「体育会系の日本」は衰退する日本の元凶か?

●あなたは「体育会系」が嫌いですか?


暇な時間にはインターネットでこういう記事を延々読んでいるようなアナタは「体育会系の日本」が嫌いな人が多いかもしれません。

「上下関係」とか「密な人間関係」とか、「ウッス!アザッス!」的な感じ。高校や大学の部活や日本の飲食店アルバイトに満ち溢れる「この気分」がムシズが走るほど嫌い・・・という人もSNSには多いように思います。

ワタクシは中学時代ぐらいまで自覚的に「超サヨク的人間」だと思っていたので、

そもそも「敬語」っていうシステム自体が日本を忖度だらけのマトモな理屈が通らない社会にする悪癖なんだ!「尊敬する相手」かどうかはそれぞれの個人に判断が委ねられているべきだ!!

・・・みたいなことを本気で思っており、案の定たまたま入った部活が大嫌いでした。

しかし、高校で入ることになった文化部は、その分野で「全国大会に出た回数が(当時は)最多」みたいなところで、そこで色々体験するうちに、この「ウッスアザッス型」のコミュニケーションが実は非常に奥深い「組織運営上の知恵」のもとになりたっていることを痛感し、その後色々と考えを改めることになりました。

その音楽系の部活は、特に男は入部したとき楽譜読めないどころか最後まで読めないヤツもいるぐらいなのに、同地区のライバル校には「その学校の音楽科の生徒が全員集まって出てくる」ところとかもあって、「才能」とか「知識」とかそういうレベルのことで言ったらオハナシにならないレベルの差があるのに、「なんで毎年勝てるんだろう?」と思うじゃないですか。

それだけでなく、サヨク革命家を気取っていたワタシは、三年生になって実権を握れる中心人物になったら、ありとあらゆる「前時代的風習」みたいなものを廃止しまくっていこうとしたんですが、そしたらその後何年かでその部活自体が強烈に弱体化して、誰も知らない無名校になったりしたんですよね。

こういう「現象」には、体育会系嫌いの個人主義者も真剣に考えるべき課題が眠っていて、特に個人主義者の私たちが「日本社会のマジョリティ」との間で果てしない罵り合いになることなく「違いを活かした共存」を実現するために大事なヒントが隠されているように思います。



●体育会系中間集団が持つ「機能」は、グローバル資本主義の絶対化に対する防波堤


私たち個人主義者から見ると、たまたま働いている会社とかバイト先とか、たまたま属している部活とかいった「中間集団」のアレコレとかほんと知らねーよ!俺はそういうのとは関係ない「絶対値的な個」を生きてるんだよ!!という話になってしまいがちなんですが。

単純化していうと、

・こういう「中間集団的なまとまり」を全部なくしてしまうと、トクするのは”知的な個人主義者”だけ

であり、

・「中間集団的まとまり」の中でお互いをトクベツな部品化することで、現代社会の中でトクベツだと思われない普通の人間のトクベツさを引き出す事が可能になる

ということなのだと私は考えています。だから、そういう風習を徹底的に破壊してしまいたい!と思っても強烈な反対にあったりする。

だからこそ、大事なのは「棲み分け」とか「違いを活かした連携」を考えることであるはずです。


●体育会系的中間集団は日本の後進性の元凶か?


こういう「中間集団が強いこと」は知的な個人主義者から見ると「日本の後進性の象徴」みたいなところがあり、実際以下のブログ↓で書いたように、

問題映画『ジョーカー』ネタバレなし評と格差社会対策

日本は中小規模の会社の存在感が強くて、巨大資本が一気にコントロールする力が弱いために、ある種の新技術の導入とか効率化が遅れている・・・というような指摘はよくなされている。

しかし、もう一段「深い」見方をすると、この「共通システム」と「個別性」との関係というのは日本企業の強みと弱みを考えるときに重要な問題をかかえています。

私は学卒でマッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのはいいものの、そこで展開される「方法論」と、いろんな意味で「日本的なるもの」とのギャップがあまりに大きい現状にだんだん心を病んでしまい、その後「日本という国の”現場を知る”旅」と称して肉体労働やら新興宗教団体への潜入やら色んなことをやった後、中小企業向けのコンサルティングや、「文通を通じて個人の人生の戦略を考える」みたいな仕事で日本の今を生きる「老若男女いろんな立場の人」と触れ合う仕事をしています。

その「日本社会の根底的なあり方」と「グローバルなビジネスの手法」とのギャップ・・・のコアにあるのが、さっき書いた私の高校の部活のような、「個人レベルで見ると大してトクベツでもない存在を、”全国レベルで戦えるようトクベツな存在”仕上げる仕組み」=「中間集団でまとめる価値」をどうやって維持するか・・・という問題なんですね。

