"So I showed him how people in the Far East get down"なモジュール戦略が、欧州左翼風理想主義の本当の具現化ツールとなる。

なんか、最近昔好きだった音楽を物凄く聞くようになってる自分がいますね。特に本出るの決まってから、さらにはアマゾンのアカウントができてからさらに特に。

「The Yellow Monkey」の、「未公開のエクスペリエンス・ムービー」とか「8」とか、あるいはインディーズ時代の「Bunched birth」とかね、彼らの中でもあんまり売れなかった方のアルバムをひさしぶりに聞いたら凄い良いなあ!!ってなって、なんか聞きながら家の近所走りに行ってしまいましたわ。

インディーズ時代の曲とか、ほんと歌詞意味不明やな!!ってなるんだけど、だが、それがいい。

「電気仕掛けだから毒はー効かーなあああいーショットガンノーフューチャー!」って、なんか、「食べ物地面に落としても5秒以内ならOKやもんね。うわ、お前もうそれ7秒たっとったでエンガチョ!」みたいな無茶苦茶さがあって凄い好きな曲で、昔無意味にはまってずうううっとリピートして聞いてたことがあるんですよね(笑)

後期の、「意味わかる曲」ももちろん良くて、「8」とかあんまりファンの評価高くないけど(インタビューとかでのご本人たちの自己評価があんま高くない感じなのが原因じゃないかと思うんですが)凄い好きなんですよね。僕がイエモンで一番好きかもしれないアルバム。

この時期の吉井さんはマジで歌詞が神で。

「パール」「GIRLIE」「聖なる海とサンシャイン」「カナリヤ」「バラ色の日々」・・・ってあげてくとアルバム全曲になっちゃうけど、特に「DEAR FEELING」の歌詞の、「首からさげた誠実は・・・」っていう進化論風のとことか、なんか今だにほんと詩として最高級品だなと思うし。

そこの部分、最後「無え 無え」っていう「ヘビーで切実なロック」な部分の裏に、ロンドンの結構余裕ある感じのフレージングのオケがバックに入ってて、そこのギャップがまた、なんかいいなあ・・・とか。

個別の生命の「生々しい必死さ」を暖かく包んでくれる世界のリアリティの奥行きの広さを感じるというか、やっぱ単純に

「長所を獲得する方向に進化するためにあえて失ったものを誇る気持ち」

って、やっぱ凄い何か大事なものだと思うんですよね。大げさに言うなら生命の真実を感じるっていうか。

「失ってまでも」っていう方向に進むからこそ生まれる「本当の個別性」「本当の多様性」ってのがあると思うし。

・・・って、イエモンについて語るのが今回の趣旨じゃないんでここで自粛しますけど。

なんか要するに、「自分ルネッサンス」的な時代に入ったのかなあと思ってるってことなんですよ。

でも、そういう「自分が本当に好きだったなあ」っていうのに戻っていけるのって、結構人生的に迷いが消えてこないとなかなか訪れない瞬間ってとこあるなあとか。

やっぱり、一番好きだなあって思うものって他人に否定されると凄いツライしね(笑)自分も一緒に否定された気分になるから、「いや、俺別にあんなのそれほど好きじゃねーしぃ!」って強がって生きてるみたいになっちゃうからね。

僕、高校の時The Yellow Monkeyが凄い好きで、ミスチルなんて聞いてる奴は(以下自粛・・・今はやっぱり彼らは凄いなあと思ってますけど高校当時は相当なアンチで)的な反発心はありつつ、かといって洋楽にはまるでもない感じの高校生だったんですけど。

でもなんか、例えば「球根」っていう曲があるんですが、クラス会だったか部活の友人と行ったんだったか忘れたんですけどカラオケ行ったときに、なんか凄くその時期その曲にはまってたんで、自分でも驚くぐらい入神状態みたいになって熱唱しちゃったことがあったんですよね。

いやなんか、凄い集中して、こんな声自分に出せたんだなあ的な感じだったんですけど、楽しかったコンパ的なカラオケが「しーーーーーん」ってなっちゃってね(笑)

