アゴラ投稿第3回と、出版次回作の話・・・といった近況報告。
ちょっと更新頻度があいてしまいましたけど、後で書く新しい仕事に熱中してたからなんで、僕は元気にやっています。
・
ともあれ、まず連絡事項的なことですが、アゴラに、第三回の記事も登録されました。
これまでは、メールで投稿して、審査を受けて掲載・・・って形だったんですけど、「本登録」されたんで、第四回からは自分でアクセスして自由に投稿できるようになりました。
ブロゴス(アゴラのライバル的なサイト)へ転載されたページのコメント欄はまた荒れてますけど、まあ仕方がないですね。
反射的に批判コメントを寄せておられる方も、内容を読むと「それって結構俺も言いたいことだぜ」って感じのこともあるしね。ジックリ話す機会がもしあったら、別に全然わかりあえないタイプの人じゃないなと思う。
むしろ、全然個人攻撃された気持ちにはなってなくて、「そうか、そんなら言い方考えなあかんなー」って勉強になったな・・・って感じではいるんですけど。
でも、今は僕とその人の「出会い方」が、アゴラや橋下氏についてどう思うのか・・・という線で「どちら側にいるのか」という基準でのみ振り分けられてしまう形になってるんで、ここで僕が「真意を説明」しても無理があるなという感じで。
一人「ちゃんと読んで本も買いました」と言ってくださった人以降はコメント欄の雰囲気が変わってきたみたいなんですけど、なんかそういう「流れ」的なものもあるんだなと思いましたし。
とりあえず、誤解を多少は生みつつも、僕のやっていることを理解してくださる方が一人でも増えれば・・・と思って、アゴラ及びブロゴスへの投稿は、今後も続けていきたいと思っています。(橋下氏関係の話題からは離れたほうがいいのかもしれないが)
ただ、「知性派」という言い方自体が、「俺たちは知性派じゃないってことか?」っていうような反発を生むという指摘はなるほどと思った。
確かに、知性というのは、あらゆる側面があるもんね。というか、そのこと自体がまさに僕のメインテーマ的に言いたいことだよってぐらいなんですけど。
「”理屈”を代表する側」とか言うのがいいのかな。「知性」は「理屈」とは関係なく存在するものだしね。
社会の中の「認証された客観知」というようなものにどの程度信頼を置くタイプの人か・・・っていうような、そういう基準を、一緒くたに「知性派」というと、「あんなのだけが知性じゃねえ」っていう反発は当然あるよな・・・と思った。
ブロゴスにおいてアゴラおよび池田信夫氏が評判悪い理由はそのへんにあるんだと思うんですけど。
でも例えば経済学者の池尾和人氏が、マネーは不足しているのか?という文章をアゴラに書かれていて、こういうのはかなりなるほどと思ったんですよね。
文末にリンクされてた「戦前期の日銀国債引き受けの実態」についての文章も良かった。
って、興味ない人にはどうでもいい話題かもしれないけれども、今、「デフレなんだったら、日銀にカネ刷らせまくれば全部解決じゃん!!!」って言う人が結構いるんですよ。
で、そういう意見って、「すべての責任を誰かの”戦犯”におっかぶせられる」から、油断すると凄い広まるんですよね。ユダヤ人が全部悪いってことにしたヒトラーみたいなもんで。
日銀にカネ刷らせまくれば日本経済の不調なんかすぐ解決するのに、それが出来てないのは日銀がカスだからだ・・・・経済の不調はすべて日銀が悪いんだ・・・っていう風にすると、結構聞き手によっては爽快なストーリーになるじゃないですか。
でも、そんなわけないしね。でも、広い範囲にそういう話広まりすぎたら、民主主義国家じゃ実際にやらなくちゃいけない流れになったりもするわけで、でも実際にやっちゃったりすると(程度問題ではありますけど、一番過激なプランで言うなら)かなり破滅的な状況になる可能性だってあるわけなんで。
だから、「知性派」と呼ぶべきかどうかはともかくとして、「客観的に認証された知識体系を代表する人」みたいなのが、「ある程度の抑圧力」を発揮しておくことは、結構大事なことなんですよ。
確かにそういう人は「感じ悪い」けどね。でも、必要で。
「単純化しすぎたお話」に「みんな」を飛びつかせるのを抑制する力・・・みたいなのはね。
で、そういう人に対して、「現場を知らないヤツは何も言うな」っていうのは良くないわけでね。お互いの機能がちゃんと果たせるような「連携」を実現していかなきゃいけないわけで。
でも、そういう「抑圧力」が、「現場のダイナミズム」を損なうのは良くないよね・・・っていうのはあるよね。
