日韓対立の本質は20世紀型急進的左翼の断末魔
あらゆる党派性がグチャグチャに混濁しはじめた
日本での報道はあまり多くないようですが、韓国において巨大な反文在寅政権デモがあったそうです。”主催者発表”によると三百万〜五百万人の参加者だとか(さすがに大きすぎると思うので、実数はもっとかなり低いと思いますが)。なんにせよかなり大きなデモだったことは間違いない。
私は結構、色んな立場の「日本語できる韓国人や在日の人」のツイッターをフォローしてるんですが、親文在寅派(韓国の分類でいうと左派)の人は、親文在寅派のデモがあった時にはそれがいかに大きくて、韓国検察という悪の組織がいかに横暴を振るっているか・・・について力説する傾向にあるんですが、逆に今回の反文在寅派のデモは、そういう人のツイッターを見ているだけでは存在していないかのようなスルーのされかたをしている事が多くて面白かったです。
一方で、今回の「反文在寅デモ」についてツイートしている日本語できる韓国人や在日の人のうち、必ずしも「日本のナショナリズム」と仲が良くない層にまで日本の保守ネットユーザーが突撃しにいって、これはこれで幸薄い罵り合いに発展している状況をチラホラ見ました。
もちろん、日本側のナショナリズムと近い位置から韓国の政権を批判している韓国人・在日の人は大きく取り上げていたことは言うまでもありません。
また、「韓国のあり方こそが理想の民主主義を体現している先進国家であり、今の日本の政権はもう人間性を失っているから地獄に堕ちるしかない」的なことを考えている日本の急進的な左翼人士が、韓国左派と同じ「韓国検察がいかに悪辣無道な権力を握っているか」について話しているのも予想通りという感じでしょう。
ただ総体的に見れば、日本に住んでいる日本語できる韓国人や、在日の人で、かなり原理主義的に反”アベ”の人でも、最近は必ずしも文在寅支持ではないことを匂わせる発言がチラホラ増えてきているような感じもします。
さらに最近チラホラ見るのが、「文在寅のあり方は韓国の国益になってない」という判断から、「文在寅流のノーブレーキ走法でもっと破滅してほしいからまだ潰れないでくれ」とか言って文在寅支持を表明する日本のネット右翼さんがいたりして、もう色んな党派性がグチャグチャに入れ混じってわけがわかりません。
しかし、私はかねてから、こういう形で「党派性」が解体に向かって、同じ党派の間での”内輪モメ”が増えることでしか最終的な解決は見えてこないと思っており、昨今のこの「混乱状態」は、理想的な「歴史の運命」的な審判への欠かせないステップであると考えています。
歴史問題の鏡映対称性を超えて
なぜそういう風に考えるかというと、私が「歴史問題の鏡映対称性(鏡に映ったように”対称的”な問題)」と呼んでいる構造があるんですね。
20世紀の歴史を冷静に眺めると、「右の暴走」の結果として生まれたファシズム的全体主義国家の暴走と同じぐらい、時には死亡者数で見ればそれ以上の不幸が「左の暴走」の結果としての虐殺や飢餓で引き起こされたことは明らかですよね。
だから20世紀の歴史を冷静に考えれば、「右の暴走」も当然抑止しなくちゃいけないけれども、同じぐらい「左の暴走」も抑止しないと大変な不幸が生まれてしまう・・・ということが言えます。
私はこれを「歴史問題の鏡映対称性」と呼んでいるんですが、今の時代、右も左も「相手が立っている側」の巻き起こす不幸だけを果てしなく言挙げして追求する一方、「自分の側」が引き起こすであろう不幸については知らんぷりを決め込む態度が蔓延しています。
特に、今の時代国際的な気分として「右の暴走」が生み出した不幸に対して、ナチス・ドイツとかヒトラーのイメージの援用で攻撃する戦略が有効すぎるので、「左の暴走」がそれを「隠れ蓑」とすることで、自分の側が受けるべき当然の社会からのフィードバックを拒否するネタにしていることがよくあります。
これは結局、単に「自分の側の政治的野心を世の中に押し付けることだけが目的で、その過去の不幸の結果苦しんだ人びとのことなんかは本質的には単なる話のネタにしか扱ってないのではないか」と批判されても仕方がない態度なのではないでしょうか。
「右の暴走」を抑止することも必要だが「左の暴走」も抑止しなくてはならない。