凄い自分でも恥ずかしいし、なんか悪いことしちゃったなあって感じでもあるし。

いやね、カラオケで歌上手く歌えてそれはそれでよかった・・・にしてもね、やっぱ参加者みんなが盛り上がるように歌うのか、それとも・・・ってのあるじゃないですか。特に趣味嗜好が違う人がたくさんいる場においてはね。

当時、僕はアンジェラ・アキさんみたいにグランドピアノをアコギみたいに弾き鳴らすモードで、よく家でイエモンを絶唱して近所から苦情を言われたりしてたんですけど、ついついそのモードのままやっちゃって「しーーーーーん」ってなっちゃったんですよね。



で、まあ歌についてだけじゃなくて、人生においてそういう瞬間って結構あると思うんですけど。その時、まあ2つの方向性があるじゃないですか。

一つは、もう君がそれを望む思いが本当なのなら、その道を突っ走っちゃえばいいんだよっていう世界ね。

そしたら当初は結構孤独感味わうんですけど、続けてるとだんだん自分の身の回りにいる人間は次々と入れ替わっていって、「それを理解してくれる人」だけが集まるようになってくるんですよね。

で、まあそれでも慣れ合うことなく自分の道を貫いていれば、多少の入れ替わりはありつつもそのムーブメントは大きくなっていって、またそのプロセスの中の出会いと別れのプロセスがヒントとなって新しい認識も生まれていって・・・ってなれるんですよ。

僕はこういうのを、まあちょっとロマンティックすぎる用語ですけど「ソウルメイトマーケティング」と呼んでいるんですよね。

アップルの成功までは、「顧客ニーズをとにかく取り込むこと」が大事っていう時代だったんですけど、徐々に、「出し手側の切実な思い」の方を大事にしようっていう流れになってると思うんですよ。

なんでかっていうと、普通の消費者は思うほど自分のニーズのことをわかってないし、「こういう問題ってありますよね?それをこう解決しました!!」方式をあまりにやりすぎると、「いや、まあそういう問題あるっちゃあるけど、別に困ってへんでそんなに」ってなってくるんでね。

だけど、自分という個人の「本当に切実な事情」ってなった時に、それが「本当に切実な事情」なんだとしたら、それを望んでいるのが世界中で自分だけってことはありえないですからね。

だからある程度以上に深い部分の「顧客ニーズ」を取り込もうと思ったら、まず「出し手側の個人」を「最初の顧客」として、深いところから切実に出てくるものを結晶化させるのが、ある意味近道だったりするんですよ。

経営用語っぽくいうとある意味「マーケットイン(顧客のニーズに対応する)でなくプロダクトアウト(供給者の思いを大切にする)方式で、あえてやる」ことの可能性ってのがある時代なんですよね。

もちろん、いわゆる「出し手側の惰性の結果無理やり押し付けてる商品」っていう意味の「プロダクトアウト」だったらダメなんですけど、「最初のコア顧客」としての「自分自身」を大切にするほうが、本当のブルーオーシャン(手つかずの大きな需要のこと)に近づきやすいという話もあるんでね。

で、だいたい自分自身を掘っていくってなった時に、他人の商品を参考にしないなんてことはそもそも人間の精神としてありえないですしね。

色んなものを見てさわって、「あれなら自分を救ってくれるかも?」って思っては裏切られるみたいなのを続けてきた結果、もう自分で作るしかねえじゃん!ってなって出来た商品・・・・っていうプロセスの中に、「本当のマーケットイン」っていうのはあるはずですしね。

例えば昨日、実家の母親から妻に、「寒いから」って言うんで母親愛用のレッグウォーマーが届いたんですけど、それにはその開発者の思いやこだわりポイントが切々と書かれた小冊子が付いててね。

母親の友達(僕の小学校の同級生のママ友)から紹介されて、今や実家では弟も母親も愛用してるらしい銘品らしいんですけど。(で、またさらに妻の実家のお祖母ちゃんにプレゼントされて広がっていっているという)

こういう「切実な個人のニーズ」からの「自然な広がり」が、「新しいハートフルな人間関係」を作っていく作用ってのはあるし、ネットは強烈にそれをサポートしてくれてるんですよね。