だからこそ、一個前の記事みたいに、多少迂遠な形だけど、「両側にプレッシャーを与える」ようにしていかないといけないんですよね。
「理屈側」にいる人が、「仕切る力」を社会全体に及ぼせるようになっていく流れが過去20年だったとすると、これからは「理屈の運用」にどこまでも精緻に習熟していって、「現地現物のリアリティ」を「理屈が引き上げる」ことができるようにならなくちゃいけない。
そういうのは、「単純化したウソのストーリーにみんなを動員する」よりも複雑なものになりがちだし、「うるさガタ」の役割をする人たちは、やっぱ「嫌なやつ」って感じになるんですけどね。
でも、その「難しさ・面倒くささ」から逃げずに、限界までヒートアップしてった先で、どうしようもなくなったエネルギーが一気に噴出して、「21世紀の薩長同盟」を同時多発的に起こしていくしか日本が「新しい成長軌道」に乗るってことはないんですよね。
・
・・・と、そういうのが、「アゴラvsブロゴス」的な話題に関する僕の基本的な主張ではあるんですけど、でも、そういう「理論派」の人たちって、既に今の社会システムにガチガチに擁護されてるんだから、俺がわざわざ反発を食らってまで擁護する必要なくない?という気持ちにもなってきたんだよな。
そういう「擁護された特権」を乱用して、本来あるべき機能以上に自己権威化して偉そばってる人に対する反感・・・みたいなのは、ブロゴスのコメント欄に言われるまでもなく僕自身の怒りとしてあるわけだし。
むしろ、「社会システム的な擁護」が全然来ない位置に入っていって、「両者を結びつけよう」としてる俺を、誰か擁護してくれよ!!!と思わないでもない(笑)
ちょっと「万人に対して”フェア”な言説を常にやっていたい」と思いすぎてるのかな?とか思ったりして。
だから、今後アゴラに投稿するにしても、もうちょっとテーマを考えたほうがいいなとは思っています。
・
で、そういう心境の変化と呼応するように、最近、次回作の出版のオファーを頂いてですね、その編集者さんが今まで作った本を大量に送ってもらって、それを読んでるんですよ。(僕はやっぱ仕事で関わる人が過去にやった仕事ってできるだけ沢山触れておきたいタイプなんですよね)。
面白いのは、「薩長同盟本」を読んで連絡をくださった方なんですけど、今度は、普段はかなり「アンチグローバリズム的な立場」の本を作っておられる方なんですよ。
といっても、あんまり右翼的な感じではなくて、
「ミヒャエル・エンデ風の理想主義を等身大に実行しようとするオシャレなオルタナティブライフスタイル&ワークスタイル提案」
「日常を軽やかに生きるために仏教的な考え方・行動規範を取り入れてみよう的な本」
みたいな、そういう系統の本をずっと作っておられる方で。
星海社の柿内氏も、「あの人と組むのは超オススメですよ!」って太鼓判を押してくれたんですが、レーベルのボス的ポジションの人だから話がはやいし、まだメールでやりとりしてるだけだけど、アドバイスとか方向性の示唆が凄い的確な方なんで、凄く楽しみにしてるんですけど。
何が良いって、その「彼が過去に作った本たち」のどれひとつとっても、自分が個人で本屋さんに行って買ったりはしないタイプの本だな・・・・って思うからなんですよね。
だから、大量に送ってもらったのを一個ずつ読んでると凄い刺激になる。
「薩長同盟本」は、これから自分がやっていく活動の基準点として揺るぎないものにしなくちゃ・・・・ってのがあって、「読者一人ひとりの人生をどう変えるか」よりも、「トータルな社会・経済の見方」の方に振りすぎてるところがあったなと思っていて。(内容的にはちゃんと個人向けの話も過剰なほど入ってるんだけど、パッケージングのやり方として)
オファーを頂いた編集者の方は、「思想的な広がり」みたいなのを持った本を作ってはいつつ、できるだけオシャレで「等身大のライフスタイル」的なところに落としこむのがうまい方だなあという印象なので。
だから、そういう「読者個人の人生をどう変えるか」っていう観点にフォーカスしたものにしていきたい。
そういう「新しい出会い」からの仕事に、数日前から熱中してるって感じです。
あとはいつもどおり、内輪では会員さんとコミュニケーション取りながらね。
出版の次回作にかなり気持ちがのめり込んでるんで、ちょっと更新頻度が落ちるかもしれませんが、アゴラ&ブロゴス等経由で来られた新しい読者の方は、ブログの過去記事や、「薩長同盟本」(まずは出版者のサイトで試し読みからどうぞ)等を、ぜひご覧になっていただければと思っています。