両者がゴリ押ししあうことで、日本においては「本来必要な以上に右」な政権が、韓国においては「本来必要な以上に左」な政権が出来上がり、一切の妥協ができない「20世紀の亡霊的な罵り合い」に発展しているのだ、とまずこの問題を巨視的な視点から見直してみましょう。
内輪モメの激化による党派性の解体が生み出すアジア的中庸精神
この問題は、単に「マアマア仲良くしましょう」みたいなことを言うだけでは解決しません。それどころか余計に参加者の憎悪に火を注ぐことになりかねない。
単に色んな戦前の問題を持ち出してアベ政権を批判するだけではこのバランスが崩れるので、むしろ感情的対立は激化するだけで終わります。しかし逆に、アベ政権側が押し込み続けるだけでも、韓国側に引き下がれない”理由”があることもまた事実でしょう。
結論としては、「右の暴走を抑止する」ことと「左の暴走を抑止する」ことがちゃんと同等的に行われる新しい政治状況を生み出すしかない。
前回のブログ→「アベ叩きで盛り上がるよりリベラルが本来やるべきこと」で扱った2つの図で考えてみましょう。
縦軸が「その位置にある意見の合意形成のされやすさ」、そして横軸が、左に行けばいくほど「改革派な方向に過激」、右に行けば行くほど「保守派な方向に過激」であることを現しています。
まず、今の日本の合意形成グラフは以下のようになっています(というか中国のような政治体制の国以外、民主主義社会なら世界中どこの国でもほぼそうなってしまっているんですが)。
右でも左でもあまりに過激すぎるような意見は、合意される度合いが少なくなるので、グラフの両側はどんどん小さくなっていく形になっている。そこはいい。
しかし、右でも左でも、この「敵側を全否定できて、ある程度まともっぽく聞こえる意見」のところにやたら人々の合意を引きつけやすいポイントができてしまって、それが「敵側を完全に否定すること」自体を目的としてしまっているので「本当のリアリティからの要請」に応えられておらず、単に罵り合いに巨大なエネルギーが浪費されるだけで何も実効的な対策は打てないままになってしまうことになる。
左の方向に過激・・・だけど敵側を罵ってるだけで実効性が全然ない点を「原爆解」、右の方向で過激・・・だけど敵側を罵ってるだけで実効性が全然ない点を「ホロコースト解」と、私はそれぞれ呼んでいます。
大事なのはこの「対立すること自体が自己目的化」しちゃったような混乱を超えて、今は「合意形成のデスバレー(死の谷)」みたいになっているところに、人々の注意を引きつけていくことです。
そのためには、この「M字分断されたグラフ」が、以下のように「凸型化」するように持っていかなくてはならないわけです。
そういうプロセスは、あらゆる「党派性」が解体し、果てしなく人々が「個人」に目覚めていくプロセスの中で、ひとつめのM字分断されたグラフの「原爆解」も「ホロコースト解」も内部崩壊することで移行していくことになるでしょう。そのプロセスについての理論的な話は前回のブログ記事をお読みください。
ここでは、特殊事例としての日韓関係において、深く考えてみる必要性についていくつか追記します。
問題の本質は、敵側全否定のナルシシズムに浸る急進主義
このブログ→「陰謀論が溢れる時代にリベラルメディアにできること」で述べたように、単に「敵側を全否定する狂騒的な盛り上がり」では、実際に現実的な政治改革をすることが難しい時代になっています。
日本においても、
・はてしない「消費増税・法人税サゲ」に批判的な層は実はかなりいるが、彼らはあまりに「懲罰的」なまでに法人税を上げてバランスが崩れ、結局経済を冷やしてしまうことを恐れている
・たとえばソフトバンク社が高度な節税方法を使って法人税をかなり節税してしまっていることを問題視している人はかなりいるが、彼らはあまりに過剰な取り立てルールを作ることで実際上の問題が起きることを恐れている
・たとえばアベ政権がアメリカの戦闘機を買いすぎだ・・・と思っている層はかなりいるが、ちゃんと隣国との拮抗関係を維持できる程度の軍備を維持することは平和のために不可避に重要だというところまで否定されるのは怖いと思っている
という混乱がある。
だから、「相手側の懸念」もちゃんと理解した上で相互コミュニケーションが成り立つように持っていけば、より広い共有基盤が出来上がって実現まで進んでいける可能性は高い。