ネットの存在は、説得性を失った古い共同体を破壊する流れもありつつ、そこに新しい共同体を立ち上げる効果も物凄くあるんですよね。

それが無い時代に比べて、体感としちゃ100倍とか1万倍ぐらい(単位が不明ですけど 笑)そういう流れが加速してる時代なんですよ。

だから、(今回の記事の趣旨とは違うから次回にでも詳しく書こうと思うんだけど)、例えば「商店街的な繋がりが滅び行くのを、無理やり政府のカネで挽回し、”古い共同体”を無理やり延命する」よりは、こういう「ソウルメイトマーケティング的なもの」が「新しい共同体」を立ち上げていく流れを後押しする方に、センチメンタルな左翼思想を信奉しておられる方は向かっていただければと僕は思ってるんですけど。



で、ともあれ今回の記事の趣旨に戻ると、そういう「自分の道を行けよ」っていうメッセージ自体は凄く大事なことだし、最終的にはそれで行ったら行っただけ全方位的に幸せになれる世界ってのがあると思うんですが、人生の前半においてあまりに拙速にそれをやりすぎると、27歳でドラッグにはまって死んじゃうロックンローラーみたいになりがちじゃないですか。

あるいは、鳴かず飛ばずに一発だけちょっとしたヒットを出してそこで終わっちゃうタイプの生き方とかにね。

だから、もう一つの選択肢として、「とりあえず我慢して色々周りが言うようなことやってみなよ」みたいな「2段階のモード」が大事なんですよね。

というか、グローバル的なシステムを否定しないで、かつ「生きている生身の人間の本当の幸せも否定しない」っていうことになると、結局その矛盾をそういう形で吸収してシステム内に入れ込んでしまう、この「2段階のモード」にしか答えはないんじゃないかと、僕は思ってるんですよね。

今は、そういう「2段階のモード」に対する社会的理解が少なすぎるんで、「毎日目先のことだけに100%使い尽くされて生きるか、それとも明日全てを投げうって起業しろ」みたいな、そういうえらい極端な二者択一しかない状況になってる問題があるんですよ。

そしたら、曖昧な段階から時間かけて結晶化するみたいなことが全然できないんで、「自分だけのこと」でデビューしようとするにしろ、「正社員の仕事にありつく」にしろ、その両方が、「今売れてる通りが良い範囲内」ではあるけれども、「みんなの本当に切実なニーズ」ではないところで行われちゃうことになるんで、それが社会・経済のあらゆる問題の根になってるんですよね。



で、過去の僕はある段階まで、独立して直後結婚するぐらいまではかなりガンガンに「もうここで自分の人生を結晶化させよう」と思って突っ走ってたし、それでそれなりに順調だった部分があったんですけど。

でも、結婚してからかなり迷いが出てきてね。

まあ、結婚自体が持っている色んな深い問題を考えさせられたんですけどね。

それについて語りだすと超長くなるんでそれもまたの機会にしたいんですけど、端的に言うと、当時のビジョンには僕個人の人生のコア的な思いしか入ってないから、二人で生きていきながらこのビジョンに殉じていくとなると必ずどこかで二人の関係が破綻するなって思ったんですよね。

だから、外交的に拡大していくのを一旦停止して、時間かけて「二人のビジョン」にしてから、再度始動するようにしなきゃいけないなって思ったというか。

というわけで、「今この段階で自分の人生を確定させちゃうと将来後悔するな」っていう風に思ったんですよね。

そのへんが、以前の記事で書いたように、一回隠れてしまって、「ナポレオン軍に対抗するロシア人のように」やっていかないといけないなって思ったキッカケでもあるんですけど。

ともあれ、そうやっていく中で、妻が生まれ育った街に移り住んで、妻の親族とも深く関わり合いながら、個人の、そして自分自身のルーツ的事情しか盛り込んでなかったビジョンを、複眼的に奥行きのあるものにするプロセスの間はね、結構自分が何者なのか自分でもわからんくなってきて、結構しんどい部分もあったんですよね。

体調もあんま良くなかったし。

でもまあ、それでやっとここまで来れたんでね、今度は妻の持ってきたものも含めて、再度結晶化していく作業に入っちゃってもいいなあ・・・って思ったというかね。

村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のラストみたいにね、ガツーンと再度「閉じる」ことによって「開かれる」みたいな世界があるんじゃないかと思ってるというか。