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ともあれ、まず連絡事項的なことですが、アゴラに、第三回の記事も登録されました。
これまでは、メールで投稿して、審査を受けて掲載・・・って形だったんですけど、「本登録」されたんで、第四回からは自分でアクセスして自由に投稿できるようになりました。
ブロゴス(アゴラのライバル的なサイト)へ転載されたページのコメント欄はまた荒れてますけど、まあ仕方がないですね。
反射的に批判コメントを寄せておられる方も、内容を読むと「それって結構俺も言いたいことだぜ」って感じのこともあるしね。ジックリ話す機会がもしあったら、別に全然わかりあえないタイプの人じゃないなと思う。
むしろ、全然個人攻撃された気持ちにはなってなくて、「そうか、そんなら言い方考えなあかんなー」って勉強になったな・・・って感じではいるんですけど。
でも、今は僕とその人の「出会い方」が、アゴラや橋下氏についてどう思うのか・・・という線で「どちら側にいるのか」という基準でのみ振り分けられてしまう形になってるんで、ここで僕が「真意を説明」しても無理があるなという感じで。
一人「ちゃんと読んで本も買いました」と言ってくださった人以降はコメント欄の雰囲気が変わってきたみたいなんですけど、なんかそういう「流れ」的なものもあるんだなと思いましたし。
とりあえず、誤解を多少は生みつつも、僕のやっていることを理解してくださる方が一人でも増えれば・・・と思って、アゴラ及びブロゴスへの投稿は、今後も続けていきたいと思っています。(橋下氏関係の話題からは離れたほうがいいのかもしれないが)
ただ、「知性派」という言い方自体が、「俺たちは知性派じゃないってことか?」っていうような反発を生むという指摘はなるほどと思った。
確かに、知性というのは、あらゆる側面があるもんね。というか、そのこと自体がまさに僕のメインテーマ的に言いたいことだよってぐらいなんですけど。
「”理屈”を代表する側」とか言うのがいいのかな。「知性」は「理屈」とは関係なく存在するものだしね。
社会の中の「認証された客観知」というようなものにどの程度信頼を置くタイプの人か・・・っていうような、そういう基準を、一緒くたに「知性派」というと、「あんなのだけが知性じゃねえ」っていう反発は当然あるよな・・・と思った。
ブロゴスにおいてアゴラおよび池田信夫氏が評判悪い理由はそのへんにあるんだと思うんですけど。
でも例えば経済学者の池尾和人氏が、マネーは不足しているのか?という文章をアゴラに書かれていて、こういうのはかなりなるほどと思ったんですよね。
文末にリンクされてた「戦前期の日銀国債引き受けの実態」についての文章も良かった。
って、興味ない人にはどうでもいい話題かもしれないけれども、今、「デフレなんだったら、日銀にカネ刷らせまくれば全部解決じゃん!!!」って言う人が結構いるんですよ。
で、そういう意見って、「すべての責任を誰かの”戦犯”におっかぶせられる」から、油断すると凄い広まるんですよね。ユダヤ人が全部悪いってことにしたヒトラーみたいなもんで。
日銀にカネ刷らせまくれば日本経済の不調なんかすぐ解決するのに、それが出来てないのは日銀がカスだからだ・・・・経済の不調はすべて日銀が悪いんだ・・・っていう風にすると、結構聞き手によっては爽快なストーリーになるじゃないですか。
でも、そんなわけないしね。でも、広い範囲にそういう話広まりすぎたら、民主主義国家じゃ実際にやらなくちゃいけない流れになったりもするわけで、でも実際にやっちゃったりすると(程度問題ではありますけど、一番過激なプランで言うなら)かなり破滅的な状況になる可能性だってあるわけなんで。
だから、「知性派」と呼ぶべきかどうかはともかくとして、「客観的に認証された知識体系を代表する人」みたいなのが、「ある程度の抑圧力」を発揮しておくことは、結構大事なことなんですよ。
確かにそういう人は「感じ悪い」けどね。でも、必要で。
「単純化しすぎたお話」に「みんな」を飛びつかせるのを抑制する力・・・みたいなのはね。
で、そういう人に対して、「現場を知らないヤツは何も言うな」っていうのは良くないわけでね。お互いの機能がちゃんと果たせるような「連携」を実現していかなきゃいけないわけで。
でも、そういう「抑圧力」が、「現場のダイナミズム」を損なうのは良くないよね・・・っていうのはあるよね。
