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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