で、例えば、この記事に貼った、新書で使われるイラストを書いたのはプロのイラストレーターさんじゃないんですね。

もう相当長い付き合いになる自分とこの会員さんなんですよ。普段は普通に働いてて、休日に音楽やったり絵を書いたり色々してる人なんですよね。

で、関西生まれ育ちで関西在住なんで、新年に実家帰った時に大阪で打ち合わせをして、あとは電話とネットだけのやり取りで合計11枚の絵を書いてもらったんですけど、なんか凄いスムーズだったんですよね。

なんせ、僕の本が、まだ構想すら始まってない段階から、一緒に培ってきた世界観を結実させるわけですからね。

星海社とも、できるだけそういう関係になろうと思って、アホみたいにメール送りまくって共有するものを増やしてましたけど、でもそういうのとはまたレベルが一段違う世界ですから。

だから、彼と話しながら、「ここの部分のキャラクターは例えば君が職場でよく出会うこういう人が・・・って話前してた時のあの感じで」とか「君この前ああいう奴嫌いとか言ってたけど、そういうキャラを具現化すればええと思うよ」とか「君が将来ああいう風になりたいって言ってたのをキャラクタライズした絵をここに置いたらええねんよ」とか言うと、凄くスムーズで。

で、もちろん、そういう関係ばっかりで仕事が成り立たない時代ではあると思うんですけど、できる限り「そういう関係が生み出す力」を大事にしていきたいなと思ってるんですよね。

そういう時に「日本の一番良い部分」は出てくると思うし、日本がなんだかんだいって終身雇用的な制度を今だに続けてるのも、そういう制度に「一定の合理性」がやっぱりちゃんとあるからだと思うわけで。



で、なんでそういう関係がスムーズかっていうと、ツーカーだからなんですよ。いわゆる。

もちろん、そういう「隠語的なもので付き合える関係の価値」はどんどんグローバル化によって小さくなってくるんだから、これからはそういう暗黙知に頼ってちゃだめで、できるだけそれを客観知化してグローバルに通用する世界でやっていかなくちゃダメだ・・・っていうのが、ここ10年の経営思想の紋切り型的な発想なんですけど。

でもなんかね、結局そういうのをやって本当に成功してる例ってほとんどないんじゃないかと思うんですよね。

そういうのが成功してるように見える事例っていのは、そういう「過度に客観化したようなシステム自体が、その集団の”御家流”だから」なんですよ。

つまり、暗黙知でドロドロやってる野蛮人たちとは違う、シビライズドされたインテリジェントな世界のベスト・アンド・ブライテストが集っている俺たちのやり方、見せてやろーぜ!!!っていう暗黙知的ツーカーさでやってるから成功してるんですよね。

そういう志向の、例えばグーグルとかね、マッキンゼーとかね、「いかに自分たちが客観的なシステムというものの価値を人類に伝える崇高な使命を持っているのか」的なね、そういう文化的ソフトウェアを構成員に叩きこむための「儀式的装置」が、物凄く物凄く徹底してあるんですよね。

だから、本当に成果を出せる集団っていうのは、結局はどこも「身内のツーカーさ」でやってるんですよ。

「俺達はそんなドロドロした旧時代の遺物的文化には頼らないクールでシステマティックな実力主義の世界でやっていくんだぜ、なあそうだよな?」というのも、「濃密な共通了解のあり方の一つの実例」にしかすぎないんですよね。

そこのところをわかってないグローバリズムの威を借る狐たちがですね、「暗黙知的関係でやってたらダメなんだよ」的なことを評論家・第三者的口調で押し付けがましくゴリ押しするのは誰のためにもなってないんですよね。



で、ともあれ、昔と比べて、ある地域で単体で成立してる事業は少なくなってきてるんで、広い範囲の人たちと繋がりを作っていく新しいあり方が必要になってきてはいるんですけど。

でも、それをね、「ナマの現実を無理やりシステムに押し込める」って感じではなくてね、やっぱ「結局システムなんか存在してなくて、70億人の生身の人間が生きてるだけだぜ」っていうような世界観でやってったほうがいいんですよ。

