「普通の日本人」をもっと信頼して社会運営するべき

●格差社会の絶望による「無敵の人」問題はどう解決するべきか?


前回、話題の映画「ジョーカー」の紹介をしながら、格差社会の中で絶望した人間の暴発的行為(いわゆる”無敵の人”問題)を、どうすれば私たちは社会に再度包摂していけるのか・・・という話をしたんですが、映画紹介以外の「どうやったら格差社会問題を解決できるのか」についての部分が案外評判が良かったので、そこを切り出してもう少し深く考えてみたいと思っています。

この話は、私が今度五年ぶりに出す新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」の内容の一部紹介にもなっています。

「京都アニメーション事件」を思い出すまでもなく、社会が包摂しきれなくなった個人が不幸の連鎖の先に暴発する事件に対して何ができるかは、私たち日本社会においても非常に重要な問題です。

しかし、単に焚き付けて暴発してアチコチ放火して回らせたりテロ行為をさせる・・・というのでは、それを社会の側が「抑止」する必要があるのもまた言うまでもありません。

だから大事なのは、「彼らの怒り」を理解すると同時に無意味な暴発を防ぎ、かつその怒りを「社会を変えていく」力に転換していくことでしょう。

そのためには、
・政府の政策レベルの再分配
・経済構造を時代に合わせて変えていくという「民間」レベルの問題
について”両方”取り組んでいく必要がありますね。



●不満の暴発から、「解決策の実行」へ。


その2つのうち、「政策」レベルの話については、ここのところ何度もブログにしているので、たとえばこの記事↓などを読んでいただけたらと思いますが

陰謀論に溢れる時代にリベラルメディアがやるべきこと

単に「いかに今の日本の政権がアホでバカでカスで自分のことしか考えていないか」みたいな方向で人々を煽っても、余計に実現しなくなってしまいます。

大事なのは、「政策のトータルバランスが壊れて余計に経済が冷えることを恐れる現実派」の人たちと双方向的な「対話」が行えるように持っていくことですよね。

そういう変化を起こしていくための提言については上記ブログで書いたので繰り返しません。

今回の記事で詳しくとりあげたいのは、「民間」レベルでの経済構造の変化をどう実現していくかです。



●構造変化は「資本の論理でシバキあげる」ことでしか実現できないのか?


前回の「ジョーカー」に関する記事の後半で述べたように、元ゴールドマン・サックスのアナリスト、デービッド・アトキンソン氏が、日本の中小企業は保護されすぎており、ゾンビ企業の適切な退出とともに、大きな資本を持った会社がそれらを買収して効率化していくことが重要だと提言されている話を紹介しました。

低賃金、少子化、財政破綻、年金不足、最先端技術の普及の低さ、輸出小国、格差問題、貧困問題……さまざまな問題の諸悪の根源を容赦なくたどっていくと、「非効率な産業構造」という結論にいたるのです。
・・・だ、そうです。

私は20年ほど前にマッキンゼーというコンサルティング会社で、日本政府とアメリカの経済学会の合同プロジェクトで日本経済についての似たような研究プロジェクトに参加しており、そこでも
・日本は製造業の生産性は高いがサービス業の生産性が低い
・サービス業の低生産性の理由は零細規模の業者が多く大資本による合併が行われないこと
というような結論を出していました。

「アベノミクス三本の矢」の「三本目が大事」として、いわゆる「構造改革が必要だ」という話をしている人が多いのも、こういう現状認識に基づいていると思います。

ただ、じゃあその「実行策はなにか」というと「規制緩和」だとか「市場に任せてダメな企業を潰してしまえ」的な「資本の論理でシバキあげる」話だったりします。

しかしそういう方向性には日本においては非常に拒否感を持っている人も多く、また拒否感を持たれるからこそ余計に「時代についていけてないクソ日本人どもめ!」みたいな怒りを持ってもっと徹底的に「資本の論理でシバキあげる」政策を主張する人が出てきたりして、余計に分断が大きくなり何もできなくなってしまいがちです。

アトキンソン氏もここ何年も同じようなことを言い続けている印象ですが、日本社会のマジョリティからはほとんど無視され続けているようなところがあります。アベノミクス「第三の矢」は不発だった・・・という批判もよく聞くけれどもじゃあだからどうしようかという具体的な話にはいることが難しくなっています。

ただ、どちらの意見の方にも考えてみて欲しいことは、
たまにSNSで話題になる、「死ぬほど働かされて手取り13万円みたいな世界」は、「そういうブラックすぎて未来のない会社につぶれて」もらって、「ちゃんと給料払えてるのに人手不足で困ってる」ところに拡大してもらうことによってしか解決できない
ということなんですよね。

だから、方法はともあれ、アトキンソン氏の言うように「構造変化」は必要なんですね。新陳代謝こそが経済の本質だからです。

つまり、

・構造改革は実行する
・資本の論理で果てしなくシバキあげるようなことはしない


『両方』やらなくっちゃあいけないのが日本人のツライところだけど、その覚悟が必要な時期なんじゃないかということです。





●「資本の論理でシバきあげる」だけではないM&Aが広がりつつある


最近は、私のクライアント企業で中小規模の会社でも、「ちゃんとやれてる」ところにはさらに小さな会社の合併吸収話が頻繁に持ち込まれるようになってきています。

まるで発酵食品を株分けしてさらに量産するように、「ちゃんとやれてる会社」から「ダメになった会社」に人を送り込んで徹底的に風土改革し、ちゃんとマトモな休日とボーナスを払える会社に変えていく・・・みたいなことが行われるようになってきている。そういう仲介の仕組みも整ってきたし、そういう吸収合併自体が珍しくなくなることで、「どういう風にそれをやればいいのか」が日本の経済の現場において「だんだんわかって」来ている。