たとえば企業への情報システムの導入を考えたときに、「個人主義者のインテリ」はできるだけ全世界共通の既存システムに自社を合わせるように持っていくべきで、カスタマイズは最小限にするべき・・・というのは「当たり前のこと」のように考えてしまいがちです。

しかし実際私のクライアント企業でそういう風にやろうとして、その会社の「個別性」の部分にある社員の独自工夫を常に吸い上げて生産方法をブラッシュアップし続けるプロセスとの間に強烈な齟齬が起きてしまい、結局失敗した・・・というような事がありました。

「個」レベルで見るとトクベツさがなにもない人間でも、「中間集団」レベルでキッチリ協力しあうことができれば、グローバルサプライチェーンの中でちゃんと最先端の価値を出し続けることができる。たとえ大卒が1割ぐらいしかいない企業でも、たとえ田舎にある会社でも、たとえ・・・という「普通に考えたら条件が悪い」領域でも最先端の戦いから脱落しないでイッチョマエにやっていける余地が生まれる。

そういう「切実な事情」が日本企業や日本の「古い組織体」の中にはあるわけだから、単にネットでよく見られる「ERPを過剰にカスタマイズしようとする日本企業とかほんと脳味噌腐ってるよね」みたいなこと言いまくってるだけじゃあ、相互に憎悪が募るだけで何一つポジティブなアクションは起こせないでしょう。

とはいえなんでもかんでもカスタマイズしたがる日本企業の性質に無駄が存在することも確かなんで、大事なのは「お互いの立場を理解しない罵り合い」を続けるのではなくて、「なるほど、こういうところは可変的に個別の会社の良さを活かせる仕組みにする必要がありますね。でもここのところは無駄で過剰なカスタマイズじゃないですか」という「よりわけ」をちゃんとやっていくことなのだ・・・と私は考えています。



●システム側が進化して、中間集団を破壊(ディスラプト)しない新しいムーブメントが生まれつつある。


昨日NHKを見てたら、伊勢神宮前の飲食店の二代目さん(といっても娘婿さんらしいですが)が、株式会社ですらない有限会社でおそらく一店舗だけの規模でありながら、自前でAIシステムを構築して、その日の来店者数予測で95%以上のシステムを構築し、食材購入や社員配置の最適化を実現、売上も2倍になった・・・・みたいな話をやってました。(ネット記事がありました→コチラ

テレビで見てると、それこそ高校の部活みたいに朝礼時間に社員が輪になってリーダーが何か述べる時間があったりする「フツーに日本の中小企業感」があるところだったんですが、その店の奥にマックブックで起動してる「来店数予測・注文されるメニュー予測」が表示されてるモニターがあって、一日の注文数が人気メニューでも20とかなのに、各メニューが出る回数が1−2回の誤差で的中していたのは壮観でした。

昔は「なんらかの先端技術を導入する」となったときには、こういう「現場的中間集団」を破壊して大資本が根っこからコントロールして更地の上にビルを建てるようなことになりがちでしたが、最近はこのシステム側の進歩が大きくて、むしろこういう「部活みたいな中間集団」に寄り添うような「最先端技術」の導入・・・が実現しつつあります。

上記の番組で紹介されていた有限会社ゑびやさんは、月額8000円のサブスクリプションで、小規模店舗用の来店・注文数予測システムを外部販売もしているそうで、日本中の小規模店舗でiPadと薄いノートパソコンさえあれば最先端AI技術を導入した来店予測システムを導入する例が出てきているようです。

私のクライアントを見ていても、AIブーム!!!と言われていて東京の一部先端IT企業だけがお祭りになっていたころは、私のクライアントから見れば「あんな高いカネ払ってこんだけの成果とか・・・ちゃんと数字見てエクセルで計算した方がよっぽど改善効果あります」みたいな感じでした。

一方で最近は、「汎用AIソフトを自分たちでイジって自分たちだけの導入事例を格安で作る」みたいな例が増えてきている実感があります。また、以下の記事↓などで私が毎回触れているキャディ株式会社のように、「東京発の最先端技術企業」でも、「中間集団をディスラプトしない」あたらしいタイプのビジネスが生まれてきている。

「普通の日本人」をもっと信頼して社会運営するべき

サブスクリプション型のお手軽AIシステムを開発する企業は、ある種の「個人主義者のインテリ」の雰囲気で運営できるはずです。が、それをサブスクリプションで利用する「現場」側では、ある程度「ウッス!!アザッス!!!」風の文化を持つ中間集団を維持することで、「一握りのインテリだけが栄えてソレ以外は本当に絶望的なカオスに飲み込まれる」欧米社会の破滅の道から逃れる希望が見えつつある。