ただそれをやるとなると、昔に比べて色んな面での「交渉」が必要になってる時代ではあると思うんですよね。

生まれた時から一緒に暮らしてた人とずっと家の商売をやり続けてるみたいな幸運な(いや幸運と言っていいかどうかはケースバイケースでしょうけど 笑)例ばっかりじゃないしね。

で、そういう時に、「モジュール戦略」っていうのが凄い大事なんですよね。

「本当に有効なツーカーさを実現するにはどうしたらいいのか」っていう視点で、「モジュール」をどう切り分けるのかっていうのを徹底して考えるべきなんですよ。

例えば日本のメーカーで一番強いところって、この「モジュール戦略」が超うまいんですよね。

特にBtoB(消費者相手じゃなくて企業間の取引のこと)のね、例えばハードディスクの中の小さなモーターとかね、医療用器具のある特定の分野とかね、そういうマニアックな部分を、完全にガッチリ抑えてしまうような仕事の作り方ね。

よく「すりあわせ商品」と「組み合わせ商品」っていう言い方があって、「組み合わせ」っていうのは部品同士の繋がりが単純なパソコンみたいに汎用品なものをただ組み立てりゃあいいみたいな仕事で、「すりあわせ」っていうのは、色々と部品の細部にリアルな調整が必要になる商品のことなんですけど。

アメリカンにいわゆる「客観知」的なものが深く通用する仕事には、日本人は向いてなくて、でもそれじゃあこれからの時代ダメだよみたいなこと言う人たくさんいるんですけどね。

でも、アメリカ人ってそういう「客観知的なもの」をゴリ押しすることにかけて世界で超絶No.1の適性持ってる国ですからね。

それは、インディアンを虐殺した土地に更地から立ち上げた人工国家と、高天原から延々ドロドロと続いてる国日本みたいな、そういうレベルの違いがあるんでね。

「これからはアメリカみたいにやんなきゃダメだよ、なんでやんないの?」

つったってそうそうできるわけじゃないんですよね。

だから、「すりあわせ」と「組み合わせ」っていう二特性があって、「組み合わせ」だけで色んな細部まで対応できるようになって「すりあわせ商品」でやってる日本企業がツライことになってますよ・・・ってなった時にね。

その「現状認識」自体は大事なんですけど、そこからね。

じゃあ「アメリカ人みたいにならなくっちゃ」ていう盲目的追従でもなく、「うっせえ黙ってろ!日本人は昔からものづくりでやってきたんだ!!」っていう全否定でもなく、

「じゃあもっとすりあわせ的価値が必要になる領域はなんだろうか」をみんなで考える

べきなんですよね。

で、

その領域においては、あくまで「すりあわせ」でやる価値が凄くあるよね、その力が決定的な違いになるよね・・・っていう領域

を見つけ出して、そこを

「日本民族のォオオオオオすりあわせをミッチリやる力はァアアアアアア世界一ィィイイイイできんことはなァい!!」

って感じにやるべきなんですよ。

今は、別に「組み合わせ」でサクッとやっちゃえるところにミッチリ集団ではりついてグダグダと「すりあわせ」でやろうとしてるから、客観知的に単純明快な仕事のモードを持ってる国にボコボコにされてるんですよね。



で、そうやって「自分の長所にあくまでこだわる」姿勢で行く時には、「モジュールの切り方」がイシュー(最も決定的な課題)なんですよね。

「この範囲内のことだけをあとは考えていればいい」っていう風に問題の「外壁」が定まってこそ、そこから先の「本当のリアリティ」に誰にも邪魔されずに向かい合うことが可能になるからね。

まさにさっきも言ったような、村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のラストみたいな局面を迎えるからこそ、そこから先「他人にはできない圧倒的優位性」を生身の生身なところで蓄積していけるようになるわけですから。

イチロー選手みたいな生き方は、「野球の打者」というモジュールが社会の中に確固としてビルトインされてて、それに圧倒的に習熟しさえすれば食いっぱぐれもないしあらゆる成功が得られるという目算がないとなかなかできないんですよね。