だからこそ、一個前の記事みたいに、多少迂遠な形だけど、「両側にプレッシャーを与える」ようにしていかないといけないんですよね。
「理屈側」にいる人が、「仕切る力」を社会全体に及ぼせるようになっていく流れが過去20年だったとすると、これからは「理屈の運用」にどこまでも精緻に習熟していって、「現地現物のリアリティ」を「理屈が引き上げる」ことができるようにならなくちゃいけない。
そういうのは、「単純化したウソのストーリーにみんなを動員する」よりも複雑なものになりがちだし、「うるさガタ」の役割をする人たちは、やっぱ「嫌なやつ」って感じになるんですけどね。
でも、その「難しさ・面倒くささ」から逃げずに、限界までヒートアップしてった先で、どうしようもなくなったエネルギーが一気に噴出して、「21世紀の薩長同盟」を同時多発的に起こしていくしか日本が「新しい成長軌道」に乗るってことはないんですよね。
・
・・・と、そういうのが、「アゴラvsブロゴス」的な話題に関する僕の基本的な主張ではあるんですけど、でも、そういう「理論派」の人たちって、既に今の社会システムにガチガチに擁護されてるんだから、俺がわざわざ反発を食らってまで擁護する必要なくない?という気持ちにもなってきたんだよな。
そういう「擁護された特権」を乱用して、本来あるべき機能以上に自己権威化して偉そばってる人に対する反感・・・みたいなのは、ブロゴスのコメント欄に言われるまでもなく僕自身の怒りとしてあるわけだし。
むしろ、「社会システム的な擁護」が全然来ない位置に入っていって、「両者を結びつけよう」としてる俺を、誰か擁護してくれよ!!!と思わないでもない(笑)
ちょっと「万人に対して”フェア”な言説を常にやっていたい」と思いすぎてるのかな?とか思ったりして。
だから、今後アゴラに投稿するにしても、もうちょっとテーマを考えたほうがいいなとは思っています。
・
で、そういう心境の変化と呼応するように、最近、次回作の出版のオファーを頂いてですね、その編集者さんが今まで作った本を大量に送ってもらって、それを読んでるんですよ。(僕はやっぱ仕事で関わる人が過去にやった仕事ってできるだけ沢山触れておきたいタイプなんですよね)。
面白いのは、「薩長同盟本」を読んで連絡をくださった方なんですけど、今度は、普段はかなり「アンチグローバリズム的な立場」の本を作っておられる方なんですよ。
といっても、あんまり右翼的な感じではなくて、
「ミヒャエル・エンデ風の理想主義を等身大に実行しようとするオシャレなオルタナティブライフスタイル&ワークスタイル提案」
「日常を軽やかに生きるために仏教的な考え方・行動規範を取り入れてみよう的な本」
みたいな、そういう系統の本をずっと作っておられる方で。
星海社の柿内氏も、「あの人と組むのは超オススメですよ!」って太鼓判を押してくれたんですが、レーベルのボス的ポジションの人だから話がはやいし、まだメールでやりとりしてるだけだけど、アドバイスとか方向性の示唆が凄い的確な方なんで、凄く楽しみにしてるんですけど。
何が良いって、その「彼が過去に作った本たち」のどれひとつとっても、自分が個人で本屋さんに行って買ったりはしないタイプの本だな・・・・って思うからなんですよね。
だから、大量に送ってもらったのを一個ずつ読んでると凄い刺激になる。
「薩長同盟本」は、これから自分がやっていく活動の基準点として揺るぎないものにしなくちゃ・・・・ってのがあって、「読者一人ひとりの人生をどう変えるか」よりも、「トータルな社会・経済の見方」の方に振りすぎてるところがあったなと思っていて。(内容的にはちゃんと個人向けの話も過剰なほど入ってるんだけど、パッケージングのやり方として)
オファーを頂いた編集者の方は、「思想的な広がり」みたいなのを持った本を作ってはいつつ、できるだけオシャレで「等身大のライフスタイル」的なところに落としこむのがうまい方だなあという印象なので。
だから、そういう「読者個人の人生をどう変えるか」っていう観点にフォーカスしたものにしていきたい。
そういう「新しい出会い」からの仕事に、数日前から熱中してるって感じです。
あとはいつもどおり、内輪では会員さんとコミュニケーション取りながらね。
出版の次回作にかなり気持ちがのめり込んでるんで、ちょっと更新頻度が落ちるかもしれませんが、アゴラ&ブロゴス等経由で来られた新しい読者の方は、ブログの過去記事や、「薩長同盟本」(まずは出版者のサイトで試し読みからどうぞ)等を、ぜひご覧になっていただければと思っています。