「構造改革」といった時に、「ファンドのような金融プレイヤーが買い上げて、いわゆる”優秀な人材”さんを投入してバキバキにシバキあげて利益を出せるようにする」みたいな例も、もちろんそれがフィットする環境ならそうすればいいと思いますが、そういうスタイルではない「資本の論理」で構造改革が実行される例が増えつつあるんですね。

単に「資本の論理でもっとシバキあげるべき」みたいなことを言ってるだけでは変われなかった日本の民間が、「一件一件丁寧にやる」ことでちゃんと転換していけているということだと思います。

ある意味「縁を大事にする」的な文化の延長に、適切な構造改革を実現していく試みが広がりつつある。


●”中間集団”をディスラプト(破壊)しない最先端の経営のあり方が見えてきている



また、最近ではキャディ株式会社みたいな成功例も出てきている。

グーグルアマゾンフェイスブックアップル的な巨大IT起業が、「あらゆる社会の中間集団を破壊して人々をグローバリズムの中の砂粒のような個人に還元してしまう」時代に、このキャディ株式会社は最先端の技術と最先端的な経営手法を用いながら、中小メーカーという「中間集団」をディスラプト(破壊)しない、徹底したエンパワー(力を与える)によって劇的に業界構造を変えていき、同時に会社としても凄いスピードで成長している。

ここは元マッキンゼーの社長さんが起業し、元アップルのエンジニアさんが技術部門のトップという”ピカピカの経歴”の会社なんですが、それはつまり「今の時代の日本のビジネスマンの連携」の結果として、「グローバルな時代の最先端」に「日本の本来的な良さ」を位置づけるビジネスが実現しつつあることを意味します。

いわゆる「ネオリベ」的な原理主義的資本主義のグローバリズムに懐疑の目が向けられるようになってきた世界の風潮の中で「時代の振り子」が逆に戻りつつあります。

その中で、「すべてを徹底的に資本の力でシバキアゲル」のではない形の「構造変化」が、むしろ日本の中に生まれつつあるということだと思います。

無内容な「日本ダメvs日本スゴイ」的罵り合いの背後で、「次の時代の希望」はちゃんとヒタヒタと実現されていってるんですね。

私たちは日本はもうダメだ!こんな国さっさと潰れるべき!みたいなことを言う前に、そういう「自分たちの特性にあったことをちゃんと後押しする」ことにもっと集中していくべきではないでしょうか。


●「普通の日本人」をもっと信頼して社会を運営しよう


私は経営コンサルティングのかたわら、「文通を通じて個人の人生の戦略を考える」みたいな仕事もしてるんですが、そうやって「文通」で出会う日本人って、「現状そんなに目立ってない人でもスゴイしっかり考えて生きてるよなあ」と思う時がかなりあります。

SNSを見ていると、日本には常に何かに怒りまくったり絶望したり罵りまくってる人しかいないんじゃないかと気が滅入りますが、しかしそれは「声が大きくて目立ってる」だけで、本当は大半の日本人はむしろこの「ちゃんと考えている普通の日本人」の範囲にいるんじゃないかと思います。

ただ彼らの判断力を適切に引き上げてマネージする仕組みがないために、無理やり動かそうとしても動かないどっちつかずの混乱状態に陥ってしまっているのではないでしょうか。

欧米諸国的なモードで社会を運営すると、「ちゃんと考えてる人」と「単に言われたことやって生きてる人」が果てしなく分離していきがちで、そういう風にすると簡単に「構造変化」を起こせる気はしますが、なにか人間社会にとって大事な感覚が摩滅していってしまいがちなのではないかという気がします。

むしろ、

・「資本の論理でシバキアゲル」のではなくて「一件一件丁寧に縁を繋ぐ」
・中間集団をディスラプト(破壊)するのでなくむしろエンパワー(力を与える)ことによって変えていく


そういう「普通の日本人」を信頼した社会運営というものに、私たちはもっと習熟していくべきではないでしょうか。

「議論と言う名の罵り合い」の時代をおえて、「本当に問題を解決するための対話」の時代をはじめましょう。

そのための私の5年ぶりの新刊、

「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?

が、来年1月にディスカバー21社から出ます。長く時間をかけただけがあって、本当に自分の「すべて」を出し切れた本になったと思っています。

現在、noteで先行公開しており、無料部分だけでもかなり概要がつかめるようになっていますので、この記事に共感された方はその無料部分だけでもお読みいただければと思っています。

こちらから。

同時に、その話をさらに推し進めたところから、日韓関係をはじめとする東アジアの未来の平和はこの視点からしかありえない・・・と私は考えている提言については、以下をどうぞ。

21世紀の東アジアの平和のためのメタ正義的解決法について

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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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