だからこそ、「イチロー選手的に生きるためのモジュール」を、独自にちゃんと社会の中に埋め込んでしまうプロセスが、凄く大事になってくるんですよ。

そうやって、出来る限り長期的に通用するであろう、「モジュール」を壁として区切ってしまわないと、ちゃんと「内輪で思う存分突っつきまわす」ことが、「外の世界的にも圧倒的な成果として受け取られる」っていうような「幸福な関係」にならないんですよね。

そこは、今の時代「かなり意識的に一貫した戦略にする」ように持っていかないとダメなんですよ。

そうじゃないと、結局、

「内輪の本来的美しい連携」はあるけど「全然成果に繋がらない」

とか、

浅はかなシステム的なもののゴリ押しで その「内輪の美しい連携」まで 寸断しちゃって元も子もなくなる

とかね、そういう

不幸

になりがちだからね。

だからこそ、


「意識してモジュールを切り分ける戦略」を、「自分の本当の長所」と直結するように実現していくことが大事

なんですね。



でね、そういう「自分たちの長所を活かすモジュール戦略」を、みんながやり始めたら、世界は圧倒的に本当の意味で「多様性」が具現化する世界になるしね、ある一つの性質だけが評価される偏差値型社会じゃなくなるから色んなタイプの人間の力が発揮されるし、そういう経済は何か一つのブームだけで駆動してないからバブルにも強いしってことになるんですよ。

経済学に「比較優位」っていう考え方があって、国際的に見てある国よりある国の方が何かをやる能力が高いなら、分業しちゃったほうが、もう一方の国はその国なりの長所に特化できるからみんなハッピーになれるよねって世界観なんですけど。

今の時代、

「アメリカ人がアメリカ人的長所を発揮」


したら、


「じゃあ日本人はもっと日本人の長所を発揮しなくちゃね」とはならない


で、


「なんでアメリカ人みたいにできないの?ほんと日本人は前時代的だから嫌だねえ!!」みたいな方向でばっかり話が進んじゃう


から


グローバリズムが人類の幸福に繋がらない

んですよね。

「今の時代の売れ筋」に対してそれが得意な人も苦手な人も大挙して群がってるだけなんで、全然「比較優位」な世界になってってないんですよ。

で、そこを、ちゃんと「理想的な関係」に持っていくためには、今のビジネス界の思考パターンよりは、「もう一段深くて長い話」からスタートしないといけないんですよね。

特に金融関係のアナリストさんとかがね、物凄く紋切り型に「成功してる国の事例」と「今苦戦してる国の事例」を比べて、「なんでああやんないの?」って投げちゃって終わるのとかね、あれはちょっとどうかと思うんですよ。

できてないのにはできてないなりの現場的理由があるし、それができてないこと自体が一周回って「その存在の唯一にして最大の長所」を支えてる根本的性質でもあったりするからね、ゴリ押しに短所を是正すると長所まで消えて元も子もなくなったりするんですよ。

だからこそ「根底的な発想の転換」が必要なポイントがそこにあるんですよ。

もちろん、世界中のあらゆる経済指標やマーケットの数字を生データで網羅的に見続けるとか、アマチュアではよっぽどの暇人しかできないからね、そういうのにナマで触れることのプロは必要だし、それをある程度のスパンの肌感覚で知った上で、「今の時代のトレンド」を端的にまとめてくれる存在は必要なんですけどね。

そこから先、なんか「じゃあこうしろ」的なのを物凄く単純な勧善懲悪みたいに言う人が今の時代多くて、それがマスコミ的システムに載っかっていくと、広い範囲の「今の時代に対する不満」を吸着して大きなムーブメントになって、「日本はアメリカ人みたいに●●できないから全部ダメ」みたいになっちゃうんですよね。