一方で「相手がいかにバカでアホで自分たちのことしか考えてないカスか」みたいなことをアピールしまくったらこういう回路が途絶してしまうので、余計に具現化まで進んでいけなくなる。
ここ数回ブログで毎回触れてる話なんですが、私は経営コンサルティングのかたわら、「文通を通じて個人の人生の戦略を考える」みたいな仕事もしてるんですが、こないだまで、某巨大野党の国会議員さんがクライアントだったことがあるんですよね。
脱原発について彼が党でまとめたペーパーは、単に「脱原発できていないのは電力業界とアベ政権の陰謀だ!」的に騒ぐだけに終わらず、実行段階における色んな懸念点や問題点について微に入り細に入り検討されていて、「こういうのちゃんとあるんじゃん!そうそう、こういう話を進めていかなくちゃ脱原発なんてできないよ!」と思ったんですが、そういうのは「妥協だ!」とか言って党の中で潰され、マスコミでも扱われず・・・・結局その党は解体されて延々と1割ぐらいの支持率を複数政党で争い続けているのは皆さんの知るところです。
リベラルなマスコミの責務は彼が作ったそのペーパーみたいなものをちゃんと引き上げることであるはずなんですが、それをせずに変な陰謀論を振り回したり「敵」を凄い下に見て冷笑したり罵倒したりしかしてない感じがするところが、今の時代の「リベラル冬の時代」的な苦境の元凶ではないでしょうか。
韓国においても、文在寅氏が急激に最低賃金を引き上げた事で逆に景気が悪化したという分析もよくなされています。じゃあ最低賃金を上げるなというのか?!・・・というとそうではありません。
今度出る私の新刊、「”みんなで豊かになる社会”はどうすれば実現するのか?」で詳しく述べていますが、生産性の低い中小企業に徐々に退場してもらって、賃上げしてもやっていける会社にリソースを振り向けて行くことは非常に重要な政策です。
ただそれは、実体経済の現場との「相互フィードバック」を常に行いながら徐々に浸透させていくことが必要で、その「相互」的コミュニケーションが途絶していると実現できないんですね。
ここで、「敵側全否定のナルシシズム」に陥ってしまうと、相手側からのフィードバック情報が途絶するので余計に実現できなくなってしまうわけです。
日韓関係の混乱の背後には、そういう「20世紀型の急進主義的左翼」の限界が両国で露呈し、ある種の断末魔の中で、ちゃんと「相互コミュニケーションの中で漸進的に改革のできるリベラル」へと生まれ変わろうとしているプロセスがあることが、徐々にイメージできるようになってきたでしょうか。
最近毎回貼っている新刊からの図↓のように、「新幹線言論」から「山の手線言論への転換」が今両国で求められている構造があるわけです。
最近じゃあ、日本のかなり「右」っぽい人から、「いざアベが自分たちの支持しない政策を始めた時に代替してくれる勢力が全然いないのは困る」というわけで、単なる「糾弾マニア」じゃないリベラルの政治勢力がちゃんとまとまって欲しい・・・という声が結構聞かれるようにすらなっている状況でもあります。
日本と韓国で「見え方」が全然違いますが、両者の背後にある「本質的に起きていること」が見えてきたのではないでしょうか。
最後に日本語できる韓国人&在日のあなたへのメッセージ
ここまでの話は、日本語できる韓国人や在日のあなたにとっては非常に「勝手なこと言いやがって」感があるかもしれません。
しかし、私は韓国映画が結構好きなんですが、「1987,ある戦いの真実」でも、「JSA」でも、北朝鮮がわに関わる「世界の矛盾の中でスジを通す男」がよく韓国映画には出てくるじゃないですか。”パク所長”とか、”オ・ギョンピル中士”とかね。私は韓流男性アイドルグループはあんまりイイなと正直思ったことがないんですが、韓国映画に出てくる「そのタイプの矛盾を抱えた男」はメチャクチャかっこいいと毎回思います。
「パク所長」というのは、学生側が単純に理想化する「共産主義」というものが、実現すれば本来家族同然に育った人間同士でも殺し合いに発展してしまうような悲劇が起きることを北朝鮮出身だけに身を持って知っているからこそ、あえて過激な反政府運動を弾圧する役どころですよね?