「中間集団をディスラプト」してしまうと、一部のインテリは果てしなく活躍できますが、現場レベルの人間は本当に「創意工夫の余地が全然ない手足」にされてしまうんですよね。「ウッスアザッス」型の中間集団に技術が「よりそう」ように導入できれば、マイルドヤンキー型人材が携帯アプリゲームやパチンコの攻略情報を交換して遊ぶような文化の先に「最先端技術と現場共同体のシナジー」が可能になる。

それは、インテリと「それ以外」が果てしなく分離していって後者の生きる価値が消滅してしまいがちな、欧米社会的仕組みの盲点を補完するあたらしい可能性となるはずです。

余談ですが、娘婿さんを含めたこの日本企業の「世襲的事業承継」問題は、原理主義的なサヨク思想から考えるとかなり問題があるように思いますが、逆にこの「マイルドヤンキー的共同体が社会の末端を果てしないカオスに陥るのを防ぐ機能」と「インテリ世界の論理」を「シナジーさせる」仕組みとして非常に優秀な効果を発揮している例も多いように私は感じています。


●フェミニズム等の人権派と日本社会のあたらしい協力関係


最近ネットを開くと人権派やフェミニズムとかそういう「意識高い系ムーブメント」が「日本社会」を徹底的に呪詛する声が溢れています。

しかしこの「日本社会の古い部分」は、ここまで書いたようにうまく育てていけば現行の欧米社会の行きづまり的な「破滅的社会の分断」を超えて、「インテリの個人主義者とソレ以外の共同体」との間のあたらしい関係を取り持ってゆく次世代への希望を含んでいたりするわけです。

フェミニズムはフェミニズム自体はいいとしてそれと「ネオリベ」が結託するから反発を受けるんだ・・・という指摘を最近ちょいちょいネットで見ますが、これは結構色んなフェミニストが考えるべき課題である気がします。

こういう「中間集団のまとまり」は個人主義者のインテリから見ると本当に憎たらしくてたまらなくなりがちな構造なんですが、しかしソレが破壊されるとグローバル資本主義の中の孤立無援の砂粒にされる「ほんとうの弱者さん(男だろうと女だろうと性的マイノリティであろうとなかろうと)」がたくさんいらっしゃる問題なので、恵まれたインテリ階層はむしろ「彼らがどうやって自分たちの価値を発揮できる経済構造を実現するか」に真剣になる「責任」があるように私は思います。

要するに、ダメなとこダメって言ってるだけでは解決しないってことですね。その「ダメに思える部分」が「どういう理由で必要とされているのか」について構造主義的に深く理解して、個人主義的インテリから見てもOKな範囲内で再構築できるかどうかが問われているわけです。

こういう「構造的背景」の経済的意味を理解せずに、単に「その男個人のゲスさ」に還元して叩いているようではどこにも出口のない罵り合いが激化するだけで終わるでしょう。

日本の「オリジナリティ」を血も涙もないグローバル資本主義から守る障壁になっている要素には、意識高い系の人間からすると諸悪の根源みたいに見えるものが色々詰まっています。

が、巨大なグローバルIT企業や原理主義的な金融資本主義への厳しい批判がなされるようになり、「時代の振り子」が逆側に振れてきている今、その「中間集団を維持しようとするオリジナリティ」の先に世界最先端の繁栄の形を見出そうとする日本の挑戦には大きな価値があるはずです。

資本主義が嫌だからって、トランプに対抗する米国民主党の過激派が主張するような空想的社会主義風のビジョンに現実性があるようには私には思われません。じゃあ民主主義とか諦めて中国みたいにやるべきか???って言われて言い返せなかったら困りますよね。

以下は私の5年ぶり新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」からの図ですが、



「ダイヤ」として、「現場レベルの中間集団を維持してトクベツでない個人のトクベツさを引き出す仕組み」さえ、最先端AI技術や最先端経営手法と噛み合うように持っていくことができたら、はじめて日本は「意識高い系の個人が嫌がる文化」の嫌な部分をやめられるようになっていくでしょう。

欧米社会の文化の「隠れた独善性」を中和し、しかし彼らの文化の美点を否定してしまうことなく非欧米文化の土着性の中にしっかり基礎づけること。そういうムーブメントが今必要とされているのです。

そのための私の5年ぶりの新刊、

「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?

が、来年1月にディスカバー21社から出ます。長く時間をかけただけがあって、本当に自分の「すべて」を出し切れた本になったと思っています。

現在、noteで先行公開↓しており、無料部分だけでもかなり概要がつかめるようになっていますので、この記事に共感された方はその無料部分だけでもお読みいただければと思っています。

こちらから。

同時に、その話をさらに推し進めたところから、日韓関係をはじめとする東アジアの未来の平和はこの視点からしかありえない・・・と私は考えている提言については、以下をどうぞ。日本語できる韓国人や中国人へのメッセージもあります。

21世紀の東アジアの平和のためのメタ正義的解決法について

それではまた、次の記事でお会いしましょう。

感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。


倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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