そこが、

「今のトレンドはこう」

ってなった時に、単純にそっちに引っ張られないで、

「さすがアメリカさんはアメリカンにカッコイイことするなあ」、じゃあ、今度は日本人の日本流の素晴らしさを見せてやろうじゃないか

・・・・的な

「少年漫画的ライバル心」に繋げられるかかどうかが、現実の経済に圧倒的な多様性をいれこんでいくために大事な転換点


なんですよね。



で、そういう時に大事な「気分」だなあって最近思ってるのが、件名に書いた

"So I showed him how people in the Far East get down"なモジュール戦略 

なんですよ。

これ、宇多田ヒカルさんが2004年にアメリカで出した英語曲アルバム「EXODUS」に入ってる「The Workout」っていう曲の歌詞なんですけど。

僕このアルバム好きなんですよね。宇多田ヒカルさんの作品で一番好きぐらいに好き。

妻が昔から好きなんで、結婚した当初ぐらいに彼女が持ってたアルバムを借りてずっと聞いてた思い出みたいなんもありつつ。

で、イエモンに久々にはまってるのと同時に、このアルバムにも今凄いはまってるんですけど。

歌詞の内容を全部紹介するとちょっとエロ???すぎる感じなんで自粛しときますけど、この部分の歌詞は、「だから私は彼に、極東の人間がどうやってヤルのかを見せてあげたのよ」って感じですか。



他の用例をうまく思い出せないんですが(でもアメリカ映画とか見てるとよく使ってる気がする)、僕は昔からこの英語の言い回しが少年漫画的イキを感じて凄い好きなんですよね。日常生活じゃあなかなか使い所がないんですけど(笑)

「So I show you how 自分の属性 + 今からやってみせる行動」

ってなんか、ニヤリとさせる良さがあるじゃないですか。

「欧州左翼的にウソ臭くならない本当の多文化共生」とは、コーやるんだ!!みたいなスガスガしさ

がある。

こういうのって、「自分の属性」が、「普通の価値観」からすると「劣位」に見られがち・・・・なときにやるとカッコイイんですよね。

でもその「劣位」っていうのも、文脈によって全然違ってくるところが、この世界の本当のリアリティの豊かさを感じさせてニヤリとさせられるじゃないですか。

だから例えばね、アメリカ人と日本人がいてね、日本人がグズグズなかなか自分をアピールできない状況にあるとすると。でも、そのアメリカ人から見て、日本人が時間かけて培ってきたものの良さみたいなのが凄く感じられるとする。(アホみたいに単純化した例ですいません)

で、「おい、ちゃんとスピークアウトしなよ、なんでしないの?」ってなって、「いや、でも・・・・」ってなってる時に、

「こういう時に、アメリカ人がどうやるかお前に見せてやる!」

ってダーンと行動しちゃうのとかね。

で、こういうのは逆もあるから良いんで、アメリカ人的に外交的で竹を割った性格の人がある集団の中でチームワーク的問題を抱えていて、「そりゃ俺だって色々気遣いたいと思ってる部分もあるけどさ、ちゃんと成果出していかなきゃだろ!!!」って言ってナアナアになっていくのを嫌ってるみたいな場面でね、

「こういう時に、日本人がどうやるかお前に見せてやる!」

的に、各方面に超着実な根回しをしちゃって、で場面を整えて、で、そのアメリカ人は「いつもありがとう」って一言だけ言えればいいぐらいの状況にしてあげるとかね。

あるいは、現場現場してるカルチャーの集団において、グローバリズム的問題で行き止まりになった問題があったときに、

「こういう時に、MBA持ってるマネジメントコンサルタントがどうやるか見せてやる!」
「こういう時に、投資銀行家がどうやって各方面をだまくらかしてカネ引っ張ってくるか見せてやる!」

みたいなね。(逆向きの”現場の良さがフィーチャーされる事例”ってのは、ドラマでは定番すぎるほど定番なんで、”マネーボール”みたいなのって新鮮だなあと思うんですけど)

あるいは少女漫画でモジモジしてる主人公の女の子に対して、

「こういう時に、俺みたいに無粋な男がどうやって問題を解決するか見せてやる」

つってダーンと唇を奪うとかね。

逆に、少年漫画の熱血主人公が、「あの・・・いや・・・だから・・・その・・・俺は・・・お前のことが・・・」とかグダグダ言ってる時に、

「こういう時に、18歳の女の子がどうやって問題解決するか見せてあげるわ」

つってダーンと唇を奪うとかね。

あるいは、世代間交流が主題の映画みたいなんで、頑固親父的な存在の苦境を、

「こういう時に、ゆとり世代の俺達のネットワーク力ってのを見せてやりますよ」

的に、デジタルネイティブなゆとり世代が友達大量動員して問題解決したりね。

あるいは逆に、社会的苦境に陥ってもそれをスピークアウトできない若い世代に対して、

「こういう時に、元全共闘のオッサンが、どうやって”たたかい”をするのか見せてやるよ」

的なのとかね(笑)