つまり、韓国人は、いまだに20世紀的なドグマで国境線自体が分断されているために、国全体の視点で見るとかなり単純化された100対ゼロの視点しか政策化しづらい状況にあるけれども、「国民」レベルにおいては、実際に親戚とかが分断された状態に置かれ続けているために、「単純化したドグマで敵側だけを非難しつづけることの無理」を体感としては深く理解しているはずの国民なんではないか、と思う時があります。
ニュースとかでみるあまりにも非妥協的で攻撃的な「政治的韓国人」とは違う民族の「気分」が、見た感じ単純な断罪映画のように見えるストーリーの端々に登場する「北の影の両面性」や、最後なんかしらんけど主人公が死んじゃうお約束・・・みたいな要素の影にチラリと見える気がする時がある。そのへんは、韓国映画の文法に影響を受けた日本の左翼映画が変なペラペラの陰謀論映画にしかなってないのとはたしかに”格”が違う「分断国家のリアリティ」がある気がする。
旧大日本帝国軍がありとあらゆる進出先で完全に品行方正で何も悪いことをしてないと思っている日本人は、よっぽどの右翼さんでも少数派だと思います。
しかし、その時代の巨大な暴力の連鎖の中で結果として巻き起こった不幸に対して、100対0に誰かが誰かを断罪する姿勢自体に、ある種のモラルハザードが潜んでいるので、日本側からすると「とにかく何度も謝ったり保障もしてきたのに、韓国人がよく言う”ほんとうには謝ってない”とか言われても困る」という気分になる。このすれ違いはアベとかムンとか関係なく「普通の日本人」の根深い嫌韓意識に繋がりつつあると私は感じています。
正直言って韓国人が言う「ほんとうにあやまる」というレベルの決着は韓国人側の歴史に対する甘えがあると私は考えています。
とはいえ韓国人は政治的に極端な人が多く、「今までの極端なポジション」から離れるとなると今度は急に妙に日本のナショナリズム側に媚びるようなことを言う人がたまにいて、いやいやそういうことじゃないんだけど・・・・と思うんですが(笑)
もしよかったら、以下のリンク先↓の長文
東アジアの混乱は、アジアの時代の新しい共有軸を打ち立てるための大事なプロセスの中にある
を読んでくれたらと思っています。日韓関係だけでなく、香港ー中国関係も含めた東アジアの混乱は、「この解決」しかありえないし、今の罵り合いよりよっぽど建設的な道が開けると考えています。
上記のリンク先においては、日本語できる韓国人や在日の人だけでなく、日本語できる中国人や、日本のナショナリストの人たちへのメッセージも含まれています。また、いつも持ち出される「ドイツの場合」といった仕切り方がなぜ東アジアでは実現できないのか、そこにある欺瞞とはなにか・・・なども書いてあります。
また、この記事への感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。
最後に
本文にも述べたように、今の時代、罵り合いに浪費されているエネルギーは膨大なもので、中国人に「民主主義とかやめちゃいなよ」とか言われても言い返しづらくなってしまっていますが、しかし、やはり諦めたくない・・・ですよね。
状況は徐々に変わってきています。ほんの1ヶ月とかでも、同じ発言の「受け取られ方」は変わってきたりする。
幸薄い党派的罵り合いの自己満足が空中分解し、一歩ずつ「意味のある実効性」に向かって人々の注意を引きつけていける状況になっていくように、一緒に頑張っていきましょう。
民主主義を諦めない、ために。
そのための私の5年ぶりの新刊、
「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?
が、来年1月にディスカバー21社から出ます。長く時間をかけただけがあって、本当に自分の「すべて」を出し切れた本になったと思っています。
現在、noteで先行公開しており、無料部分だけでもかなり概要がつかめるようになっていますので、この記事に共感された方はその無料部分だけでもお読みいただければと思っています。
こちらから。
同時に、その話をさらに推し進めたところから、日韓関係をはじめとする東アジアの未来の平和はこの視点からしかありえない・・・と私は考えている提言については、以下をどうぞ。
21世紀の東アジアの平和のためのメタ正義的解決法について
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト
・ツイッター