こういうのって、あらゆる「ストーリー」あらゆる「ドラマ」の、一番根幹的な部分なんじゃないかって思うんですよね。

特に、「I show you」とか「you just watch」とかの、「俺が●●してやっからお前はちゃんと見てろよ」っていう感じの、凄く「白日な視覚的意識の中で明確に具現化してやるから、議論は一回ストップさせろや」っていうキッパリした語感が凄く良い。

大げさに言えばアメリカって存在があってよかったなあぐらいに思わせてくれる感じというか。

もちろんね、実際にこういう台詞を「使う場所」っつーのは、なかなかないと思うんですよ。ちょっと、使い所が難しすぎるし。

ただ、人生全体とか、企業の長期的戦略全体とか、国家の戦略全体を、こういう


「So I show you how 自分の属性 + 今からやってみせる行動」


っていうモードで組み上げられるかどうかっていうのは、物凄く大事なことなんですよね。

そこのとこの発想の時点でそもそも負けてたら無理して成功しても絶対誰も幸せにならない

ですからね。



なんかね、「あらゆる人のあらゆる価値を認められる社会にしましょうね」的な理想っていうのは、その理想自体はいいんだけど、そうは言っても厳然として存在する「評価されやすい性質」と「そうじゃない性質」との間の格差みたいなのを考えると、理想論をゴリ押しすればするほど辛くなる人が出てくると思うんですよね。

そういう理想論だけを社会にゴリ押しすると、「評価されないかもしれないけど自分はそれで満足して静謐に生きるんだ」っていう人の人生の満足を奪ってまで進んでいっちゃうからね。

でも、最終的に、まあ確かに厳然として「評価されやすい性質」ってのはありつつも、それでもあらゆる「個人」が、人生で一回は

「So I show you how 自分の属性 + 今からやってみせる行動」

っていうような『勇躍』を見せつけられるような、で、

そういう形で発想された個人や企業の戦略が、モジュールとして結実し、グローバリズムの中に噛み合う

ようになったら、多分、「欧州左翼風の良心」を信奉されてる方にとっても納得できる世界になるんですよ。

だからね、まあ現状では、「弱者を圧殺する資本主義の搾取構造」から守られるべき存在を守るために「欧州左翼風の良心」も必要なんですけどね、でもその道はそもそも現実の経済の中でサスティナブルじゃないですからね。

でも、最終的に

「So I show you how 自分の属性 + 今からやってみせる行動」

を具現化しようと思ったら、今の機能主義的すぎるビジネスの文脈だけじゃ不足なんですよね。もっと、「アンガージュマン」的な?「実存主義」的な?そういう「熱さ」がバックボーンにないと実現不可能なんで。

だからこそ、もし読者のあなたが「欧州左翼風の思想」を代表してらっしゃる立場の方の場合はね、その思想部分はそのままに、その「具現化プロセス」を、地域通貨とか商店街のバックアップ的なものじゃなくて、こういう

"So I showed him how people in the Far East get down"なモジュール戦略

を、ご自身の思想の「具現化ツール」として使いながら思想運動をしていってくれれば、今「思想とか哲学って意味なくね?理系はともかく文系のああいうのってもうカネ使うのやめよーぜ」って言われちゃいがちな苦境を脱して、一転して人類を次の段階に進化させるための光り輝くバックボーンとして再評価される時代が来ますよ。

だから頑張ってくださいね。

その「思想」の、「最後の部分の味付け」をちょっと変えるだけなんでね、ぜひご検討ください。あなたがたにしかできない「熱さ」が、グローバル経済に導入されるのを世界は待ってますよ。

「こういう時に、欧州左翼風の思想家がどうやってアジるのか、お前たちに見せてやる!」

ってね(笑)

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